の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ナコーン・ラーチャシーマーのろうそく祭り(1)

2014年08月30日 | ナコーン・ラーチャシーマ

午前8時50分、ろうそく祭りパレードのスタートを待つ山車です。

午前8時52分、花火が上がりろうそく祭りの開始を知らせます。

パレードを待っている踊り手さんたちです。

台上の女性がパレード開始の挨拶をしていますが誰も聞いていません。

先頭はクラシック・カーの隊列です。



クラシック・カーの次はお年寄りの踊りです。
疲れが出なように、朝の涼しい間にという主催者の配慮でしょうか・・・。

ナコーン・ラーチャシーマーは首都バンコクに次ぐ第2の都市に成長しましたが、どうも人材不足のようです。



そして、各地区の趣向を凝らしたパレードとなります。







この山車のスポンサーでしょうか、揃いのT-シャツを着て出発前に全員で記念撮影です。初めて見る光景です。



道路に垂れ下がる電線を持ち上げて進みます。















イサーンでは男性、女性の区別が付かなくなることが多々あります。

台上の二人は間違いなく女性です。



物語の主人公です。タイ人の説明では、何かを戦った勝者とのことですが、よく理解できていません。





















出家儀式の様子を表しています。
ちなみに、背景の黒い束は電線です。

剣を片手に立っているのは「ターオ・スラナーリー」です。1826年にビエンチャン王国のアヌウォン王はタイからの独立を目指して蜂起し、バンコクへ向け進撃しますが、彼女は領主、副領主不在のナコーン・ラーチャシーマーでラオ軍の進攻を阻止したと言う副領主婦人です。
反撃するタイ軍はビエンチャンを攻略し、アヌウォン王を捕獲、王都の再興ができないように徹底的に略奪、破壊しビエンチャン王国は滅亡します。戦争捕虜として多数のラオをタイへ連行しました。

約10年前の統計ですが、林行夫氏の“「ラオ」の所在(1998年)”に興味深い数字がありましたので紹介します。
イサーン全土に住むラオは、イサーンの人口の約70%の1100万人、タイ全土で約1500万人と推定、当時のタイの人口を5770万人としていますから、タイ人口の26%がラオになります。
ラオス本土に住むラオは160万人と仮定していますから、タイに住むラオの10%ほどです。
本書にはラオスの総人口は記載されていませんが、1994年の人口が475万人とすると三分の一がラオです。

現在は「ターオ・スラナーリー」像に参拝する人が絶えませんが、像が建立されたのは1936年です。歴史は見る立場によって異なります。アヌウォン王はタイにとっては謀反を企てた逆賊ですが、ラオスから見れば、ラオの独立を目指した英雄です。
「ターオ・スラナーリー」はイーサンのラオにとってどのように受け止められているのでしょう。



ラオの伝統音楽「モラーム」です。



襷には今年のミス、ミスター・コンテストの優勝者と書かれています。

















ワールド・カップの決勝戦の対戦相手です。
この時点では決勝戦はまだ行われていません。



「ターオ・スラナーリー」です。



























結婚の儀式です。

ナコーン・ラーチャシーマーの歴史は古く、先史時代の洞窟壁画、墳墓遺跡、ドヴァラヴァティーの環濠遺跡、クメール遺跡と連続して残っています。
また、クメール帝国の第16代国王、ジャヤヴァルマン6世(治世:1080~1107年)はこの地の出身が確実視されています。





タイ人はお化けが大好きです。テレビドラマでピー(お化け、神霊)の出てこない日はありません。









仏陀の背中がしんがりです。パレードは町中を巡回します。

ろうそく祭り(カオ・パンサー)3

2014年08月29日 | ナコーン・ラーチャシーマ
■ろうそく祭り当日です。午前6時半に人出の少ないところを見計らって山車を見に出かけます。
ナコーン・ラーチャシーマーで感動したことがもう一つあります。早朝、街中がきれいに清掃されてゴミが落ちていないことです。
バンコクで暮らしていると、朝でも町中にゴミどころか割れた瓶の破片や金属片などが散乱しているのをよく見かけます。そんな中を早朝に僧侶や小僧さんが裸足で托鉢に回っています。裸足の僧侶や小僧さんが快適に、かつ危険なものを踏み怪我をしないように、住民は気を使って街を綺麗にするものだと思っていたのですが、タイ中央部では大きな誤解でした。
でも、ナコーン・ラーチャシーマーに来て掃き清められた道路を見ました。ろうそく祭りの会場周辺も同様でした。昨夜の道路はゴミだらけでしたが、今朝はすっかりきれいになっています。

















