
ルーツを雲南最南端の西双版納(シーサンバンナ)にもつ、ナーンのタイ・ルー族はター・ワンパー、プア、チェーン・クラーンなどのナーン北部地域に居住しています。
長らくビルマの占領下にあったナーンは人口が減少し荒廃してしまいます。しかし、ビルマ撤退後の1812年、国力を回復するためスマナテーラワート国王は雲南のシップソーン・パンナーの諸都市を攻略します。ムアン・ラー、ムアン・ポーン、ムアン・チェーン・カーン等の北方諸国からおよそ6,000人のタイ・ルー族を連行して帰ります。
その後もアナンタヨット国王が1853年にシップソーン・パンナーのチェーン・ルーン、チェーン・トーンから、3年後の1856年にシップソーン・パンナーのムアン・ポーンを攻略したスリヤポーン王は、およそ1,000人のタイ・ルー族を移住させています。




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高床式の民家が並ぶ村の中を100mほど進みます。







タイ・ル―の織物様式は現在はラオスのサイニャブーリーのグーンを経由してこの地に伝わったそうです。(当時のサイニャブーリー=メコン西岸はナーン王国の領土です。)



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