の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

プラサート・プアイ・ノイ

2015年09月16日 | コーン・ケン
バン・パーイから国道23号線を東へ11km、国道2301号線を8km南下、さらに国道2297号線に入り15km南へ走ると右手にクメール遺跡「プラサート・プアイ・ノイ」又は「プラタート・クウ・トーング」があります。
11世紀から12世紀の建立でバブーオン様式とアンコール・ワット様式の混在するヒンドゥー遺跡です。
東向き寺院で東西の楼門と周壁に囲まれ、中央の基壇の上に3基の祠堂と東南角の基壇上に経蔵を配しています。周壁の外にはコ字形の聖地が囲んでいます。

写真の蛇王アナンタに横たわるヴィシュヌ神は中央祠堂のまぐさ石です。

遺跡東から全体を見ます。

東楼門の右にある偽扉です。



偽扉のまぐさ石と破風です。



ピラスター(飾り柱)です。



東楼門の左に位置する経蔵を周壁の外から見ます。破風は雄牛ナンディに乗るシヴァ神と妻のウマーです。
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東楼門をくぐり抜けます。

東楼門内側のまぐさ石と破風です。



基壇上の3基の祠堂です。塔上部は崩れ去っています。



中央祠堂です。ブラフマー神殿です。まぐさ石には大蛇アナンタに横たわるブラフマーです。





北側祠堂です。





北側祠堂の祀られているリンガです。

南側の祠堂です。





経蔵内から南側祠堂を見ます。

経蔵です。







経蔵の東壁面です。



ナンディに乗るシヴァ神と神妃ウマーです。クメールの都から遠く離れた地方の素朴さのあらわれた彫刻です。


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西楼門を祠堂基壇上から見ます。

西楼門です。







遺跡西側から西楼門を見ます。



祠堂裏に積まれた寺院の石材です。
遺跡の修復は終わっていますが、コンクリートに着色した安易な修復が多く、使われなかった石材が大量に積まれています。
BLOGariの「の~んびり タイランド」で「サドックコックトム遺跡」の修復を紹介していましたが、石材の欠けた部分には新しい石材で補っていた工法とは全く異なる、お手軽修復です。ただ、サドック・コック・トムは新石材を多用しすぎていましたが・・・。



積まれた石材です。




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遺跡の片隅に設けられた祠です。参拝の人がおられます。

バン・パーイ(コーン・ケン)で泊まる

2015年09月15日 | コーン・ケン

「インパワ・ホテル」です。バン・パーイからコーン・ケンまで45km、マハ・サラカームまで68km、ナコーン・ラーチャシーマは145km、そしてチャイヤプームへは95kmに位置します。
周辺にはたいした観光資源もありませんが宿泊客は多いようです。

午前5時50分、室内禁煙なので中庭のサーラ(東屋)まで下りて行きます。





サーラに置かれた水盤に浮かべられた花です。リーラーワディー(美しい女性・プルメリア)が浮かべられているのはよく見かけますが、ここでは無憂樹の花が浮かべられています。
仏教の三大聖樹の一つで、お釈迦様が無憂樹の木の下でお生まれになりました。



ドック・ケーオ(月橘)、アンダマン・シュスボクと呼ばれ、強烈な甘い香りを放っています。
葉はゲーン(カレー)の香りつけに用いられます。

朝食です。







昼食がいつ食べられるかわからないので、朝食をたっぷりとっておきます。



午前8時50分スタートです。まず、イサーン中部にある最大のクメール遺跡へ向かいます。

オークパンサーのイサーン旅行・2014

2015年09月14日 | コーン・ケン
今年のオークパンサー(出安居)は10月27日です。僧侶達が7月31日のカオパンサー(入安居)から3カ月間、寺にこもって行っていた厳しい修行を終える日であり、仏歴の雨期明けを意味する日です。
オークパンサーにちなんだ行事が各地で催されます。
昨年のオークパンサーは10月8日、プラタート・パノム(ナコーン・パノム)で催された奉納舞踊を見に行きました。その時の旅行記です。
(写真はプラタート・パノムに奉納される、ナコーン・パノム北部区域のラム・タイ・ヨーです。)

