湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ヴォーン・ウィリアムズ:クリスマス序曲(イエイツ補筆編曲)

2018年12月16日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮国立ロイヤルスコティッシュ管弦楽団(dutton)CD

CDのラストにびっくり箱。こんな珍曲、きっと二度と録音されまい。管弦楽の響きは素晴らしい。1934年の民謡編曲手腕が遺憾なく発揮されている。メドレーの選曲もいい。真ん中繋ぎ方は乱暴だが自身の完成版ではないのでそこは置いておく。いや重要なのは最初と最後なのだ…大管弦楽による気宇壮大なクリスマス・キャロル「世の人忘るな」。
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ヴォーン・ウィリアムズ:An Efds Masqueのための音楽(イエイツ編)

2018年12月16日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮国立ロイヤルスコティッシュ管弦楽団(dutton)CD

英国民族舞踊民謡協会の前身にEFDS(舞踏の方)があるが、そこで演奏するための民謡編曲ということなのだろうか。ややアカデミックな手堅い書法である意味ヴォーン・ウィリアムズらしい直球民謡編曲。「フォークダンスメドレー」「小行進曲組曲」の2曲にまとめられている。初曲の末尾は祝祭的な行進曲調の印象がある。立体的な書法も英国式行進曲を想起させる。2曲めは田舎風。旋律の中にグリーンスリーブス風の耳馴染みよいものがある。1934年の作品。
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ヴォーン・ウィリアムズ:管弦楽のための変奏曲(ヤコブ管弦楽編)

2018年12月16日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮国立ロイヤルスコティッシュ管弦楽団(dutton)CD

亡くなる前年に手を付け没後編曲されたが録音はこれが唯一か。序奏と11の変奏からなる。ヴォーン・ウィリアムズの変奏曲は長々しくなるが、これは比較的短い。昔の田園風の平穏な音楽から始まるが、南極交響曲くらいの綺羅びやかな響きを伴う後期的な変奏により一気にモダンに変貌してゆく。なかなかヴォーン・ウィリアムズふうに仕立てられた美しくキャッチーな音楽で、演奏も過不足なく楽しめる。
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グラズノフ:交響曲第6番

2018年12月16日 | グラズノフ
○セレブリエル指揮ロイヤルスコティッシュ国立管弦楽団(warner)2008/6/4-6・CD

グラズノフのロシア臭を抜き、それでもなおこの音楽が力強くも繊細に響く名作であることを知らしめる名演。「笑ってしまう」局面もこの美しいオーケストラをもってすれば当然の如く感動的に伝わる。グラズノフを知らない人にも向くが、グラズノフを知っている方にこそおすすめ。悪いイメージがなくなる。
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シューマン:交響曲第3番「ライン」(最後欠落)

2018年12月16日 | ドイツ・オーストリア
マックス・フィードラー指揮ベルリン帝国放送管弦楽団(PASC)1936/12/11live

pristineの発掘音源。オケがサイシヨふるわず、いかにもSP時代のライヴ録音の精度といった感じで、またカットや編成を弄るといったことがなされており、音響的には納得行っても、しっくりこない。ただリズムのキレ、スピードに関しては最後(これもまた5楽章の肝心なところでブツ切れる)まで凄まじいといってもいい胸のすくようなところをみせており、ダイナミックな解釈もあって、ワルターの同時期を思わせる。響きはもっとドイツ的な安定感でザクザク切っていくかんじだが、リマスターのおかげかもしれない。楽章が進むほど感心度の上がる演奏。1楽章第一主題で冒頭は頭打ちにし、ワルツで舞曲に切り替える方法はわかりやすいが人によっては違和感があるか(全部舞曲的に処理するほうがかっこいいが結構少数派かも)。
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ブラームス:悲劇的序曲(最後欠落)

