の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

イサーンへ旅する(カーラシン)

2015年04月02日 | カーラシン

マハ・サラカームの学校が集中する通りを抜けてカーラシンへ向かいますが、通学時間と重なり警官が各交差点で交通整理をしています。タイの警官はよく働きます。

マハ・サラカームの市外へ出る交差点は「カーラシン三叉路」の標識が立っています。

カーラシンへ向う国道213号線は市街地を外れると、すぐにピン川を越えます。
橋を渡った所のガソリンスタンド「PTT」でアイス・コーヒー購入です。

「すいか」はタイの衣料品メーカーで、PTTに店舗を出しています。



環濠都市跡のカンタラウィチャイで「プラ・プット・ミン・ムアン」に参拝していきます。朝日がお顔に差し込み、前回の訪問時とは違った趣です。





腰一帯に精緻な彫刻が施されています。






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茂った葉の間にハチの巣状の花を咲かせた木がありました。
調べると、「Rose of Venezueia」、タイでは「ソック・サバーン」と呼ばれるそうです。



おなじみのバナナの花です。「花バナナ」で実は貧弱です。

ヤシの仲間(?)です。種類が多くて名前を特定できません。



昨年はソンクラーンの参拝で、人出でごった返していたプー・ポーを再訪します。



麓と山頂にドヴァラヴァティーの寝仏が彫刻されています。

ワット・プー・ポーに到着です。寺院の礼拝堂の三方の入り口は違った聖獣が飾られています。





礼拝堂の壁画は、バラモンに白象を与えるパー・ウェットです。

礼拝堂内に置かれている輿に描かれていたのは、インドラ神が変身した醜いバラモンにパーウェットが妻マディーを与えた場面です。



少し登った所の岩壁に寝仏が彫られており、屋根が設けられて礼拝堂となっています。

9世紀にモン族によって彫られた寝仏象です。











いろいろと説明をしてくださった僧侶と撮影です。


僧侶から128ページあるプー・ポーに関する書籍を頂きました。残念ながらタイ語で書かれているため内容は理解出来ません。参拝記念として頂いて帰ります。

僧侶の説明では山頂の寝仏までは624段の階段を登るそうです。







山頂の寝仏が見えてきました。休憩なしで登りきることが出来ました。









仏陀の頭部側にある横穴です。

前回は行かなかった、さらに上まで登ってみます。



階段の上は、砂岩の広場になっていて、所々に亀裂が走っています。

山頂から見る風景です。本来は磨崖仏と居住跡の環濠遺跡が近接して残っているのですが、周辺には水田が見当たらず古代の居住跡が発見されていません。

山頂から戻り、寝仏の前で休んでいると、階段を清掃していた僧侶が話しかけてきます。

カーラシン

2014年07月10日 | カーラシン
■「ブン・バン・ファイ・タラーイ・ラーン」を見終えて、クット・ワーを後にしたのは午後2時30分でした。寺院の木陰で休息、露店を見て回るのに1時間ほど費やしています。
ソムデットの交差点まで戻り、国道213号線へ曲がらず直進、バン・ポーンへプー・タイ族が織るプレワー・シルクを見に行くことにします。ソムデットからおよそ30kmの距離です。

午後4時30分にバン・ポーンに到着です。
村の中で国道227号線が右折する交差点にあるモニュメント(ラック・ムアン)です。



OTOPに寄ります。










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「パー・プレワー」はプー・タイの言葉で「パー・サバイ」(肩掛け)を指すようです。記念に1点購入しました。
タイでは天然染料は藍以外使われていないようです。本品も化学染料です。「タイ・シルク」と謳っていますから化学繊維は使っていないと思いますが・・・。「シルク」と言いながら化学繊維を混入している織物もたくさんあるようです。



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■カーラシンへ戻る途中にある「ワット・プッタニミッツ」の磨崖仏に参拝することにします。
西向きに彫られた寝仏で、この時間なら夕陽が間に合いそうです。
しかし、山門に到着すると立派な鉄扉で閉じられています。諦めて引き返そうとしたとき、中から1台参拝帰りの乗用車が来て、同乗の夫人が扉を開けています。「入っていいですよ。扉だけ閉めておいてくださいね。」ということで寺の内へ進入。