昨年の奉納舞踊の解説です。

10月8日の夜はナコーン・パノムで灯明船流しがあります。ホテルを予約したのが1週間前でクーラー付の部屋がとれませんでした。それでも宿泊料は一泊900バーツに跳ね上がっています。
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10月4日、イサーンへスタートです。午後0時40分、パークチョンを過ぎて国道2号線沿いのラム・タコーン・ダム湖の畔で昼食です。



未だ熟していない、青いパパイヤをささがきにして、マナーオ(ライム)、とうがらしなどのスパイスを陶臼で軽くたたいたサラダです。

タイを代表するスープ「トム・ヤム・クーン」です。辛くて酸味のあるスープに大きなエビが入っています。
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ラム・タコーン・サービスエリアです。

ここでイサーンの観光地図をもらって、行程を考えます。

館内にナコーン・ラーチャシーマの物産が展示されています。



展望台から見るダム湖です。
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午後4時過ぎバン・パーイへ来ました。国道2号線を右折して国道23号線に入れば60kmでマハ・サラカームです。午後5時には投宿できます。迷ったすえに左折して国道229号線をチョンナボットへマットミーと呼ばれる絹絣(先染め織)を見に行くとにしました。
まず寄ったのは、市街地を通り抜けた所にあるサラ・マイ・タイです。
(サラ・マイ・タイは2014年4月10日の「コーン・ケン(ワット・サ・トーング・バン・ブア)」を参照して下さい。)







展示販売されているマットミーです。





実に細かい柄です。



クジャク柄の色違いです。


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市内の生地屋さん「サシトーン・タイシルク」に寄ってみました。

中央に大きなひし形がある大胆な柄です。伝統的な「ルー・ジュア・チャワン」という模様です。
右の水色は新作、左の紫ががったのは60年ほどまえの織物です。新作は生地がごわごわとしていますが、古い生地は何度も洗濯されたのでしょう、柔らかでしっとりとした感触です。



新作です。

古布です。柄は全く同じようです。記念に購入しました。

マットミーの「マット」とは「括る」、「ミー」は「細い糸」の意味で、織り上げる柄に合わせて絹糸を紐で縛って、先染めするときに色が付かなくする技法で、色の数だけ括り直すので、色数が多くなるほど、また柄が細かいほど手間がかかります。
かってはバナナの葉で括っていたようですが、現在は樹脂紐が使われています。

絹糸を樹脂紐で括った状態です。

細かい柄です。大変な手間がかかった一品です。



お店の向かいの民家です。
午後5時半、店の主人に地図を書いてもらい近くのホテルに泊まることにします。
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この時初めて泊まったバン・パーイの「インパワ・ホテル」です。以降数回利用しています。
週末の宿泊料は1,260バーツでした。平日は1,100バーツです。



夕食はルームサービスを取りました。ホテルにはレストランがなく、近くのレストランからの出前のようです。価格は通常、ホテルで食べる半額でした。

■本日の走行は435kmでした。

イサーンへ旅する(コーン・ケン)

2015年03月18日 | コーン・ケン

3月15日付の「ロイター」のニュースで『スペインの「世界一怖い遊歩道」、改修を経て14年ぶり開通へ』という記事がありました。スペイン南部のマラガ近郊の峡谷にある「エル・カミニート・デル・レイ」(王の小道)は1901年から05年に建築された3kmの歩道で、岩壁の地上100mの位置にあります。
写真は改修前です。横に走る筋が遊歩道で、一部が崩落しています。

写真を見て「桟道」という言葉が浮かび、中国の「蜀の桟道」をネット検索すると、蜀の桟道よりすごい「崋山長空桟道」に行き当たりました。写真を見ただけで体が委縮してしまいました。
蜀の桟道も宝鶏から漢中まで235kmといいますから、写真を見ただけで背筋が寒くなる場所もあるのでしょうが、崋山長空桟道は高度1000mの位置に板3枚を並べた桟道で、桟道を渡った所に道教の祠があるそうです。だから、この桟道は一方通行ではなく、体をすり合わせての往来になります。
相当誇張されているのでしょうが、年間100名以上が転落死するそうです。いくら中国とはいえ転落事故が多発すれば立ち入り禁止になると思いますが。
ちなみに、スペインの遊歩道は5名の死亡事故で2001年に閉鎖されたようです。


