湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ラヴェル 弦楽四重奏曲 (2012/3までのまとめ)

2012年04月10日 | Weblog
弦楽四重奏曲(1902-3)

<なんか最近の演奏はみな似通ってるとおもう。この曲は偏執狂(失礼)ラヴェルの出世作だけあって、どんなにドヘタアマチュアでもきっちり楽譜を音にできれば十分聞ける出来栄えになってしまう。逆に或る程度のレベルに達すると、個性を打ち出すのが難しくなるのかもしれない。作曲家の拘束力が強いというか…。それでもむやみに主張するのが昔の演奏団体だけれども、それでも案外幅がない表現が目立つ(カペーとかブダペストとか)。あとは音色(ネイロ)勝負一本しかないとすれば、聞こえが良い新しい演奏を選ぶのがケンメイかな…ということで以下は参考録音です。>

インターナショナル四重奏団 (M&A)1927・6作曲家監修

ラヴェル監修。ラヴェルはけっこう監修が多いような気がするがホントに監修してるのかなあ。例のロン女史とのピアノ協奏曲がじつは自分で振っておらず、フレイタス・ブランコの指揮だったらしいという暴露話(ちゅうかEMIの正式リリースCD)が、著作権切れた(カンケイないか)今になってでてきたり…ただ、録音最初期の室内楽団として知られるインターナショナル四重奏団の演奏は、特徴ある美音に彩られた佳演であることは確かです。…とても一般の鑑賞に耐えうる録音ではありませんが。よくきくと、ラヴェルは交通整理が苦手だったらしいが、そんなぎくしゃくした感じはする。だから、多分しっかり監修はしてるんでしょうが…ガリミール盤が同曲初録音とされるが記載データ上はこちらのほうが先になる。

ガリミール四重奏団 (ROCKPORT RECORDS)1934作曲家監修

ラヴェル監修で昔から知られていた演奏。やっとCD化。この時期ラヴェルはしっかり監修できたのか?死に至る病(絶望じゃなくて脳症)を発症してたはず。1934年って入院した年ですよね。音の誤りくらいは指摘できたにしても…。ガリミールは数々の現代音楽初演で知られた演奏家です。非常に即物的。ポリドール録音。

○ガリミール四重奏団(新)(vanguard)

この演奏はウィーン時代のガリミール四重奏団の録音を知っていたらまるきり違うことに驚かれるだろう。しかし、まるきり違うのは当たり前で、ガリミール四重奏団は戦争をはさんでまったく二期に分かれる。それを説明するには主催者であり唯一のオリジナルメンバーであるフェリックス・ガリミールについて少々説明を加えないとなるまい。

フェリックス・ガリミールはウィーン生まれウィーン音楽院出身のヴァイオリニストである。カール・フレッシュに師事しておりソリストとしてもデビューしているが、既に19歳から姉妹と弦楽四重奏団を組織しており、それが家族を中心とした最初期のガリミール四重奏団の母体となっている。初期から一貫して20世紀音楽の紹介につとめ、特に新ウィーン楽派との親密な関係は抒情組曲の録音で聞かれるとおりである。同年ラヴェルの監修のもとラヴェルの初録音も行っているが、このときガリミールはまだ26歳であった。いずれ極めて即物的な演奏として特異な位置を占めるものである。

1936年当時まだウィーン・フィルに所属していたがナチの影がさし楽団はおろかオーストリアから市民権を剥奪、単身フーベルマンの招きでイスラエル・フィルへ向かい2年をすごすが、その間家族はパリで辛苦をなめたと言われる。

38年NYにわたったガリミールはソリストとしてアメリカデビューを果たすとともに室内楽活動を再始動させる。これが息の長い現代音楽紹介の活動を続けることになるガリミール四重奏団(新)という形になる。WQXR放送における活動の一方でトスカニーニ下のNBC交響楽団のファーストヴァイオリニストとして過ごし、54年まで所属。シンフォニー・オブ・ジ・エアーになってからはコンサートマスターとして2年を勤め上げる。NY市立カレッジで教鞭をとるようになったのが室内楽指導者として有名になっていくきっかけとなる。NYPに所属する一方で長く続くことになるバーモントのマールボロ音楽祭を組織、現代作品を中心に毎年演奏にも加わっていた。

62年ジュリアード音楽院でも教鞭をとりフィラデルフィアのカーティス音楽院では72年来室内楽を指導。室内楽のエキスパートとして各地に招かれ指導を行った。ヒラリー・ハーンも生徒の一人である。その間にも演奏活動は継続し、デッカ、コロンビア、ヴァンガード、ピリオドの各レーベルに録音を残している。99年11月10日にNYでこの世を去った。

