の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

シーサチャナライ古窯 3

2022年09月30日 | 陶磁器(タイ)
コ・ノーイ古窯跡にある遺跡番号30の発掘現場です。
公示によると2022年1月8日から10月4日まで遺跡番号27、29、30が128万バーツの予算で発掘調査されます。
しかし、この現場は長らく作業が中断しているようで、掘り出された石材は雑草で覆われ、掘った穴には水が溜まり、法面も崩れています。余計なお世話かも知れませんが、予算も高額な気がします。
案内してくれた友人は、道路から見える小山の向こうが発掘現場だと教えてくれます。
雑草の下は、建物に使われて、倒壊したと思われる、八角形のラテライト柱材が無造作に放置されています。
滑ったり、躓かないように足下に注意して石材(小山)を乗り越えて行きます。





雑草の下からのぞく石材です


雑草に覆われていないのはここだけです


寺院遺跡の回廊に使われる八角形のラテライトです




縁の土が崩れて瓦が露出しています(左下)


窯道具や陶片が散乱しています


川となった平地を遠回りして戻ります


遺跡にあった瓦を洗ってみました。長辺24.5cm、幅13.3cm、肉厚1.4cm、鈎部の高さは4.3cmで破損部はありません。






道路を隔てた対面にある発掘現場です。こちらも雑草が茂り、案内されなければただの草むらです。
5月に友人が送ってくれた同じ場所と推定される写真を添付します。










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降り続く雨で増水しているヨム川です。
二日後にバンコクに戻りテレビを見ていると、洪水で浸かったシーサチャナライのヨム川沿いの民家が撮されていました。知った場所がないか慌ててテレビに見入りました。



シーサチャナライ古窯 2

2022年09月27日 | 陶磁器(タイ)
今年の中秋は9月10日、土曜日でした。遺跡を背景に名月の撮影を....とシーサチャナライまで出かけました。

9月のタイ中部の天候は連日「曇りのち雨」で、バンコク周辺部でも洪水が発生しています。
前週にシーサチャナライの友人から誘いの電話があり、「スコータイは毎日晴れ」と騙されての出発です。シーサチャナライまでは500km、陽が時々照るも殆どの区間で雲が厚く、度々驟雨に遭遇しながら想定時間を1時間以上オーバーして午後2時過ぎに到着です。
まず昼食です。チャリエンのヨム川沿いの喫茶店に直行です。
店に入ると店員から「※※さんですか?」と名前を告げられ驚き、店に予約をしたわけでもなく、到着時間や行動予定を誰にも話していないのに....キョトンとしていると、彼は友人の孫だと自己紹介、アルバイトをしているそうです。
当方は全く記憶が無いのに、彼は良く覚えていてくれたと感動しながら着席、暫く寛ぐことにしました。





結局中秋の名月は雨雲のむこうで、早々にホテルへ投宿、午後7時頃からは激しい雷雨となり、一晩中止むことはありませんでした。
タイで一日中雨が降るのは年に数回しかありませんが、翌日は終日の雨降りでした。

友人宅で朝食後、雨の中をコ・ノーイ古窯跡で三ヶ所の発掘がされている現場を見に行きます。

まず、42号窯保存学習センター近くの発掘現場へ、許可をもらい入っていきます。
煉瓦を積上げた二重窯壁のトゥリアン窯です。2mほど掘ってますが、後に見た遺跡の当時の地上面から考えると半地下式横焔窯のようです。
散乱している陶片はモン陶から青磁、鉄絵そして瓦などが混在しています。青磁は鮮やかな青色から青緑色の色調で窯の熱効率や密閉性の良さを示しています。













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平板で釉掛けされた瓦片です


青緑色の陶片で、高温で変形しています



知らぬ間に車に積み込まれていた陶片です。取りあえずホテルで泥を洗ってみました。






青磁モン陶の盤と灯火器です




高台に置いた灯火器に耐えられなかったようです


綺麗な青色に発色した盤です














シーサチャナライ古窯 1

2022年09月24日 | スコータイ
シーサチャナライ都城内のカオ・サワン・キーリ山から西に連なり、横断する国道1201号線から山頂まで4つの寺院遺跡があるカオ・ヤイ山の西にスコータイ都城を結ぶ古道が通るサラチットと呼ばれる地区があります。一帯はスコータイ時代の集落跡だと考えられていますが、現在はサトウキビ畑で草木の茂った古道がある以外の遺構はありません。古道も表示がなければただの木が茂る荒れ地です。