さて、冒頭の写真はタイの桟道です。イサーンの最東北県ブンカーンの「プー・トーク」の断崖に造られています。今回はプー・トークを巡る旅を紹介します。

プー・トークまではバンコクから825kmの走行で到着しましたが、まずは往路からです。

午前8時、まずはガソリン・スタンドに併設されているコーヒー・ショップでアイス・コーヒーを購入です。
椅子に腰かけている恐竜坊やはガソリン・スタンド「PTT]のマスコット人形です。

バンコクから北へ抜ける高速道路、通称「ラムイントラ線」です。平日の朝夕は大渋滞をする通勤道路ですが、日曜の朝は走行車もまばらです。

午前9時15分トイレ休憩です。



ピーナッツを買います。タイのピーナッツは殻の中に4、5個豆が詰まっており、塩水で湯掻いています。一袋20バーツです。

「サイ・マイ」と呼ぶ砂糖菓子です。

タイ産ブドウのジュースです。5本が100バーツ。糖分が少ないようです。



こちらはゆで卵ではなく焼き卵です。生卵を串刺しにして焼きます。
一串、20バーツです。



国道一号線を北上すると、建設中の大仏があります。国道沿いにあって、通るたびに気になっていたのですが、今回は寄ってみました。

大きな庭石がごろごろしています。







光背の所で3名が作業中です。作業者の大きさから仏像の巨大さが類推できます。

午前10時、国道2号線をコラート台地へ登って行きます。連休は言うに及ばず、土曜日でも大渋滞する登坂路ですが、出発が日曜日のため通行量も少なく快適走行です。



正午になりました。食事休憩です。タイの建築法は商店、工場等は敷地面積でトイレの数を規制しています。工場などは敷地も広く膨大な数のトイレを設置しなければならず、建築申請時はトイレを後日建設ということで認可を受けます。現実に即していない法律ですが、ガソリンスタンド等はこの法律のおかげでたくさんのトイレが設置されており、日本のサービスエリアのような機能を果たしています。
ここでは衣料品を商っています。

タイでは人気の高い歌手「カラバオ」です。何故か日本語です。

駐車中の車のダッシュボードに僧侶の像が鎮座しています。交通安全のお守りです。

昼食です。



敷地の隅にヤンマーのトラクターが展示されていますが、呼称は「クボタ」です。クボタのタイ進出は早くて知名度が高く、一般にトラクターを「クボタ」と呼びます。日本で言えば、紙おむつが「パンパース」であったり、古いところでは「ウォークマン」のようなものです。

トラクター横の地面にたくさんの花が落ちています。

糸を束ねた房のような花ですが、早朝に落花するようです。
前日、チャンタブリーの海岸で結婚式があり、行く途中の午前6時30分頃にラヨーンのガソリン・スタンドに寄りました。そこに、この花より一回り大きな同形状の花があり、盛んに落下していたのです。清掃の女性が掃いているのですが、すぐに降り積もるという状態でした。
誰に聞いても花の名前を知りませんでした。

木には蕾はありますが、花は一つもありません。全て落花しています。

柿のような実が付いています。



「チュワン・チョム」です。一年中花を咲かせ、切りつめても芽を出し、切った枝をそのまま挿しておいても発根する丈夫な花木です。品種改良によってたくさんの種類があります。
チュワン・チョムの鉢植えを専門に扱う店もあり、花のコンテストもよく開催されています。

「ダー・ラー」です。ショウガ科の植物で、東南アジアには約25種類が分布しています。
真紅の花が多いですが、ここのはピンク色をしています。

「ラントム」です。

午後1時を過ぎると気温は39℃まで上昇してきました。
タバコを吸うため車の窓を開けると熱風が入って来ます。

今日の宿泊地は決めておらず、まだ時間も早く、走行も400kmを越えたので休憩がてら、昨年訪れた寺院のシム(布薩堂)をもう一度見ていくことにします。
午後2時30分です。