つまりガリミール四重奏団は29~39年のウィーン期(ポリドールのSP録音)、1944年以降のNY期に完全に分かれるのである。ウィーン期のものは限られているが、これだけがクローズアップされがちなのは残念なことである。後期では特に幅広いジャンルの弦楽四重奏曲を演奏し、デジタル初期の名盤として知られたのがこのヴァンガードのラヴェル・ドビュッシーの演奏である。セカンドヴァイオリンは日本人。

そしてラヴェルの話に戻るのだが・・・これが「普通」なのである。ドビュッシーよりも盛り上がるし、一部大昔の演奏を思わせる即物的な解釈がみられるが(終楽章の5拍子をここまで正確にとれている録音も無いのではないか!)おおよそ一般的なイメージ内におさまるロマン性を表現した演奏になっており、教科書的に読み解けばじつに有意な内容を引き出せる端正な録音だと思う。現役でもいいくらいだが、ラヴェルの演奏というとアルバン・ベルクをはじめいくらでも「エキスパート」が録音しているわけで、因縁的な部分を知らないと、余り特徴のない、でも引き締まった演奏だぐらいの聞き流しになってしまうのはせんかたないことかもしれない。とにかく、正確であり、しかし客観に落ちていない。音的にやや魅力に欠けると思われるのはおそらく全般としてアメリカナイズされた音にならざるをえなかったというところに尽きるだろう。まあ、この4楽章を聞いてびっくりしてください。バスク舞曲とかそういう問題ではなく実にきっかり5拍子をはめてきているのが驚き。○。

○レナー四重奏団(COLUMBIA)

SPというものはプレイヤー本体から出る音で楽しむのが一番で、電気的に処理してしまうと倍々でノイズが強調され、音楽部分がぼやけてくる。デジタル化したら尚更、これはSPで聴いていると生々しく細部まで聴き取れるのだがケーブル経由で最終的にはデジタル化してしまうと何だがぼーっとしたSP復刻CDみたいな音になってしまう。うーん。従って聴感も違う。うーん。SPで聴いていると細かいところが気になる。一音だけ、違うのではないか(間違ったのか勝手に「伝統的なふうに」変更をしたのか・・・精密機械ラヴェルは一音たりとも変更したら崩れてしまう)、とか、八分休符が無い、とか、カペー四重奏団の(当時としては超)現代的スタイルのインパクトに隠れてしまった録音と言われるが基本的に物凄く巧く柔らかく音色も優しく美しい、作為的な強弱や極端でデジタルなテンポ変化のつけ方が、少し他の雑な団体と違っていて、まるで自作のように独特な解釈だが、自然、ボウイングや音響処理には若干ドイツ的な部分がみられる、とか色々感じるところがあった。しかし、電子化したところ、単に呼吸するようなルバートの巧みさとか、ポイントでのオールドスタイルの大仰な見得切り(ためてためて一瞬間をあける)みたいなテンポに起因する目立つ部分ばかり耳に届く。言われているほどオールドスタイルではない、むしろカルヴェなど後代のカルテットのほうがよほどやらかしている。

この団体を表舞台に引き上げたラヴェル自身は眉を顰めたであろう箇所は随所にあるが、今の耳からするととても面白い、かつ、それが下品にならない寸止めであり、音色も艶はあるが品よく聴こえる。カペーなどよりよほど面白いのだが。そもそもラヴェルゆかりの団体、SPそのままの音で巧く復刻できないものかなあ。

激しいフレーズでエッジの立たない1stの発音が少しのアバウトさとともに印象を悪くしている可能性はある。エッジは録音のせいだろう。二、四はいささかリズムを取りすぎの感はあり前進力が時々失われ、一方先へ流れがちで緩いかもしれない。一も時々瞬間的に走る。三はかなり起伏がなく、印象がない。このあたりカペーには劣ると受け取られた由縁か。ドイツ的と書いたが微妙なハーモニーがしっかりした低音と旋律音域の対比という非構造的音響感覚のもとに不協和的にしか感じられないところもある。録音的に捉えられない部分かもしれないが。それでいてアンサンブルは綺麗に立体的に出来ているのである。

ちなみに最近よく出ているUSB接続のVESTAXの安物ポータブルプレイヤーで録音したが(針も備え付けの通常のステレオ用・・・DJ用ではあるVESTAXの針ははっきりとした音が案外いいので本式プレイヤーでも使ってます)、とてもよく使える。機構はシンプルでアナクロだからそんなにヘビーユースしなければ、交換針式のものでいちいち交換するまでもなく(同価格帯でSP針が別売りされている他社機種もあるが)ほとんど傷もつかなさそう。重量盤なら安定しているので、プレイヤーからはみ出す形式でも歪みは出ない。さすが売り切れまで出るタイプの機種だ、ただ、付属ソフトは優秀なのだがバグると始末に終えないので注意。

カルヴェ四重奏団(LYS)

