の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ワット・プラ・タート・ストーン・モンコーン・キーリ(デン・チャイ)

2016年02月07日 | プレー
「デン・チャイ」の続編です。「ワット・プr・タート・ストーン・モンコーン・キーリ」は丘陵の斜面を利用した広大な敷地に様々な建物があります。

中性的なビルマ風の仏陀像です。





象の腹くぐりもあります。やはり3回くぐれば幸運がめぐってくるようです。

木造の建物は博物館です。

破風は絡み合うナーガの彫刻です。

階上が博物館となっています。



阿片を量る分銅です。

粉引石です。日本でも50年前の農家には、どこの家にも同じものがありました。今では邪魔物扱いで、軒下や畑に転がっています。
機能上で同じ形になったのか、海外から伝播されたのかは知りませんが、実に面白い形状です。

サンカロークの古陶が並んでいます。スコータイとプレーを結ぶ古道は国道101号線に沿っていたのだろうと思いますが、当時運ばれてきたものでしょうか、出土地は明記されていません。

戦闘に赴く象です。

磚仏です。とぐろを巻いているのは仏像の螺髪です。出土する螺髪も大切にします。




***

さらに5.7km西行すると国道101号線は南下して山間の低地をシー・サチャナライへむかいます。80kmでシー・サチャナライ遺跡です。
国道101号電線を直進すると、再び国道11号線となってランパーン、チェンマイへ通じています。



以前は草の生える細い道路でしたが、いつの間にかきれいに舗装された快適な道路になっています。

デン・チャイ

2016年02月06日 | プレー
2014年の正月旅行を載せています。1月1日はプレーのホテル「ナコーン・プレー・タワー・ホテル」に投宿しました。
2日の朝です。部屋から見るプレーの朝景色です。北の正月は気温も低く、朝は霧がかかります。

ホテルのロビーには、まだクリスマス・ツリーが飾られています。

ホテルの入り口です。プレーはチークで栄えた街です。立派な木材が使われています。



サムローで買い出しです。



本日の目的地はシー・サチャナライです。国道101号線を22km南下するとデン・チャイ三叉路です。4車線の幹線道路は左折して国道11号線となりウタラデット、ピサヌロークへ至ります。
国道101号線は直進して2車線道路となり、走行している車は途絶えてしまいます。



デン・チャイ三叉路から5.8km進むと左手に巨大な寝仏が目に入りました。
「ワット・プラ・タート・ストーン・モンコン・キーリ」というビルマ風寺院です。
寺院の由来は分かりませんが、建造物は新しそうです。



ビルマ風の妖艶な横たわるお釈迦さまです。

ナーガをにない棒にして仏立像とウサギの彫られた石板を担ぐ天女です。
周りに大きさを比較できるものがないので、その大きさがイメージできませんが、3mを超える巨大な天女です。

寺院へ通じる階段脇のシンハも巨大です。



寝仏の足の裏です。

ずらりと並んで寺院を囲む黄金の塔です。

回廊の内側が本堂です。

回廊門の脇にカエルが置かれていますが、このポーズは・・・。



仏塔前の祭壇です。石板の彫刻はガルーダとナーガです。





特徴のある仏塔です。







仏塔の東に立っている本堂の窓です。









東向きの本堂です。



堂内へ入っていきます。








***

回廊の壁画です。瞑想する釈迦と成道を妨げる魔羅軍「降魔成道図」です。

上段が瞑想中の釈迦像、下段は濡れた髪を絞って洪水をおこし、魔羅軍を追い払う大地の女神「メー・トラニー」です。タイで好んで描かれる仏画です。

攻めてくる魔羅軍です。

メー・トラニーの髪から流れ出た水に溺れる魔人たちです。

回廊の宝冠仏と壁面の千体仏です。




元日のワット・プラタート・チョー・ヘー

2016年02月04日 | プレー
プレー市街手前で国道101号線と国道1101号線が交差しています。
国道1101号線を10km進むと「ワット・プラタート・チョー・へ―」です。
プレー市街からは東南10kmの丘の上に建っています。
午後4時10分に到着しました。正月で、夕方近くでも駐車場は満杯です。

