広島カープは、新球場の完成する来季から新しいデザインのユニホームでプレーすることが、明らかになった。今回は、過去5度の優勝を飾った75年から88年のユニホームに採用された濃紺色を21年ぶりに復活したモデルチェンジだ。
広い新球場で機動力野球を推進するカープにとって、常勝軍団復活を予感させるユニホームが誕生する。02年から7年間続けていたユニホームは、「赤い縦縞」が消え、ホーム用は上下 白ベース、ビジター用は球団史上初となる上着が赤、パンツが白のツートンカラーへとリニューアルされる。さらにチームカラーでもある濃紺のラインが21年ぶりに復活。新球場元年を迎える来期から、かつて黄金時代を築いた「縁起色」とともにカープの新しい歴史が幕を開ける。
今回の「色」には黄金時代復活への思いが込められている。もともと、広島カープのチームカラーは、球団旗にも使われている紺色である。創設期から広島カープのユニフォームには、チームカラーの紺色を主体としたデザインを採用していた。
広島カープの歴史を紐解くと、1950年代後半以降、カープはメジャーリーグのエッセンスを取り入れたスタイルのユニフォームを導入してきた伝統がある。
広島市民球場の完成した翌年の1958年、真新しい球場のグランドには、紺色のキャップ、白地に「CARP」の赤い花文字を紺で縁取ったロゴと、袖と胸元に赤いダブル・ラケットラインの上着、紺色のアンダーシャツ、赤/白/紺のソックスを組合わせたボストン・レッドソックスにソックリなユニフォームが登場した。以後、この「CARP」の赤い花文字ロゴは、2001年に現行の「Carp」筆記体ロゴが採用されるまで、40年以上の長期にわたり使われ続ける。
■週刊ベースボール50yearsⅡより転載
帽子のマークは、当初Hの中心にCを組合わせたデザインだったが、他球団と似通った意匠のため、写真のようにドイツ文字(Fraktur / 亀甲文字)と呼ばれる独特の書体を使い、小文字のcとhを組合わせたデザインに変更された。分野は異なるが、デザイナーの立場で考察すると、このchマークは、"躍動する鯉" にも見える極めて優れたデザインです。
ビジター用も当初はホームと同様にレッドソックスのデザインを模倣し、グレー地に紺色のゴシック体で綴られた「BOSTON」の文字を、そのまま「HIROSHIMA」に入れ変えたシンプルなスタイルだった。
60年、胸番号の導入にあわせ、ビジター用は左下に赤い番号を付けたドジャース型に変更され、新たに躍動感溢れる筆記体ロゴが採用された。この筆記体ロゴは73~88年と昨年シーズン(07年~)からのビジター用、来シーズンのビジター用新ユニフォームにも使われている。ただし60~62年の綴りは、「Hiroshima」ではなく「Hirosima」・・・つまり英語表記ではなく、sとiの間のhが抜けたローマ字表記だったのは、ご愛嬌?(笑)
1963年にフルモデルチェンジされたユニフォームは、帽子のマークは白いHに変更され、白地のホーム用は「CARP」、グレー地のビジターも「HIROSHIMA」の花文字ロゴを使い、帽子、上着の胸マーク、背番号、ベルト、ストッキング、アンダーシャツすべてが紺一色の、極めて地味な色で統一され、マイナーチェンジを重ねながら72年まで10年間使われる。
1968年、経営母体が東洋工業(現マツダ)に一元化され、初めて球団OB以外の外部から招聘された根本監督が就任。その年から使用されたユニフォームは、前年までのユニフォームよりもラインの幅が太くなり、同じ紺色だがやや緑がかった濃いターコイズ・ブルーに変更され、一年目は開幕から快進撃。オールスターゲームの少し前まで首位の座につき、万年Bクラスだったカープが、最終的には球団創設いらい初めてAクラスの3位となり、70年まで使われた。
■週刊ベースボール50yearsⅡより転載
71年、かって最下位から初の世界一に輝いたニューヨーク・メッツの「ミラクル・メッツ」を意識した、マイナーチェンジを行なった。それはカラーテレビの普及に伴ない、テレビ映えするよう帽子マークと濃いターコイス・ブルーのロゴ、背番号、ライン周りにはオレンジの縁取りが施されたワケだが、センスの良さは垣間見れるものの渋い雰囲気は変わらず、その年もトホホな最下位に終わる。