ドビュッシーの希代の名演に対していささか個性が薄まっている感じ。なまめかしさ後退。

○カペー四重奏団(EMI他)1927-28・CD

ラヴェルの演奏方法として当初一般的だったのは寧ろかなり非ロマン的な演奏だったのではないか、とインターナショナル四重奏団などラヴェル監修とされた録音をきくにつけ思うが、カペーは違う。カペーも確かに即物的な解釈で演奏者独自の特徴を出さない方向にまとめているのだが(これはドビュッシーも同じ、のちのブダペスト四重奏団なんかに似たところがある)音色にはロマンティックな時代の奏法が高度な技術に裏づけされた形で注意深く反映されそこが違う点となっている。あからさまに下卑た感情的な音だと客観的解釈には乗りにくいし(そういう演奏もこの曲には多いが)非人間的なまでに音色を金属質にしてしまうとそれはそれで寄る瀬のない演奏となり鑑賞するのが辛くなる(分析するのには都合がよい)。後者はガリミール初期を言っているのだが、しかし、バランスという意味でも演奏自体の完成度という意味でも、全般地味ではあるものの弦楽四重奏史に大きな足跡を残すオーソリティなりの若い楽団を寄せ付けないプロフェッショナルなものが聞けるということでこの演奏は一聴の価値はある。○。音盤のプロデューサーによってけっこう音が違ってくるのでそこも注意。

ブダペスト四重奏団

ユウメイだけれども私はあんまりひかれない。音色が地味もしくは個性に欠ける。こういう演奏なら現代の新しく明晰でディジタル録音でバランスいじりまくった(暴言だなこりゃ)録音のほうが数億倍いいような。ブダペストはところどころ独特の解釈が入ります。

プロ・アルテ四重奏団(ANDANTE/HMV)1933/12/3-8・CD

とても正確で、奇ををてらわぬマジメな演奏だ。スピードの極端な変化は避けられ、音はひとつひとつが明瞭に発音されポルタメントのようなものは殆ど排されている。私のようなすれっからしはこういう優等生的な演奏にはケチをつけたくなるものだが、先へ聴き進めるにつれ微細なニュアンス付けや音色への細心の配慮が聴こえてきて、うーん、と唸らせられる。1、2楽章あたりは「つまらん」のヒトコトで斬り捨てる人がいても仕方ないと思うが、3楽章のようにやや捉えどころが無く言ってみればもっとも印象派的な音楽は、微妙なハーモニーが綺麗に決まらないと成り立たないものだから、ここにきてはじめて「正確さ」が威力を発しはじめる。3楽章は必聴。4楽章は前半楽章ではやや後退していた艶めかした音色が前面に立ち耳を惹く。とはいえ基本的に即物的な演奏でありテンポの伸縮のない「棒」のような解釈には若干疑問を感じる。録音は悪い。迷ったがやはり地味で客観的、ノリが悪いから無印。

○クレットリ四重奏団(新星堂EMI,COLUMBIA)1929/3/22・CD

ここへきてクレットリにかえると、物凄い雑音と弱音のSPからの復刻であっても、物凄いしっくりくるのである。収録時間の制約もあるにせよこの曲は余りゆっくりやってしまうと底が見え瑞々しさも失われてしまう。平準化された往古の音質とはいえ明るくも情緒的に膨らみのある音を皆がもち、言われるほど均質化された音楽が噛み合い過ぎて浮遊感うんぬんいったことは少しもなく、各自がラヴェルのえがいた明確な音線をあくまでしっかりソリスティックに表現しフレージングをつけ、それを力業でテンポとリズム(あやうかったり失敗したりしてもリズムさえあっていれば流れは作れる、むしろ楽譜の細部に拘泥し聴く者にコキミいいリズム感を与えられないほうが問題なのだ)をあわせるだけでアンサンブルとして聴かせている。ラヴェルは縦の作曲家だが旋律面では横の流れが意外と重要となる。性急で弾けてないところも多数聴かれるとはいえ、カペーの即物スタイルに若さと色を添えたような往年のフランス派同時代の音楽表現力に耳を奪われた。ファーストの高音域が録音のせいか痩せて子供ぽく聞こえたりチェロのナヴァラの個性が浮き立たなかったり、これを第一に推す気にはならないが、弟子孫弟子クラスの団体が失ったものがここにある。○。板起こし。

○レーヴェングート四重奏団(DG)LP

独特の演奏。面白さで言えばカップリングのドビュッシーに軍配があがるが、技術面もふくめ完成度はこちらのほうが高い。終楽章の5拍子が最初は最後に1拍「ウン」と思い直すような拍が入って6拍子に聞こえる(3拍子が2拍子になっているバーンスタインの「ライン」冒頭みたいな感じだ)のがちょっと面白かった。無論解釈であり、先々のつじつまはあっているし、途中5拍子に戻るときにはしっかり5拍子で聞こえるからいいのだ。繰り返しになるが線が細く力感がない、小手先は巧いが音色が単純というハンディ?をかかえた団体なので、工夫をすることで独自性を見せているところがある。4本が重なったときの音の純度が高いことも付け加えておこう。4本が音色的にも技術的にも平準化されているがゆえの長所だ。この団体の短所でもあり長所でもある。弱音でのノンヴィブ表現にも傾聴。この演奏は全楽章解釈に手を抜かず起伏があって聞かせる力がある。但し・・・私は2回目で飽きた。ので、○はひとつにとどめておきます。でもぜひいい音でCD復刻してもらいたいものだ。,

