の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ワット・ソトーン例祭 (チャチョェンサオ) -3-

2014年12月26日 | チャチョェンサオ

ロイ・クラトーンを挟む例祭期間中には、早朝午前5時頃と夕方午後6時頃から1時間ほど大音量の読経が付近一帯にスピーカーから流れます。また、夜には様々な催しが開かれています。





中国獅子舞の奉納です。




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門前では洋画が上映されています。

映画の題名は分かりませんが、若いクリント・イーストウッドが出演していました。



映写技師です。何もしなくても暑ずぎるタイの夜ですが、映写機から放出される熱は尋常ではありません。

隣にコンビニがあって、買い物に来た人や、屋台に寄った人が足を止めますが、すぐに去ってしまい、見続ける人は居りませんでした。


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中部タイで上演される大衆芸能で「リケー」と呼ばれる人情芝居が例祭期間中に1週間ほど開催されます。
派手な衣装で濃い化粧をした役者が、即興の台詞や歌で演じます。
観客は非常に少なく、来ているのはお年寄りとお年寄りに連れられてきた孫ばかりです。










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満月の夜の午前0時から花火が上がります。








ワット・ソトーン例祭 (チャチョェンサオ) -2-

2014年12月25日 | チャチョェンサオ

パレードは午前8時にスタートし、約2時間かかって全ての学校がワット・ソトーンの境内を後にします。











テレビのカメラマンです。

























スコータイスタイルでクラトーンを持った少女たちです。4日後がローイ・クラト-ンです。























「新成建設運輸」のトラックもタイで仏陀を運んでいます。



ダッド・ダルニー女子大学のタスキをかけた学生です。チャチョェンサオでは唯一の女子大です。



























最近この交差点をロータリーに改造しました。残念ながら車で譲り合うことを知らず、我先に突っ込むタイのドライバーによって、いつも身動きの取れない膠着状態が起きています。
ロータリーの中には鋼線をばね状に巻いたモニュメントが建てられていますが、何を表現したのか分かりません。

向かいの記念碑はチャチョェンサオ出身のタイ語言語学者、プラヤ・シー・スントーンウォーハン(1822年~1891年)俗称、ノーイ・アチャーン・プラ・ヤーンクーンの銅像です。



























瓶に詰めて販売しているのはガソリンです。













イサーンの踊りです。チャチョェンサオの人には無理があるようです。

クメール・スタイルの行進です。
チャチョェンサオの南20kmのパナ・ニコームには7世紀から11世紀のモン族の環濠遺跡「ムアン・パー・ロット」、また東へ40kmのバーン・パコーン川支流沿いの「ムアン・シー・マホソット」にもモン族の環濠遺跡、クメール遺跡が点在しています。
チャチョェンサオのバーン・パコーン川流域は現在でも雨期には冠水する低地が多く、モン、クメールが勢力を持っていた時代は平安海進で海底にあったようです。







しんがりは中国獅子舞です。





全員総揃いでプラヤ・シー・スントーンウォーハンに敬意を払います。


ワット・ソトーン例祭 (チャチョェンサオ) -1-

2014年12月24日 | チャチョェンサオ

バンコクの東にチャチョェンサオ県があります。県内をバーン・パコーン川が蛇行して流れ、稲作の四期作(水資源確保のため政府は三期作を指導)、マンゴ、ヤシ等の果物栽培、豊富な水を利用したエビ、魚の養殖が盛んで裕福な土地柄です。
チャチョェンサオの歴史はアユタヤ王朝、第9代国王ボロマトライローカナート(在位:1448年~1488年)まで遡るようですが、往時を偲ぶ遺構は何も残っていません。
市街のバーン・パコーン川沿いに古刹、ワット・ソトーンがあります。開基はアユタヤ王朝末期の1764年といわれ、バーン・パコーン川を漂流していたランナー様式の仏陀坐像、ルワン・ポー・ソトーンが祀られています。参拝者の数がバンコクのエメラルド寺院に次いで2番目に多い寺院です。ただ、エメラルド寺院は海外からの観光客が圧倒的に多く、タイ人の参拝者ではワット・ソトーンが圧倒しているのではないかと思います。

現在の寺院本堂は現国王の発願で建立、イタリアから取り寄せた大理石を用いて2006年に竣工しています。

ワット・ソトーンには年3回の例祭があり、その一つが陰暦12月の上弦の月から下弦の月の間に行われます。今年は11月3日から12日まで執り行われました。
1890年に天然痘が流行り、当時の住民がルワン・ポー・ソトーンに平癒祈願をしたのが始まりだと伝えられています。
11月2日には市内の小・中学校、高校、大学の学生たちによるワット・ソトーンからスタートする市内パレードがありました。





お供えの卵です。ルワン・ポー・ソトーンはなぜか卵がお好みのようです。












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午前7時20分です。午前8時のパレード開始まで、大きな本堂の回りでスタートを待つ人たちを写してみました。
チャチョェンサオには実にたくさんの高校、大学があるのを改めて知ることとなりました。