時刻は午後5時20分になっています。
ソンクラーンに参拝した時は、人でごった返していましたが、今日は静寂そのものです。もう境内には誰もいません。

茂った木々で暗くなった山中の境内を心細く歩いていると、掃除をしている僧を見かけてホッとしました。

「パー・プッタサイヤー・プー・カーオ-」です。
ソンクラーンの喧騒の中で拝むのと、誰もいない夕陽の中ではずいぶん感じが違います。





午後5時50分、お寺を後にします。

午後6時40分、ホテル着です。プールでは子供たちがまだ遊んでいます。
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■第4日目の朝です。前回来た時に見つけられなかった「ワット・シー・ブン・ルアン」へ寄ります。とにかく迷いました。カーラシンでは王室寺院「ワット・クラーン」の北に位置するためでしょうか、「ワット・ヌア」で知られているようです。







やっと会えました。ドヴァラヴァティー時代の結界石です。
「ヴェサンタラ・ジャータカ(イサーンではパー・ウェット)」の一場面でヴェサンタラがサッカの変身したバラモンに妻マディーを与えるところです。中央のヴェサンタラは右手に持つ瓶から、承諾を示す水をバラモンに灌ぐぎます。右が妻のマディーです。

■今回の旅行地図です。
初日がバンコクからカーラシンまで543km、第二日目・カーラシンとクット・ワーの往復183km、第三日目・カーラシンからクット・ワーで復路は国道227経由で234km、バンコクまでの帰路が572km、全走行距離1532kmでした。

ブン・バン・ファイ・タラーイ・ラーン (2)

2014年07月09日 | カーラシン

チーム「シヤ・ヤーオ・ドークマーイ・パー」に付いて打上げに出かけます。

出発です。







パラシュートが開き、ゆっくりと下降してきます。



先に打ち上げる、2グループが待っています。木陰で順番待ちです。

体に泥を塗っておくと、泥が体温を奪うのと、火花がかかっても火傷をしないそうです。

前で順番待ちをしているグループです。





追い越していくグループがあります。



「ケーン」の演奏も加わり盛り上がります。



前のグループが打ち上げました。



さあ発射場へ再スタートです。」



奥の盛り土はバンカーで、着火後に逃げ込むようになっています。

まず支柱の上に回転台を設置します。

傾きを直してタラーイを載せます。









回転台とタラーイの間にバナナの茎を挟みます。タラーイの回転を良くするためでしょうか。



火薬の噴出孔は4カ所あって、黄色い布は導火線です。









バナナの茎を重ねて行きます。



黄色い布にガソリンをたっぷりと含ませます。

準備完了です。

着火の合図です。





着火しました。走ってバンカーに逃げ込みます。



全員の様子がおかしいです。異常事態のようです。

火薬を充填したパイプと「コン」と呼ばれる外枠が分離し、パイプが落下、両端から火を噴いています。





約50秒間にわたり両端から燃焼してしまいました。

打ち上げ失敗です。皆自失茫然です。崩れ落ちる人もいます。口惜しいです。



失敗チームを横目に次のグループが入場してきました。

なかなか引揚げられません。



慰める言葉が見つかりません。駆け足で泥池に飛び込んで行った人もいました。


■翌日のテレビニュースで「ブン・バン・ファイ・タラーイ・ラーン」の映像が流れていました。陽射しから夕方近くの6m「タラーイ・ラーン」が地上で大爆発をしていました。爆発の黒煙は、周りの木々の4、5倍以上に上がり、様々なものを巻き上げている映像でした。
イサーン各地で行われるロケット祭りですが、毎年どこかで死傷者がでるお祭りで、今年も打ち上げたロケットが方向を失い観覧者を直撃したと言うニュースがありました。

ブン・バン・ファイ・タラーイ・ラーン (1)

2014年07月08日 | カーラシン

午前5時35分、雲間から太陽が覗いています。

市内のロータリーに「ポーンラーン」というイサーンの木琴のモニュメントが建っています。カーラシンが本場でしょうか。
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午前9時55分に「ブン・バン・ファイ・タラーイ・ラーン」の会場に到着です。昨日、時間と場所を聞いておいたので、迷わずに到着です。なお、時間は午前8時から午後6時までとのことでした。

打上げの観覧場所までは大通りから500m程歩きます。道路沿いには露店がぎっしり並んでいます。

進行方向で「タラーイ・ラーン」が上がりました。上空には、まだ雲があります。

打ち上げる「タラーイ・ラーン」は2種類で、写真の直径が6mのものと半分のサイズで直径が3mのものがあります。

現地で最終組み立てをするようです。
重量を聞くと800kgとの答えですが、ちょっと重すぎるように思います。
単純計算すると、パイプの径を作業者の体から推定して26.7cm、パイプの肉厚をタイで入手できる4.5mmとしたとき、6mの長さだと175kg、充填された黒色火薬を比重1と考えた時に315kg、周りの「コン」と呼ばれる竹枠や補強の横桟、バナナの茎などを含めて550kgぐらいが妥当かなと思います。パイプがもう少し細いと200kgの火薬が詰まって、総重量400kgぐらいです。いずれにしても重いです。これを十数名で担いで500m程離れた発射台まで運びます。
6mのタラーイ・ラーンが螺旋状に硝煙を噴出しながら、ビュ-ン、ビュンと風切音を立てて上空へ上がって行くところは遠くから眺めていても迫力満点です。





