の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

「聖なる剣」プリヤ・カーン(4)

2015年08月31日 | カンボジア
中央祠堂などの重要伽藍が立ち並ぶ第一回廊の内側へ進みます。門柱に彫られたドヴァラパーラ像(門衛)です。

日本では仏教の守護神で仁王さんです。寺院内に仏敵が入り込むのを防ぐため、山門に筋骨隆々として怒りの表情で立っていますが、この仁王さんは優しい顔で、口元に笑みを浮かべています。









破風はラーマーヤナでしょうか・・・。破損部が多すぎてよく分かりません。

中央祠堂です。碑文では父王ダラニンドラヴァルマン2世を模した観世音菩薩像が建立時に祀られていました。
ダラニンドラヴァルマン2世はクメール王国を統治した痕跡はなく、王統系譜で認められていません。クメール統治下の地方領主だろうといわれています。

第21代国王ジャヤヴァルマン7世の次にヒンドゥー教を信奉する第22代国王インドラヴァルマン2世(在位:1220年頃~1243年)、第23代国王ジャヤヴァルマン8世(在位:1243年~1295年)の治世は廃仏運動による、仏教受難の時代でした。
しかし、第24代国王シュリンドラヴァルマン1世(在位:1295年~1307年)は上座仏教を国教とします。
廃仏政策で廃棄された観世音菩薩像に代わって仏塔が安置されたのはシュリンドラヴァルマン1世の治世ではないかと考えられています。

祠堂の壁面に小穴が開いていますが、宝石が埋め込まれていたのではないかと言われています。
祠堂内を覆ていた銅板を留めた跡とも言われています。



台座だけ残っています。





祠堂の壁面はバラモンです。















壁面に彩色された神像の薄彫りが残っています。
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第3周壁、西楼門へ出てきました。

破風の彫刻はラーマーヤナです。

左側のドヴァラバーラ像です。

右側のドヴァラバーラ像です。













参道の物売りも帰宅します。

バナナ売りの少女です。



外周壁の西楼門まで来ました。





外周壁西塔楼門の両側にも巨大ガルーダです。

環濠には、ナーガを引く神々と阿修羅の欄干が架かります。







環濠を過ぎると参道にはヒンドゥー様式のリンガを模した石柱が並びます。ただし、彫像は下部にシンハ、上部には仏像が彫られていたようです。全ての石柱から仏像が削り取られています。







「聖なる剣」プリヤ・カーン(3)

2015年08月30日 | カンボジア
瓦礫になった祠堂、崩れ落ちた回廊と迷路に迷い込んだようで、何処を歩いているのか全く分かりません。
あらためて伽藍配置図を見ると、まだ第二回廊へ至ってません。東西中心軸の北側にいます。

細身の2階建て建物は、プリヤ・カーンの由来となった「聖なる剣」が納められていた建物です。「聖なる剣」はプノンペン国立博物館に収納されているそうです。

1階は丸柱で、綺麗な形をした建造物です。





2階建て建物のの前にある遺構の基壇です。





第2回廊へ進みます。
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梁が崩れ落ち、回廊に支柱が辛うじて支えています。



アプサラのライン・ダンスです。その上は仏像の削り取られた仏龕です。



上の写真のアプサラの反対側です。回廊の外に2階建て遺構の丸柱が見えています。



回廊の天井部分には、連続して仏龕が並んでいますが、仏像は徹底的に削り取られています。



伽藍は中央祠堂を中心に9つの祠堂が田の字形に回廊で結ばれ、その間にたくさんの小祠堂が建つ複雑な構成になっています。



ここにもアプサラのライン・ダンスです。

柱にもアプサラの薄彫りです。



祠堂を押し潰そうとする榕樹です。タ・プロームと違ってプリヤ・カーンでは切り倒されています。






















「聖なる剣」プリヤ・カーン(2)

2015年08月29日 | カンボジア
プリヤ・カーンからは大量の碑文が発見されて、解読により往時の寺院の概要が解明されているようです。
1191年にジャヤヴァルマン7世は中央祠堂に父王の姿を模した観世音菩薩を安置し、その周りに282体の神像を配置しました。
中央祠堂の西にはヴィシュヌ神の祠堂があり、ヴィシュヌ神像等30体の神像、北にはシヴァ神の祠堂があって40体の神像、南には過去王の守護霊がそれぞれ祀られ、32体の彫像が安置された複合的な宗教施設であり、碑文から合計で430体の神像が祀られていたことが分かっています。

現在の寺内には、毀損した仏像や台座がわずかに残るだけです。
思い出すのが2001年に「バンテアイ・クディ」の境内から274体の仏像が発掘されたことです。
バンテアイ・クディはジャヤバルマン7世によって建立された仏教寺院ですが、王の死後に起こった廃仏運動によって、仏像は切断したうえ、掘った穴に丁寧に埋納されていました。
この発掘は、他の仏教寺院でも廃仏が地中に埋められている可能性を示唆しています。

