の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ナーンの夕暮れ ワット・プラタート・チェー・ヘーン

2013年10月31日 | ナーン
■午後5時30分、ナーン川の東岸プー・ピアンの山の上に建つ「ワット・プラタート・チェー・ヘーン」へ参拝に来ました。
「チャオ・プラヤ・カーンムアン」王(在位:1326年~1359年)が統治時代の1354年にスコータイの「ワット・ルアン・アパイ」(マンゴー寺)の建立に寄与し、リタイ王から七つの仏舎利と金、銀の仏像を頂きました。カーンムアン王は仏舎利を安置するためナーン川東岸プーピアンの丘陵に仏塔を建立し、プアからプーピアンに遷都しました。

菩提樹の木の下のキ仏像です。

回廊の外に建つビルマ様式の仏塔です。

回廊の外から見る、高さ55.5m、基壇の一片の長さ22.5mのプラタート・チェー・ヘーンです。かなりスマートな仏塔です。

この仏塔は兎年生まれの人が参拝する仏塔です。

夕陽を受けて赤く染まっています。ランプーンの「ワット・ハリプンチャイ」の影響を受けた様式で、外面は仏塔を守るため真鍮と銅の合金、「トーン・チャンゴ」または「トーン・ドック・ブアップ」(直訳すると糸瓜の花色の金)という薄板の化粧板で覆われています。















礼拝堂の入り口です。

入口の上の壁面にはナーン特有の様式と言われる8頭のナーガが絡まった漆喰彫刻があります。

 


寺院参道に建つナーガ像です。午後6時35分、陽も沈み暗くなったのでホテルへ戻ります。

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夕食のためホテル前の市場付近を散策します。これといった食事場所が見つからずにホテルへ戻ります。

ホテルの夕景です。





結局ホテルの食堂で簡単な食事をしました。


ナーンの第2日目 (5)

2013年10月30日 | ナーン
■午後3時です。高い仏塔が、市内のどこからも見える寺院があります。寄ってみることにしました。国道101号線を3km程南へ行った所にあります。新しい寺院で、その名も「ワット・チェディ」、寺院説明がありませんので写真だけ掲載します。

山門です。





チェディ(仏塔)です。方形の基壇の上に細身の釣鐘状の仏塔が建っています。





とりあえずは本尊に参拝です。

ビルマ風の仏像も安置されています。

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■次に寄ったのは、国道101線を市街へ向かって走るとパヤオ方面へ通じる国道1091号線と交差しますが、その交差点の北西の角にある寺院です。全面金張りで彫刻が施された「ワット・シー・パン・トーン」と言う寺院です。ここも新しい寺院で説明書きはありません。写真を掲載します。



山門を入った所に「パ・ペニー・ケン・ルアー」と呼ばれるボートレースに使われる、漕ぎ手34名と舵取りが乗る細身で長い艇身のボートが保管されています。ワット・パヤ・ワットで見た木彫りの龍頭はボートの先端につけられる飾りだったようです。
ボートレースは出安居に開催され、勝者には「サラー」と呼ばれる集まったタンブンが授与されるナーン独特のレースだそうです。

礼拝堂です。







豪華な寺院装飾です。





ワット・プーミンの壁画の一部が描きこまれています。


ナーンの第2日目 (4)

2013年10月29日 | ナーン
■午前11時から12時15分までワット・プーミンにいました。昼食です。隣にある郷土物産店(スーン・OTOP・ナーン)へ移動です。

「OTOP」(One Tambon One Product)の頭文字をとった、日本の一村一品運動をモデルにタクシン政権時代に実施が始まった地方物産の生産、販売奨励政策です。政府は全国に販売店の設置、輸出振興、大規模な展示即売会の開催などの援助を行っています。
駐車場に車を置き、向かいにあるレストランでまず腹ごしらえです。