こちらは直径3mの「タラーイ・ラーン」です。
重量は300kgとの答えでしたが、どのチームも2名で担いで運んでいますから300kgもないでしょう。
パイプ径が21.6cmで、肉厚4.5mmに黒色火薬を充填すると180kgぐらいです。これだと2人で担ぐには重すぎます。パイプ径がもう一ランク細い16.5cmであれば総重量120kgぐらいで2名で担いで行くのはのは可能です。
それでも約60kgの黒色火薬が充填されています。





「タラーイ・ラーン」が上昇中に空中爆発してしまいました。

直径6mの「タラーイ・ラーン」です。



直径6mの「タラーイ・ラーン」を打ち上げ場所へ運んでいます。
ちなみに、担いでいるのは10名です。



点火しました。数人で点火するようです。

硝煙が立ち込め、始めはゆっくりと上昇してきます。
6mの「タラーイ・ラーン」には6カ所の火薬噴出孔があります。



グングン上昇します。

パラシュートが絡まったままで落下しています。
火薬が燃えきった後でも200kg以上あるでしょうから、大変危険です。

3mの「タラーイ・ラン」の着火です。1人で着火します。



























3mの「タラーイ・ラン」は約10分間隔で打ち上げられています。






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直径6mの「タラーイ・ラーン」が担がれて行きます。



着火しました。









火薬が燃え尽き落下を始めました。

パラシュートが間に合いませんでした。

煙硝が立ち込める中、新たな「タラーイ・ラーン」が進みます。
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午後1時49分の写真です。雲が無くなり、青空に昇って行く6mの「タラーイ・ラーン」です。螺旋の硝煙に太陽光が当たりきれいな模様になります。

午後1時50分、炎天下に居たのでフラフラです。帰路に就くことにします。まだ組立て中の「タラーイ・ラン」です。

ここにも6mの「タラーイ・ラーン」が待機中です。

帰宅する人、これから見にに行く人で道路はいっぱいです。



露店でこの地域で織られる、綿織物を購入しました。

51cmX52cmの大きさで、150バーツでした。パレードで女性が頭に巻いていた布です。

バン・ファイ・タラーイ・ラーン(クット・ワー) 5

2014年07月07日 | カーラシン





午後3時13分です。「オボトー・クット・ワー」(クット・ワー区役所)の横断幕です。







空は真っ暗になりました。いよいよ降り始めます。



「ブン・ポー・マライ」、地獄と天国を自由に行き来し、見聞を現世に伝える「マライ尊者」の行進です。

路面を見るとかなり大粒の雨が降り出しています。

皆さん小さな傘を用意していますが、これからもっと激しく降るタイの雨です。1.6km歩けば傘の効果はないでしょう。
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■雨を避け、道路脇の撮影から区役所敷地内の屋根のある所へ移動します。
まだ、2グループがスタートを待っています。若い女性は軒下へ避難しましたが、ベテランは多少の雨など気にしません。

軒下に避難した若い女性たちです。



こんなメイクの女性もいました。





皆さん傘を差しての出発です。

















陽気なのかやけくそなのか、でもみんな元気です。



かなり激しく降っています。











最後の山車が動き出しました。

山車に乗っている女性が雨に濡れるのを覚悟で傘を閉じます。

写真では良く分かりませんが、彼女は道路に花を撒いています。

最後の「パー・デーン ナーン・アイ」です。
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この地域の女性は「パー・サバーイ」(肩掛け布)を胸に巻くのではなく、両肩から垂らしてベルトで固定しています。
胸に巻いている地域でも垂らす長さが違っていたりと、それぞれの区域で微妙に異なるようです。

最後のグループです。







午後3時45分、最後の地域のしんがりが雨の中へ消えていきます。
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午後4時50分、う回路から国道2042号線に戻ってきました。パレードを終え帰路に就く山車です。



国道の一部では洪水状態になっています。雨の中をスピードの出しすぎで横転したのでしょう。スイカが転がっています。