の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

パヤオ文化展示会館(4)

2015年12月29日 | 博物館
青銅器です。左の筒状容器はキン・マークの石灰容器です。容器内に付着している石灰が見えます。製作年代の説明はありませんが、ラーンナー王国統治下の15,6世紀のものでしょう。
パヤオ文化展示会館(3)までで紹介できなかった展示品をアップしておきます。

再び仏像の展示となります。













18世紀から20世紀に用いられたアヘン計量用の分銅、オピウム・ウエイトです。聖鳥ハムサやシンハなどの聖獣がモチーフとなっています。





15世紀から18世紀の貨幣です。円盤状はトックと呼ばれる銀貨ですが、銅や鉛が混入してあり朱色を呈しています。




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石器時代の出土品です。

前史時代の埋葬遺跡が切り取られて展示されています。

象の部屋です。写真は象の骨です。

14,5世紀の象の彫刻が展示されています。本品は仏像の台座です。






パヤオ文化展示会館(3)

2015年12月28日 | 博物館

次にパヤオで出土した陶磁器が展示されています。
今年2月15日に「パヤオで見たカロンの傑作」でパヤオ文化展示会館の展示品を一部紹介しましたが、改めてその他の展示品を紹介します。

カロンの傑作として紹介した「鉄絵鳥獣唐草文壺」です。
カロンの陶器はタイ族の故地、雲南の玉溪窯の影響を受けた、もしくは玉溪窯の職人が移り住んで生産を始めたかと思うほど器形、絵付けが似ています。

写真奥の一画にパーンの青磁、それ以外はウィアン・カロンからもたらされた白磁の壺、瓶、鉢などが展示されています。いずれもパヤオで出土したもので15世紀から16世紀の生産となっています。

カロン窯の鉄絵鉢です。

カロン窯の白磁台鉢です。

カロン窯の壺と蓋です。

写真のピントが甘くなっていますが、象の燭台です。

カロン窯の壺です。きれいな形をしています。

ランパーンのバーン・タオ・ハイ窯、15世紀から16世紀の褐釉壺です。左手前の小壺には石灰(プーン)が詰まっています。キン・マークに使われたようです。

ランパーンの褐釉二重口縁壺です。東南アジアでは食料にアリが瞬く間に集まってきます。この壺は二重になった口縁に水を浸してアリの侵入を防ぐすぐれものです。

冷蔵庫は物を冷やすのは当然ですが、密閉した冷蔵庫内は蟻の侵入を防ぐ大切な容器でもあります。冷蔵庫に入りきらないものは、水をはった皿の中に器を置きます。これを忘れると悲惨な結果が待っています。

15世紀から16世紀に生産されたパーン窯の青磁小品群です。

パーン窯の小壺です。


ワット・ロン・ポー出土のパーン窯の壺です。

13世紀から14世紀のパヤオ窯の壺です。

この瓶もパヤオ窯となっています。
口下に2条、3条、2条の刻線をめぐらし、その間に小丸文を2段に押して、同様の小丸文を頸下部の突帯の上下にめぐらしています。底縁部の露呈した胎土は白くパヤオの土味とは異なるようですが・・・。

ワット・ロン・ハイ出土のパヤオ窯の青磁褐釉掛分壺です。

やはりワット・ロン・ハイ出土のパヤオ窯の壺です。

パヤオ窯の印花文の押し型です。
左は馬文の凸型ですが、右の双魚文は凹型になっています。凹型を成形面に圧したときには魚文は影響を受けたと思われる、龍泉窯の双魚文のように膨らんだ形になります。
参考に似たような陶片を添付しておきます。

15世紀から16世紀、明代の景徳鎮青花です。いづれもパヤオの寺院から出土しています。



元代の龍泉窯の青磁壺です。
この手の壺は型成形され、真ん中あたりで継ぎ合わされているのが一般的です。
龍泉窯の青磁はタイ各地で出土しています。

ラオス製のパイプです。
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パヤオの型押しされた陶片です。焼成中に窯壁が崩れたのでしょうか、焼成が中断され素焼き状態です。
失敗だったのは、器面にしっかり付着した700年間の土を、たわしでゴシゴシと洗ってしまい、まだ残っていた白化粧や釉まで落としてしまいました。


