の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

スコータイからペチャブーンへ(2)

2023年01月01日 | ウタラディット

今回の旅行で1泊目はシーサチャナライ遺跡周辺のリゾート ホテルを4ヶ所回ったがどこも満室でした。友人宅近くで葬儀だ行なわれており、参列者の予約で埋まっていたようです。
遺跡から7km離れたシーサチャナライ市街手前のシーサチャナライ リゾートに2泊投宿しました。
1泊500バーツで朝は食堂でコーヒー、菓子類のサービスが付いています。
少し古いリゾート ホテルですが、広い果樹園があり、夜は星がいっぱいです。視力が落ちているため「満天の星」という表現は出来ませんが、普通の視力であればすごい星の数だと想像できます。

話が逸れますが、バンコクのリアルタイム大気汚染指数(PM2.5)が発表されていますが、元旦で商業車両が無い状態でも”171”を筆頭に”100”を越えるオレンジゾーンがたくさんあります。平日となれば全区域が「健康に良くない」”150”を越えていると言っても過言ではありません。そんな状態ですからバンコク周辺で星を見ることは不可能です。また、コロナ禍が無くてもバンコク周辺でマスクは必需品です。





チェックアウト後は友人宅で朝食、骨董品を押しつけられてラップレーへ向かいます(押しつけられた骨董品は後日紹介します)。
メー プーン滝で蝶々撮影です。




サトオオイナズマ(♂)[Lexias pardalis]


クロタテハモドキ[Junonia iphita]


チャイロタテハ[Vindula erota]


昼食はドリアン生産地のラップレーでドリアン グリーンカレーを戴きます。何時ものワンパターン行程です。
やや黄味を帯びた塊がドリアンです。熟す前の若い実を用いているためドリアン独特の香りはしません。ドリアンは冷凍保存されているのでしょう、年中このメニューはあるそうです。







宿泊はワット プラボロマタート トゥヤーン近くのマーラーディー ホテルです。朝食付きの550バーツです。ここまでの走行距離は830kmとなりました。



第四日目はペチャブーンまでの移動としました。
朝は黄金で仏塔が覆われた、ワットプラボロマタートに午前8時15分に参拝、30分の滞在後、ウタラデット市街を抜けて国道1号線をピサヌロークまで行き、インドシナ交差点を左折、国道12号線をロムサックまで行きます。















国道12号線は山の中を通っていますが、4車線道路で快適に走行できます。
ロムサックの手前のワットプラタートソーンケーオの見える休憩場で一服です。
ウタラデットからここまで188km、12時20分の到着です。







ロムサックではカノムチーン(タイ風そうめん)で昼食です。
国道21号線バイパスのアジア交差点で左折するのを、1.5km手前の国道2372号線を左折し、30kmの遠回りをして到着です。









食後は、少し早いですが宿泊場所を探しに国道21号線バイパスをペチャブーン市街の方向へ走ります。
パイパス出口の角にシープーム ロッジングというリゾートホテルを見つけて午後3時20分に投宿です。一泊500バーツでコーヒーのサービス付きです。
時間も早く、広い敷地をカメラをぶら下げ散策していると見かけない木の実を見つけました。近くで落ち葉を掃いている娘さんに名前を聞いたのですが、歩いている内に失念しました。娘さん曰くは、小さい頃は食べていたが、今は誰も見向きもしないと言うことで、味見をしようと木から1個もぎ取って帰りました。









シー サチャナライからラップレーそしてピロークへ

2022年07月17日 | ウタラディット
サワンヴォラナヨック国立博物館からの続きです。
博物館からヨム川と並行する国道1201号線を15km北上し、ヨム川に掛かる橋の手前で左折するとシーサチャナライ旧都城に至ります。
昼食はその交差点を右折してチャリエンへ行きます。
ヨム川はここでR字を描くように大きく流れの方向を変えます。その一番くびれた場所にスコータイ王朝以前に建立されたワット プラ シー ラタナー マハータート(ワット プラ パーン)があります。
ヨム川の南岸にある「Chom Prang」からワット プラ パーンの仏塔を眺めながら昼食です。









食後はチャリエンにあるクメール様式の遺跡へ寄ります。
ワット チョムチューンです。スコータイ時代に仏教寺院に改造され仏堂、礼拝堂が建立されています。









その後友人宅を訪れ、今年の干支にちなんだトラの水差を確認です。年初に写真を送ってきてくれたのですが高価すぎて購入を躊躇している一品で、まだ現物を見ていませんでした。
全長10数cmの小さな優品ですが....未だに決めかねています。