「ワット・サワン・ワリー・パタナラーム」です。
1867年の建立で、シムは1923年にベトナム人の職人によって煉瓦と漆喰で建築されています。幅5m、奥行き7.3mの小さな建物です。
壁画はお釈迦様の前世の物語、ジャータカ(本生譚)で堂外は「シンサイ物語」、堂内に「パー・ウェットサンド物語」が1953年に描かれています。

■壁画の内容は、「イサーンのシム(布薩堂)・ワット・バン・フアノーン」(2014年6月23日投稿を参照してください。

カメラが新しくなり、少しは撮影技術も向上したかと思ったのですが、昨年の写真と比べると、全く同じ撮り方しかいていないのに、我ながら驚いています。
カメラのおかげで画像が少し良くなっているので、そのまま掲載します。









シムの正面です。



窓から見る堂内の壁画です。





堂内へ入って来ました。お線香と賽銭を供えておきます。







境内に咲いていた花です。
「Japanese Beed Tree」という名前です。
「日本の数珠玉の木」ですが、実が数珠玉になるのでしょうか、日本では見かけない花木です。タイでは「リー・アン」と呼ばれています。

「夾竹桃」です。

イサーンのシム(布薩堂)・ワット バン フアノーン

2014年06月23日 | コーン・ケン

■コーン・ケンの第3日目です。昨日登ったプー・ウィアンの疲れもとれて快適な朝です。
本日の予定はコーン・ケンでまだ行っていないシム「ワット・サワン・ワリー・パタナラーム」通称(ワット・バン・フアノーン)からローイ・エットのシム寺院を回ってバンコクに戻ることにします。



1867年に建立された寺院で、シムは1923年にベトナム人職人によって煉瓦と漆喰によって建築されました。壁画は1953年で建設後30年過ぎてから描かれています。そのためか他の寺院壁画とは趣が異なります。
建屋の大きさは幅5m、奥行き7.3mと解説されています。




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■正面です。
外壁面は区切られた壁に「シンサイ」物語の13場面が描かれています。
【「シンサイ」の概要は2014年05月28日投稿の「イサーンのシム(布薩堂)・ワット ポーターラム」を参照してください。】







入口上に描かれた「サン・トーン」が変身したボートで旅を続ける「シンサイ」です。

ウォングラバット山で半身鳥、半身は人間の「キンナリー」を愛撫する「シンサイ」です。
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■左壁面です。


中央壁の上部は、「クムパーン」に誘拐される国王の妹「ナーン・スモンター」です。

左壁面の王国を追放され森で暮らす「チャンタ王妃」「ナーン・ルーン」と「シンサイ」「サン・トーン」「シホ」の三兄弟です。「シンサイ」は「ガルーダ」「ナーガ」を服従させています。右は「ナーン・スモンター」を探しに森に入る6人の普通の王子達です。

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■背面壁画です



解説④、⑫の場面です。上部が6人の普通の王子と「ナーン・スモンター」を探索に出る、「シンサイ」兄弟です。


解説⑤の場面です。シンサイ兄弟はまず大蛇に襲われます。

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■右壁面です。



第3の戦闘は象です。(場面⑦)

第4はヤックです。



画家の自画像だと言われています。



寺院の解説ボードです。

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■堂内には「パー・ウェットサンドン・サドック」(パー・ウェット)を藍色の線と花模様で枠取りした13章節の場面が描かれています。
【「パー・ウェットサンドン・サドック」の概要はは2014年05月28日投稿の「イサーンのシム(布薩堂)・ワット パ レライ」を参照してください。】





恵みの雨を降らせる大切な白象をバラモンに与えてしまいます。





水汲みで近所の女性にいじめられるチューチョクの若くて美しい妻です。いじめる女性たちはなぜか股間を露わにしています。

森の入り口で番犬と猟師に襲われるチューチョクです。





森の庵で暮らす「パー・ウェット」親子です。子供を貰いに来たチューチョックはマディーが出かけるまで待っています。



森で木の実を採るマディーとマディーの帰るのを阻止する虎、ライオン、豹に変身した神々です。

蓮池の葉陰に隠れる子供たちとチューチョクに連れ去られる場面です。

庵に帰り、いなくなった子供たちを探し回り、ついには気を失ったマディーと介抱をするパー・ウェットです。



大いなる帰還です。

寺院の解説ボードです。

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シムの前に建つ新しい布薩堂です。