魚の意匠は異なりますが、盛り上がった双魚文です。



龍泉窯の青磁双魚文皿です。メーソットの山岳地帯で出土しました。

パヤオ文化展示会館(2)

2015年12月27日 | 博物館
2階へ上がってきました。パヤオ湖に面した廊下にはパヤオ市街で出土した碑文が展示されています。
パヤオ王国は1094年にヒラン・ナコーン・グンヤーン(チェンセーン)のシー・チョームタムが建国、1258年にガムムアンが王位に就いて強国となるも、1388年にラーンナー王国の覇権下となり歴史を閉じます。展示されている碑文は1400年代から1500年代初期のラーンナー王国支配下に刻まれたものです。

前日訪れたワット・シー・ウモーン・カムから出土した、1513年にラーンナータイ文字、タイ語できざまれた石碑です。

2階の第一室です。16世紀から17世紀のパヤオの仏教美術が展示されています。



中央に安置されているのは、ワット・シー・コーム・カム所蔵の16世紀から17世のラーンナー・パヤオ様式の仏陀像です。



砂岩製の仏像台座です。





パヤオ様式の仏像台座です。パヤオ市内のワット・パー・デーン・ブン・ナックから出土した16世紀から17世紀に製作さました。




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銀板にエンボスされた奉納仏です。

素焼きの仏陀です。










泥岩に刻まれた仏陀3点です。



16世紀から17世紀のラーンナー様式のガラス製仏像です。

16世紀から17世紀のラーンナー様式の青銅製仏頭です。

16世紀の青銅仏です。



17世紀から18世紀のアユタヤ様式の青銅製仏像です。


パヤオ文化展示会館(1)

2015年12月26日 | 博物館

朝一番に「パヤオ文化展示館」を見学します。正月前だからでしょうか、普段見かけなかった露店が表通りに出ています。





玄関には対のパヤナーク、寺院の棟飾り「チョーファー」のようです。除けの意味を持つチョーファーは一般的に聖鳥ですが・・・。

博物館の売店です。パヤオや各地の遺跡、文化財の書籍やパヤオの民芸品などのアクセサリーが売られています。

正面はシリントーン王女のお写真です。
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1階右手の第一室目です。パヤオ出土の仏陀像が安置されています。
パヤオで仏教美術が開花するのはラーンナーの属国となった1338年以降です。特にラーンナー国王テイロカラート(在位:1442年~1488年)時代が最高潮になります。

博物館の解説に「キング・ティローカラートとパヤ・ユディシュティラ(Phya Yudhisthira)」というタイトルがありました。展示品の時代背景がわかるので記しておきます。
◆ラーンナー王国のティローカラート王は当時支配下にあったパヤオを足掛かりにスコータイの支配下にあったプレーや姻戚関係にあったナーンへ侵攻します。
スコータイはアユタヤとも婚姻関係により、アユタヤの支配下にあって、領土を割譲しピサヌロークを治めるだけになっていました。しかし、ナーン同様に信頼できる同族の国がラーンナーにも存在しました。
ソーン・クウェー(ピサヌローク)のスコータイ王パヤ・ユディシュティラはアユタヤのボローム・トライ・ローカナート王(第9代国王、在位:1448年~1488年)との苦々しい闘争でティローカラート王に帰順し、ラーンナーの軍隊を指揮して数年間アユタヤと戦います。

後にティローカラート王はパヤ・ユディシュティラをパヤオの国主に任命します。ガーオ、プレー、ナーンもパヤ・ユディシュティラの支配下となります。
パヤ・ユディシュティラはパヤオにワット・パー・デーンと呼ばれる巨大寺院を建立します。後にワット・パヤ・ルアンと改名され、現在はワット・パー・デーン・ルアン・ドン・チャイ・ブンナーグとして知られています。仏塔、仏陀像、その他の美術品はスコータイ様式です。
昔の「ワット・パー・デーン」という名前の寺院は人気があってシー・サチャナライ、チェンマイ、ケントゥーンなど様々な都市に建造されました。おそらくワット・パー・デーンという名前はスリランカ様式の上座部仏教と共にスコータイを通じてタイ各地に伝わったのでしょう。