友人宅の大麻草です。タイでは6月9日から大麻が解禁になり、政府が100万株を必要な家庭に無料配布しています。テレビでは大麻を使った飲料や料理店の紹介など大麻解禁で盛り上がっています。

翌朝はワット プラ パーンに残る漆喰装飾が気になり寄ってみました。
両博物館で漆喰彫刻をたくさん見た影響です。

下はワットプラパーン出土の陶片です。モン陶と呼んでいますが、顔つきからしてモン寺院の仏塔を飾ったテラコッタかなと思っています。
大きさは上下方向で9.8cmです。
その下の3cmほどの磚仏は10年近く前に周辺を発掘整備中の1日だけを住民に開放しまし、その時、住民が掘り当て、骨董商に持ち込んだ一部です。私もこの時、良好な状態の磚仏を2点お預かりしました。
芸術局の粋(?)な計らいというか、新聞はその時のお宝探し写真です。











* * * * *


















その後はウタラデットのラップレーへドリアンを買いに行きます。
国道101号線を13km北上、シーサチャナライ市街を抜けるとウタラデットへ通じる102号線へ右折します。102号線は殆どが森の中を走り、道路の両側には巨大なチークが立ち並んでいましたが、現在は4車線工事中で風情のあった並木が失われそうです。約30kmでウタラデット市街へ入る手前の国道1041号線を左折北上します。13kmでメープーン滝の入り口となり、車が走行できるのはここまでです。
ラップレーは北と西に山岳地帯が広がり、山裾の森林や渓谷で出来た複雑な地形の中にあり、かっては秘密の町、いわゆる隠れ里の様な存在で、スコータイ時代以前はチェンセンからの移住者、その後はプレーやナーンの戦乱から逃れた民衆が住んだようで、現在もランナー語や古代スコータイ語の方言が混在しているそうです。

町の入り口にある「嘘をつきません」という文字です。
民話ではラップレーは昔、女性しか住んでいませんでした。不誠実で嘘をつく男は村から追放され、一人もいなくなってしまいました。ある日、森で青年が村の女性に出会います。青年は村に行くことを強く懇願します。暫く村で暮らした青年は女性の母親に結婚の許しを請いに行きます。母親は嘘はつかず誠実に暮らすことを約束させた上で結婚を認めました。
子供が生まれるまで約束を守り、誠実に暮らしましたが、ある日、妻が外出中に赤ん坊が泣き続けます。いかようになだめても泣き止みません。とうとうなだめ言葉で「お母さんが帰ってきた。」と嘘を言ってしまいます。それを聞いていた妻の母親は嘘を言ったことに怒り、帰ってきた娘に告げます。妻は約束を守らなかったことを悲しみ、青年に村を出るように言い、食料と掘り起こしたたくさんのウコンを袋に詰めて持たせます。
彼女は青年を森まで見送り、彼が帰る方角を指で示します。
途方に暮れ、生まれ故郷に帰る青年ですが、妻の持たせたウコンが重くて道中で殆ど捨ててしまいました。
生家にたどり着き、袋をあらためてみると一個残していたウコンは黄金になっています。あわってて道を引き返して捨てたウコンを探しますが、見つけたのは成長した普通の黄金色のウコンでした。そのまま妻のいる秘密の村、ラップレーを探しますがとうとう見つけられず、深い森に迷い自宅へも帰ることが出来ませんでした。

そんな秘密の町、隠れ里、ラップレーですが、現在は国道が山を迂回し、橋を何度も渡りながら車で行けるようになっています。
メープーン滝周辺も珍しい蝶々が多く、私の撮影のポイントになっています。
また、メープーンはタイ北部では最大のドリアンの産地でもあり、この時期は市場にたくさんのドリアンを商う店が出ます。ここでは地名をとったドリアン・ラップレーやドリアン・リンとう特別な品種も栽培されています。
価格はこの季節は一般品種のモントーンが大きさによりますが、1kg当たり50から100バーツですが、ラップレーは150から200バーツ、リンが300バーツとなっています。
モントーンもバンコク周辺へトラックで売りに来ているのは1kg当たり130から180バーツになっています。