2018年12月15日 | ドイツ・オーストリア
マックス・フィードラー指揮ベルリン帝国放送管弦楽団(PASC)1936/4/17live

pristineの発掘音源で、別記したが作曲家と面識のあるブラームスの曲ではこれまで2、4番交響曲と協奏曲2曲ほど録音が発売されている。ヒゲジョは12分でこれからという時にブチ切れになる非常に惜しい状態ではあるが、それでもこの雄渾でダイナミズムに満ちた指揮者らしい記録として味わうことができる。ノイズは如何ともし難いもののよくレストアされており演奏精度も当時としてはまあまあで、中低音域がしっかり響きブラームス向きの音。マイナー指揮者感や他所者演奏感ゼロで、当時本場の一流指揮者の演奏として十分楽しめる内容であり、この二枚組相当の音源はバラバラではあるが同年のモーツァルトのコンチェルト、ラインに運命も聴くことができるので、ドイツ音楽好きなら聴いて損はない。
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バルトーク:管弦楽のための協奏曲

2018年12月14日 | 北欧・東欧
セル指揮クリーヴランド管弦楽団(eternities)1965/4/25live

演奏以前に録音がこもって聞きにくい。セル、バルトークを聴くには不明瞭すぎるしボリュームも小さい。中断された間奏曲終わりで拍手が入りかけるという事態にも拍子抜け。終楽章のめくるめく色彩を振りまき駆け回る弦は拍手ものだし、ハープとのやりとりは素晴らしくみずみずしいが、冒頭テンポの遅い部分では弛緩を感じるし、終わり方も締まらない。他の楽章も勿論録音のせいが大きいだろうが伝わるものがない。どうもテンポ操作が人工的なところがある。パッとしない。一楽章の始めに謎の無音部分が入るのは録音タイミングの問題だけにしても興を削ぐ。うーん。良い録音でどうぞ。
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ヴォーン・ウィリアムズ:田舎風組曲(ラッシュトン編)

2018年12月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮ロイヤル・スコティッシュ国立管弦楽団(dutton)CD

珍しい作品を集めた一枚から。冒頭こそ後年のヴォーン・ウィリアムズを彷彿とさせる民謡を全面に打ち出した剥き出しの音だが、ラヴェル師事前のドイツロマン派ふう音楽に引き戻されそのまま進行してゆく。僅か新しげな和音進行の入るほかはブラームスだ。しかし古風だからといって旋律の扱いや管弦楽の過不足ない捌き方には円熟した技が遺憾なく発揮され、何より透明感があって明るいところは同じである。いや編曲があったとしても上手い。人によってはこのヴォーン・ウィリアムズも楽しむことはできるだろう。漲る力感とか、常に強い発音といったところのない、英国的な慎ましやかさは軽やかでブラームスの木管より板についた牧歌を感じ取れる人もいるだろう。ごめんなさい、達者な演奏なのでなおさら曲が剥き身で迫り、、、飽きてしまった。三楽章間奏曲は暗いと言えなくもないがロシアやフィンランドの国民楽派のように素直で、派手な音響と繊細な音響の交錯もそれらに近い。四楽章フィナーレはどこかで聴いたような嬉遊曲。いやこれもグラズノフぽいか。とにかく幸福で穏やかで、ブーコリックというのは牧歌とか田園風という意味があるが、ヴォーン・ウィリアムズの牧歌や田園風ではない。ブラ1。
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ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲

2018年12月12日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ミュージック・グループ・オブ・ロンドン(EMI)CD

ラヴェル後のRVWがシンプル化を極めた作品で、室内楽では最も著名か。弦楽五重奏曲ではあるが、RVWにしては珍しい五楽章制の四楽章では四本しか弾かない(そういうところもシンプルだ)。楽器は生でむき出しになり、ソロの掛け合いや完全伴奏とメロディのような形になりがちで、逆に清澄なハーモニーを整えるのにさほど工夫はいらず個人技を磨くだけでちゃんとなるとも言えそうだ。奏者は、達者な楽団なので全く問題はない。譜面にも忠実で、力強くも雑味はなく曲に向いている。同曲、ひなびた田舎素材による室内楽ではあるが、ディーリアスのカルテットのようにほんとの田舎音楽にはならず、フランスの洗練をへて当時の現代音楽に昇華された作品として、素材そのものを除けば今でも気恥ずかしさを感じない。
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ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ

2018年12月12日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ビーン(Vn)パークハウス(P)(EMI)CD

ヴォーン・ウィリアムズ後期の異色作で新古典主義の体裁をとりながらバッハ無伴奏風の重音、あげひばり風の走句などかつての自身を含む各種作曲様式をちりばめた、特に終楽章変奏曲はとらえどころのない、しかしRVWには珍しいほどの清新な色彩に満ちている。2番カルテットに似たところもあるが、それは部分にすぎず、あのように一つの様式で各楽章を統一することはない。とにかく民謡調以外「らしくない」作品といえ、メロディもとっつきづらいが響きはわかりやすい。終楽章さいご1楽章冒頭の回想からなぜか謎めいた変奏で終わるところには、後年のRVWの冒険的な姿勢が表れている。この演奏は総じて荒く雑味があるが、後半になるにつれ良くなる。1楽章は速い。ちょっとびっくりするが粗さも気になる。2楽章のトッカータ的なダッシュは素晴らしい。速いパセージでも安心して聴くことができる。常に弓元や下半分で飛ばすようなところはちょっと重い感じもするが、音は迫力が出る。このあたりから変奏曲まで、滑らかさが増し耳なじみがよい。変奏曲は曲がトリッキーなので、途中で飽きなければ楽しめるだろう。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

2018年12月12日 | ショスタコーヴィチ
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(eternities)1944/4/21live

全曲は初出ではないか。驚いた。残念なことにショスタコーヴィチにもクーセヴィツキーにも冷めてしまい冷静に聴いてしまうが、クーセヴィツキーが無解釈で突き進むだけのショスタコーヴィチをやっていたような覚えはあったが、ここでは必ずしもそうではない。アメリカによくいた初演指揮者として色んな曲を振りすぎた指揮者とはいえ、ショスタコーヴィチには思いがあるらしく、オケの、とくに弦の引き締め方はいつにも増して厳しく、充実している。特徴的なものはないがこの曲の躁鬱の激しさに一貫した物語を設定し、空疎で深刻な思いをしっかり打ち付けられている。ただ音色や表現が単調にも感じるが、それは極めて悪い録音のせいでわからなくなっていることもあるだろう。取り立てて聴かなければならないものではないが、クーセヴィツキーマニアなら聴いていいと思う。
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2018年12月10日 | チャイコフスキー
マルコ指揮ウルグアイ放送交響楽団(eternities)1956/5/12live

マルコのウルグアイライヴということでSLSで既出かもしれない。極めて悪い音のはずだがノイズリダクションされ疑似ステレオ化されている。しかしそれでも三楽章まではインパクトのある演奏ぶりで、「マルコのウルグアイライヴは凄い」という印象がモノラル悪録音特有の聞き手のバイアス(想像力)がかかっていたわけではないことがわかる。フォルムを崩さず少し硬直するスタイルとはいいつつ、いかにもロシアの指揮者のアゴーギグというところが散見される。感情には流されないが、オケのやる気、とくに弦は良い。木管が弱く、三楽章あたりになってくると録音がボロボロになっていくこと込で残念感が出てくるが、悪くはない。四楽章はフォルムを大事にしすぎて、遅くて人工感が出てくる。マエストーソ前はやりすぎだ。だがしかしブラヴォの終演。マルコが好きならどうぞ。
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第1番(欠落あり)

