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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

リムスキー・コルサコフ:歌劇「サルタン王」~熊蜂の飛行

2017年01月21日 | Weblog
ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(ODEON)SP

アンゲルブレシュトが29年録音だからほぼ同時期か。瑞々しい音が捉えられ、リズミカルかつ明るく軽やかなフランス風の雰囲気を楽しめる。オケが意外と言っては失礼だが巧く、弦楽器から木管にいたるまで表現の隙きがない。途切れない。短いがピエルネの良いところが出ている。スペイン奇想曲の穴埋めに収録(そちらは目下一面しか入手していない、これはわりと市場に出るので待つ)。

ちなみに割れて届いたSPをアロンアルファでくっつけてなんとか聴いた。カラフルな音色が聴こえるほど状態が良いのに剥離二箇所で飛ぶのが口惜しい。割れ目ノイズは回転数の早いレコードなので小さなプチ程度。ちなみにアロンアルファを盤面にうっかり付けると白くなるので注意。
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☆マーラー:交響曲第9番

2017年01月20日 | マーラー
◎バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(LANNE/eternities:CD-R)1985/9/3live

数日ずれているとされるものに比べ録音のクリアさはなく篭っているが、音場が安定しておりノイズも極めて少ない。一部ステレオ乱れはあるものの、恐らくエアチェックもの(スピーカー前録音?)であるせいだろう。ホールがオケの雑味を吸収しており、イスフィル特有の表現の癖が目立たないぶん、BPOとのライヴに似ていることに気づかされる。数日ズレのものと壮年期の勢いぶりは同じだが、これも録音状態のせいだろうけれども、より深みを感じるのだ。いかにも第九らしいものを。いや、表現の振幅が大きい解釈は同じなのだけれども。1楽章緩徐部ではBPOライヴで行っていたファーストヴァイオリンのスル・ポンティチェルリ奏法(譜面指示無し)がはっきり聴ける。指揮台を踏み鳴らす音がティンパニより大きい。2楽章冒頭ではブラスがつんのめり気味で少しテンポが乱れるが、弦は終始ボリュームがあり凄い表現力である。荒いけれども、「音楽の空騒ぎ」を超高速でやり通しバンスタなりの見識を見せる。3楽章も荒々しくテンポは速い。弦にはとにかく歌わせ、木管にはトリッキーなことをさせる。緊張感溢れる演奏である。4楽章は涅槃ではなくあくまで地上の音楽として、ロマンティックな、寧ろ明るい音楽になている。生臭さが無いとはいえないし、メータなどの解釈に似ているように思うが、ある時期のマーラー解釈の典型を示すものでもあるだろう。終演後のいつまでも続く沈黙が演奏の素晴らしさを物語っている。この録音なら◎にして構わないと思う。激しい演奏。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2017年01月20日 | Weblog
シルヴェストリ指揮ORTF(ina他)1959/3/12live・CD

最初からオケのコントロールがユルユルで(特に管楽器の)ミスやとちりを挙げだしたらきりがなく、また「恣意的解釈」我田引水っぷりが耳に余るというのは久々の感覚。後半楽章はどんどんテンポが前に流れていって、四楽章ただ弦楽器のテンションだけで突っ走っていくさまはミュンシュなどの速くても一定のテンポが保たれた演奏とはまた違い、ほんとに走っているだけ。独特の空疎な響きを伴い、奇妙なバランスだ。こういったところでライヴ感には溢れまくりで、ライヴ盤の楽しみとはこういうところにあったんだ、そういえば、と思い出した。オケが別の、東欧あたりの中音域が充実したところであれば完成度は上がっていたであろう。こんな演奏なのに客席はまあまあの反応、ステレオだが少し傷のある録音。
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☆ドン・ギリス:交響曲第51/2番「楽しむための交響曲」