このように球団設立以来、カープの帽子やロゴ、アンダーシャツには紺系色が使われていたが、1973年からクリーブランド・インディアンスを手本に、帽子のマークをHから横長のCに変更。またユニフォームの基調も濃紺にアクセントの赤を加えたニットのプルオーバー&ベルトレスタイプへと、大幅なモデルチェンジを行なった。しかしながら73、74年ともにダントツの最下位。3年間で3名の監督交代という前代未聞、最悪の状況が続いた。
ところが1975年、監督に就任したジョー・ルーツは、前年までのユニフォームをベースに、かって自身の在籍したインディアンスが採用し、改革と闘争の象徴として、帽子を濃紺から赤色へと変更し、オールスター戦ではカープの選手が大活躍。その余勢をかってカープは接戦が繰り広げられるペナントレースを勝ち抜き、前年までの3年連続最下位から球団創設26年目に初優勝を遂げ、日本全国に「赤ヘル旋風」を巻き起こした。
その後、77年からはアンダーシャツやロゴまで濃紺から赤に変わり、帽子のマーク、袖や襟のラインなどへ濃紺のアクセントが入ったユニホームで5度のリーグ優勝、3度の日本一を達成。当時の赤いユニホームに織り込まれていた「濃紺」は、強いカープの象徴だったとも言える。
1989年、山本浩二監督の誕生と同時に、袖などの細かい部分から濃紺が消えて「赤のみ」の配色になる。左胸にはシンシナチ レッズを意識した「C」マークとCARPの文字、右胸に番号がレイアウトされたユニホームにモデルチェンジ。しかしレッズとは似て非なる凡庸なデザインであり、91年、最後のリーグ優勝を果たしたものの、93年には74年以来19年ぶりとなる最下位に転落、山本監督は辞任。ホーム/ビジターが同じデザインになったため、16年間使われた「Hiroshima」の筆記体ロゴは廃止された。なお94年ホーム用の袖に、同年開催されたアジア大会広島大会マスコットキャラクターのワッペンが入った。
94年からは三村監督が就任、翌95年にモデルチェンジしたユニホームは60年代から70年代前半に使われていた「HIROSHIMA」の花文字タイプのロゴがビジター用に復活。後年各球団が採用する襟から胸元のラケットラインをいち早く取り入れ、躍動感を表現している。
01年の第2次山本政権誕生とともに球団創設期に使われていた縦縞が復活し、今シーズンまで使われたユニフォームとなった。ロゴも花文字から、ホーム用は筆記体に、ビジター用はブロック体にデザイン変更。
また袖(左投げ選手/右袖、右投げ選手/左袖)にエンブレム(炎のボールマーク)を付けて、“ 燃える赤ヘル ”の再興を期したが、チームは長期低迷から脱していない。
今年は勝率5割、クライマックス・シリーズ進出を賭けて最後まで三位争いを演じたものの、最終的には11年間連続のBクラスでシーズンを終えた。
そして来季、広島にとって「強い時代を象徴する色」の濃紺が21年ぶりに復活するというワケだ。
今回発表された新ユニホームは、一見しただけでは目立たない部分にこだわりが隠されている。ベースとなる「赤」の輝度を変更。帽子のマーク、胸のロゴ、背番号などを「濃紺」で縁取り、上着の袖とパンツのサイドにも赤/紺のラインを効果的に使っている。
また上着に立て襟を採用したクラシカルなデザインは、オープンエア型天然芝の新球場にピッタリ。第一ボタンを外すと、立て襟の内側に入れた 赤/紺タインがチラッと見える仕掛けは、" Good Job ! " と叫びたくなるオシャレ心のある仕上りだ。
ホーム用は清涼感溢れるデザインもさることながら、機能性も優れている。上着は特殊なメッシュの編み込みで作られて軽量化され、通気性、伸縮性も向上。北京五輪野球日本代表と同じ作製法を使った最新技術の結晶だ。
ビジター用は上が赤、下が白で球団史上初となるツートンカラーが採用され、インパクトのあるデザインに仕上がった。赤は膨張色だけに選手が一回り大きく見え、相手に与える威圧感は増すことになりそうだ。