2018年12月08日 | ショスタコーヴィチ
ロジンスキ指揮NYP(SLS)1941/12/7カーネギーホール(アフタヌーンコンサート)live 放送

ロジンスキのロシア物への適性は半端ない。私の耳にはまるで数珠繋ぎで細くて散漫だったり空疎だったり好みでなかった同曲を、しょっぱなから目の詰まった響きで異常な迫力のまま、分厚く緊密なアンサンブルを繰り出し圧倒してくるのにはもう、これはチャイコ2番などで聴かれる「素晴らしいほうのロジンスキ」だと言う感想しか出てこない。楽章の構成的にダレる部分も無いわけではないが、基本的にオケの充実度にはピアノ等ソロ楽器込みで文句のつけようがなく、この頃のロジンスキの覇気たるやカーネギーホールの聴衆が現代曲に慣れていなかったとしても、もっと湧いてもいいくらいである。惜しむらくは欠落で、これはラジオ中継放送なのだが、4楽章の途中にニュース速報が短く入り、曲終わりもブツ切れで余韻なく、一旦拍手は短く入るものの、そのあと休憩時間しょっぱなから真珠湾攻撃のニュースが正式に入り、耳を覆いたくなる内容に移行する。これは15分弱も続き、一旦次のブラームスのピーコン2番(ルービンシュタイン)の中継に戻るものの、また速報が入って、二楽章で打ち切りとなり終わる(このあと星条旗よ永遠なれが放送されたそうである(未収録))。3時開始のコンサートということで30分前に攻撃は始まっており伝達遅れのためむしろこの演奏が放送できたことを思うと、仕方ないのだが。COLUMBIAとVICTORがかかわっており正規録音があるんじゃないかとも思う。40年代録音にしてはノイズレスで音が良すぎる。これほどのドキュメントでありひょっとするとリマスター済みの既出音源かもしれない。

※2016/12/14の記事です
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ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第2番(ホッガー補筆編集2001年版)

2018年12月07日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD

この曲は一番と同時に構想されたが放置され、管弦楽としてまとめられてはいない。従って本人が後年管弦楽曲としてまとめた一番と趣がかなり異なるのは、編曲だけの問題ではなく、それなりの理由があったことは想像に難くない。美しくまとめられているもののヴォーン・ウィリアムズ風の響きを伴いながら明らかすぎるメロディの、初期ディーリアスに遡ったような雰囲気の連環は、何も発見がないし、一番とのつながりもない。モダンな工夫の痕の見られる部分はヴォーン・ウィリアムズとしては違和感がある。まったくヴォーン・ウィリアムズと考えずに聴けば楽しい。演奏は達者で雰囲気がある。
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horen完全ワイヤレスヘッドフォン使用感、無圧縮音源とmp3音源に優劣あるか

2018年12月07日 | Weblog
horenの完全ワイヤレスフォン、充電ケースと本体の充電は同時にできないのか・・充電ケース充電後、ケーブル外すとフォン充電始まるのかいな。。

horenワイヤレスフォンが接続切れる理由の一つ判明。予備のワイヤレスフォンのケースが勝手に開いて突然割り込んで繋ぎに来る。結果、予備のほうに音が流れhoren無音。


flacで聴いても悪い録音は悪い。最近の録音でも、そもそもデジ化に向かない類の繊細な音楽とか、 ノイズを克明に拾うより無視できる範囲に隠滅してくれるほうが良い感じがする(デジ化するソフトにもよるか) .。mp3は音をシンプルにするので、むしろmp3のほうが良いと感じるものがあった。amazonのダウンロード販売はmp3だが. CDからデジ化すると、音源ないし媒体由来の僅かな音場の揺らぎや入り続ける些細なノイズが気になることもあり、一方amazonダウンロードはこちらでやるよりは技術的にはちゃんとデジ化している (してないものもある)!)のでリスクは少ないかもしれない。ストリーム配信を契約しているならそもそも問題ない。mp3の音の好き嫌いは全く別問題。破裂音ノイズやキンキンするのは人によって致命傷と感じるだろう (これは圧縮率に依らない) 。
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