2017年01月20日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1947/9/21初演live

アンダーソンがシンフォニーを書いたら?ガーシュインがシンフォニーを書いたら?こんな曲になっていたかもしれない。3楽章制の簡潔な作品だがとにかく楽天的過ぎて、交響曲第六番に満たないということでごとにぶんのいち、と名付られたという。それをまたNBC交響楽団がきっちり胸のすく演奏で仕上げてくれている。拍手喝采で終わる。トスカニーニの颯爽とした指揮ぶりも曲にあっている。今は動画共有サイトで聴くことができる。○。個人的には圧倒的にカッコいい一楽章オススメ。
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☆キャプレ:赤死病の仮面~E.A.ポーの幻想的テキストによる

2017年01月19日 | フランス
◎F.スラットキン指揮コンサート・アーツ管弦楽団、M.ストックトン(hrp)(capitol)

テスタメントのシリーズでCD化されているかもしれない。とにかく迫力の演奏である。分厚い弦楽合奏の筋肉質な働きによるところが大きいが、多少幻想的な意図のあるハープの挿入も冒頭以外ではかなりギタリスティックな効果と化けているところがあり、まあ、原作の雰囲気がこんなにアグレッシブで前向きに明るいものではないにせよ、合奏曲としての純粋な音楽的興味は惹かれる。テキスト設定は個性的だが内容的には決して個性的でもない、同時代のハープを利用したフランス楽曲の一つと言ってしまえばそれまでだが、しかし、ここにはほんとに赤くなり死んでしまうアグレッシブな病がこれでもかと猛威を振っている。しかも邪悪じゃない、ビリーのように明るくアグレッシブだ。アメリカだ。でも、はっきりいってアンサンブル曲としてこういうリアルな描き方、面白いです。◎。
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☆ハチャトゥリアン:交響曲第3番「交響詩曲」

2017年01月19日 | ハチャトゥリアン
○ストコフスキ指揮シカゴ交響楽団(DA:CDーR)1968/2/15LIVE

アメリカのブラスは最強なのでファンファーレは鼓膜が破れる。金属的な強いステレオ録音で耳が辛いくらい派手な打音をぶちかますストコのやり方は苦笑しつつも正しい!とうなづかされる。指揮者オケ共にある特性としてどうしても民族色はなくなってしまうので、派手なだけのスペクタクルになっているのは仕方ないところだがそもそもそういう意図の即物的な曲なのだからこれは正解だ。ストコにしてはアーティキュレーションもしっかりつけられている。ただ凄絶な音の饗宴を楽しみましょう。史上最凶の演奏。オルガンまで入るとクラシックというよりプログレだ。民族音階もこの中ではまるで呪術的で、こりゃEL&Pです。ヴラヴォからファンファーレ付の指揮者のリコールまで収録。ショスタコの組曲に交響曲のあとこれを持ってこれるなんてシカゴだけ。○。
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☆フローラン・シュミット:交響的練習曲「幽霊屋敷」

2017年01月19日 | Weblog
プレートル指揮モンテカルロフィル(EMI)CD

ポーの原作による。ロマンティックでうねるようで大仰な、フローランとしてはまだ作風が前時代のものをひきずっており、後年の凝りまくった創意はあまり注ぎ込まれていない。ロシアの作曲家、とくにワグナー風という点ではスクリアビンの中期管弦楽作品などを想起する。後半部の活き活きとした音楽はストラヴィンスキーというよりルーセル盛年期の作風を彷彿とさせる。演奏は派手でやや舞台演劇風のライヴ感のあるもの。
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☆ワグナー:「ニュールンベルグのマイスタージンガー」~1幕への前奏曲

2017年01月19日 | Weblog
○クレンペラー指揮トリノ・イタリア放送交響楽団(CETRA)1956/12/17LIVE

じつに立派な演奏である。オケの熱血ぶりが冷血クレンペラーにどう届いたのか、タテノリで格調高いテンポ取りでいながら歌心にあふれ、とくにワグナー屈指の対位法的構造を生かし対旋律を極めて明確に謡いあげることで、どこの端をとっても歌そのもの、スコアの上から下までの全てが歌い出す素晴らしい時を作り上げる事に成功している。クレンペラーの鼻歌がいっそう気運を盛り上げて、まあこの時期のクレンペラーは晩年よりはよほど熱血だったわけだけれども、それでも希有の充実した演奏を作りあげた。音さえよければ、さらにバランスさえよければ(ファーストヴァイオリンが聞こえない!)◎ 必定だが涙をのんで○。拍手も盛大。名演。,
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☆サティ:交響的ドラマ「ソクラート」