店「ファン・ホーン」の入り口です。

店の中です。たくさんのお客が入っています。

カオ・ソーイとカノム・チーン(タイ風冷やしそうめん)を食べました。

食後OTOPを見て回り、コーヒーショップで休憩です。気温は43℃まで上がっています。

アイスコーヒーです。

ナーンの地域振興に協力してきました。綿織物で、模様は刺繍されています。

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■午後1時41分、暑い日差しの中を出発です。1kmほど離れた「ワット・パヤ・ワット」に来ました。
ナーンの市街がナーン川の西岸に遷都(1368年)された頃の「プラナーン・チャマテウィー」時代に、町の中心に建立されました。







この寺院の御本尊は雨乞いにご利益がある仏様で、住民は龍神を先頭に雨乞いの行進をするのでしょうか・・・。

砂の須弥山です。

本堂です。

本堂に安置されている仏像は「プラチャオ・フォン・セーン・ハー」または「プラチャオ・サイ・フォン」と呼ばれ、干ばつで住民が雨乞いを行った時に、願いを叶えて雨を降らせたありがたい仏様です。18世紀末から19世紀初めの「チャオ・アッタ・ワラパンヨ」王の時代に地元職人によって造仏されました。

本堂の後ろには、煉瓦造りの小さな祠堂がたっています。四方に壁龕があってラーンナー様式のくずれた仏像が残っています。









ハリプンチャイ様式の仏塔で、ランプーンの「クー・クット・チェディ」とよく似た構造です。方形で五層の壁龕にはスコータイ様式の影響を受けた立仏像が安置され、スコータイのワット・マハタートのチェディとの共通点が見られます。







壁龕の上部のアーチ形状は、チェンマイのティローカラート王の覇権下にあった時代に修復されていて、ラーンナー様式に変わっています。



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■「ナーン年代記」によりますと、都市国家「ムアン・ヤーン」のプーカー王の息子クンフォーンがプア(ナーンの北60km)に「ムアン・ワラナコーン」を建設したのが王国の始まりで、その息子カオクアンの治世にパヤオ王国に占領されます。しかし、次の世代でワラナコーンを奪回、パヤオの勢力を追放しパーノーン王として1323年即位、その息子カーンムアン王はナーン川東岸のプーピエンを開発、都を建設したそうです。1368年、パーコーン王が現在のナーン川西岸へ遷都しました。
12世紀から13世紀にかけて、クメール王国やモン王国の覇権が弱まると南下してきたタイ族が各地に独立国家を建設しました。ナーン王国もその一つで、当初は山間の狭隘なプアに国家を成立させ、国力がつくと、巨大国家スコータイの協力でナーン川東岸のプーピエンまで進出します。
しかし、肥沃で広大な東岸には、まだ彼らの進出を拒絶する勢力を持つ国家があったのでしょう。
ワット・パヤ・ワットの遺跡を見ていると、ナーンに661年ランプーンに建国(実際には750年頃だといわれています)されたモン族のハリプンチャイ王国の勢力が及んでいたようです。ハリプンチャイ王国はラヴォー王国を賭けて東南アジア最大の勢力であるクメール王国と対等に戦う力をもっていたようですが、ランプーン、ランパーンのハリプンチャイ王国の国力だけではクメール王国には比肩できず、属国が各地にあり、その一つがナーンで勢力を張っていたのではと考えます。
1050年、ランプーンに6年間コレラが発生し、モン族の一部は西方のペグーやタトン移動しましたが、東方を目指してナーンへたどり着いた一部もあったのでしょう。
1281年にハリプンチャイ王国は南下したタイ族によって壊滅し、やがてナーンも東岸まで迫ったタイ族に西岸を占拠されたのでしょう。その名残りがワット・パヤ・ワットの仏塔だと夢想しています。

■「ワット・プーミンの壁画」の解釈間違い、誤記訂正と追加説明のため写真を追加しています。改めてご覧ください。

ワット・プーミンのプーン・バン博物館

2013年10月26日 | ナーン
■ワット・プーミンの敷地内に「プーン・パン博物館」(郷土博物館という意味か?)があって、ナーン市街から西方17kmにあるボー・スアック窯で13世紀から15世紀の第一期、16世紀から17世紀の第二期に焼かれた陶器を中心に近隣で出土した陶磁器が展示してあります。また、お土産を売る店も併設されています。
ボー・スアックの陶器は四方を山に囲まれたナーン国内で、その大半が消費されたためタイ国内でもナーン以外ではみかけることが非常に稀な焼き物です。匣を用いたり、錫白釉を使うなど同時代の他の窯とは異なった技法も有しています。

