の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

スコータイのロイ・クラトン (パレード 2)

2014年02月28日 | スコータイ
■スコータイ歴史公園で催されている「ロイ・クラトン」パレードの続きです。3グループまで紹介しましたが、全部で9地域、団体の参加です。
まだまだ、続きます。写真を掲載しますので雰囲気を感じてください。

「パトゥー・サーン・ルアン」都城門北地区からの参加パレードです。後方の水色文字は「サワンカローク市」と表示されて、都城門北区域といっても、かなり広範囲です。





シー・サムロン市のチームです。





















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第5番目です。とにかく各グループの行列が長い、長い。「ワット・バーン・サーン」地区のプラカードを掲げています。

























5番目のパレードの最後はクラトンを持った少女たちです。
(地域からの参加は、子供から中、高生、美女グループ、大人までと総出演で、それぞれ趣向が異なっていたりして、実のところは何番目かは確信がありません。)






スコータイのロイ・クラトン (パレード 1)

2014年02月27日 | スコータイ
■本ブログを準備中で、写真を貼り付け「下書き」で登録するつもりが「公開」になっていました。
写真のコメントを追記します。

午後3時を少し過ぎてロイ・クラトンパレードが始まりました。
スコータイ県内の9地域、団体が参加しているそうです。



先頭は「パーン・フン」と呼ばれる飾り(?)、そして国王夫妻の肖像と続きます。

パレードの一番手は「ポー・ラームカムヘーン大学」チームです。

「パー・ルアン」(スコータイ王の代名詞)の通る道にジャスミンの花が撒かれます。

「パーン・フン」です。



象に乗った「パー・ルアン」の行進です。



「ラーム・スコータイ」と書かれた横断幕です。ワット・サー・シー前でスコータイの踊りが披露されます。





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輿に乗ったナーン・ノップパマーの登場です。
昨夜は野外劇場でナーン・ノップパマー美人コンテストの予選が催されて、勝ち残った美女たちのお披露目です。今夜決勝戦があってミス・ノップパマーが決まります。
ナーン・ノップパマーはスコータイ王の一番お気に入りの妾ですから「ミス」ではないかも・・・。
なお、野外劇ではラームカムヘーン大王の側室という設定になっています。















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三番目は「パトゥー・カンぺーん・ハック」です。都城門東地区からの参加チームです。













「パー・ルアン」です。

王の次は普通お后ですが、スコータイでは側室の人気が高いようで、お妃かもしれません。




スコータイのロイ・クラトン (ロイヤル・クラトン)

2014年02月26日 | スコータイ

■陰暦12月の満月の日(11月17日)です。今夜は各地でバナナの葉を蓮の花に形ちどった「クラトン」(灯篭)を川に流し、水の恵み感謝し、穢れや罪を川に灌ぎます。
元々はバラモンの神、シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーに捧げる「チョン・パ・リエン」という灯篭を浮かべる王室行事でしたが、タイで仏教が流布すると、クラトンはインドのナム・マターンティ河畔の仏足跡に捧げるために、川に流されるようになりました。
クラトンを始めたのは「ナーン・ノップパマー」というスコータイ王のお気に入りの妾でした。王は彼女の作ったクラトンを川に浮かべました。
「タオ・シー・チュラ・ラック」の書によれば、パ・ルアン(スコータイ王)は、これ以降シャムの王は毎年12月の満月の夜に、蓮の花を摸した灯篭を作り、ナム・マターンティ河畔の仏足跡に捧げるように命じたと記録されています。
歴史学者「チャオ・プラヤ・ティパラチャウォン」によるとラタナコシーン時代に人々はより大きく、美しいクラトンを作るようになりました。
王は、王族や臣下にクラトン作りを命じ、競って作られたクラトンは幅が4mから5m、高さが5mから6mになり、花々で飾られ、須弥山のようになりました。大きなクラトンでは、製作に携わった人は100名を超え、約1000万円の費用を要したものもあったそうです。

午前8時から、王室から奉じられた「ロイヤル・クラトン」が鼓笛隊を先導にスコータイ新市街を巡幸します。(写真は別の年のものです)





車上には王族の色の花に飾られたクラトンが恭しく載せられています。



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スコータイ歴史公園前で昼食を済ませ、11時50分に入園、公園内を散策します。