来春オープンする新広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)は左翼101m(91,4 m)、中堅122m(115,8 m)、右翼100m(91,4 m)と、数値では左翼が広いが、ほとんどの地点は右翼側が広くなる。ファン感謝デーで公開された実物は、写真のようにロングサイズのパンツになっているが、赤松、天谷といった俊足選手を揃えた布陣となるカープは、ストッキングを見せるスタイルの着こなしをする選手も増えるだろう。
その場合は、真赤なストッキングより、MLBカージナルスのように赤×白×紺×白×赤のコンビネーション・ラインが入ったストッキングがオシャレと思うのだが・・・・。
原爆投下から12年目の1957年7月24日、完成したばかりの広島市民球場の第1戦から3182試合目、老朽化により今季限りで閉鎖し51年の歴史を終える9月28日、広島市民球場でのリーグ最終戦。市民球場は広島市の復興のシンボルとして原爆ドームの真横、市の中心部に誕生し、希望の灯をともし続けてきた。カープの苦しみ、喜び、そのすべてを見つめてきた黒土のグラウンドがついにその役目を終えるときが来た。
将来のエース前田健太投手が投打に活躍、4番栗原健太内野手が有終の21号2ランを放ってヤクルトに勝った。このまま3位以上を死守してクライマックスシリーズに出場して勝てば、日本シリーズで戻って来られる。セレモニーではアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が流れ、スタンドを真っ赤に染めた観客と選手は「必ず帰ってくる」の思いで1つになった。
新ユニホームで新しい歴史を築けるかは、チームとファン全員の総力にかかる。
市民球場で行われたファン感謝デーで栗原、大竹が着用し、ファンに初披露されたニューモデル。新しい歴史は数々の名勝負を刻んだ場所、満員の観衆の前で、力強く幕を開けた。
新球場元年となる来季、広島カープは11年連続Bクラスという“過去”を脱ぎ捨て、新たな黄金期へ歩み始める。
広い新球場で機動力野球を推進するカープにとって、常勝軍団復活を予感させるユニホームが誕生する。02年から7年間続けていたユニホームは、「赤い縦縞」が消え、ホーム用は上下 白ベース、ビジター用は球団史上初となる上着が赤、パンツが白のツートンカラーへとリニューアルされる。さらにチームカラーでもある濃紺のラインが21年ぶりに復活。新球場元年を迎える来期から、かつて黄金時代を築いた「縁起色」とともにカープの新しい歴史が幕を開ける。
今回の「色」には黄金時代復活への思いが込められている。もともと、広島カープのチームカラーは、球団旗にも使われている紺色である。創設期から広島カープのユニフォームには、チームカラーの紺色を主体としたデザインを採用していた。
広島カープの歴史を紐解くと、1950年代後半以降、カープはメジャーリーグのエッセンスを取り入れたスタイルのユニフォームを導入してきた伝統がある。
広島市民球場の完成した翌年の1958年、真新しい球場のグランドには、紺色のキャップ、白地に「CARP」の赤い花文字を紺で縁取ったロゴと、袖と胸元に赤いダブル・ラケットラインの上着、紺色のアンダーシャツ、赤/白/紺のソックスを組合わせたボストン・レッドソックスにソックリなユニフォームが登場した。以後、この「CARP」の赤い花文字ロゴは、2001年に現行の「Carp」筆記体ロゴが採用されるまで、40年以上の長期にわたり使われ続ける。
■週刊ベースボール50yearsⅡより転載
帽子のマークは、当初Hの中心にCを組合わせたデザインだったが、他球団と似通った意匠のため、写真のようにドイツ文字(Fraktur / 亀甲文字)と呼ばれる独特の書体を使い、小文字のcとhを組合わせたデザインに変更された。分野は異なるが、デザイナーの立場で考察すると、このchマークは、"躍動する鯉" にも見える極めて優れたデザインです。
