の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁器

2022年07月23日 | 陶磁器(タイ)
「最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁器」、このタイトルはブログ「世界の街角」さんが不定期に投稿されている、ネットオークションの怪しげな東南アジア古陶磁器に警鐘を鳴らしておられるコーナーですが、そのタイトル名を無断で借用しました。
あるきっかけで、「開運!なんでも鑑定団」を最近は毎週見ています。日本で放送された翌日には海外でも視聴できます。
鑑定品の入手経路がネットオークションも多く、真作と鑑定され、高額評価される古美術もたくさんあるようです。勿論、贋作と言い渡され笑いを誘うこともありますが、出品者にとっては顔面から血の気が引き、笑い事では済まされないと思うのですが...。

東南アジア古陶磁器もネットオークションにたくさん出品されており、来歴が気になる真作もあるが、もっと気になるのは怪しげな品物の来歴です。
特にミャンマーの白釉緑彩盤、タイ北部のカロン鉄絵皿と称される陶器が日本に相当数ある不思議です。
そんな怪しげ骨董品への入札者が ”0” であることを確認すると、なぜか安心する次第です。

「世界の街角」さんは「本物を見なさい」とよく書いておられるが、わざわざ東南アジアに行かなくても、バンコクの東南アジア陶磁器博物館の創始者が悔やむように、タイで発掘された古陶磁器の美品の半数以上が日本に持ち出されているのですから、日本の博物館でも展示品に触れることが出来ます。

前置きが長くなりましたが、最近見たネットオークションに立て続けで交趾焼と称する鳥形の水差が出品されていました。その数日後に友人からタイの山岳地帯で交趾焼の鴨の水差が出た、と写真が送られてきました。











私の中国陶磁器の知識は少なく、交趾焼はベトナムの焼き物止まりでしたが、ウィキペディアで検索してみると、近年の調査で中国福建省南部が実際の産地と判明したようです。ただ、活動時期は明末から清朝となっており、本品が副葬品として使われた時代とはかなり時間差があります。
いずれにしても、14世紀から15世紀の陶磁器が出土する山岳地帯の墳墓に、おそらく当時は色彩鮮やかで希少、かつ高級品であったろう外国の陶器を埋めたのは誰だったのか気になるところですが、考古学的にも貴重な一品です。

赤みを帯びた胎土で型成形後に羽模様を線刻し、緑、黄、紫(茶色)の交趾釉で低下度焼成された全長20cm少しの水差です。
ネットオークションに出品されていたのは大きさも同じで、形状も酷似しており、山岳地帯出土品の写しのようです。胎土と線刻の細密さ、釉薬が違います、出土品はもう1羽の頸が右羽の下から伸びて左に頭を寄せていますが、出展品は左右に頭が垂れかかっています。実に不思議な造形です。







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2022年10月9日、写真3枚を追加しました。

シー サチャナライからラップレーそしてピロークへ

2022年07月17日 | ウタラディット
サワンヴォラナヨック国立博物館からの続きです。
博物館からヨム川と並行する国道1201号線を15km北上し、ヨム川に掛かる橋の手前で左折するとシーサチャナライ旧都城に至ります。
昼食はその交差点を右折してチャリエンへ行きます。
ヨム川はここでR字を描くように大きく流れの方向を変えます。その一番くびれた場所にスコータイ王朝以前に建立されたワット プラ シー ラタナー マハータート(ワット プラ パーン)があります。
ヨム川の南岸にある「Chom Prang」からワット プラ パーンの仏塔を眺めながら昼食です。









食後はチャリエンにあるクメール様式の遺跡へ寄ります。
ワット チョムチューンです。スコータイ時代に仏教寺院に改造され仏堂、礼拝堂が建立されています。









その後友人宅を訪れ、今年の干支にちなんだトラの水差を確認です。年初に写真を送ってきてくれたのですが高価すぎて購入を躊躇している一品で、まだ現物を見ていませんでした。
全長10数cmの小さな優品ですが....未だに決めかねています。







友人宅の大麻草です。タイでは6月9日から大麻が解禁になり、政府が100万株を必要な家庭に無料配布しています。テレビでは大麻を使った飲料や料理店の紹介など大麻解禁で盛り上がっています。