博物館の外観です。



分別はされていないのですが、珍しい陶器がまとまって展示されています。





肩部分に六角形の鳥模様を貼り付け、褐釉掛けした壺はボー・スアックの特徴です。





右奥三点の自然釉がかかっている筒状の焼き物は匣です。第二期に使われました。奥側に空気抜きの小穴が穿ってあります。



口縁と口縁、底と底を重ね積みをしたた焼成は北方窯の一般的な技法です。ただ、ボースアックは背面にもしっかりと施釉されています。









たてがみはライオンでしょうか・・・。

非常に少ないですが鉄絵もあります。

全面に花模様が押された「二重口壺」です。

窯道具です。右上はスコータイ窯と同じ爪付き置台です。

プレーのワット・ルアンでも見かけた窯不詳の瓶です。まとまって蒐集されています。ナーンと関係が深かったラーンサーンからもたらされたものでしょう。緑釉には銅を用いているようです。ビルマにも銅を呈色材とした緑釉があり、また、ラオスではビルマと酷似した煙管が焼かれていることを考えると、ビルマ支配時代に技術が導入されたとも推定されます。





ラオスでよく見る瓶です。カッタクマンが旅に出るとき担いでいたのはこの瓶でしょうか・・・。

サンカロークの水差しです。少し変わった作風です。

ビルマの小壺もあります。

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博物館の売店で買った小壺です。500バーツで売っていました。

ピサヌロークのナーン川川上がりの小壺です。表面の釉は流れの中で研磨されてしまいました。僅かに白化粧が残ります。

ボー・スアックの川淵にありました。

同じく溝を掘ったところに露出していました。

焼成途中で窯が潰れたのでしょうか、温度が上がりきらずに素焼き状態です。パヤオとよく似た双魚文です。

ボースアックの壺です。

貝の印花文です。

ボースアックだと思われる壺です。

象、馬等が印花されています。





ワット・プーミンの壁画

2013年10月26日 | ナーン
※解釈間違いや、誤記を訂正しました。また、補足説明のため写真を追加しました。2013年10月28日
■「ワット・プーミン」の壁画です。
「ワット・プーミン」はナーン国主「プラチャオ・チェタブット・プロムミン」が即位した6年後の1596年に建立されました。寺院は1867年「アナンタ・ウォラリットデート国王」時代に7年がかりで大修復されました。壁画も修復に合わせて描かれたものといわれています。約150年前のものです。タイ・ルー族の画工が描いたと言われており、仏伝図と共に、当時のタイ・ルー及びナーンの生活様式や風俗、習慣、事象が表現されています。また、伝承された寓話が描かれています。
剥離の激しい部分もあるのですが、一風変わった寺院壁画を紹介します。

西側壁面に描かれた絵です。
上段は涅槃図です。弟子たちが横たわる仏陀を前に嘆き悲しんでいます。一番右には帽子をかぶった洋服姿のカトリックの宣教師が十字を切ろうとしています。

少し角度を変えて写してしてみました。

下段の左で建物の中にいる赤い服を着た人物は宣教師で修道院が描かれています。また、屋外で階段に跪く女性は宣教師の前で耳を塞いでいます。その右は地獄絵と続いて行きます。
中段に仏塔があって、上段は涅槃に現れた宣教師です。

一番有名な画面です。頭髪を結い上げ、裂できりりと締め上げ、髭は細身にぴんと跳ね上げています。全身に刺青を施しています。右手を女性の肩に親しげに置きながら何かを囁いています。女性は上着を羽織り、盛装をして、囁きかけてくる男を横目で見やりながら微笑んでいます。男性は職人の棟梁かビルマから材木を買い付けに来たタイ・ヤイ族の商売人という意見もあります。女性はタイ・ルーの富貴な家の婦人、もしくは未亡人で、いずれにしても夫婦ではなく、ただならぬ関係にあるようです・・・。
壁画に描かれた他の男性と風俗が異なることから、壁画を描いたナーンに住むタイ・ヤイの画工の自画像とも言われています。