「ワット・スラ・シー」の建つ小島へ来ました。
人影も少なく、日陰もあって、午後の催しが始まるまで休息です。







昨夜、奉げられたクラトンが水面に浮かんでいます。

・・・・・。

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午後1時です。軍人が「ロイヤル・クラトン」の出迎えに出かけます。「ロイヤル・クラトン」は1時45分に奉納される予定です。

池の上に設けられた「ロイヤル・クラトン」の奉納台です。

午後2時、スコータイ歴史公園内のパレードが通る沿道は待ちわびる人で埋まっています。

午後2時18分、警察車両の先導でパレードが現れました。



先頭は蝋燭に火を灯したランタンを携えた偉い人物です。知事かと思いましたがスコータイは女性知事でした。
ちなみに、全員が左腕に喪章を巻いていますが、2013年10月24日にタイ仏教僧団(サンガ)の指導者である大僧正で、プミポン国王が出家した時に仏教の教えを説いたソムデット・プラサングカラート大僧正が100歳で逝去、30日間の服喪(ワイ・アライ)期間中です。
服喪期間中は国内での華美な催しは自粛されており、ロイ・クラトンでの打上げ花火等にも影響があるかと思っていましたが、関係なく盛大に盛り上がっていました。

まず、誕生日の色である黄色に装飾された国王のクラトンです。

続いて水色は女王のクラトンです。





軍人は直立不動で到来を見守ります。















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安置されたクラトンの前で舞踊が奉納されます。









踊り子さんに勢揃いをして頂きました。


スコータイの2日目・ラーマキエン (3)

2014年02月24日 | スコータイ


スコータイへ戻る途中で、かわいいロイ・クラトンパレードが行われていました。車窓から撮影しました。


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夕暮れからスコータイ歴史公園に入ります。「ワット・チャナ・ソンクラーム」仏塔前で催されている「ラーマキエン」です。
「ラーマキエン」とはインドから伝播した叙事詩「ラーマーヤナ」のタイ版「ラーマの物語」で、ラーマ1世の勅令でタイの文化、風習を反映してタイ風に編纂されたものが、1789年に117巻、6万7千詩節の長編として完成しています。
「ラーマーヤナ」は仏教の伝播とともに東南アジアに伝わり、シュリーヴィジャヤ(6世紀から13世紀にインドネシア、マレー半島で栄えた交易国、中心がタイ南部にあった、とも言われています。)を経由してスコータイ朝が成立する前にはタイへ伝わっていました。
「ラーマーヤナ」の場面が寺院装飾、舞台劇の題材として採用されました。アユタヤ時代には仮面をつけて演ずる宮廷劇として発展しましたが、ラーマ4世のころには一般でも上演されるようになりました。
現在は物語のハイライト部分が屋外で演じられています。
『アユタヤ国のラーマ王子は妃のシーダーをランカー国の羅刹王トッサカンにさらわれました。ラーマ王子は弟のラック王子と共にシーダー妃の救出にランカー国へ向かいます。途中で猿のハヌマーン、猿軍の援軍を得て、トッサカン軍を破り、無事シーダー妃を救出し、アユタヤに凱旋、王位につきます。』
ラーマ王子、ラック王子、シーダー妃以外の出演者はそれぞれの個性ある仮面を装着します。「仮面劇・コーン」と呼ばれる所以です。語り手、楽団が舞台の袖に居て、形式化した演技と踊りがぴたりと一致しています。

神聖な神々の世界の物語ですが、登場人物の相関関係が複雑で、美人がいると相手が人妻であってもすぐに情交を重ねて子供をもうけてしまいます。ハヌマーンなんかは女とみればすぐに交わり、揚句には鳥や魚まで相手にする絶倫猿です。

■かって紹介しました「ウサー姫とバロット王子」や「カッタクマン王子の冒険」も土着化した「ラーマーヤナ」です。

ラーマ王子と猿軍です。



右の白い猿がハヌマーンです。







羅刹王トッサカンです。

ラーマ王子軍とトッサカ軍の戦いです。

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■トラパーン・トラクアン池で催された「タオ・シー・チュラ・ラックの御座船渡御」も撮影したのですがデーターが見当たりません。間違って消去したのか、異なったファイルに保存したのでしょう。見つかればアップします。

スコータイの2日目・シー サチャナライへ (2)