翌朝はワット プラ パーンに残る漆喰装飾が気になり寄ってみました。
両博物館で漆喰彫刻をたくさん見た影響です。

下はワットプラパーン出土の陶片です。モン陶と呼んでいますが、顔つきからしてモン寺院の仏塔を飾ったテラコッタかなと思っています。
大きさは上下方向で9.8cmです。
その下の3cmほどの磚仏は10年近く前に周辺を発掘整備中の1日だけを住民に開放しまし、その時、住民が掘り当て、骨董商に持ち込んだ一部です。私もこの時、良好な状態の磚仏を2点お預かりしました。
芸術局の粋(?)な計らいというか、新聞はその時のお宝探し写真です。











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その後はウタラデットのラップレーへドリアンを買いに行きます。
国道101号線を13km北上、シーサチャナライ市街を抜けるとウタラデットへ通じる102号線へ右折します。102号線は殆どが森の中を走り、道路の両側には巨大なチークが立ち並んでいましたが、現在は4車線工事中で風情のあった並木が失われそうです。約30kmでウタラデット市街へ入る手前の国道1041号線を左折北上します。13kmでメープーン滝の入り口となり、車が走行できるのはここまでです。
ラップレーは北と西に山岳地帯が広がり、山裾の森林や渓谷で出来た複雑な地形の中にあり、かっては秘密の町、いわゆる隠れ里の様な存在で、スコータイ時代以前はチェンセンからの移住者、その後はプレーやナーンの戦乱から逃れた民衆が住んだようで、現在もランナー語や古代スコータイ語の方言が混在しているそうです。

町の入り口にある「嘘をつきません」という文字です。
民話ではラップレーは昔、女性しか住んでいませんでした。不誠実で嘘をつく男は村から追放され、一人もいなくなってしまいました。ある日、森で青年が村の女性に出会います。青年は村に行くことを強く懇願します。暫く村で暮らした青年は女性の母親に結婚の許しを請いに行きます。母親は嘘はつかず誠実に暮らすことを約束させた上で結婚を認めました。
子供が生まれるまで約束を守り、誠実に暮らしましたが、ある日、妻が外出中に赤ん坊が泣き続けます。いかようになだめても泣き止みません。とうとうなだめ言葉で「お母さんが帰ってきた。」と嘘を言ってしまいます。それを聞いていた妻の母親は嘘を言ったことに怒り、帰ってきた娘に告げます。妻は約束を守らなかったことを悲しみ、青年に村を出るように言い、食料と掘り起こしたたくさんのウコンを袋に詰めて持たせます。
彼女は青年を森まで見送り、彼が帰る方角を指で示します。
途方に暮れ、生まれ故郷に帰る青年ですが、妻の持たせたウコンが重くて道中で殆ど捨ててしまいました。
生家にたどり着き、袋をあらためてみると一個残していたウコンは黄金になっています。あわってて道を引き返して捨てたウコンを探しますが、見つけたのは成長した普通の黄金色のウコンでした。そのまま妻のいる秘密の村、ラップレーを探しますがとうとう見つけられず、深い森に迷い自宅へも帰ることが出来ませんでした。

そんな秘密の町、隠れ里、ラップレーですが、現在は国道が山を迂回し、橋を何度も渡りながら車で行けるようになっています。
メープーン滝周辺も珍しい蝶々が多く、私の撮影のポイントになっています。
また、メープーンはタイ北部では最大のドリアンの産地でもあり、この時期は市場にたくさんのドリアンを商う店が出ます。ここでは地名をとったドリアン・ラップレーやドリアン・リンとう特別な品種も栽培されています。
価格はこの季節は一般品種のモントーンが大きさによりますが、1kg当たり50から100バーツですが、ラップレーは150から200バーツ、リンが300バーツとなっています。
モントーンもバンコク周辺へトラックで売りに来ているのは1kg当たり130から180バーツになっています。













昼食はラップレーでドリアン入りグリーンカレーです。
おいしかったので持ち帰りをお願いして、ホテルの晩ご飯にもしました。お店で食べたより量が多くて半分バンコクまで持ち帰ったのですが、車中が暑くて残念ながら腐っていました。
ラップレーは絹織物のチィン・チョクの産地で、店の中に展示場と販売所があります。ただ、いつ寄っても展示場は締まっており、お店の女将は如何にも買わなそうに客に見えるのか、言葉遣いは丁寧ながらも「あちらの喫茶室が休んでいってください。」と追い出しにかかってきます。買う気があって商品を見ているのだが、迷惑そうな雰囲気がビシビシ伝わってくるお店です。
現在の為替換算だと悠に10万円超えするのでさっさと店をあとにしますが、懲りずに何度も訪れる店です。
その下はシーサチャナライのティン・チョックのお店です。同じタイ・プアン族の織物ですがラップレーとは微妙に違うそうです。この店の女主人は気持ち良く次から次へと商品を出してきて説明してくれます。こちらが高価すぎて気後れしていてもお構いなしです。店頭に出ている商品は気前よく値引きしてくれるが、これは駄目とほんの心持ちの値引きしか提示されません。
店頭には冷水も用意されており気持ちの良いお店です。







