の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ミャンマー、タイの古陶磁器

2023年01月25日 | 陶磁器(ミャンマー)

「終活」、「断捨離」という響きの悪い言葉が強迫観念となって「物」を増やさないようにしているのだが、コロナ禍になってから急に増え出しました。
昨年末のスコータイからペチャブーン旅行でもパーン窯の青磁双耳瓶を確認する予定が、付属品を含めてたくさん部屋へ連れてきました。

ミャンマーの褐釉瓶を人助けのつもりで入手したのですが、お年玉がたくさん付いて来たので紹介します。

ミャンマーの褐釉瓶は初見です。口辺が破損していますがラッパ状に広がってたのか、漏斗型の盤口だったのか不明です。ミャンマー陶器は盤口が多く、おそらく後者だろうと思いながらも、これはこれで一輪挿しとして使えると思い連れて帰りました。骨董商も20年近く手元に置いていた珍品です。
現状の口径は4.8cm、胴径12.6cm、底径8.2cm、高さ21.8cmで頸周りに篦筋線を四本めぐらせ、そこから胴下部にかけて三本の寄りそう篦筋線が14組刻まれています。









カロンの白磁蓋付き双耳広口小壷です。
勿論蓋と壷は一体物ではなく、壷の口径が一致する蓋を組み合わせたに過ぎません。
蓋は無傷ですが、壷に破損部は有りませんが、釉薬の剥離が酷く、彩色で直してあります。
補修のサンプル品です。
壷は口径7.4cm、胴径10.8cm、底径6.8cm、高さ13.6cmです。
















次ぎも補修の見本品です。
メーソット出土のミャンマー青磁碗ですが、二度窯です。
持ち帰るのを断ったのですが、この碗で茶が飲めると押しつけられました。
口径13.4cm、高台径5.8cm、高さ8.3cmです。







サンカロークの青磁鉢です。見事な青磁色で、手直しはありません。
焼成中に他の鉢が飛び込んできました。
口径は歪みが多く16.7~17.1cm、高台径6.3cm、高さ8.0cmです。







スコータイ窯の魚文盤陶片です。洗面所の石けん置きにしています。
シーサチャナライのでは南スコータイ窯(タオ スコータイ タイ)と呼ぶことが多いようです。





ピサヌローク出土の砂岩製の塼仏の押し型です。オリジナルの塼仏は百万バーツ以上の価値があるそうです。
型は評価されません。縦8.8cm、幅5.6cm、厚み2.4cmです。

塼仏は型から押した復刻版 (?)です。











先日(1月24日)に為替レートが1バーツ3.99円を記録しました。
いまだに1バーツは3円換算していますが、これからは4円換算をしなければ駄目なようです。実生活では
1バーツ、1円感覚ですが.........

ミャンマーの陶板

2022年03月28日 | 陶磁器(ミャンマー)



タイ=ミャンマーの国境山岳地帯の墳墓遺跡からの発掘品です。釈迦の瞑想を妨げる魔王軍の兵士ですが発掘時に破損してしまいました。緑釉や鉄釉の密着は良好ですが錫鉛釉は食付きが悪く剥がれやすくなっています。
裏面には漆喰が塗りつけてあります。ペグーの仏塔腰壁に埋め込んだときの接着剤でしょう。
では、いつペグーの仏塔から外されて、誰によって国境の高い山の上まで運び上げられたのでしょう。

ビルマ族によるパガン王朝が1050年に建国され、1287年に元の侵攻を受け衰退します。その隙を突いて下ビルマにモン族がペグー王朝を樹立するも国内は安定しません。1472年ダンマセーティーが王位を禅譲され、ペグーで寺院を増築、最盛期をむかえます。しかし、1539年にビルマ族のタウングー王朝に占領されます。1598年にモン族の反乱が起き、ペグーは大規模な破壊にさらされます。
その後に再興ペグー王朝が樹立しますが1754年にビルマ族のコンパウン王朝によって再建不能なまで破壊され尽くします。現在はたくさんの陶板が地中に埋まっているそうです。