【ピサヌローク(ソーン・クウェー)の国主「Phya Yudhisthira」は他の大方の資料では「Phraya Yuttisathian(プラヤ・ユティサティエン)、後の「Mahabharata」となっています。チェンマイ年代記ではティローカラート王を少年時代の友人としています。
パヤオの国主となったプラヤ・ユティサティエンは、1459年にガーオ、プレーの国主も兼任しますが、その後の記録から消えてしまいます。
現在バンコク国立博物館に展示されている1476年に鋳造された青銅仏に彼の銘が刻まれています。
不確定ですが1486年にティローカラート王に対する謀反が露見して処刑されたとも言われています。
アユタヤとラーンナーの紛争は1456年から和平交渉の成立する1474年まで続きます。その間、1463年にアユタヤ王トライローカナートは都をピサヌロークに遷し、ラーンナーに対抗します。】

中央のケースには、パヤオ王国時代から近世までの陶磁器などが雑然と並んでいます。左右の棚には発掘され仏陀像が保管されています。
奥の棚は、パヤオで焼かれた壺などの大物陶器が展示されています。

この棚には頭のなくなった仏陀像が並んでいます。



こちらの棚は、仏頭がびっしりと並べられています。





展示室中央の展示ケースですが、展示品が整理されているとは言えません。

奥の壺片はナーンのボースアック、左はカロンの小壺、右はパーンの小皿だろうか、器形はパーンですが、青磁の緑が濃すぎるようです。

ラオスのパイプです。その横は銀貨が並んでいます。17世紀のランサーン時代のものです。

口辺に鉄釉をかけた口紅染付です。手をかけた青花磁器です。

さらに部屋続きの小部屋です。

18、9世紀のラーンナー様式の仏像が納められています。





ランサーンの陶器です。

パヤオで出土した壺が並んでいます。
パヤオの窯業活動は12世紀から14世紀と報告されており、窯跡の科学調査で1300年前後に廃窯されています。これらの展示品は胎土が見えず断定できませんが、パヤオ以外の支配地域から運び込まれた15、6世紀ごろの壺ではないかと思います。







右の青磁はパーン窯、その隣は窯不詳のランサーンの緑彩瓶です。
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象の台座です。仏陀像は壊れてありません。

パヤオで発掘された14世紀から15世紀にかけての石碑がたくさん並べられています。
いづれもラーンナータイ語、タイ文字で書かれた碑文です。



2階の展示室へ上がっていきます。

2階テラスから眺めるパヤオ湖です。

ワット・プラタート・チョムトーング

2015年12月19日 | パヤオ

次に訪れたのはワット・シー・コーム・カムの北の丘陵の上に建つ「ワット・プラタート・チョムトーング」です。およそ900mの距離です。

「プラチャオ・タンチャイ」と呼ばれる本尊です。



本堂の仏陀は厨子に納まっています。いずれも歴史のある、砂岩で造られた仏陀像のようです。

プラタート・チョムトーングです。
伝説では、ヨーノックブリ・シー・チャーンセーンの国主マングカラット王はスリランカから仏舎利を持ち帰ります。
マングカラット王はチャイ・ナライ国の王プラヤ・ルアン・ケーオに仏舎利を分け与えました。そして、仏舎利はパヤオ湖畔の丘の上に仏塔を建立して納められました。仏塔はプラタート・チョムトーングと呼ばれ古代からパヤオの人々に崇拝されてきました。

ラーンナー様式の仏塔は八角形基壇の上に三層の花飾りをした塔胴部、さらにリングを巻いた伏鐘型の塔頂部、尖端には黄金の傘蓋を戴きます。





仏塔を護るシンハです。


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午後4時、まだ早い時間ですが一旦ホテルに戻り、パヤオ湖の夕焼けを待ちます。

しかし、西に傾いた太陽は厚い雲に隠れていきます。夕焼け空は望めそうにありません。



結局、午後6時30分まで部屋で過ごし、ホテル前の屋台通りで夕食にします。



屋台の定番、クイッテオ屋です。
歩道にテーブルと椅子が置かれており、そこで食べることができます。別の屋台の料理を注文しても、腰かけている場所を言っておけば届けてくれます。結構便利なシステムです。
また、歩道の端には水道管がはしり蛇口が設置されているため、食器などが洗えるようになっています。



正月前で人出も少なく、屋台も少ないようです。

背後の建物が泊まっているパヤオ・ノーザン・レイク・ホテルですが、灯りの点った部屋はまだありません。