○レーヴェングート四重奏団(CND)LP

モノラル末期のフランス録音。ドビュッシーよりラヴェルのほうがいいという特異な団体である。そくっと入り込むような1楽章から、終始穏やかできちっとした(一種お勉強ふうの)演奏が繰り広げられるが、技術的に完璧ではないものの、演奏的に隙がない。まあまあ。VOX録音があるのでこれに拘る必要はなく、モノラル末期特有の重厚な音があるとはいえ状態のいいものは高い可能性があるので(私はひさびさディスクユニオンに行って、あの大量消費中古店でもそれなりの値段がついていたものを、半額セールで買ったのだが、それでも裏表音飛びまくりの磨耗ディスクだった・・・半額じゃなければ何か文句言ってるところだ)。

レーヴェングート四重奏団(VOX)LP

ステレオ録音。ドビュッシーよりは柔らかくニュアンスのある演奏。ハーモニーの変化や個々のモチーフの表現は実によく計算されて明確であり、「ここで内声部に既に次のモチーフが顕れてたのか!」みたいな発見がある。ただ、やや危ないというか、変なところがある。このストバイ(ファーストヴァイオリン)、刻みが微妙に拍から遅れるのはどういうわけだろう?2楽章の中間部前・下降音形の三連符の刻みや4楽章の一部、「弾き過ぎて」リズムが後ろにずれていくように聞こえる。他の楽器がちゃんと弾いているので破綻しないで済むのだろうが、ちゃんと刻めないのか?と疑ってしまう。また、2楽章で中間部の最後・副主題の再現前に印象的なハーモニクスを含む跳躍があるが・・・弾けてない!ぐぎっ、というような力んだ音がするだけである。決して技術的に劣っているのではなく、こういう弓圧を思い切りかける奏法なものだから軽くトリッキーな場面で音の破綻をきたすことがあるのだろう。技術うんぬんで言えば1楽章などの分散和音のピチカートはハープと聴き枉ごうばかりの美しさでひびいておりびっくりする。こういうことが出来るのだから技術が無いわけではなかろう。まあ、3楽章の聴きどころとなっている美しいアルペジオがちっとも響いてこないなど、ちぐはぐな技術ではあるのだが。そのアルペジオに載って入るチェロ(だったかな?)が美しい。楽団によっては低音楽器による主題提示が今一つ聞こえてこないこともあるから新鮮だ。これもストバイのアルペジオが下手だから際立ってきたのだが・・・あ、下手って言っちゃった。総じて無印。,

○パスカル四重奏団(concert hall)LP

1楽章は凡庸。しかしこれは明らかにラヴェルである。ラヴェルではない勘違い(決してネガティブな意味ではないよ)の多い時代なだけに安心して聞ける面もあるが、つまんない、という印象のほうが強い。カペーのスタイルを彷彿とする。2楽章はかなりやばい。ピチカートがずれてる・・・これが何と終始ぎくしゃくしたテンポ感の中でえんえん続くのだ。再現部まで。これは・・・である。しかし、その次の緩徐楽章、ここで初めてこのフランス派の先達の威力が発揮される。このラヴェル旋律の持てる感傷性を引き出せるだけ引き出した、余韻のある非常に心根深い演奏ぶりで、音楽の美しさと、ほのかな哀しさに涙する。これができたから半世紀以上あとの現在も名前が残り続けているのか。。即物的印象の大きい演奏録音もある団体だが、この歌い上げ方・・・けして「情に溺れて」はいない・・・はほんと、白眉だ。そして4楽章は見事に盛り上がる。ブダペストあたりの現代的で厳しい演奏とは違うけれども、古いロシアンスタイルのようなデロデロぶりとも全く違う、フランス派のカッコイイ盛り上がり方をすべらかに堪能できる。総じて○。前半楽章で投げ出さないこと、逃げ出さないこと、それが大事。

スタイヴサント四重奏団(BLIDGE)CD

ひどく音が悪い。モノラルは当然の事、何やらプライヴェートな実況録音並の録音状態で、とくに高音域がかなり聞こえないというのは痛い。全体的に地味であり、柔らかい音の競演には魅力を感じるものの(1楽章や2楽章中間部、3楽章)スペイン趣味の発露が甘くあまり魅力をもって響いてこない。解釈があまりに平凡ということもある。とにかく地味だ。聴いていて正直飽きた。もう一度聴きたいと思わない。そういう演奏。