国境山岳地帯からは謎に包まれた白釉緑彩盤を初め青磁、黒釉、白釉、緑釉そして辰砂を施した器まで多種多様な優れた陶器が発掘されています。当然国内が長期にわたる安定期に生産されたもので、寺院も修改築され、そのとき持ち出されたのでしょうか。

ペグー・タイプの大型陶板をチェンマイの骨董店の軒先に大量に立てかけてある写真を友人が送ってくれました。10年ほど前です。藁を緩衝材に50枚以上並んでいましたが、勿論新作でチェンマイで作られたと聞きました。その後どこへ行ったかは定かでありません。

次ぎにパガンの仏塔に嵌め込まれていた陶板をアップします。
損傷が激しく、一見古そうに見えますが何時造られたかは分かりません。ミャンマーの寺院は、時の為政者や敬虔な信者によって常に増改築が繰り返されています。














パガンを建国したアノータヤ国王により1059年に建設開始、第3代国王チャンスィッター治世の1090年に完成したシュエズィーゴン・パヤーです。
ビルマ族が覇権を握った16世紀、18世紀に大規模修復がなされています。














チャンスイッター国王によって1091年に建立されたアーナンダー寺院で、バガンで一番美しく均整のとれた寺院と言われ高さ51m、一辺60mの正十字形をした寺院です。
やはり、後世に大改修されています。












代7代国王ナラパティスィードゥーによって1196年に建立されたダマヤーズィカ・パヤーです。
この王以降ビルマ語が碑文に使われ、モン語等は影をひそめています。
陶板にも文字が刻まれていますが、さて何語でしょう。

どの陶板も扱い傷のように凸部の釉薬が剥げています。おそらく貴重な陶板は修改築の時は取り外され再利用されたのではないでしょうか、その一部が商人にわたり山岳地帯まで運ばれたのかな………

バガン5千坊と呼ばれ、最盛期には五千を超える寺院や仏塔があったようです。写真の仏塔に嵌められた陶板の数は一基あたり千枚近くあります。陶板で飾られた仏塔がどれくらいあったのかは分りませんが、千基としても百万枚、すごい枚数です。
* * * * *











15世紀にミャンマーで作られた白釉緑彩草文盤です。(過去ブログ「ミャンマーのお皿」の再掲です)
近年になって存在が知られた陶器です。詳細はたくさん書籍やブログで説明されているので省略します。

白釉緑彩盤もネット・オークションによく出品されるので少し触れておきます。

1990年代に新発見されたのですが、発見直後には模倣作が出回ります。製法技術や特徴が十分に研究され尽くした真贋不明な品が多かったようです。以降贋作は作り続けられますが、最近では当初のような精巧なものはなくなっように思います
これも10年ほど前の話ですが、スコータイの骨董商がチェンマイで白釉緑彩盤を30枚買った日本人がいると言ってきました。買った人は本物と信じたようですが、骨董商曰く、真作が30枚もまとまって出てくるはずがないでした。買われた30枚はその後日本へ渡ったのでしょうか………




補修してあった瓶ですが、補修を全て剥がして参考品として入手しました。




陶片は渋る骨董商から強引に貰って帰りました。












皿と鉢はチェンマイ産の贋作です。静止糸切り、付け高台、窯印、窯道具による窯変、緑彩の筒書きとポイントはしっかり押さえています。
入手後すぐに友人の骨董商に見せたのですが、見るなり即贋作判定、もう少しよく観察してよと言うも、贋作は贋作とつれない返事でした。上の陶片はその後暫くしてから、これは本物だから勉強しろ、と見せてくれたのを強引に持ち帰りました。

ミャンマーのお皿

2015年01月21日 | 陶磁器(ミャンマー)

「白釉緑彩皿」です。近年タイとミャンマーの国境山岳地帯から発掘されて世界に知られることになった、15、6世紀にペグー周辺で焼成された陶器の模倣品です。
見込みの絵柄は、人物なのかペグーの寺院の壁に嵌められている陶板に描かれたような魔人なのかはっきりしません。(釈迦の修行を妨害する魔王の二人娘かな…)


