の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ワット・プラ・ケーオ(サンブリー)

2016年02月25日 | チャイナート
次に訪れたのがワット・マハータートからノイ川の下流3kmにある「ワット・プラ・ケーオ」です。
サンブリーに関する資料を保存していたのですが、どこかへ失せてしまいい遺跡の解説ができません。写真のみアップしていきます。

山門をくぐり、トックリヤシの参道の先にすらりとした細身の仏塔が見える様は、南国ならではの光景です。

仏塔の東には新しい礼拝堂が建っています。午後12時15分、陽射しは南へ回っています。





仏龕の本来の仏像は毀れ、新しい青銅仏座像が安置されています。脇侍の立像はきれいに残っています。

南から見た仏塔です。



北から見ます。





西から見ます。





仏塔の西に煉瓦積みの祠堂跡があります。

祠堂跡に集められた遺物です。

大きな仏頭です。かなり大きな仏像だったようです。

立像の腰部分です。
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礼拝堂の本尊に参拝です。

入り口の横に嵌められた、クメール風まぐさ石と碑文です。何が書かれているのか読めません。

降魔印の仏座像です。



仏塔の周りで掃き掃除をしていた僧侶に、本尊の背面も見るように言われました。
背面に回ってみます。

僧侶は仏像について説明をしてくれたのですが、記憶に残っていません。

礼拝堂入り口のクメール寺院のまぐさ石から勝手に推測するのは、本尊の石材にクメール寺院を解体して流用したのでは・・・と思っています。
この本尊の肉厚は、その大きさから比較すると異常に薄っぺらです。

三尊仏のようにも見えます。
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サンブリーの町のゲートです。

今回の旅程です。12月27日にスタートし、年が明け1月4日になりました。「ワット・プラ・ケーオ」まで1,743kmの走行です。バンコクまで残り250kmになりました。

ワット・プラヤ・プレーク(サンブリー)

2016年02月24日 | チャイナート

ワット・マハータートの北隣に「ワット・プラヤ・プレーク」があります。
12世紀から14世紀に建立された寺院跡です。広い敷地には1基だけ尖塔の崩れた八角形の仏塔が残るだけで、他はすべて崩れ基壇だけになっています。











礼拝堂から見る仏塔です。



礼拝堂跡です。







仏塔の尖端があちこちに散らばっています。


ワット・マハータート(サンブリー)-2-

2016年02月23日 | チャイナート
ワット・マハータートの続きです。
敷地内からはドヴァラヴァティー時代の石灰岩製の鉦も出土しています。

崩れかけたレンガ積みの仏塔の隣には、新しい仏塔も並んでいます。
ビルマ軍を追放した後の建立でしょうか・・・。






















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仏像の台座です。

角穴が3か所ある仏三尊像の台座です。

結界石、基壇などの遺物が並んでいます。


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古い祠堂に覆屋根が設けられ仏陀像が祀られています。

ロッブリー様式の砂岩製のナーガに座り瞑想する仏陀像のようです。

砂岩製の仏陀立像です。

左に置かれている指の大きさから推測すると、かなり大きな仏像であったことが窺えます。

降魔印の座仏です。

二重になった仏足石です。


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こちらは祠堂を補修しています。

仏陀の前に祀られた大きな破片ですが、何が彫られているのか分かりません。

魚ですが、どこを装飾していたのでしょうか。
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この祠堂も崩れた煉瓦壁を覆って建てられています。



結界石にも参拝者が金箔を貼っています。

仏像の後ろに立っている石板です。浮彫が施されています。




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ワット・マハータートの新しい伽藍です。

ワット・マハータート(サンブリー)-1-

2016年02月21日 | チャイナート

ワット・プラ・ボロマラート(ムアン・チャイナート)からノイ川の下流15kmにムアン・サン(サンブリー)があります。ノイ川に沿ってはしる国道340号線で、約15分で到着です。まず、ムアン・サンの中心寺院「ワット・マハータート」に訪れます。
ワット・マハータートの礼拝堂は崩れて、地面も敷かれた煉瓦が凸凹のままです。
訪れる人も少なく、アユタヤやスコータイの遺跡のように整備されていないのが好ましいです。






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遺跡のほぼ中央に塔部が崩壊して基壇を残すだけの仏塔が建ってています。寺院が建立されたのはアユタヤ時代初期、ウ・トーン様式とされています。
ドヴァラヴァティー時代の仏塔のようにも見えます。

仏塔の東に緩やかな階段が設けられています。

日陰に漆喰が残っています。枠内にはジャータカのレリーフがあったのでしょうか・・・。





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仏塔の回りは無残な状態で、歩くのに難儀します。
チャイナートはアユタヤへ侵攻するビルマ軍の通路にあたり、ビルマ軍の攻撃を受け灰燼と帰しています。また、1451年にはラーン・ナーのティローカラート王によって破壊されています。





回廊も崩れて基礎部が残るだけです。



壊れた仏像も放置されたままです。

陶片もあちこちに散らばっています。

低温焼成の無釉瓦です。








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新しい本堂の軒下に安置された仏像です。



現在の敷地の北東角、ノイ川に近い場所にロッブリーの影響を受けたトウモロコシ型の仏塔が建っています。

四方に仏龕があり、崩れた仏陀像が残っています。写真は南側から見ています。



東から見た仏塔です。







仏塔から西へ2基の崩壊寸前の仏塔が並んでいます。

鉄パイプで塔を支えていますが、基底部が細く、このまま風化すれば、崩落は免れそうにありません。



この塔は、すでに頂塔部が崩壊しています。

ワット・プラ・ボロマタート(チャイナート)

2016年02月14日 | チャイナート
泊まった「チャイ・ナート・リゾート」に咲いていた「砲丸木」の花です。タイでは「サーラ・ランカー」と呼ばれ、「スリランカの沙羅双樹の木」の意味で聖木として寺院の境内でよく見かける花木です。しかし、原産は南米アマゾンで、本来お釈迦さまとは無関係です。

手前の丸いのが実で、名前の由来となっている砲丸です。









午前8時、少し遅い朝食です。
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国道340号線を南下して午前8時30分、「ワット・プラ・ボロマタート・ウォラウィーハン」へ再びやってきました。
右手前は、結界石に囲まれた布薩堂、その奥が礼拝堂、そしてウートン様式の仏塔です。





布薩堂の向かいの建物内の仏像は補修中です。

施無畏印の仏陀立像です。

礼拝堂へ参拝です。

ご本尊の手前に水を貯めた水槽があり、台座のような四方形に角穴の開いた石が沈めてあります。

お賽銭が投げ込まれています。

降魔印の仏陀像です。

仏足石も安置されています。

寺院博物館の再訪です。前回アップした写真との重複もあります。







モン族の顔の特徴をよく表したと言われる、ドヴァラヴァティ様式の仏頭です。



クメール様式の禅定印を結んだ仏陀像です。

アユタヤ初期のウートン様式の青銅仏です。

ドヴァラヴァティからクメール、スコータイ、ウートン、アユタヤへ連続する美術様式が網羅されています。チャオプラヤ川とメナム・ノイ川の分岐点でメナム・ターチンへも近く古代から交通の要所であったようです。

















右は土器の台付小皿です。真ん中の2点はトカゲのレリーフですが、何に使われたものか分かりません。

磚仏とその左はサンカロークの鉄釉で器面に斑点を描いた小壺です。

真ん中は青磁のカニのようです。

ワット・プラ・ボロマタートで売られていたお守りです。寺院から出土した磚仏です。







同じケースに並んでいたドヴァラヴァティの青銅仏です。アユタヤ時代のものです。