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ワット プラボロマタート トゥンヤーン近くのマラディー ホテルでもう一泊です。
朝食付で一泊500バーツです。

翌朝はバンコックへ向います。
ピサヌロークの国道126号線バイパスを走行中に国道117号線手前でワットチュラマニーの案内板が目に入りました。車を停めて距離を確認すると国道126号線から3kmそれるだけです。
この遺跡にもたくさんの漆喰装飾が残っているので見学に寄ります。
ラテライトのクメール様式の祠塔が残るこの寺院の建立はスコータイ王朝以前のクメール統治時代です。アユタヤ王朝、第9代ボーロマトラローカナート王(在位;1448~1488年)によって仏教寺院として増改築されています。祠塔にはたくさんの漆喰装飾が残っています。ただ、近代の補修も多そうですが....



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スイカはウタラデットの国道11号線沿いにたくさん店があったので購入しました。
ピチットはソムオー(ザボン)の産地です。ここのは酸味が少なく甘く、安いので購入です。

スコータイの国立博物館 7

2022年07月15日 | 博物館


2階の展示です。サワンヴォラナヨック師の寄贈を中心にクメール様式からスコータイ様式、ウトーン様式、アユタヤ様式、ラッタナコシーン様式へと変化する優美な青銅仏が展示されています。

まずは展示場の奥からです。













降魔印の座仏の奥にはスコータイ様式を代表する青銅製遊行仏があります。
この2体はかって日本へも貸し出しされています。







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遊行仏の左右に置かれた仏像です。














次は左右の陳列ケースの仏像です。
スコータイのワット プラ パーイ ルアン出土の漆喰製仏頭と陶製の仏陀のお顔です。かなり大きな陶片です。額には仏陀の知恵と悟りヘの道を示すシンボルと言われる渦巻模様ウナローム プラ プッタループ スコータイがあります。

ミャンマーには額にこの印が付いた仏像が多いことに気付きました。参考にシェダゴン・パヤーの仏堂で見たお顔を添付します。





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スコータイの国立博物館 6

2022年07月12日 | 博物館


サワンヴォラナヨック国立博物館の2回目です。
陶製寺院装飾の紹介です。大型の彫像が多く、当時の窯業技術の高さが窺える製品ばかりです。



























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左の部屋には中国、ベトナム、そしてタイ湾の沈没船から引き上げられた14世紀から15世紀の陶磁器が展示されています。

スコータイの国立博物館 5

2022年07月11日 | 博物館


サワンカロークのヨム川西岸、サワンカラーム寺院の向いに建つサワンヴォラナヨック国立博物館です。
サワンカラーム寺院の僧正サワンヴォラナヨック師の死後、師の蒐集したサワンカローク陶器、仏像の寄贈を受け、師の遺志により寺院の敷地内に博物館を建設、1984年に「サワンヴォラナヨック国立博物館」として開館しました。







1階はスコータイ遺跡、シーサチャナライ遺跡から出土した陶器が展示されています。

サンカローク窯(パヤーン窯)のジオラマとサンカローク窯を中心にタイの窯業の歴史が解説されています。





















展示は技法別に展示されています。好感が持てるのは全てに出土場所や来歴が解説されています。



まずは右側展示からです。青磁盤、台鉢、小壷、そして鉄絵合子、碗、魚文皿が並び、白釉陶器が展示されています。













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鉄絵製品になります。

















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左側の展示品です。
黒釉偏壷等はクメール様式、ブリラムと表示、サンカローク初期の一般にモン陶と呼ばれる陶器にはチャリエン陶器をあてています。同じスコータイにある国立博物館ですが、なぜか説明が異なります。













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低温焼成品には14~17世紀のスコータイ様式となっており、下段の彩色水差にはマハータート寺院の出土となっています。スコータイ古窯に直焔式窯で生産されていたのでしょうか。











入場券のデザインになっている透かし彫りの白釉灯明台です。ここから寺院装飾になりますが次回に....



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マイコレクションに少し小型の白釉灯明台があったので写真添付します。