昼食はラップレーでドリアン入りグリーンカレーです。
おいしかったので持ち帰りをお願いして、ホテルの晩ご飯にもしました。お店で食べたより量が多くて半分バンコクまで持ち帰ったのですが、車中が暑くて残念ながら腐っていました。
ラップレーは絹織物のチィン・チョクの産地で、店の中に展示場と販売所があります。ただ、いつ寄っても展示場は締まっており、お店の女将は如何にも買わなそうに客に見えるのか、言葉遣いは丁寧ながらも「あちらの喫茶室が休んでいってください。」と追い出しにかかってきます。買う気があって商品を見ているのだが、迷惑そうな雰囲気がビシビシ伝わってくるお店です。
現在の為替換算だと悠に10万円超えするのでさっさと店をあとにしますが、懲りずに何度も訪れる店です。
その下はシーサチャナライのティン・チョックのお店です。同じタイ・プアン族の織物ですがラップレーとは微妙に違うそうです。この店の女主人は気持ち良く次から次へと商品を出してきて説明してくれます。こちらが高価すぎて気後れしていてもお構いなしです。店頭に出ている商品は気前よく値引きしてくれるが、これは駄目とほんの心持ちの値引きしか提示されません。
店頭には冷水も用意されており気持ちの良いお店です。







* * * * *





* * * * *





* * * * *



ワット プラボロマタート トゥンヤーン近くのマラディー ホテルでもう一泊です。
朝食付で一泊500バーツです。

翌朝はバンコックへ向います。
ピサヌロークの国道126号線バイパスを走行中に国道117号線手前でワットチュラマニーの案内板が目に入りました。車を停めて距離を確認すると国道126号線から3kmそれるだけです。
この遺跡にもたくさんの漆喰装飾が残っているので見学に寄ります。
ラテライトのクメール様式の祠塔が残るこの寺院の建立はスコータイ王朝以前のクメール統治時代です。アユタヤ王朝、第9代ボーロマトラローカナート王(在位;1448~1488年)によって仏教寺院として増改築されています。祠塔にはたくさんの漆喰装飾が残っています。ただ、近代の補修も多そうですが....



* * * * *





















* * * * *





スイカはウタラデットの国道11号線沿いにたくさん店があったので購入しました。
ピチットはソムオー(ザボン)の産地です。ここのは酸味が少なく甘く、安いので購入です。

プラヤ・ピチャイ・ダープ・ハック博物館

2015年12月01日 | ウタラディット
ピサヌローク市街の東に、タイを東西に分断する国道12号線と南北に走る国道11号線の交差点があり「インド=シナ交差点」と名付けています。
国道12号線を東へ走るとムクダーハーンに至り、メコン川に架かる友好橋を渡るとラオスを通過しベトナムのダナンまで469kmです。西はメーソットでモエイ川を越え398kmでヤンゴンです。北へ向かう国道11号線は、パヤオ、チェンライへ通じています。

正月やソンクラーンの長期連休には幹線道路の各ポイントに休憩所が設置され、飲料水やコーヒー等が無償で提供されます。休憩に寄ります。



インド=シナ交差点を60km北上すると「プラヤ・ピチャイ・ダープ・ハック・ハウス」の案内板です。左折して13km進むと「プラヤ・ピチャイ・ダップ・ハック博物館」がありました。

残念ながら今日は閉館です。

博物館の壁面を飾るレリーフです。
「プラヤ・ピチャイ・ダープ・ハック」について何も知識がありませんでした。
後日ウィキペディアで検索するとウタラディットの南端ピチャイの国主でトンブリー王朝のタークシン王に仕えた猛将で本名チョーイ(1740年~1782年)。
一時カムペーンペットで侵攻するビルマ軍の防衛に就きます。後にアユタヤでのビルマ軍との戦闘では、持ち前の武術を生かし、自らビルマ軍に突進して剣が折れるほど多数の敵を切り倒します。勲功を称えてタークシン王から「ダープ・ハック(剣折り)」と呼ばれました。
プラヤー・ピチャイとダープ・ハックを合わせて「プラヤ・ピチャイ・ダープ・ハック」と呼ばれます。

タイからビルマ軍の追放がすむと、プラヤ・ピチャイ・ダープ・ハックはピチャイに戻り北部の防衛に努めていましたが、1782年、タークシン王を殺害し政権を簒奪したラーマ1世から服従を求められます。
プラヤ・ピチャイ・ダープ・ハックは「二人の王の奴隷にはならず、二人の主人の召使にはならない」と拒絶し、タークシン王のみへの服従を示し処刑されます。
陶板レリーフはプラヤ・ピチャイ・ダープ・ハック軍とビルマ軍の戦闘が描かれているようです。

出身地であるピチャイでは比類なき猛将、忠義の人物として英雄視されています。



プラヤ・ピチャイ・ダープ・ハックの銅像です。


1887年、ラーマ5世は県名を「北方の港」という意味のウタラディットに改称、1899年に県庁がピチャイから、河川交通の要所で河港として栄えた現在のナーン川西岸に移ります。
*****