東壁面の絵です。
上段は仏陀が弟子に説法をしている場面で、左側の赤い服を着た男性は、寺院修復時の国主「アナンタ・ウォラリットデート」、左の腰布だけの男性は衰弱した西洋人だといわれています。

左上の男性が衰弱した西洋人で、ワインの栓を抜いているところでしょうか。衰弱はアルコール浸りが原因のようです。

東扉の横に描かれた髪を結う若い女性です。

東側壁面の西洋の蒸気船、西洋女性が見守る中、荷物を陸揚げしています。また、西洋の軍人が入城する場面もあります。
当時ナーンの統治下にあったメコン川西岸をフランス勢力に押されて割譲していますが、この一帯へ進駐してきたフランス人だと言われています。

西洋の船の隣では男女が誘い合っています。その横を西洋の兵士が行進しています。

北側の壁画です。北と南の壁面は中段から下に
ナーンで伝承される「ジャータカ物語」で、仏陀十化身以外に「カッタクマン王子」の化身があって、その寓話が描かれています。
昔々のお話です。宮殿を追放された妃「チャオ・ナーン・ノーイ」は苦労しながら農作業に従事します。天上から妃の苦労を眺めていた神は、妃を助けるため天人を象の姿に変え地上に送ります。
ところが、象は妃の耕した畑を踏み荒らしてしまいます。荒らされた畑を整地し、疲れ切った妃は象の足跡に溜まった水を飲みます。象の足跡に溜まった水を飲んだ妃は身籠りました。
そして生まれたのが「カッタクマン王子」です。
成長するとともに、カッタクマン王子は頭脳明晰で神通力が供わり、誰もカッタクマン王子にかなう者はいません。
ある日、カッタクマン王子は父親探しの旅に出かけます。悪事をなすものみつけると懲らしめる道中でした。
旅の途中で「アイ・パイ・ローイ・コー」と「アイ・クゥィアン・ローイ・レム」という2人の友人を得て共に旅をします。
3名で旅を続けていると、「ムアン・シン」の村に差し掛かりました。村にはたくさんに遺体が転がっています。2頭の鬼「ヤック」が町を襲っては、住人を殺害しています。ヤックの杖には指し示すだけで人を殺める魔力が供わっています。しかし、逆にして指せば生き返らすこともできます。
ムアン・シンの王女「コン・スィー」が襲われます。コン・スィー王女は太鼓の中に隠れていたのですが、見つけ出され連れ去られようとする所をカッタクマン王子が助け出し、ヤックを退治し、杖を取り上げて殺された人々を生き返らせます。
2人の友人をムアン・シンに留め、王子はその後も父親探しの旅を続けます。
カッタクマンは亡くなって天国に上り、仏陀になりました。
というお話です。

下段には暴れる象、象の足跡に溜まった水を飲む妃、中段には水を担いだ妃が後ろから付いてくる息子「カッタクマン王子」に象の足跡を指しながら出生を語っています。その右はヤックが村を襲い、住民を殺しています。髪をつかまれ、連れ去られまいと木にしがみつく女性、その横では、ヤックを退治するカッタクマン王子、ヤック髪の毛を捕まえ切りかからんとする場面が描かれています。上はカッタクマンに許しを請うヤックです。

ヤックがムアン・シンのコン・スィー王女を拉致しようとしています。窓の下にあるのは隠れていた太鼓です。窓から見える男性は、助けたコン・スィー王女とカッタクマン王子のようです。

水を担いだ妃「チャオ・ナーン・ノーイ」が、追いかけてきたカッタクマン王子に象の足跡に溜まった水を示し、疲れて象の足跡に溜まった水を飲み、カッタクマンを身籠ったことを説明しています。