2017年01月18日 | サティ
◎ラロー(sp)ソゲ指揮管弦楽団(CEPEDIC)LP

ソーゲはサティが好き過ぎて一大コレクションまで築き上げてしまったが(この曲の原譜もソゲ・コレクションにあったのではなかったか)、サティ最後の使徒としてのその熱さが、演奏をほんとの交響的「ドラマ」にしてしまっている点は賛否あるだろう。私は聴きやすくて、感傷的になり、◎をつけてしまったが、サティの意図はソクラテスの理念の白骨化した標本であり、語謡のように感情のない歌である。それには沿っていない。ただ・・・私はこの「ソクラートの死」は大好きである!最後、もっとぷつんと切れるさまがはっきりしていればもっと。ちょっとなにげにぷちっと終わるのが短すぎる感じもする。でも名前は不詳だがオケも含めて抑制的な中にも激しさを篭めて秀逸。
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☆ミヨー:交響曲第6番

2017年01月18日 | フランス
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1955/10/8LIVE・CD

ミュンシュはオネゲルばかり振っていたわけではなく、ルーセルとともにミヨーも好んで演っていたと言われる。ミヨーは構造的にオネゲルより緩く聞きづらさもあるように思われるかもしれないが、決してアマチュアリスティックだからではなく、先鋭な響きや複雑な運動性を大胆な持論で実現しようとしていたからこそ、座りの悪さや聞きづらさ、疎密の粗さを感じさせる部分が混ざるだけである。保守的な態度を示した交響曲など平易な趣旨の作品では、おおむねそつのなさが美しくあらわれ楽しく収束する。ミュンシュは意外と勢いだけでやっているわけではなく、フランスの作品ではスコアにあらわれる響きの繊細な交感をとらえ、演奏上適切に整理して提示する。ラヴェルくらいになると整理できない複雑さがあるため強引な処理がみられることがあるけれども、精密さにそこまで重きが置かれていないミヨーでは、無造作なポリトナリティを絶妙のバランスで調え、これはしっかりかかれているポリリズムはしっかりなおかつ弾むような明快さをもって表現し、ミヨーの「難点」に滑らかな解釈を加えている。この曲は田園ふうの雰囲気が支配的で聴きやすいので、ひときわ演奏効果があがっている。緩徐楽章にはくすんだミヨーらしい重い楽想が横溢しているが、さほど長くないことと、これは少し適性の問題かもしれないが、北の内陸のほうの曲をやるときのミュンシュのようながっちりした構築性が、ミヨーの意図を直接汲めているかように板についている。最後の壮麗な盛り上がりはミヨーの交響曲録音ではなかなか無い感情的な表現でききもの。ただ録音は悪い。せっかくプロヴァンス的な旋律から始まる一楽章も、無造作に始まりデリカシーなくきこえる(録音のせいだけでもないか)。○。
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☆カバレフスキー:交響曲第2番

2017年01月18日 | カバレフスキー
○ラフミロビッチ指揮ローマ聖チチェリア管弦楽団(EMI)CD

早世が惜しまれる名手だが、このミャスコフスキーをあく抜きしてプロコの手口を付けたしたような余り受けそうにない曲目のリズムと旋律の魅力を引き出し、技術的に完璧ではないものの俊敏で洗練されたスタイルを持つオケの表現意志を上手く煽って聞き応えのあるものに仕立てている。二楽章はそれでもキツイが、速い両端楽章はとにかく引き締まってかつ前進力にあふれ、力強くも透明な色彩感を保った音がロシア臭をなくしとても入りやすい。即物的だがトスカニーニのように空疎ではない、古い演奏では推薦できるものだろう。○。
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ジョリヴェ:オンド・マルトゥノ協奏曲

2017年01月18日 | Weblog
J.ロリオ(OM)ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1966/11/15live(12/8放送)