「ワット・プラタート・チョー・ヘー」は寅年生まれの人が参拝するべき仏塔です。
ランナーの仏教では「プラタート・プラチャム・ピー・クート」という、人の運命は生まれた年の干支に支配されていると信じられています。自分の生まれ年の干支の仏塔に詣でなければならないという信仰です。
朝、参拝したナーンの「プラタート・チェー・ヘーン」はウサギ年生まれです。

階段を上っていきます。








***



シャン族が寄進したタンチャイ仏です。塔内は狭く、1人が入るのがやっとで、たくさんの人が並んでいます。

仏塔はスコータイ王国のリタイ王統治下の1336年から1338年に建立されました。
高さ33m、底辺11mの煉瓦と漆喰で積み上げられたチェン・セーン様式の仏塔です。表面は真鍮に漆を用いて金箔が貼られた板で覆われています。
仏塔には仏陀の髪の毛と左ひじの骨が納められています。









前回参拝したときは、補修中でした。


***

ご本尊です。高さ4.5m、膝幅3.8mの仏像で、900年以上の歴史があると言われています。





訪れた2014年の干支、馬に仏塔が安置されています。



生まれ年の仏塔に参拝できない人は、ここで代用できそうです。
仏塔と干支の織られた幟に賽銭箱、おみくじが置かれています。
なお、「プラタート・プラチャム・ピー・クート」の仏塔は北部タイだけでなく、イサーンやミャンマー、インドにも分布しています。








***

「ナコーン・プレー・ホテル」の窓から見る夕焼けです。
午後6時、チェック・インしました。宿泊代は朝食付きで650バーツです。
本日は144kmの走行、累計1237kmとなりました。



夕食はルーム・サービスで済ませます。「カオ・パット・ムー・カイダーオ」と「トム・ヤム・タレー・ナム・サイ」です。





コンビニの前に立っている小僧さんも、寒くてサンタ頭巾を被っています。

ナーン、プレーからピチット、ナコーン・サワンへ

2013年11月01日 | プレー
■4月20日(土曜日)です。ここまで1180kmを走行しています。ナーンからバンコクまでは幹線道路の最短距離で687kmです。午前8時半、一路バンコクを目指して出発です。

ナーンの南20kmほどのウィアン・サの水田です。乾期ですが稲穂が良く実っています。ウィアン・サを過ぎるとロン・クワンまでの60kmを道路は山の中へ入って行きます。

国道101号線を南下、プレー市街の手前十数キロに「ペー・ムアン・ピー・森林公園」へ行く横道、国道1134号線があります。約15kmそれるだけなので寄ることにします。

午前10時半到着です。「ぺー」とは木立、「ムアン・ピー」は隔離されて寂寥な様子で、浸食によって砂粒と風化石英の粘土が固化した部分が残って林立している奇観の地です。



高さは5m程あって、巨大キノコのようにも見えます。広さは0.8平方キロに林立しています。









公園前の売店です。ミアンを貰った所です。
1時間ほど散策して、午前11時30分スタートです。

***************


プレーを過ぎ、デン・チャイ交差点で左折、国道11号線へ入ります。ウッタラデットまで40km、さらにピサヌロークまで100kmの間は延々と続く下り坂です。

ウタラデットを越えました。ここからは直線道路の下り坂となります。

満載のバナナを運搬しています。

***************

■ピサヌロークを抜けて国道117号線を40km南進し国道115号線で左折、20kmでピチットの市街です。ピチットで宿泊しようと市街を走るのですが、行き交う車も稀で、夕暮れにはまだ早いけれど市場の前にもほとんど人影がないという状態です。ホテルも怪しげで、夜中には幽霊でも出そうな雰囲気です。
市街の少し南にある遺跡に立ち寄り、100kmほど南のナコーン・サワンまで移動することにしました。ナコーン・サワンはバンコクの北、240kmにある都市です。