○カーティス四重奏団(westminster)

音色、方法論的にラヴェルには適した団体だと思ったが、余りに大胆な表現のデフォルメぶりに1楽章冒頭から引いてしまう。また強い音になると音色が損なわれ単純に留まってしまう、但し3楽章は素晴らしく例外である。優しい音に切り替えるととても響いてくる音楽のできる団体なのだなあと思った。立体的な書法を敢えて強調せず旋律を浮き立たせようとするところもあり、往年の団体らしさが感じられる。ラヴェルの仕掛けたウラの響き動きが聞こえない場面も多々、もちろんモノラルの旧い録音のせいでもあろうが。4楽章はかなりカタルシスを感じさせるが、ちょっとテンポ的には落ち着いている感も。○。

パガニーニ四重奏団(RCA)LP

この団体はドビュッシーのほうが圧倒的にいいが、加えて2楽章中間部前半の大幅カットがあり、いくら演奏が力強く最後まで聴きとおせるものとなっていても、どうしても違和感はぬぐえない。1楽章の展開部で裏のトリルの拍数をいじったりもしており、こんにち復刻されないわけがわかる。純粋に演奏として、やや色味が足りない。素っ気無くお仕事的にやっている。1楽章冒頭でファーストの音が裏返ったりしてもそのまま録音してしまっているのは、スタンスの乱暴さがうかがえるというものだ。録音システムの違いでKARP盤とは異なるブダペスト四重奏団を思わせる渋い音に聞こえるが、それゆえに響きが重くフランス的な軽さがいまひとつ浮き立ってこない。スピードはあるのに重いというのはよくあることだが。無印。メンバーはテミヤンカ、ロセールズ、フォイダート、フレジン。この団体はいわば楽器が主でメンバーは従なのだろう、メンバーはなかなか固定されない。楽器は東京カルテットに引き継がれているそうだ。

パガニーニ四重奏団(KAPP)LP

ドビュッシーとラヴェルのカルテットはよくカップリングされる。確かにハーモニーの移ろいには類似したものがあるのだが、演奏スタイルは全く異なるものを要求する(だいたい1楽章の出だしからしてリズム処理と奏法が異なってくる曲だ)。だからドビュッシーがよくてもラヴェルがイマイチ、という演奏によく出くわす。ラヴェルはドビュッシーのようなプラスアルファを要求しない。音だけを譜面どおり組み上げるならば、練習だけでそれなりのものに仕上がる(リズムに慣れればドビュッシーより曲になりやすいだろう)。しかし、「何か一つ突出させる」のは、なまじの解釈では不可能だ。微に入り細に入る綿密な設計と、それを「自然に」精緻な構造の中に組み込む難しい作業が必要とされてくる。ドビュッシーは感情任せで弾くことができるが(そうすることを要求する譜面だが)、ラヴェルは「感情をいかに抑えるか」で決まってくる。ミスが露骨に出てしまうという点でもドビュッシーより余程怖い。パガニーニ四重奏団の演奏も悪くは無いのだが、一部強音の表現で「弓を弦にギリギリ押し付けるような音」が出てしまっており、ラヴェルの繊細な世界をガラガラ壊している。ドビュッシーは録音のせいもあるだろうが穏やかな方向で成功しているのに、ラヴェルは特に2楽章あたりで耳につく強音があるのである。逆に曲想の浅い凡庸な曲に聞こえてしまう。ほんとに難しい曲だ。○にできそうなものだが方法論が意外と凡庸なのとドビュッシーとの落差で無印にしておく。

○ヴラフ四重奏団(SUPRAPHON)1959・CD

怜悧な表現の得意な東欧派にとってドビュッシーよりラヴェルのほうが適性があるのは言うまでもないが、ラヴェルのカルテットの何が難しいかといって、譜面どおり演奏しないと形にならないとはいえ、その逐語訳的な表現の上に更にどういう独自の語法を載せるか、フォルムを崩さず何を表現するか、解釈の幅を出すのが難しいのだ。ヴラフは「何も載せない」。ここには非常に純度の高い演奏がある。そこに個性など純粋に楽器の音色以外にない。これがやりたかったことなのか、往年の東欧派の音色を聞きたいというだけでこれを聴く意味はあるが、ただ、ひたすら緩慢なインテンポで、人工的なメリハリのついただけの演奏振りはいささか退屈である。アナログで聴くと違うのだろうか。モノラル。