ビジター用も当初はホームと同様にレッドソックスのデザインを模倣し、グレー地に紺色のゴシック体で綴られた「BOSTON」の文字を、そのまま「HIROSHIMA」に入れ変えたシンプルなスタイルだった。
60年、胸番号の導入にあわせ、ビジター用は左下に赤い番号を付けたドジャース型に変更され、新たに躍動感溢れる筆記体ロゴが採用された。この筆記体ロゴは73~88年と昨年シーズン(07年~)からのビジター用、来シーズンのビジター用新ユニフォームにも使われている。ただし60~62年の綴りは、「Hiroshima」ではなく「Hirosima」・・・つまり英語表記ではなく、sとiの間のhが抜けたローマ字表記だったのは、ご愛嬌?(笑)
1963年にフルモデルチェンジされたユニフォームは、帽子のマークは白いHに変更され、白地のホーム用は「CARP」、グレー地のビジターも「HIROSHIMA」の花文字ロゴを使い、帽子、上着の胸マーク、背番号、ベルト、ストッキング、アンダーシャツすべてが紺一色の、極めて地味な色で統一され、マイナーチェンジを重ねながら72年まで10年間使われる。
1968年、経営母体が東洋工業(現マツダ)に一元化され、初めて球団OB以外の外部から招聘された根本監督が就任。その年から使用されたユニフォームは、前年までのユニフォームよりもラインの幅が太くなり、同じ紺色だがやや緑がかった濃いターコイズ・ブルーに変更され、一年目は開幕から快進撃。オールスターゲームの少し前まで首位の座につき、万年Bクラスだったカープが、最終的には球団創設いらい初めてAクラスの3位となり、70年まで使われた。
■週刊ベースボール50yearsⅡより転載
71年、かって最下位から初の世界一に輝いたニューヨーク・メッツの「ミラクル・メッツ」を意識した、マイナーチェンジを行なった。それはカラーテレビの普及に伴ない、テレビ映えするよう帽子マークと濃いターコイス・ブルーのロゴ、背番号、ライン周りにはオレンジの縁取りが施されたワケだが、センスの良さは垣間見れるものの渋い雰囲気は変わらず、その年もトホホな最下位に終わる。
このように球団設立以来、カープの帽子やロゴ、アンダーシャツには紺系色が使われていたが、1973年からクリーブランド・インディアンスを手本に、帽子のマークをHから横長のCに変更。またユニフォームの基調も濃紺にアクセントの赤を加えたニットのプルオーバー&ベルトレスタイプへと、大幅なモデルチェンジを行なった。しかしながら73、74年ともにダントツの最下位。3年間で3名の監督交代という前代未聞、最悪の状況が続いた。
ところが1975年、監督に就任したジョー・ルーツは、前年までのユニフォームをベースに、かって自身の在籍したインディアンスが採用し、改革と闘争の象徴として、帽子を濃紺から赤色へと変更し、オールスター戦ではカープの選手が大活躍。その余勢をかってカープは接戦が繰り広げられるペナントレースを勝ち抜き、前年までの3年連続最下位から球団創設26年目に初優勝を遂げ、日本全国に「赤ヘル旋風」を巻き起こした。
その後、77年からはアンダーシャツやロゴまで濃紺から赤に変わり、帽子のマーク、袖や襟のラインなどへ濃紺のアクセントが入ったユニホームで5度のリーグ優勝、3度の日本一を達成。当時の赤いユニホームに織り込まれていた「濃紺」は、強いカープの象徴だったとも言える。
1989年、山本浩二監督の誕生と同時に、袖などの細かい部分から濃紺が消えて「赤のみ」の配色になる。左胸にはシンシナチ レッズを意識した「C」マークとCARPの文字、右胸に番号がレイアウトされたユニホームにモデルチェンジ。しかしレッズとは似て非なる凡庸なデザインであり、91年、最後のリーグ優勝を果たしたものの、93年には74年以来19年ぶりとなる最下位に転落、山本監督は辞任。ホーム/ビジターが同じデザインになったため、16年間使われた「Hiroshima」の筆記体ロゴは廃止された。なお94年ホーム用の袖に、同年開催されたアジア大会広島大会マスコットキャラクターのワッペンが入った。
