イサーン東部のメコン川沿いを走るとカトリック教会がよく目につきます。
ムクダ―ハーンからメコン川に沿った国道4004号線は、対向2車線の狭い道路が水田の間に通じています。メコン川こそ見えませんが、右手の田んぼが途切れた先の草木の向こうがそれと分かります。そんな道路を30km北上すると、急に道路が広くなり、周りの風景とは異質な、よく目立つ赤色砂岩の建物に出くわします。「ワット・ソンコーン」です。
何の知識もないまま敷地へ入っていきます。
門をくぐると広大な敷地に、メコン川沿いの鄙びた村には似つかわしくない建物があります。寺院と書かれていますが、今まで見てきた寺院の概念から大きく外れて、博物館のように見えます。しかし、玄関の柱に掲げられた写真を異様に感じながら、人気のない建物の扉を開け、やっと理解できました。写真はありませんが、木製の長椅子が並び、その奥に十字架に磔られたキリスト像が祀られています。外観から想像すら出来なかったカトリック教会です。
1940年、当時の首相であったピブーンソクラームは「ラッタニヨム」と呼ばれる愛国主義政策を次々と発表します。そのひとつにタイ国籍保有者へ仏教徒になることを義務づけろ政策がありました。
そして、メコン川沿いの小さな村で悲劇が起きます。
警察の宗教弾圧は神父を追放し、その後の指導的立場にあった33歳のシポーンを射殺します。
その後も威嚇や暴力によって信徒の改宗勧告します。
12月26日、警察は改宗を拒否した6人の信徒を銃殺しました。
殉教した7人の写真が玄関の支柱に掲げられています。
写真は最年長のアカター・プッター・ウォングワイです。59歳でした。
16歳で殉教したセシリア・ブッシー・ウォングワイです。
教会内のメコン川に面して7人の殉教者の棺が並べられています。訪れた時は他にひとけもなく、不思議な空間が醸し出されていました。
他にはシスターのアグネス(31歳)、ルシア(23歳)の姉妹とビビアナー(15歳)、マリア(14歳)の少女が殉教しました。
この悲しい事件は、その後長い間忘れられていましたが、1980年代のカトリック史発掘運動で注目されることとなりました。
1989年、ローマ法王パウロ2世によって「タイの7人の神聖な殉教者」(THE SEVEN BLESSED MARTYRS OF THAILAND)として宣言が行われました。
当時の修道院が復元されています。
殉教場所では奇跡が相次いで起こり、かっての教会跡地に1995年、この殉教者センターを兼ねた教会が建設されました。
荘厳な雰囲気に圧倒されて、撮影した写真がわずかしかありませんでした。
教会の裏手には1940年と同じメコン川が滔々と流れています。
教会の前は屋台もあり、もち米と焼き鳥で昼食です。
あと20km北上するとイサーン最大の仏教聖地タート・パノムです。
ムクダ―ハーンからメコン川に沿った国道4004号線は、対向2車線の狭い道路が水田の間に通じています。メコン川こそ見えませんが、右手の田んぼが途切れた先の草木の向こうがそれと分かります。そんな道路を30km北上すると、急に道路が広くなり、周りの風景とは異質な、よく目立つ赤色砂岩の建物に出くわします。「ワット・ソンコーン」です。
何の知識もないまま敷地へ入っていきます。
門をくぐると広大な敷地に、メコン川沿いの鄙びた村には似つかわしくない建物があります。寺院と書かれていますが、今まで見てきた寺院の概念から大きく外れて、博物館のように見えます。しかし、玄関の柱に掲げられた写真を異様に感じながら、人気のない建物の扉を開け、やっと理解できました。写真はありませんが、木製の長椅子が並び、その奥に十字架に磔られたキリスト像が祀られています。外観から想像すら出来なかったカトリック教会です。
1940年、当時の首相であったピブーンソクラームは「ラッタニヨム」と呼ばれる愛国主義政策を次々と発表します。そのひとつにタイ国籍保有者へ仏教徒になることを義務づけろ政策がありました。
そして、メコン川沿いの小さな村で悲劇が起きます。
警察の宗教弾圧は神父を追放し、その後の指導的立場にあった33歳のシポーンを射殺します。
その後も威嚇や暴力によって信徒の改宗勧告します。
12月26日、警察は改宗を拒否した6人の信徒を銃殺しました。
殉教した7人の写真が玄関の支柱に掲げられています。
写真は最年長のアカター・プッター・ウォングワイです。59歳でした。
16歳で殉教したセシリア・ブッシー・ウォングワイです。
教会内のメコン川に面して7人の殉教者の棺が並べられています。訪れた時は他にひとけもなく、不思議な空間が醸し出されていました。
他にはシスターのアグネス(31歳)、ルシア(23歳)の姉妹とビビアナー(15歳)、マリア(14歳)の少女が殉教しました。
この悲しい事件は、その後長い間忘れられていましたが、1980年代のカトリック史発掘運動で注目されることとなりました。
1989年、ローマ法王パウロ2世によって「タイの7人の神聖な殉教者」(THE SEVEN BLESSED MARTYRS OF THAILAND)として宣言が行われました。
当時の修道院が復元されています。
殉教場所では奇跡が相次いで起こり、かっての教会跡地に1995年、この殉教者センターを兼ねた教会が建設されました。
荘厳な雰囲気に圧倒されて、撮影した写真がわずかしかありませんでした。
教会の裏手には1940年と同じメコン川が滔々と流れています。
教会の前は屋台もあり、もち米と焼き鳥で昼食です。
あと20km北上するとイサーン最大の仏教聖地タート・パノムです。