○カルミレッリ四重奏団(DECCA他)1960・CD

正直奇演である。上手いんだか下手なんだかわからない、線は細いけどトリッキーな動きがめっぽう巧いカルミレッリ女史と、じつはけっこう支えになっていてこれがないとバラバラで成立しないであろうチェリスト、その他二人(怒られるか)、1楽章は正直「なんだかよくわかんない」。2楽章はトリッキーな楽章だけに女史のソリスティックな技巧が見せ場となるはずが・・・中間部あたりとかいろいろやろうとしているのはわかるのだが・・・ええ・・・こんなに弾けてないのってアリ?しかし3楽章4楽章、とくにクライマックスの4楽章ではここぞとばかりに見せ場をつくり、女史の細い音が繊細な絹の織物のような動きを見せて秀逸である。つか、こんな「いじり方」をした団体は初めて聴いた。「譜面をいじっている」のである。すごい。つか、なんで人気があるとされてるのかわからん。面白かったけど、アナログ盤のほうが楽しめるでしょう。CDは音が平準化され硬質でイタリア四重奏団のときもそうだったけど、室内楽にかんしては音楽が面白くなくなってしまう。ほんとはこんなアンサンブルとしてもどうかと思うような団体に印をつけるべきではないのかもしれないが、面白いと思ってしまったので○。カルミレッリ四重奏団には恐らく同じ音源だと思うがモノラルのLPもある。原盤DECCAでプロコの2番とカップリングされていた。元はステレオ収録。

○パレナン四重奏団(EINSATZ/PACIFIC)1950年代初頭・CD

パレナンにしては躍動的で前半楽章では感情的な昂りも感じさせるが、それは主として音色的なものでありテンポはそれほど揺れずアンサンブルはいたってしっかりした後年のスタイルに沿っている。もちろんそういった若々しさ力強さ(+雑味)が醸される理由の大部分は団体のまだ初期の録音だからというところに帰するだろうが、もう一つ、録音の残響がぜんぜん無く、デッドと言っていいくらいであることにも起因していることは間違いない。そのような状態でなお十分に「聴ける演奏」であることこそが一流の演奏家のあかしとも言えるのだが、リアルな肌触り、剥き出しの運動性はひとえにその録音環境(及び復刻)によって生み出されたもので、神経質な向きには薦められないが、慣れた向きには残響バリバリで補正かけまくりのデジタル録音には無い、狭い木造のスタジオで繰り広げられるライヴを現場で聞くような感覚で楽しめると思う。○。

○パレナン四重奏団(EMI)1969/7・CD

最近妙に評価が高まっている感のあるフランスの名カルテットだが、現代の演奏スタイルの先駆的な部分があり、遅いテンポできっちり音符を揃えていく、やはり手堅さを感じる。とくに中間二楽章はどうも客観的に整えすぎて音楽が流れていない。余裕があるのかといえば二楽章中間部後半(もしくは再現部)のピチカートアンサンブルは遅いテンポ設定にもかかわらず縦のずれそうな危なさを感じさせ、やや不調ぶりが伺える。音色にも余り魅力はなく、かといってヴィブラートには更に前の世代を思わせる艶もあり魅力がないわけではないのだが、デジタル音源化のせいだろうか、全編通じて音色という点からは殆ど耳を惹かれない。1楽章はしかしそれでも情緒纏綿なフレージングが丁寧に音楽の起伏をつけていてゆっくり浸れる要素はある。4楽章も依然楽譜に忠実であろうとする余り5拍子の刻みがしゃっちょこばって聞こえたり不自然な点もないわけでもないが、特徴的な解釈がみられ適度に激しそれなりの集中力も感じさせる。録音が余りよくない(ホワイトノイズが気になる)せいもあるが、全般に音楽が拡散傾向にあり、ラヴェルなりの緊密さがやや希薄な感じがした。両端楽章を評して○。

○パレナン四重奏団(ensayo)

スペイン録音とされているもの。解釈的にはCD化されている録音と殆ど変わらない。ファーストのパレナンの技術に若干不安がある。精度と予定調和的なルバートの人工的なマッチングぶりを売りとした団体にしては、あれ?精度・・・という指の廻らなさが聞かれる箇所がある。全体のテンポの落ち着きぶりと、基本的にはメトロノーム的な流れが、技術的問題に起因するような気すらおぼえる。普通に美しい演奏ではあるし、先にのべたルバートが効果的な箇所もあるが、まあ、CDになってる音源で十分かも。録音はよい。エンサーヨからはドビュッシーとのカップリングのものやストラヴィンスキーの三つの小品なども出ていた。

○ヴィア・ノヴァ四重奏団(ERATO)CD

パレナンの後輩にあたり67年より今も活動を続けているフランス屈指の弦楽四重奏団である。しかしパレナンより随分とこなれた解釈を高度な技巧にのせた優秀録音が数々のこされており、ラスキーヌなど名手との共演も含まれているがいずれERATOなのでBMGが復刻するより他聴く手段はない。幸いなことに現役盤のようだ。実演は実はかなり技術的にきつかったりするのだが(音色は逸品である)、録音マジックととらえておこう。これは正直スタンダードなラヴェルの演奏としては恐らく史上最高レベルであると思う。二楽章でつまづくフランスの団体も多い中この演奏では、スピードを失わずスペイン情緒も透明感のある響きの中に水が撥ねるように散りばめながら、とくに中間部の掛け合いアンサンブルを楽々と、しかし完璧にこなしており、スピードと情緒が過度にならない一方で客観的に整えるような方向にもいかずバランスのとれた、曲を最大限に生かした演奏を行っている。終楽章の盛り上がりも素晴らしくこれ以上望むべくも無い。ならなんで○にとどめているのか?スタンダードすぎるからだ。