第3周壁の楼門です。入り口右には東部の無い門衛「ドヴァラパーラ」が立っています。左は台座だけです。







破風は並んだ女神たちです。







プリヤ・カーンの女神たちです。一度書きましたが、今回のアンコールの旅は女神像を撮影することとでしたが、多すぎてとても写しきれません。

ちなみに、碑文ではプリヤ・カーンには1万人を超える僧侶、踊り子、奉仕者、夫役人等97,840人が居たそうです。
































「聖なる剣」プリヤ・カーン(1)

2015年08月28日 | カンボジア
プリヤ・カーンは「聖なる剣」を意味する、創建時の名前で呼ばれる数少ない寺院の一つです。
環濠と東西800m、南北700mの外周壁を含む4周壁の壮大な寺院です。
東向き寺院の塔楼門の左右に砂岩の巨大なガルーダの彫刻が嵌められています。

1191年、ジャヤヴァルマン7世によってチャンパ軍との激戦跡地に、戦勝記念と父王ダラニンドラヴァルマン2世の菩提を弔うために大乗仏教寺院として建立されました。
ガルーダの上の壁龕や塀の屋根飾りの彫刻が削られていますが、ジャヤヴァルマン7世の没後にヒンドゥーに改宗した国王は、全ての寺院から仏教的要素を排除しています。
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日本語の解説板がありました。

東参道を環濠まで来ました。土産物売りの女性が待ち構えています。



環濠を渡る橋には、アンコール・トムと同じナーガを引く神々と阿修羅の欄干です。



頭のなくなった像が多いです。

東楼門です。

まだ、塔頂の四面観音菩薩像はまだ見られません。

冒頭のガルーダです。門の左右に嵌められています。

楼門周りは砂岩で構成されています。偽窓の連子格子は下部だけです。
彫るのを途中で止めたのでしょうか、窓回りの装飾に対して物足りないように思います。

プリヤ・カーンも女神像がいたる所に彫られています。中央祠堂近くには、崩れた石材の瓦礫を乗り越えて、地元の人が参拝に訪れるという女神像があるそうです。







楼門をくぐる前に、来た道を振り返ります。

門内から見る楼門です。


ニヤック・ポアン(2)

2015年08月26日 | カンボジア

ニヤック・ポアン(絡み合うヘビ)の大池に水があるときの写真です。南側から撮影しています。基壇の右(東)はナーガが鎌首をもたげ、左(西)には尾が絡み合っています。

大池はヒマラヤのカイラース山の麓にある、全ての病を治す神秘の湖アナヴァタープタ(無熱悩池)を象徴しています。四方の小池は、その湖を源とする4本の大河、ガンジス、インダス、オクサス、シーターを表わしています。
実際に多くの病人がここに訪れて病を癒していたようです。

大貯水池「ジャヤ・タターカ」の中央に神秘の湖を造り、四方に水を流す仕掛けは、水を制したクメール人ならではの発想です。はるかプノン・クレーン山から導管を引いて、常に水を満たしていたのではないでしょうか。

とぐろを巻いたナーガの絡めた尻尾がはっきりと分かります。



祠塔堂の東には観世音菩薩の化身、神馬ヴァラーハとヴァラーハにぶら下がる18人の彫像です。水が満たされれば天を駆けるように見えるようです。

観世音菩薩を崇めていた商人シンハラは、航海中に難破します。一行が漂着したのは人喰い女「ラクシャシー」の住む銅の島「タームラ・ドゥヴィーパ」です。
シンハラ一行は美しい女に化けた人喰い女たちの夫にされてしまいます。
ある夜、シンハラは部屋のランプが笑っているのに気が付きます。ランプは「彼女は人喰い女です。危険が迫っているので、海辺で待っている馬に乗って逃げなさい。ただし、向こう岸に着くまで目を開けてはいけません。」というお告げをします。
シンハラは仲間と共に馬にしがみついて逃げました。馬は天高く駆け、目を開けなかったシンハラだけが助かりました。
この馬こそ観世音菩薩の化身「ヴァラーハ」です。








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東に入り口を持ち、三方向のは観世音菩薩の彫像が彫られています。
その間には三つの頭の象、その上に乗るガルーダ像が彫られています。

祠塔堂の南側面に彫られた観世音菩薩像です。





三つ頭の象とガルーダです。

基壇の上の蓮華座がよく分かります。水が満たされていたときは、水に浮かぶ蓮華の上に祠塔堂が建っているように演出されていたのでしょう。


西側の観世音菩薩です。ジャヤヴァルマン7世の死後に始まったヒンドゥー教のバラモンによる激しい廃仏運動でも立像は被害が少なかったようです。



塔には獅子像もあります。

北側の観世音菩薩の顔は削り取られています。







フタバガキの花が満開でした。

ニヤック・ポアンでチケットをチェックしていた青年です。