真作は低温焼成の錫鉛釉で緑色の発色剤として銅を用いていますが、本品は硬く焼き締まり高温焼成されています。高台には窯印が刻まれ、なぜか油が塗布されています。

チャトチャック市場で売られていたのですが、店番をしていた主婦に値段を聞くと「1800バーツ」とのことでした。その日は他に手荷物もあって価格を聞くだけで、どこまで価格交渉をすればよいか考えながら店を去りました。
翌週再訪すると亭主が店番をしていました。1200バーツぐらいまで値段が下がれば買うつもりだったのですが、亭主の言う値段は1200バーツです。店番によって言い値が違うのはよくある話で、急遽購入想定価格を変更、600バーツからの交渉です。
結局800バーツで参考品として購入しました。

直径:28.5cm、高台径:20.4cm、高さ:5.7cmです。

こちらはターク、ポップラー山中で発掘された「白釉緑彩草文皿」です。パック・ブーンらしき草が描かれています。
この手の盤の特徴である、高台内に静止糸切痕が残っています。糸切後に高台を貼り付けたようです。
直径:31.0cm、高台径:19.9cm、高さ:6.7cmです。

白釉緑彩皿はオムコイからウムパーンまでの広範囲の山中から出土していますが、材料の化学分析からミャンマーで極短期間に生産されたことは確定されていますが、焼成された窯はまだ発見されていません。
生産された15、6世紀はビルマ族のバガン王朝を倒した、モン族が下ビルマに国家を再興した時代です。1287年にスコータイの援助でマルタバンに建国しますが、その後スコータイ、ラーンナー、アユタヤからの侵略や内乱が繰り返され、また上ビルマのアヴァ王朝のシャン族、タウングー王朝のビルマ族との戦争が続き政情は長く安定しません。
最も安定したのは1472年にダンマゼーディーが王位に就いたころで、セイロンに僧侶を派遣、首都のペグーにたくさんの寺院が建設され、都市が拡大した時代です。安定期も長くは続かず1539年にはタウングー王朝の攻撃で滅亡、ペグーは廃墟となります。

(その後の調査でカイン州モーラミャイン近郊のコー・ドン村の窯跡から白釉緑彩陶の陶片が発掘されたとの報告があります。2022年4月7日追記)

「白釉緑彩花文皿」です。中央に四弁の花が描かれています。花を囲む二重円は鉛釉を何度も継ぎ足し描きあげています。高台は削り出しで唐傘模様が出来ています。メソート出土で直径は29,0cmとなっています。

錫鉛釉に銅で発色させた緑釉皿です。高台内には鉄が塗られています。
直径:25,0cm、高台径:18,6、高さ5.4cmです。

緑釉皿です。写真の発色が良くないですが、現品は裏葉色したきれいな緑です。鍔には斜線が刻まれています。

錫鉛釉の白釉皿です。直径は29,0cmです。

メコン・フグ(淡水フグ)の瓶

2015年01月20日 | 陶磁器(ミャンマー)

上部を魚形に模したヒョウタン型の瓶です。魚は東南アジアの河川に生息する「メコン・フグ」(淡水フグ)です。
ビルマ特有の鉄分の多い煉瓦色の胎土に白化粧、透明釉を掛けたものです。
タイ西部のターク、ポップラー出土です。15世紀から16世紀にミャンマーで造られたものです。







平底には「三」の字形をした窯印があります。


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「メコン・フグ」と呼ばれる淡水フグの写真です。タイではチャオプラヤ川系水流にたくさん生息しているようです。
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こちらは、同様の贋作です。ただ、贋作と言うのは悪意を持って真作を模倣、金銭的利益を得ることを目的にしていますが、この品は売価が500バーツと安価で悪意を持って利益を得ることが目的ではないようです。
売人は古い物であることを強調していましたが・・・。

胎土は鉄分を含んだ軟陶で、白化粧のうえに透明釉を掛けていますが、釉が溶けず器肌が荒れた状態で、かせたようにも見える代物です。





購入時には器体全面に土が付着して、いかにも土中から掘り出したように演出されていたのですが、水洗いをすると簡単に土が流れ、きれいな表面が現われました。また、丁寧に窯印もあり、5本線が刻まれていました。
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スコータイ窯の淡水フグです。
白化粧の上に鉄絵で淡水フグが描かれています。
昨年、スコータイの遺跡発掘調査で出土した品です。長年土中にあって、一部白化粧がはがれています。