このサトウキビ畑の耕作にトラクターが使われるようになり、かっての牛馬による耕作より深く土が掘り起こされて、地中に長年眠っていた遺物が地表に出るようになりました。
また、金属探知が一般に出回るようになり、容易に地中に眠る遺物を探索できるようにもなりました。

そんな背景でサラチットでは古銭や青銅器、陶磁器の出土も相次いでいます。ただ陶器の優品は王宮や貴族、寺院に納められており、庶民の暮らした集落跡からはたいした品は出土しないようです。
庶民の生活と関係が深かった、首の折られた陶人形や動物の陶像、小壷や合子等の小物の出土は多いようです。
陶人形は病気平癒や乳児の無病息災を祈った身代わり人形として集落出入り口の三叉路から大量に出土します。(一部に明器=副葬品との記述を見かけますが、私の知る限りでは墳墓遺跡から出土したことはありません)
ドヴァラヴァティー時代の環濠遺跡からも首の折られたテラコッタ人形が出土しており、モン族から伝わった風習でしょうか....
日本の郷里でも昭和の頃は、はしか等が治癒したときに村はずれの三叉路に人形に切った半紙を細竹に挿し桟俵に立て、赤飯のおにぎり、お茶等を供えた風習とよく似ています。






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サラチット出土の陶片です。
一点目は鉄絵鯰紋盤で、爪付きハマを用いて重ね焼きをした爪痕が見込みに残っています。
二点目も魚文盤ですが、立ち上がりが鳥文になっています。破損状態で土中にあったようで、これ以外の破片は見つかっていません。
三点目は青磁騎象形燭台でしょうか、象の背に置かれた座部とその後ろにいる二人の兵士(一人は逸失)の陶片です。
このような、騎象の背中には皿状の燭台が置かれて灯火器として造られたようですが、出征する家族の無事帰還を祈願して、騎象する人物の首を折り庭の木の下に埋められることもあったようです。


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サラチット出土の鉄絵青磁長頸瓶です。
鉄絵で口部に四本、頸中間に三本、頸付根に二本、胴上部に二本、肩部に三本、下部に五本の線を引き、その間に蕨文を入れていますが、釉薬の青磁釉とともに流れて不鮮明になっています。
発掘は鍬や鋤でガンガンやりますから、頸部に鍬の当り傷が出来ています。










過去にサラチットで出土した陶器です。
以前に投稿した白釉褐彩刻花花鳥唐草文水注(ケンディ)全長18.0cm、胴径14.4cm、高さ14.0cmです。
その下の青銅製石灰入れ(高さ10.6cm、胴径3.8cm、底径3.5cm)に金属探知機が反応して無事地上にでてきました。








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鉄絵灯火器(ガー・タキアン)、全長16.4cm、胴径14.0cm、高さ8.0cmです。
頂部に装飾としての摘まみがありますが蓋はなく、口が付いています。耳が三つあり、吊して用いるようになっています。
水差し(ガー・サン)と表示された資料もあります。
口の一部が欠けて補修をしていますが、タイの補修技術も低下したのか補修部の肉厚が不均一で痕跡がよく分ります。







コ・イ・ヌール (Koh-i-Noor)

2022年09月18日 | 蝶々


エリザベス女王が崩御されました。




(9月19日、写真2枚を追加しました)


ネットニュースを読んでいると「エリザベス女王の死去を機に”コ・イ・ヌール”の返還をインドが求める」という小さな記事がありました。

「コ・イ・ヌール」とはヒンディー語で「光の山」を意味する、インド亜大陸の覇者によって権威の象徴として略奪、流転を繰り返した世界最古で、かっては世界最大のダイヤモンドです。
ウィキペディアによれば1294年にはコ・イ・ヌールという名称と所有者の記述があるとされています。インドへ侵攻し植民地としたイギリス軍が1850年に持ち出しヴィクトリア女王に献上し、イギリス王室の所有になっています。
世界最大でインド式のムガルカットをした186カラットのダイヤモンドでしたが、1852年により輝きを見せるブリリアントカットされ105.6カラットになりました。
1937年のエリザベス女王の戴冠式の王冠に使われ、現在はロンドン塔で展示されています(下写真)。
因みにインドの最後の所有者はシク王国の5歳の国王ドクリーブ・シングでした。イギリスは第二次シク戦争に1849年に勝利、後見人である母親を投獄し5歳の国王にコ・イ・ヌールを含む全ての主権、主張を放棄する条約に署名させ領土を併合、インド亜大陸の植民地を完成します。