ピチャイからは国道1024号線を北上し、国道11号線に戻りデン・チャイで国道101号線、国道103号線そして国道1号線でひたすらパヤオを目指します。
午後5時15分、パヤオ湖畔に到着です。
本日の走行距離452km、総走行距離765kmとなりました。

ウタラデットのプラ・クルアン市へ

2013年09月16日 | ウタラディット

「ワット・プラ・シー・ラタナー・マハータート」で朝の参拝を終え、ウタラデットのプラ・クルアン市場を覘きに行きます。シー・サチャナライ遺跡から国道101号線を北へ10km行くとシー・サチャナライ新市街です。市街を抜けて国道102号線へ右折、50km行けばウタラデットの市街へ至ります。
午前8時半にシー・サチャナライを出発して、市場には9時過ぎに到着しました。
※「プラ・クルアン」とは、タイ人の大好きなお守りで、多くは仏像が型押しされたもので、陶製、金、銀、銅等の金属を鋳込んだものや香灰を押固めたもので出来ています。ほとんどの寺院で作られていて僧侶から授けていただけます。また、寺院の内で売っています(ただし、仏様ですから「売る」とは言わず、「借りる」という表現をします。寺院内お借りするのは20バーツから199バーツぐらいです)。
市で扱われるのは、古い寺院から出土した磚仏や金属製の小さな仏像、高僧が作った塑像等で、人気のあるものはとても高価です。

プラ・クルアン市です。ソンクラーン期間中で出店も二十数店と少なく、お客もまばらですが、みんな馴染みのようで挨拶を交わしています。売人にはバンコク、アユタヤなどの遠方から来ている人もいるそうです。

皆さん気になるのを見つけるとルーペで熱心に観察します。



こちらの売人の本職はウタラディット病院の医師ですが、プラ・クルアンが好きで、休日にはここで店を出しているそうです。

ピムと呼ばれるお守りを作る凹型を見せてもらいました。
左右の赤い土の型はウタラディットのブン・サムパーン出土で約400年前のものです。「ピム・ブン・サムパーン」と呼んでいました。中央は約600年前のスコータイ時代にコ・ノイ窯で焼成された「ピム・プラ・ナラーイ・ソンプン」というナーガに座り脇侍の居る型です。

顔つきの良い、この方のケースの中には立派なプラ・クルアンが並んでいました。

この人が作っている男根様もやはりお守りです。書かれているのは護符でしょうか、子孫繁栄の祈願なのでしょう。
男根崇拝の起源はヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるリンガ信仰ともいわれています。



右に座っている男性はアユタヤから「ベンチャロン」を持ってきています。
タイの陶器生産拠点であったサンカローク、スコータイは、ビルマ軍がアユタヤへ侵攻、占拠した1569年頃で生産を終え、前後して北方諸窯も衰退、生産の終焉を迎え、その後再び窯に火を点すことはありませんでした。
1574年にビルマからの独立を果たした後期アユタヤ王朝は交易に力を注ぎました。国内で生産しなくなった陶器に変わり、アユタヤ末期には明の広東地域の窯に王室用としてタイ風意匠の磁器を特別発注、輸入した彩色磁器がベンチャロンです。ベンチャロンの輸入はバンコク時代初期まで続き、一般市場向けとしても大量に持ち込まれました。18世紀中頃からは「ライナムトーン」呼ばれる金地の粉彩磁器現れました。
タイの生産陶器としては、輸出コンテナとして褐釉壺等を生産したシンブリー窯が1767年のビルマ侵攻によるアユタヤ王朝滅亡まで続いています。また、アユタヤ時代を通じて無釉焼締陶器を生産しており、遺物は出土されますが窯址は洪水で流されたのか、地中に埋没したのか見つかっていません。

ウタラデットで一番の繁華街通りで、水掛け祭りの準備中です。

午前10時20分、ちょっと遅い朝食です。「ナイ・レン」という豚肉、内臓を煮込んだ料理を出す店です。

お店の推奨メニューで米飯に豚肉と内臓スープを注文しました。しかし、豚の内臓は敬遠して豚肉だけ頂きました。

シー・サチャナライへ向かう町はずれの「ワット・プラ・ボロマータート・トゥーン・ユン」という古刹に寄ってみました。由来は説明されていませんが、言い伝えでは仏陀がこの地を訪れたそうです。
ラーンナー様式の本堂です。

堂内です。

ラフーが太陽を咥えるところです。





三重基壇の上に建つ釣鐘状の仏塔で、四隅に小塔があります。塔内には仏陀の遺品が納められているそうです。