94年からは三村監督が就任、翌95年にモデルチェンジしたユニホームは60年代から70年代前半に使われていた「HIROSHIMA」の花文字タイプのロゴがビジター用に復活。後年各球団が採用する襟から胸元のラケットラインをいち早く取り入れ、躍動感を表現している。
01年の第2次山本政権誕生とともに球団創設期に使われていた縦縞が復活し、今シーズンまで使われたユニフォームとなった。ロゴも花文字から、ホーム用は筆記体に、ビジター用はブロック体にデザイン変更。
また袖(左投げ選手/右袖、右投げ選手/左袖)にエンブレム(炎のボールマーク)を付けて、“ 燃える赤ヘル ”の再興を期したが、チームは長期低迷から脱していない。
今年は勝率5割、クライマックス・シリーズ進出を賭けて最後まで三位争いを演じたものの、最終的には11年間連続のBクラスでシーズンを終えた。
そして来季、広島にとって「強い時代を象徴する色」の濃紺が21年ぶりに復活するというワケだ。
今回発表された新ユニホームは、一見しただけでは目立たない部分にこだわりが隠されている。ベースとなる「赤」の輝度を変更。帽子のマーク、胸のロゴ、背番号などを「濃紺」で縁取り、上着の袖とパンツのサイドにも赤/紺のラインを効果的に使っている。
また上着に立て襟を採用したクラシカルなデザインは、オープンエア型天然芝の新球場にピッタリ。第一ボタンを外すと、立て襟の内側に入れた 赤/紺タインがチラッと見える仕掛けは、" Good Job ! " と叫びたくなるオシャレ心のある仕上りだ。
ホーム用は清涼感溢れるデザインもさることながら、機能性も優れている。上着は特殊なメッシュの編み込みで作られて軽量化され、通気性、伸縮性も向上。北京五輪野球日本代表と同じ作製法を使った最新技術の結晶だ。
ビジター用は上が赤、下が白で球団史上初となるツートンカラーが採用され、インパクトのあるデザインに仕上がった。赤は膨張色だけに選手が一回り大きく見え、相手に与える威圧感は増すことになりそうだ。
来春オープンする新広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)は左翼101m(91,4 m)、中堅122m(115,8 m)、右翼100m(91,4 m)と、数値では左翼が広いが、ほとんどの地点は右翼側が広くなる。ファン感謝デーで公開された実物は、写真のようにロングサイズのパンツになっているが、赤松、天谷といった俊足選手を揃えた布陣となるカープは、ストッキングを見せるスタイルの着こなしをする選手も増えるだろう。
その場合は、真赤なストッキングより、MLBカージナルスのように赤×白×紺×白×赤のコンビネーション・ラインが入ったストッキングがオシャレと思うのだが・・・・。
原爆投下から12年目の1957年7月24日、完成したばかりの広島市民球場の第1戦から3182試合目、老朽化により今季限りで閉鎖し51年の歴史を終える9月28日、広島市民球場でのリーグ最終戦。市民球場は広島市の復興のシンボルとして原爆ドームの真横、市の中心部に誕生し、希望の灯をともし続けてきた。カープの苦しみ、喜び、そのすべてを見つめてきた黒土のグラウンドがついにその役目を終えるときが来た。
将来のエース前田健太投手が投打に活躍、4番栗原健太内野手が有終の21号2ランを放ってヤクルトに勝った。このまま3位以上を死守してクライマックスシリーズに出場して勝てば、日本シリーズで戻って来られる。セレモニーではアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が流れ、スタンドを真っ赤に染めた観客と選手は「必ず帰ってくる」の思いで1つになった。
新ユニホームで新しい歴史を築けるかは、チームとファン全員の総力にかかる。
市民球場で行われたファン感謝デーで栗原、大竹が着用し、ファンに初披露されたニューモデル。新しい歴史は数々の名勝負を刻んだ場所、満員の観衆の前で、力強く幕を開けた。
新球場元年となる来季、広島カープは11年連続Bクラスという“過去”を脱ぎ捨て、新たな黄金期へ歩み始める。