○シャンペイユ四重奏団(CLUB FRANCE他)1954・CD

レーベル名はてきとうに略しました。51年の旧録音は正真正銘のレア盤で異常な高値のつくLPですが、せっかく新しいほうが(ピアノトリオ未収録など問題はあるものの)安値でボックスに入っているのでこれで安定した音を楽しみましょう、といいつつ、CDのくせにステレオ機で再生すると音がよれるのはいかがなものか。ファーストが雄弁な非常に巧い団体の、模範たるべき超名演なだけに気になった。少し硬質だけどバランスの絶妙な音で完璧に歌い継いでいく。かなり激しいが技術にはいささかの乱れもみられない。若干丁寧に重い程度か。強烈さはないが雄弁。○。旧録音も聴いてみたい。フランス派を代表する団体です。

○ブルガリア四重奏団(harmonia mundi)

この団体にしてはけっこう熱の入った演奏。ただ、やはり印象に残る表現はなく、楽曲に忠実な演奏というより他ない。2楽章など技巧のあるところを見せている。精度面では問題ないだろう。○。

○ベートーヴェン四重奏団(meldac)1961LIVE・CD

懐かしい音だ。カルヴェあたりを彷彿とする非常に感情的な音だ。比較的乱暴というかぶっきらぼうな力強さがあるが、艶のある音色には旧きよき時代への感傷が確かに宿っている。透明な響きの美しさを煽る演奏が好きな向きには薦められないが(モノラルだし)、単純に面白さを求めるなら(決して物凄く変なことをしているわけではないのだが)薦められる。リアルなロマンチシズムだ。ライヴならではだが二楽章のピチカートなどちょっとずれたり外したりしている。しかし激しさだけではなく流れとフォルムがきちっと守られており、流麗さも弾むリズムもないがリアルなアンサンブルのスリルを味わえる(うーんスリリングな面白さがあるかといえばそういうこともないんだけど)。実演なら迫力あっただろう。3楽章もリアルなロマンチシズムが横溢する。しかしぶよぶよにはならない(この曲だしね)。4楽章は絶対音感のある人は嫌がるだろうが、「音程」に特色がある。ファーストがかなり高めにとっていて、他の楽器もそれぞれ「極端な音程」をつけている。だから4本で協和するはずの響きも揃わない。しかしこれは実演ならではの感覚で、正規の音程でとるよりもボリュームと一体感があるという、何とも説明しがたい状況の生み出したものなのだ(実際はファーストのチューニングが狂ってきたけど4楽章アタッカだから直す隙がなく指で調整しただけだったりして)。収録を前提としていないライヴの作法だからそれが雑然と感じられても仕方ない(録音状態はロシアのものとしては比較的良好)。音色も(カルヴェ四重奏団だってそうだけど)揃っていないので、とても「正統派ラヴェル信者」には薦められないが、特に後半の盛り上がりは「ここまできてそう上り詰めるか!」といった一種異様な迫力があり特筆できる。私はけっこうこの最後あたりの自主性を保ちながらの丁々発止は好きだ。全体としては○。いわゆる旧来の解釈ぶりであり余り特徴的なものはないが、単独では十分楽しめる。

○ボロディン四重奏団(melodiya/CHANDOS)CD

オリジナルメンバー(*バルシャイのいた初期ではない)による有名なメロディア録音。ステレオ初期で音はよくはない。更にCD化に伴うデジタルリマスタリングによって元々の録音瑕疵が明らかになってしまうと共に音が硬く痩せてしまいふくよかな音響が失われている(ぽい)ところは非常に痛い。硬質な透明感が持ち味になったのは後年のことであって、オリジナル時代においては必ずしもそういう操作・・・特に擬似的なサラウンド効果の付加による不恰好にレンジの広い音響・・・はいい方向に働かない。ロマンティックと解説に書いてありながらも酷く人工的に感じるのはそのせいだろう。最近復活したメロディヤが出しなおした盤ではどうなっているか知らない。

