広島東洋カープは1月19日、ビジター用の新ユニホームを発表した。グレーの地に赤の縦縞と袖は変わらないが、胸マークの「HIROSHIMA」のロゴが「Hiroshima」の筆記体になり、袖には白地に赤文字で刺しゅうされた「ALL-IN」ワッペンをつける。
【写真・左】今シーズンから復活する栄光のロゴ 【写真・右】従来のロゴ
懐かしいユニホームが復活する。胸マークと袖ワッペンの変更というマイナーチェンジであるが、生まれたときからのカープファンであり、分野こそ違うがIT&デザイン関連の仕事に携わる、この分野ではプロの端くれの店長としては、「18年間待ちに待ち続けた復活」なのだ。
専門的な話は省くが、Hiroshimaのアルファベット文字を表現した場合にこのフォントは、最も躍動感と纏まり、力強さを表現した人間工学的に言うと『視覚誘導に優れた機能美』をもつ。
このビジター用ユニフォームの新ロゴは、1973年から88年まで使用されたスタイルで、その間のチームは1975年の初優勝をはじめとするリーグ優勝5回、日本一3回の黄金時代を飾った、いわば“吉兆ユニホーム”のロゴタイプであり、筆記体に戻るということに大きな意義がある。
広島カープは昔からメジャーリーグのユニホームのエッセンスを取り入れたスタイルを導入してきた。
'58年、レッドソックスを参考にした白地に赤と紺を組合わせたユニフォームが登場。当初ビジター用はグレーに紺一色でHIROSHIMAとゴシック系で胸ロゴが入っていた。60年にビジター用をドジャース型に変更し、今回とほぼ同じ書体を最初に採用している。ただしそのときは、「Hiroshima」ではなく「Hirosima」、つまりsとiの間のhを抜いたローマ字表記だった。
その後'63~'72年の10年間は、紺(濃いターコイズブルー)一色の地味なユニフォームの時代を過ごした。カラーテレビの普及に伴ない、テレビ映えするようにと'71~72年の2年間は紺の周りにオレンジの縁取りが施されたが、渋い雰囲気は変わらなかったようだ。
73年にクリーブランド・インディアンスを手本に、帽子のマークをHから横長のCに、またユニホームも紺を基調として赤をアクセントにしたニットのプルオーバー&ベルトレスタイプへと、大幅なモデルチェンジを行なった。しかしながら73、74年ともにダントツの最下位。3年間で3名の監督交代という前代未聞の状況・・・。
現状打破の切り札としてジョー・ルーツにチームを任せたのは、75年のことだった。
ルーツはインディアンスのコーチだった72年、米国アリゾナでキャンプを張った広島ナインを指導したことが縁で、監督就任の前年にコーチとして来日。チームを「ファミリー」と呼び、キャンプでは実戦を想定した合理的で効率のいい練習を徹底する一方で、衣笠祥雄の三塁コンバート、主力投手を含めた大型トレードなどを断行。日本球界初の大リーグ出身監督が手掛けたのは、負け犬根性を一掃し、勝利への情熱を植え付ける意識革命。「冒険野球」を掲げて選手を鼓舞する姿は、昨年からカープの指揮をとるブラウン監督同様、あきらめムードのカープファンにも新しい広島カープの誕生を予感させた。
【写真・左】初優勝のロゴ 73~76年 【写真・右】77~88年 日本一3回のロゴ
75年、日本初の外国人監督ルーツ監督の就任とともに球団と選手の意識改革のシンボルとして帽子を日本球界で初めて「赤」に変更、快進撃を見せたが、15試合で審判・フロントと衝突して辞任。
その後を引き継いだ古葉監督により万年最下位のカープが県民・ファンの熱い熱狂とともに悲願の球団創設初優勝を遂げ、以後カープは赤ヘル軍団と呼ばれ、常勝チームとなる黄金時代の幕開けとなった。
89年、山本浩二監督の誕生と同時に、16年間使われた「Hiroshima」の筆記体ロゴは廃止され、左胸にはシンシナチ レッズを意識した「C」マークとCARPの文字がデザインされたユニホームにモデルチェンジ。91年最後のリーグ優勝を果たしたものの、93年には74年以来19年ぶりとなる最下位に転落、山本監督は辞任。94年からは三村監督が就任、翌95年にモデルチェンジしたユニホームは60年代から70年代前半に使われていた「HIROSHIMA」の花文字タイプのロゴが復活。さらに01年の第2次山本政権誕生とともに現行のユニホームが誕生したが、チームは長期低迷から脱していない。
【写真・左】89~94年 【写真・右】95~00年