オンド・マルトゥノのための曲としては有名だが、盛大に盛り上げるというより思索に沈潜していく構成になっており、終わり方も比較的静かである。この楽器を珍奇なグリッサンドを駆使して高らかな音をかなでるものとして使うわけでもない点は特筆すべきものがあるが、逆に低い音域で動くがためにオンド・マルトゥノらしさが聞こえてきづらく、全般楽器以外の新味もあまり無い。この演奏はロザンタールらしくなく構成がしっかりしていないというか「あれ?これで終わり?」的な印象を残す。耳を惹くような仕掛けもなく、雑味もあり、ジョリヴェにしては暖かな拍手だけで終わるのだから成功だったのだろうが、ピンとこなかった。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」より3つの舞曲

2017年01月18日 | Weblog
チェリビダッケ指揮ORTF(ina配信)1974/2/6live

固い。その点は自作自演に似ている。表現がガッシリしているぶん音の迫力は凄いが、抒情味は無く、録音はステレオだが雑味が気になるところもあり楽しめなかった。もとより楽しませようとしていないのだろう。客席はブラヴォだが僅かブーイングも聞こえるさまが、延々と収録されている。
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☆ミヨー:交響曲第1番(1939)

2017年01月17日 | Weblog
○作曲家指揮 CBSso(コロンビア・ブロードキャスティング・シンフォニー交響楽団)(columbia,cascaville他)・CD

このプロヴァンスの作曲家は膨大な数の作品を残しているし、20世紀音楽史上にも名を残した人物であるにもかかわらず、その音楽はマニアとプロ以外には殆ど知られていないのではないでしょうか。CDにしてもフランス6人組時代の喜遊的な表題音楽が、「ジャズの影響」「ラテンのリズム」と称して出る程度。弦楽四重奏曲など純音楽指向の曲もたくさんあるので、もっと聞かれて欲しい、と思います。交響曲については、小交響曲と題されたミニアチュールが集中的に書かれた後、円熟期より本格的に取り組まれたもので、晩年まで15曲位(?)作曲されました。分かりやすさという点では、1桁番号のもののほうが良く、番号が若いほどみずみずしい感性が溢れた才気溢れる歌を聴くことができます。1番は冒頭のフルートソロから古雅な雰囲気を漂わせ、春の陽のように美しい曲想は小交響曲1番によく似ています。旋律の流れを時折不協和音が横切るところは好悪別れると思いますが、私などはエリック・サティの思想の昇華といった好意的な聞き方をしてしまいます。各楽章に共通する楽想はなく、全体に組曲風ですが、総じてある種の心象風景を描写したようでもあり、RVWの田園交響曲に共通する思考の発露すら見出してしまいます(出てきたものは全く違いますが)。新古典的といいながらはっきりとした古典回帰はなく、「空想の古典主義者」といった趣であります。終楽章は対位的な構造を用いながらも独特の複雑なハーモニーを乗せて、祭典の気分を盛り上げています。LP時代にはミヨー自身の指揮のものがありました。4番8番の組み合わせでエラートから出ているCDもお勧めです。他3、10番と小交響曲が2組までは確認していますが、他にも振っているかもしれません。(註:1番自作自演盤は2003年CD復刻した),
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☆ミヨー:交響曲第11番「ロマンティック」

2017年01月17日 | フランス
○フランシス指揮バーゼル放送交響楽団(CPO)CD

全集の一部。ミヨーもこの頃には依属による作曲が多くなり、最終的に交響曲の名を捨てて「~のための音楽」という露骨な皮肉な?題名の曲を量産することになるわけだが、これはダラス交響楽団とダラス・パブリックライブラリーの共同依属作品である。当然初録音だが初演はクレツキ。内容はけして過度にロマンティックに寄っているわけではない。アメリカ新ロマン主義に近い表現はあっても複調性による独特の響きと、これは新たな試みの一つとして投入されているようなダンサブルなリズムがミヨーという未だ挑戦的な作曲家の刻印を刻んでいる。もっとも、型にはまった戦後様式、という主として「内容」にかんする評は変わらない。3楽章制をとっている。演奏は立派である。ちょっと硬くて冷たい感もあるが、ジュネーブで亡くなったミヨーが目指したものに近いところがきっと、この演奏にはあらわれている。○。
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