下段の象の後ろの暗い画面の中にある、妃が象の足跡に溜まった水を、手で掬い飲まんとする場面です。妃の髪が乱れ疲れた表情が描きこまれています。

身籠ったことを知った妃が途方にくれているところでしょう。

ガイドブックには 夕暮れに親の許しを得て男女が出逢い、男性が結婚相手を探し、女性の合意があれば結婚に至るというタイ・ルー族の習慣「ヨー・クアン」という説明があります。
中庭で若い娘が機を織っていますが、元来は糸を紡ぐことを「ヨー・クアン」と言い、妃が若い娘に近づき、息子カッタクマン王子を紹介する場面です。
水を担いで帰ってきた妃と、同じく天秤棒を担いで後ろから付いてきたカッタクマン王子、庭の隅にはカッタクマン王子に授乳をしながら中庭を見つめる妃と2人の女性、そして、中庭で機を織る若い女性と妃、カッタクマン王子、奥には身をかがめて進む5名の男性、その先の絵が剥離して良く分かりませんが、まるで夜這いのような場面です。手前は髪を乱し、乳房をはみだしたままで、妊娠を知り困惑する妃が描かれています。
右上の少年は、父を探す旅に出るカッタクマン王子です。

中庭で布を織る女性の所へ妃と共に恥ずかしがりながら近づくカッタクマン王子と従う男性がやってきたところですが、この二人の関係は、後ろの頬被りをした男性が、前の王子に手を回している仕草は友達以上の関係のようです。

南壁面の扉右側の壁画です。

下部は旅をするカッタクマン王子と友人となった「アイ・パイ・ローイ・コー」「アイ・クゥィアン・ローイ・レム」が描かれています。

下の画面は馬車に乗った6人の女性が出かける所です、御者はカッタクマン王子です。その上は、中にはで糸を紡む女性を後ろから楽士でしょうか、楽器を投げ出し、女性の乳房を鷲掴みにしています。その右には布を被った父親探しのカッタクマン王子が眺めており、窓からは顔をしかめた人物が覗いています。
その右身にも男性の居る家を覗くカッタクマン王子が見えます。







南側壁面です。扉の左側には腰掛けた若い女性が煙草を吸っています。

当時のタイ・ルーの富裕層の風俗を描いた絵です。「パー・シン」というスカートはナーン特産の「ラーイ・ナーム・ライ」で、若い女性が用いる「パー・サバーイ」を肩に掛けています。いずれも綿織物です。ナーンは養蚕が盛んでなく、絹はラオス、イーサンからの輸入品だったようです。

扉の対面、右側には盛装で腰に剣を差し、「サクムン」と呼ばれるズボンを穿いています。耳飾りに花を挿し、煙草をくゆらせた「ラオ・プン・ダム」です。



ここにも抱き合った男女がいます。全体像がありませんが、扉に掛かった手はカッタクマン王子で、ここでも父を探しています。

盛装の女性が肩車をされた子供、供の女性を従えて進んできます。出迎えの女性も7名います。その奥の部屋では、四つん這いになった女性を、裸の男性が迫っています。肩車をしているのはカッタクマン王子で、父を探すため宮殿内に入り込んだのでしょうか。

タイ・ヤイ画工(タイ・ルーとの意見もあります。)ウイットに富んだ壁画で、寺院の壁画とは思えない絵柄がたくさんあって、堂内に座ってゆっくり眺めながら150年前に思いをはせるのがいいでしょう。
訪問時は寓話の内容を知らなくて、男女の絡みが多い壁画ぐらいの見方でした。従って撮影した写真にも一貫性がありませんでした。再度訪問し、改めて全体を見直したく思います。また、同一画工によるとみられる壁画がナーンから40km余り北の「タ・ワン・パー」の「ワット・ノン・ブア」にあるようなので、合わせて訪れてみたいと思います。

プレーのTATで貰ってきたナーンのガイドブックですが、表紙絵をワット・プーミンの壁画だとばかり思っていました。ある日、裏のキャプションを見るとワット・ノン・ブアと書かれています。改めてワット・ノン・ブアの説明を見てみると、この寺院にも壁画があることが分かった次第です。

※一部ブログ「MACMO3」を参考にしました。

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■現在の寺院壁画を紹介します。








画家は「ドラえもん」が大好きだそうです。
剣をとって戦う「ドラえもん」です。この画家は他の寺院壁画も手掛けていますが、やはり「ドラえもん」が登場しています。