カメラを向けると、みんな素敵な笑顔で応えてくれるので、シャッターを押す数が増えてしまいます。

























円陣を作り、最後の練習中です。



全員揃ったところで記念撮影です。











































チャチョェンサオも華人が多く住み、中国衣装を纏った学校もたくさんありました。



チャチョェンサオの催しではよく着用されている衣装です。1800年代末のラーマ5世統治時代の貴族の衣装です。
フリルのついたブラウスに巻きスカートの裾をたくし上げてズボン状にしたチョン・カベーンを穿いています。







































タイ北部の山岳民族、カレン族の衣装です。


チャチョェンサオの廃屋の壁画

2014年12月18日 | チャチョェンサオ

バンコクを南北に貫通しサムットプラカンからタイ湾に沿って東進、トラートでカンボジアの国境へ至るスクムビット通り、いわゆる国道3号線をバンパコーンで直進すると国道314号線となりチャチョェンサオでさらに直進すると国道304号線となり、ミンブリーを経由して再びバンコクに戻ってきます。
314号線と304号線の三叉路を過ぎたあたりに、かって建材のタイルや瓦の商売をしていた店跡があります。
タイの家屋やアパート、マンション等は床や壁にはタイルが用いられるのが一般的です。掃除が容易で座ればひんやりとするのが好まれるのでしょう。
よく売れて繁盛した時期もあったのでしょう。

いつ頃店を閉じたのか知りませんが、国道304号線に面した広大な敷地に商品見本も兼ねた種々なタイルの床と壁が残る廃墟になっています。

よく走行する道路で、かなり以前から崩れた壁に描画されているのは見て知っていたのですが、反対車線から見るだけで立ち止まる機会がありませんでした。
かっての沿線には、これと言った店もない通過するだけの道路でしたが、最近は全国チェーンの大型店舗が多数進出して、様相が変わってきました。
取り壊しや、崩壊する前に写真に納めようと侵入しました。

敷地の中ほどに建っているは事務所の跡でしょう。

祭壇が朽ち果てています。灯明は絶えなかった昔日が偲ばれます。

隣の看板は建築資材の「タイ・ワッサドゥ」、全国展開しているチェーン店です。その先には全国展開するホーム・センター「ホーム・プロ」があります。
タイル専門店が閉店に追い込まれた原因かもしれません。また、敷地から見て相当な在庫を持って商売していたようです。

奥の”R”は今年開店したロビンソン百貨店です。壁に書かれたピンクの文字は「ペーリュー」、チャチョェンサオ市街地区の俗称です。





ノック・クゥー、フクロウの意味です。





裏手にある居住部分です。











「ペーリゥー」(北柳)です。

4000年前の壁画(ワット・カオ・チャン・ンガム)

2014年12月18日 | ナコーン・ラーチャシーマ

ピマーイ遺跡から約63km、ナコーン・ラーチャシーマ市街外れにあるシマ・ターニ・ホテルのロビーです。夜食にコンビニでカップ・ラーメンを食べホテルに投宿したのが午後11時30分頃でした。
宿泊料はデラックス・ルームしか空室がなく一泊2350バーツでした。デラックスとは名前だけで、ごくごく普通の部屋でした。



廊下に置かれたクメールの彫像です。



朝食です。

午前10時、チェック・アウトです。

シマ・ターニ・ホテルの外観です。
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ナコーン・ラーチャシーマから国道2号線をバンコク方面へ50km走行したワット・カオ・チャン・ンガムの裏山に先史時代の壁画が残っています。
国道から4kmほど入るだけなので寄ってみます。





巨大な岩と木々の茂る裏山への入り口です。

この岩も下部を削った痕があります。



観光客が押し寄せる名所でもないのに、駐車場にたくさんのワゴン車が停まっていたのを不審に思っていたのですが、ここまで来て理由がはっきりしました。
テレビ・ドラマの撮影準備中でした。出演者はまだ来ていません。





地上4mの高さに赤絵で人物が描かれています。



3000年から4000年前にこの地に住んだ稲作民族が生活様式を描いたそうです。

腰蓑を付けた人物が狩猟をしています。





壁画は数カ所あるようなので、巨岩の間を登って行きます。











キノコです。

岩を取り込むように樹根を伸ばしています。



この岩も削られた痕があります。

削られた岩を回ると磨崖仏です。

寝仏像もあります。



寝仏の彫られた岩盤の上には巨大な仏足跡です。後から登ってきた男性と比較すると小さなプールほどの大きさがあります。



山中を1時間歩き回って午後0時37分出発します。
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ワット・カオ・チャーン・ンガムから50km進むとファーム・チョクチャイがあります。アジアで最大の酪農牧場と宣伝されています。

乳牛のぬいぐるみ等を売っています。ミルク・キャラメルを買いました。

昼食に寄ったのですが、どこも人があふれていてアイス・クリームだけ食べて出発です。


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4km進むと、サワン・ファームがあってトウモロコシを栽培、加工工場もあります。



収穫されたトウモロコシの皮をはいでいます。





剝かれたトウモロコシはコンベアで流されでコーン・ジュースとなります。

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サワン・ファームでも昼食はとれず、サラブリーのガソリンスタンドまで来ました。
午後3時35分の昼食になってしまいました。





バンコクへは午後5時30分に戻って来ました。
四日間の全走行距離は1453kmでした。