カープは昨年、ビジターの試合では25勝47敗1分けと大きく負け越した。37勝32敗4分けと勝ち越したホームの成績と比較して、悲惨なものだった。ビジターでは96年に33勝32敗を記録して以来、10年間勝ち越しがない。さらに91年のリーグ優勝を最後に、16年間優勝から遠ざかっている。
遠征先の勝敗を何とかしたい。球団関係者と現場が必死になって考えた打開策第1弾が、遠征用ユニホームのロゴを、強き時代のものに戻そうというもの。
逆指名制度 FA制度 他球団への選手流失 球界再編 チームの危機
財政難 苦悩する球団フロント 選手 勝ちたい 優勝を願うファン
青い目の監督 立ち上がった選手 チームを救え 樽募金 新球場
野球への思い 選手が ファンが フロントが
ALL-IN 優勝に賭ける思いに 一つになった
「広島カープ 復活へのスライディング」 が、今年 始動する
【写真・左】今シーズンから復活する栄光のロゴ 【写真・右】従来のロゴ
懐かしいユニホームが復活する。胸マークと袖ワッペンの変更というマイナーチェンジであるが、生まれたときからのカープファンであり、分野こそ違うがIT&デザイン関連の仕事に携わる、この分野ではプロの端くれの店長としては、「18年間待ちに待ち続けた復活」なのだ。
専門的な話は省くが、Hiroshimaのアルファベット文字を表現した場合にこのフォントは、最も躍動感と纏まり、力強さを表現した人間工学的に言うと『視覚誘導に優れた機能美』をもつ。
このビジター用ユニフォームの新ロゴは、1973年から88年まで使用されたスタイルで、その間のチームは1975年の初優勝をはじめとするリーグ優勝5回、日本一3回の黄金時代を飾った、いわば“吉兆ユニホーム”のロゴタイプであり、筆記体に戻るということに大きな意義がある。
広島カープは昔からメジャーリーグのユニホームのエッセンスを取り入れたスタイルを導入してきた。
'58年、レッドソックスを参考にした白地に赤と紺を組合わせたユニフォームが登場。当初ビジター用はグレーに紺一色でHIROSHIMAとゴシック系で胸ロゴが入っていた。60年にビジター用をドジャース型に変更し、今回とほぼ同じ書体を最初に採用している。ただしそのときは、「Hiroshima」ではなく「Hirosima」、つまりsとiの間のhを抜いたローマ字表記だった。
その後'63~'72年の10年間は、紺(濃いターコイズブルー)一色の地味なユニフォームの時代を過ごした。カラーテレビの普及に伴ない、テレビ映えするようにと'71~72年の2年間は紺の周りにオレンジの縁取りが施されたが、渋い雰囲気は変わらなかったようだ。
73年にクリーブランド・インディアンスを手本に、帽子のマークをHから横長のCに、またユニホームも紺を基調として赤をアクセントにしたニットのプルオーバー&ベルトレスタイプへと、大幅なモデルチェンジを行なった。しかしながら73、74年ともにダントツの最下位。3年間で3名の監督交代という前代未聞の状況・・・。
現状打破の切り札としてジョー・ルーツにチームを任せたのは、75年のことだった。
ルーツはインディアンスのコーチだった72年、米国アリゾナでキャンプを張った広島ナインを指導したことが縁で、監督就任の前年にコーチとして来日。チームを「ファミリー」と呼び、キャンプでは実戦を想定した合理的で効率のいい練習を徹底する一方で、衣笠祥雄の三塁コンバート、主力投手を含めた大型トレードなどを断行。日本球界初の大リーグ出身監督が手掛けたのは、負け犬根性を一掃し、勝利への情熱を植え付ける意識革命。「冒険野球」を掲げて選手を鼓舞する姿は、昨年からカープの指揮をとるブラウン監督同様、あきらめムードのカープファンにも新しい広島カープの誕生を予感させた。
【写真・左】初優勝のロゴ 73~76年 【写真・右】77~88年 日本一3回のロゴ
75年、日本初の外国人監督ルーツ監督の就任とともに球団と選手の意識改革のシンボルとして帽子を日本球界で初めて「赤」に変更、快進撃を見せたが、15試合で審判・フロントと衝突して辞任。
その後を引き継いだ古葉監督により万年最下位のカープが県民・ファンの熱い熱狂とともに悲願の球団創設初優勝を遂げ、以後カープは赤ヘル軍団と呼ばれ、常勝チームとなる黄金時代の幕開けとなった。