午後3時50分に「ムアン・カオ歴史公園」につきました。この地に都市国家が出来たのは1058年「プラヤー・コータボンテーラワラート」の建設によるとされています。当初はスコータイの覇権下になり、アユタヤが勢力を拡大するとアユタヤの覇権下となり、ビルマの進出によって破棄された中世都市です。
公園内はあまり整備もされておらず、樹木が鬱蒼と茂っています。都城壁や環濠の一部、荒廃した寺院などの基壇が残っています。

「ワット・マハタート」です。発掘整備されています。手前は「ウィハン・カオ・ホーン」と呼ばれる礼拝堂で九つの部屋があります。

仏塔にはかっていくつかの石碑が嵌められていたそうですが、その後盗難にあって、今はありません。

仏塔の奥には本堂の基壇と聖域を示す二重ねの結界石が残っています。



寺院横の池の淵にワニを退治する像があります。

ワニ退治の傍らに小さな横穴があって、下半身は砂に埋まった仏様が祀られていました。祠の前には禅定印のワニが守護しています。

ピチットはナーン川とヨム川が南北に流れ、水利が良く、稲作、果樹栽培、淡水漁業、魚の養殖が盛んです。また、豊富な淡水を利用したワニの養殖も盛んで、ピチットのマスコットはワニです。国道117号線沿いの稲刈りをするワニの夫婦です。



プレーの寺院巡り 第2日目 (3)

2013年10月14日 | プレー
■「ワット・プラバット・ミン・ムアン」の表を通りかかったので、もう一度プレーが誇る「プラプッタ・コーサイ(仏)」にお参りをしていきます。

本堂横ではソンクラーンのかたずけをしていました。







本堂では僧侶が食事中でした。

***************

■「ウォンブリー・ハウス」1907年から3年の歳月をかけて「チャオ・ポーム(ルアン・ポーン・ピブーン)」と国主ピリヤチャイ・テパウォンの最初の妻であった「チャオ・スナンタ・ウォンブリー」によって、広東から来た中国職人を雇って建築したピンク色の洋館です。訪問時はたくさんの人が集まり、パーティー開催中で入館できませんでした。
建物は煉瓦とセメントで1mかさ上げし、地元のチーク材を用いた2階建で、屋根は天井を設けて空気の循環を良くした構造となっています。館内には一族が継承してきた日用品や古文書が展示されているそうです。









***************

■「ワット・プラタート・チョー・ヘー」プレー市街の南東にあって、国道1022号線を約9km行った低い丘の上に建っています。
プレー王国がスコータイ王国の覇権下にあった、1336年から1338年にスコータイの副王リタイによって創建された言われています。




タイでは生まれ年の干支の仏塔に詣でるという信仰があって、タイ北部を中心に干支にちなんだ仏塔があります
「ワット・プラタート・チョー・ヘー」寅年生まれの人が詣でる仏塔です。それとの関係は分かりませんが山門の両脇は虎が守っています。



ビルマ様式の仏塔が回廊の外に建っています。



1922年、タイヤイ族によって奉納された仏像で、大変ご利益のある仏様だそうです。

下辺11m、全高33mのチェンセン様式の仏塔です。
お経を唱えながら仏塔を三周回ると、仏による守護力が強まり、より良い人生がおくれます。

仏塔は黄銅板で覆われ、漆を用いて金箔が貼られています。





タイには生まれた曜日仏像にお参りするという信仰もあります。曜日毎に仏像の様式が異なっていて、この仏様は日曜日です。
たいていの寺院には七曜日の仏像が祀られています。

「ルワンポー・チョーヘー」と呼ばれるチェンセーン様式の仏像で900年以上の歴史を持つと言われています。







こちらの階段は「マカラ」の口から生まれる「パヤナー」です。

丘の下の売店では地元の産物が売られています。プレーは藍の産地で、藍染製品が安い価格で並んでいます。野良着を一着購入しました。

銀細工の産地でもあります。