この楽団はロシアの楽団とはいえ旧来の艶めいた「音色のロマン性」を煽る方向にいかなかったのが特徴的である。その点独特の位置にあり(続け)、それはこのオリジナルメンバー時代において既にはっきりとあらわれている。オリジナルメンバーならではの「ロマンティック」というより「特異に」恣意的な解釈はともかく、金属質で透明な音響を心がけ、特に「ノンヴィブラート奏法」の多用、スル・タストといった特殊な音を出す奏法の導入によって諸所の静謐な音響に独特の境地を編み出しているのは特筆に価することだ(このノンヴィブによる吹奏楽のようなハーモニーこそボロディンQをボロディンQたらしめているものであり、ドビュッシー・ラヴェルの一家言ある解釈団体とみなされるようになったゆえんである)。ドビュッシーにおいては余りうまくいっていないように思われるこの独特のスタイルだがラヴェルにおいては大成功であり、ラヴェルにこのような独自解釈の恣意性を持ち込んでここまで成功できたのはボロディンQだけではないか。しっくりくるのである。金属質の音はラヴェルにお似合いだし、ハーモニックな音楽作りもハーモニーに拘ったラヴェルに向いている。特に3楽章の解釈は絶妙と言ってよく、いつ果てるともない単音の伸ばしや(こんなのおかしいと思うほど長い)RVWかとききまごうような教会音楽的なノンヴィブの響きに「これはラヴェルじゃない、けど、こういう曲だと言われたら、これしかないように思ってしまう」ほどの説得力である。ノンヴィブにモノを言わせる近現代の室内楽演奏様式というのはソヴィエト発のものと言ってよく、それが古楽演奏の流れにいったかどうかは知らないし興味もないが、ボロディンQのスタイルがおおいに影響したことは想像に難くない。1楽章も言われるほど遅くはなく、2楽章がややリズム感が薄いが、3から4楽章への流れはすばらしい。

これがスタンダードではない。久しぶりに聞いて、ボロディンQがスタンダードだと思っていた学生時分を恥ずかしく思うくらい、これはラヴェルの典型とは言えないものだけれども、聞いて決して損はしない。ドビュッシーは珍演と言えるかもしれないが、ラヴェルは珍演と呼ぶには余りに板についている。アナログで聞いていないので◎にはできないが、○でも上位という位置づけに誰も異論はないのではないか。のちのボロディンQは完全に響きと現代的客観演奏の方向にいってしまった感があるが、これはその初期における、まだ完成されてはいないけれど、そうであるがゆえに魅力的な一枚である。

○ボロディン四重奏団(BBC,IMG)1962/8/29live・CD

この団体にしてはものすごく情緒纏綿なかんじの演奏である。この遅速はちょっと調子が悪かったのかもしれない(もっとも後年の演奏でもスピードはそれほど上げられないが)。とくに2楽章の中間部から再現部への複雑なピチカート・アンサンブルが完全に「崩壊」しているところはちょっと驚いた。ラヴェルを得意とする団体とは思えない非常に危険な楽章になっている(パスカルの失敗を思い出した、のるかそるかの一発勝負みたいなところのあるパッセージではある)。カップリングのボロディン2番(とあとショスタコ8番)に比べて妙に人間臭いことは確かで、演奏の完成度で言えばまったく話にならないとはいえ、面白みでいえばずっと上である。私はこのラヴェルは好きだ。無印にする人もいるかもしれないが私は○にしておく。往年の演奏解釈を彷彿とさせる。

○イタリア四重奏団(EMI)CD

物凄くゆっくり演奏だけど、この曲に関して言えば(とくに1楽章は)それがとても心地いい。既にして精巧で隙の無いラヴェルの手法を裏の裏まで堪能でき、内声のマニアックな仕掛けもはっきり聞き取れ新鮮な興味をおぼえる。ただ、2,4楽章は余りにゆっくりすぎだ。丁寧、と誉めておいて○をつけるし、ドビュッシーよりは音に魅力を感じるが、それほど取り立てて騒ぐ演奏ではない。唯一速いのは1楽章の急峻部(繋ぎの部分)くらいか。

○ペーターゼン四重奏団(capriccio)CD

生気が無い。といったら悪いので手堅いとしておくか。いくらラヴェルだからといってインテンポ守りすぎ。表現に伸びやかさや多少の茶目っ気もあっていい旋律音楽だと思うのだが、長い音符でもきっちり型に収めようと制御しているような感じがした。技巧的問題があるのか?とはいえ、ちゃんと聴ける演奏にはなっている。○。

フィーデル四重奏団(fontec)1979/4/23

先入観で聴いてはいけないと思うのだ。確かに現代日本ではこれより巧くラヴェルを紡ぎだす団体はいる(だろう)し、音色的にもやや硬く金属質で柔軟性がないから個人的には人のぬくもりがなくアウトなのだけれども、ラヴェルにはまさに金属質な正確な音程でピアノ的とも言える音価の正確さだけが求められる。それならもっとボロディン並みに磨き上げられた演奏なんていくらでも、と言いたいところもあるが、ちょっと面白かったのは譜面にない表現をつけるところが若干見られたことである。そういうワサビの効いた演奏が私はとても好きだ。それならもっと創意を、と言いたいところもあるが、でも、全般になんとなく、若いけれど、よかったです。ム印。

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