89年、山本浩二監督の誕生と同時に、16年間使われた「Hiroshima」の筆記体ロゴは廃止され、左胸にはシンシナチ レッズを意識した「C」マークとCARPの文字がデザインされたユニホームにモデルチェンジ。91年最後のリーグ優勝を果たしたものの、93年には74年以来19年ぶりとなる最下位に転落、山本監督は辞任。94年からは三村監督が就任、翌95年にモデルチェンジしたユニホームは60年代から70年代前半に使われていた「HIROSHIMA」の花文字タイプのロゴが復活。さらに01年の第2次山本政権誕生とともに現行のユニホームが誕生したが、チームは長期低迷から脱していない。
【写真・左】89~94年 【写真・右】95~00年
カープは昨年、ビジターの試合では25勝47敗1分けと大きく負け越した。37勝32敗4分けと勝ち越したホームの成績と比較して、悲惨なものだった。ビジターでは96年に33勝32敗を記録して以来、10年間勝ち越しがない。さらに91年のリーグ優勝を最後に、16年間優勝から遠ざかっている。
遠征先の勝敗を何とかしたい。球団関係者と現場が必死になって考えた打開策第1弾が、遠征用ユニホームのロゴを、強き時代のものに戻そうというもの。
逆指名制度 FA制度 他球団への選手流失 球界再編 チームの危機
財政難 苦悩する球団フロント 選手 勝ちたい 優勝を願うファン
青い目の監督 立ち上がった選手 チームを救え 樽募金 新球場
野球への思い 選手が ファンが フロントが
ALL-IN 優勝に賭ける思いに 一つになった
「広島カープ 復活へのスライディング」 が、今年 始動する
ほんとカープのユニフォームについて凄く分かりやすくまとまって書いてますね!僕のブログでも紹介せてもらいました。
初めて知ったこともいろいろありました~カープの歴史は昔のことはあまりわからなかったので、とても勉強になりました!
そうそう、昔は筆記体でしたよね~、
小学校の時に、練習した覚えあります。
江藤も若く、痩せている。。。。
ロゴの遍歴懐かしいですね。
強い時代の記憶が甦ってきました。
とにもかくにも、今年プレーオフへ進出する為には
ビジターゲームの勝率を最低でも五分に持っていかなければならないでしょう。
縁起の良いロゴで頑張ってもらいたいですね。
初めまして♪♪コメントありがとうございました(^0^)
今年のカープは、ユニフォームも一新し、チームの雰囲気もいいですし、期待出来ますよね(^0^)
頑張って欲しいですよね!!
また、伺いますね!!
いなごろうさん
当ブログをご紹介いただき、ありがとうございます。'75年は「何かが違う戦いぶり」に、1試合ごと大人たちのボルテージが上がっていました。
花岡矯正歯科さん
初優勝が決まる巨人戦では、学校の授業が中止になり、全員が固唾を飲んで試合を観てました。クラスにこの筆記体Hiroshimaの文字をフリーハンドでキレイに書く男の子がいて、みんなのノートに書いてあげてました・・・って、俺じゃん!笑
デルさん
そう!PO進出の絶対条件は「ビジターゲームの勝率を最低でも五分に持っていく」ことだと思います。昔からカープは内弁慶じゃけんね。
kuronekoさん
去年の“漢(おとこ)”黒田の決断は、カープとファンの“絆”を甦らせたと思います。♪栄冠手にするその日は近いぞ~♪・・・カープ、カープ、カープ広島~♪
いろんなグッズが出ましたよねぇ☆今回のユニで、PO進出、頑張ってほしいです!もぉ、日々願っています笑
てか、今回本当にいろんなグッズが出たんですが、売れるのかどうか・・・心配です笑 まぁ、もし売れなかったら、私は、兄にプレゼントしたいと思います笑
こんばんは、はじめまして♪
赤○○まで出ちゃいまして、どうしたものか・・・
東京まで日帰り出張してますが、神宮で赤○○一丁で、爆発してみたい衝動に駆られます。。。笑
いつでも遊びにきてくださいね~
紺色の帽子、衣笠の旧背番号時代、いやぁ懐かしいですね。
ここからカープは強くなってきました、
まさに原点時。
僕は、ネクストバッターサークルでさっそうと構える山本浩二の姿に惚れて「G」から「カープ一筋」となりました。
あれから早、30年・・・。(うわっもうそんなに経ったのか)
黄金期よ、今再びですね!
カープ初優勝の年の広島中を包んだ「昂揚感」を今年こそ再現してくれるような気がしてきます。
やはりセカンド&ショートが固定し、赤ヘル機動力野球を期待しています。
とりとめのないブログですがお気軽にお立ち寄りください。