パレードに参加する女性が来ていましたの山車の前で一枚。














■午前8時になりました。一旦ホテルに戻り朝食です。

ろうそく祭り(カオ・パンサー)2

2014年08月28日 | ナコーン・ラーチャシーマ
■「ターオ・スラナーリー」を祀る広場を囲む「チュンポン通り」、「ラーチャダムヌーン通り」に停められている蜜蝋細工の山車の紹介です。降りそうだった空は黒雲も遠ざかり、何とか持ちこたえたようです。


こちらの山車は最後の仕上中です。




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単体の蜜蝋細工も展示されています。

苦行中のお釈迦様です。



広場の中にはたくさんの飲食店や物産店がでています。夕食中にすっかり暗くなってしまいました。

どこのお祭りでも飲食店の屋台が出ますが、味は悪く、量も少なめで、値段が割高なのが相場です。しかし、ナコーン・ラーチャシーマーだけは違っていました。まず値段が安く、うまくて、量があります。食後ほかの店も見て歩きましたが、味こそ分からないものの、価格や量は全く問題ないようで、感動をしました。

山車に照明が灯ります。







十五日の月も昇ってきました。





暗くなってたくさんの人出となりました。その中を遅れてやって来た一台の山車が進みます。






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「チョムスラーン・ホテル」横のマナット通りのナイト・バザールですが、今夜は客足も少なく、出店を取止めたところもあるようです。

ろうそく祭り(カオ・パンサー)1

2014年08月27日 | ナコーン・ラーチャシーマ
■陰暦8月の満月の日、今年は7月11日(金曜日)が「アサラハ・ブチャー」(三宝節)、悟りを開いたお釈迦様が鹿野苑ではじめて5人の弟子に説法をし、「仏、法、僧」の三宝が揃った日。翌12日(土曜日)は「カオ・パンサー」(入安居)で僧が雨期の三カ月間を寺院に籠り修行に入る日です。
僧が修行中に灯りを欠かすことがないよう、信者はお寺に蝋燭を寄進します。
イーサンでは蜜蝋で飾り付けた大きな蝋燭の山車が各地でパレードします。
タイの東端、ウボン・ラーチャターニーで催される「ろうそく祭り」の規模が一番大きくて有名です。
今年はナコーン・ラーチャシーマー(コラート)の「ろうそく祭り」に行ってきました。

■バンコクからコラートまで270km、と距離も近く夕方までに到着すればよいと言う余裕から、午前8時に出発。
12日のカオ・パンサーは祝日で土曜日と重なっているため、月曜日が振替休日の4連休になって、帰省する車両で道路は大渋滞です。
午前11時10分になってもバンコクから78kmの国道1号線です。
いつもこの像を横目に走りますが、修行僧の姿から寺院だと思い込んでいました。渋滞でじっくり見れば「トゥーン・ブアチョーム水上マーケット」とあります。
最近は、各地の川や運河沿いに残っている、100年程経った商店街が改装されて水上マーケットととして再生、観光客を集めています。また、観光客目当てに新しく水上マーケットとして作られる所もあります。
「トゥーン・ブアチョーム水上マーケット」は後者で、池の周りに商店を並べた、国道沿いのパーキング・エリア的な施設です。

バンコクからまだ78kmの距離です。この先のサラブリーを超えてからの渋滞が想像つきません。
まずはここで休憩することにします。





扱っている商品は、これと言って特徴のあるものは無いようです。

トイレです。使用料5バーツです。

これはダイハツ・ミゼット、日本製です。











郵便ポスト、古いテレビやラジオを売っています。
そういえば、何年か前にパナ社製のテレビを9800バーツで買い、会社の食堂に設置したのですが、6か月もしないうちに画面が映らなくなってしまいました。パナ社のサービスセンターに送ると「テレビの中に鳥が巣を作っているので無償修理はできない。」「もし、修理をするなら9600バーツの修理代になる。」との回答。鳥の巣と一緒に返却を要求、当然ながら「鳥の巣は捨てた。」とのことですが、いつまで待ってもテレビは返却はされず、従業員が引き取りに行き、皆で騒いでいます。テレビには鳥どころかゴキブリすら通るのが困難なスリットしか開いておらず、いくら有償にしたい口実でも「鳥の巣」とはよくぞ言ったものである。
これもパナ社が宣伝する「生きるためのアイデア」かなと思っています。
いつまで経っても返却されなかったのも、こちらが放棄した時に転売するのだろうと言うのが従業員の意見でした。結局そのテレビは欲しいと言う従業員が持ち帰り、数百バーツで町の修理屋で直したそうです。
それ以降パナ社の製品は購入しないことにしたのですが、日系企業でもタイに来るとこの程度の対応しかしないのが不思議です。