赤い宝石の下がコ・イ・ヌールです



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前置きが長くなりましたが、今回も蝶々の話です。ワモンチョウにこの「コ・イ・ヌール」を英名とした蝶がいます。名前の由来は分りませんが、この栄誉有る名前を付けられた蝶を紹介します。
和名はメスキワモン、またはアミタオンワモンチョウ【Amathuxdia amythaon】です。翅を開いたとき体長は13cmになる大型の蝶々です。写真はオスで暗い森で落ちて黒ずんだ木の実の汁を吸いに来たところです。



コ・イ・ヌールとよく似た「コウモリワモン」【Amathusia phidippus】です。やはり大型のワモンチョウです。英名は「Palmking」で、やはり王様です。


(蝶の写真はインスタグラム @bangna32 にアップしたものです)

ラヨーンの果樹園(チョコレートを作ってみました)

2022年09月16日 | ラヨーン
ラヨーンの果樹園の3回目です。
次ぎにあげるのは、果樹園に1本か数本しかなく、自家食用として植えられている果樹です。

グァバ(ファラン)の花です。
ナコーン サワンでは国道117号線の道端で年間を通じてたくさんの店が出ています。
実は硬く、味も青臭いだけですが、ビタミンCが豊富でタイ女性は大好きなようです。砂糖や唐辛子を付けて食べます。



サントル(クラトーン)
大きな木になっていますが、この実だけは管理人が、いつも袋を付けています。
味の当たり外れが大きく、おいしいのは本当に美味です。







カカオ(ココー)です。1本だけあって、誰も実(カカオポッド)を採らないので、年中実がぶら下がっています。
竹竿の付けた鎌の届く範囲で数個採取しました。













カカオと言えばチョコレートです。
外皮の中には白い果肉があり、規則正しく種(カカオ豆)が並んでいます。取りあえず生食で果肉と種を囓ってみます。少し甘味はあるが、全然チョコレートの風味がない。
早速、「チョコレートの作り方」をネット検索します。有りました、株式会社 明治さんの「Hello,Chocolate」に「カカオ豆の収穫からチョコレートになるまで」、「チョコレートの作り方」に行き着きました。さすが株式会社 明治さんです。

収穫の仕方まで丁寧に説明しています。「ナタや、長い棒の先にナイフを付けた道具で切り落とす」ハイ、ハイ、竹竿に鎌を付けて切ろうとするが実(カカオポッドと呼ぶそうです)が逃げて、結局たたき落としました。
「中からパルプ(果肉)ごと豆を取り出し....数日置き発酵させます。天然の微生物の働きによる発酵はおいしいチョコレートのために重要な工程」ウム、ウム、発酵は分りました、でも天然の微生物とは何、どこにいるのやら....
他を探しても「カカオ生産国で発酵、乾燥」としか載っておらず、取りあえず、袋詰めしたパルプをプラスチック容器に入れ、布で包んで1週間ベランダに放置します。
そして、豆を洗い、乾燥です。記事にあるよう、一応、豆はチョコレート色に変化した(?)ようです。









そしてローストです。「求める風味で選ぶロースト法」として「豆ロースト法」と「ニブロースト法」(ニブとはカカオ豆の胚乳部だそうです)が載っています。要はカカオ豆の種皮付きか、種皮を剥いでローストするかですが、面倒なので種皮付きのままオーブンにいれます。100~140°Cの熱を加えるそうです。
この工程でチョコレートの香りが決定づけられるそうですが、経験値がないと何も分りません。
オーブン後にフライパンで煎ってみました。
 ーーー工程をスマホで撮しておいたのですが、間違って消去してしまい、写真がありませんーーー
次は「カカオ豆を粗く砕き、シェル(種皮)などを取り除いてカカオニブ(カカオ豆の胚乳部)を取り出します」と言うことで、部屋にある使える道具探しです。
ソムタム作り用の石臼とすりこぎ棒が有りました。以降の工程、すりつぶし、微細化、精錬を石臼で行ないます。



どろどろのベースト状になり、いよいよチョコレートらしくなってきました。
砂糖を混ぜて精錬(?)ですが、この道具では粒状のつぶは逃げて潰すことは不可能です。
まだザラザラしているようですが、諦めて冷蔵庫で成形です。

出来ました、自家製チョコレートです。





味は間違いなくチョコレートですが、ザラザラ感いっぱいです。すりつぶせなかったカカオニブがいっぱいです。
やはり市販品はなめらかで美味しいです。でも、チョコレートのコクでは負けていないと思います。



株式会社 明治さんの「カカオ・チョコレートの基礎知識」に書かれていなかった注意事項を1つ挙げておきます。カカオポッドを採取するときは赤蟻がいないか良く注意してください。木の下から竹竿でカカオポッドを突っついたら赤蟻も落ちてきます。首筋に入ったら悲惨な結果が待っています。