2014年02月19日 | スコータイ
■サンカロークのコレクションを見せてもらいにいきました。一部を紹介します。
シー・サチャナライ都城のヨム川上流域にはたくさんの古窯址が残っており、一部は発掘状態を屋根で覆い博物館として公開されています。
タイ湾沿岸の環濠遺跡からは交易によってもたらされた漢時代、唐時代、宋へと続く陶磁器が発掘されています。元時代の陶磁器はタイ中部、北部からも大量に出土するようになり、陶磁器が中国の主要な輸出品目の一つであったことが窺えます。
シー・サチャナライもモン・クメール族の進出と共に製陶技術がもたらされ、やがて、スコータイ朝には中国から大量の陶磁器が入ってくるようになり、シー・サチャナライでも技術向上が目まぐるしかったようです。当時のスコータイは中国人の居住者がたくさん居たようで、中には中国人の手によって作られたと思われる陶器もあり、陶工の移動があったことも考えられています。1438年スコータイ朝がアユタヤ朝に併合されてからはサンカローク陶器は輸出の主要品目になり、日本をはじめ琉球、東南アジア島嶼部、および遠く中近東からも出土しています。しかし、1569年のビルマ侵攻でアユタヤが陥落する頃には陶器生産も終焉をむかえていました。

灰釉を掛けて焼かれたパーヤン窯の魚形小壺です。

青磁釉の鳥形小瓶です。

鳥形小瓶は平底ですが、魚形小壺には高台が付いています。

青磁の蓋付瓶(ライム・ポット)と青磁の授乳婦人です。
ライム・ポットには嗜好品である[キン・マーク]に用いる、焼いた貝殻を潰して粉末にしたものが入っています。
現存するライム・ポットは青銅製が大半ですが、陶器製もあります。青磁以外に鉄絵文もあります。
人形も「シィア・カバーン」という病気回復儀礼に使われたもので頭部は男性を接続してあります。小型で青磁が青くきれいに発色した女性像は非常に少ないようです。

蓋付瓶は使われていたもので、蓋を開けると貝殻粉が入ったままです。

子供を洗う婦人像です。やはり頭部には男性を継いでいます。

双子を抱く婦人像です。頭部は別人のようですが、髪を左右で丸くまとめている風俗は中国人でしょうか。

青磁の子安貝(宝貝)です。2.7cmほどの小さいものです。

子安貝の内側は無釉です。スコータイ時代も子安貝は貝貨として流通していたようで、戦乱を恐れ壺に納めて埋められていたものが都市遺跡から発掘されています。

極小人形です。手前の子安貝(宝貝)と比較すれば小ささが際立っています。

鉄絵ライム・ポットと極小人形です。

パーヤン窯の寺院装飾でしょうか、かなり小さい細工です。

白褐釉鉢の高台に彫られた獣面像です。

ビルマの緑釉小壺です。

緑釉小壺の底面、回転糸切痕です。


カロンのくっ付きです。ライム・ポットが焼成中に見事にくっ付きました。

カロンのコオロギの家です。

カロン緑釉水注の取っ手部分です。

青磁小皿です。発色が非常にきれいです。

カロンの水注です。

未整理の小品群です。

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■午後3時20分、ロイ・クラトンのスコータイ歴史公園へ戻ります。
国道1294号線から国道1113号線を走行しますが、シー・サチャナライ歴史公園とサワンカロークの中間のパー・ルアン通り(スコータイ時代のシー・サチャナライとスコータイ、ピサヌロークを結ぶ旧街道)の「ムアン・バン・クラン」に寄ってみます。
北壁625m、東壁1165m、南壁300m、西壁600mに囲まれた都市で、シ-・サチャナライとスコータイの中継地だったようです。現在23カ所の遺跡が確認されているそうです。
都市遺跡の東には、ランパーンから流れてくる「ラム・ナム・ファ・クラダン」

ワット・ボット」です。14世紀から15世紀に建立、16世紀に改修工事が行われています。
モンドップ(本堂)は14メートル四方で東に入口があり、26メートル四方のラテライトの二重壁に囲まれています。背の低い門が東西にあり、東には礼拝堂があったようです。









「ワット・ヤイ・チャイモンコン」です。「ワット・ボット」から500m離れています。14世紀から15世紀のスコータイ時代の建立された寺院跡です。ラテライトの基壇しか残っていません。アユタヤにも同じ名前の寺院があります。