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午後1時36分、サラブリーの国道2号線、登坂路です。予想通りの大渋滞中。

結局、午後4時28分にナコーン・ラーチャシーマーの旧市街に到着です。

蜜蝋の山車が国道2号線からろうそく祭り会場のあるチュンポン通りへ入って行くところです。

まずはホテルを探します。ナイトバザール近くで「ターオ・スラナーリー像ん」まで600m程東に建つ「チョムスラーン・ホテル」、一泊800バーツ、朝食が40バーツです。2泊します。

7階の部屋から見るコラートの風景です。

荷物を置いて会場へ向かいます。

チュンポン門です。門の向うが広場で、中央に「ターオ・スラナーリー」が立っています。

タイの4大女傑のひとり、「ターオ・スラナーリー像」にお参りです。
ナコーン・ラーチャシーマーの副領主の婦人で、1826年ビエンチャン王国のアヌウォン王の反乱で、領主、副領主が転戦で不在中にバンコクを襲撃するラオ軍の進攻を阻止、撃退した女性です。

空は今にも泣きそうです。

カメラの前でインタビューに答えていた人を写しました。たくさんの警官が警備をしていましたからそれなりの地位の方です。

暗くなるまでに「ターオ・スラナーリー」の祀られた広場を取巻く道路上に停められている蜜蝋の山車を見て回ることにします。

蜜蝋細工の題材は仏伝図や仏陀の前世物語、本生譚が多いようです。
この彫刻は太子の出城です。太子が乗る馬の蹄の音を消すためヤクシーが馬の足を持つのですが、ここでは天女が支えています。







































この山車は、まだまだ貼り付ける蜜蝋片がたくさん残っています。

太子誕生の横を進む山車があります。


ナークの陶製品

2014年08月25日 | 陶磁器(タイ)
■織物に「パヤー・ナーク」(ナーガ)の意匠が多いと言うことで、陶器を改めてみてみると、陶器の絵付けには一切使われていません。
勿論、織物は古い物でも、目にするのはせいぜい200年前のものですが、陶器は700年から600年前の物で、比較するのに無理があるのかもしれません。
しかし、タイ族がシャムに覇権を確立する前からナーガは仏陀を守る神聖な生き物として崇拝されてクメール寺院、神殿装飾にもたくさんの像を見ます。
スコータイ時代に急激に発展した、皿、鉢、碗などの陶製品には描かれていないし、誰に聞いてもナーガの絵付けは見たことがないようです。


寺院装飾としてのナーガ像です。仏殿の入り口で邪悪なものを見張ります。(全高:43.8cm)




ナーガと思われる鉢飾りです。頭部が把手になっていたようです。
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中国から伝わった龍の鉄絵です。(長辺:9cm)

鉄絵青磁の龍です。焼成温度の上がり過ぎで、器形を維持できませんでした。高台内には「マンコーン」(龍)の銘です。(長辺:15cm、高台径:10.3cm)
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この陶片はライオンです。ずいぶん擬人化されています。(長辺:15cm)

この2点もライオンです。シャムには棲息していないので、中国から伝わった図像が基になっているのでしょう。
ドヴァラヴァティ時代にもライオンは寺院装飾にたくさん用いられていますが、意匠の感じが全く異なります。



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人頭魚を2点、どちらもスコータイ窯の台鉢です。



パーヤン窯の鉄絵人物像で、碗の陶片です。西方の雰囲気がします。(長辺:8.5cm)
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スパンブリーの古窯近くのター・チーン川で拾った陶片です。
象狩りの意匠はたくさんありますが、これは珍しい蛇の意匠かなと思っています。
なお、同じ印花技法の象やライオンの低温焼成陶片は北北東に約100kmのドヴァラヴァティのチャン・セン環濠遺跡から多数出土しています。