湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル マ・メール・ロワ (2012/3までのまとめ)

2012年04月10日 | Weblog
「マ・メール・ロワ」

バレエ全曲版

◎ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(ADES他)1959・CD

ロザンタール極めつけの一枚。ロザンタール追悼盤として再復刻されて間も無いので、手に入るうちに手に入れておきましょう。時には不器用な様さえ見せるロザンタールの指揮だが、ここでは「完璧」である。子供の視線で見る夢幻の世界をじつに繊細な感覚で紡ぎ出している。ラヴェルがその書法に込めた淡い感傷性をこれほど的確に表現してみせた演奏は無いだろう。半音階的に書かれた終曲などロマンティックでさえあるが、ロザンタールはとても深い共感をもって慈しむように表現しており、でもあくまで軽やかで美しい響きを維持しながらであるところにこの人の絶妙さを感じる。また27分余りに及ぶバレエ全曲版であるところにも価値がある。ラヴェル自身の手になる間奏曲の美しさに胸打たれる。作曲家自ら綿密な計算のうえで挿入したそれぞれの間奏曲の放つ個性、その存在によって自然で流れるような場面展開が促され、連綿と間断無く続く音楽絵巻き(と書くと日本の鳥獣戯画みたいなものを想起するかもしれないがあくまで西欧の中世民話絵巻きみたいな感じ)にただただ浸りきることができる。ラヴェルの管弦楽曲で長いものというと歌劇を除けばダフクロくらいのもので、ある程度ボリュームのあるものを求めるならこの全曲版を聴くことを強くオススメする。高音打楽器を多用したちょっとストラヴィンスキー風なものもあれば終曲への間奏曲のようにそれまでの楽章のモチーフが断片的に引用されその中から終曲冒頭の重厚な和音が響き出すというちょっと歌劇ふうの発想のものもある。この曲はじつにロマンティックというか、沫のように次々とはぜては消える儚さ、数々の思い出のようにもう二度とは戻らないものの切なさ、そうであるがゆえの愛おしさに震えてしまう。そして続く終曲のただただ甘い響きの余韻に浸りしばしプレイヤーを止めて黙り込むほどの感傷をあたえる。ディーリアスを想起する人もいるかもしれないがあながち外れた聞き方ではないだろう。この盤は録音バランスは変だが、それを押しても余りある非常に純度の高い幻想である。◎。ロザンタールの盤の中では一番好きな演奏だ。

○アンセルメ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1951/12/21live

全曲と書いたが抜粋かもしれない。スイスの硝子細工師アンセルメ向きの作曲家・楽曲であるとともに、ボストンの硬質な音も技術的な高さも、小規模アンサンブルもしくはソロの目立つ、繊細で無駄の無い構造を持つこの曲に向いている。録音が悪く、その点不利ではあるが、ミュンシュ的な曇ったロマンチシズムや情感の煽り方とは違った角度から、スコアそのものに明るい光を照射して、オケに投影しているというのか、どうにも文学的表現では説明しづらいものではあるのだが、とても「ラヴェルらしい」演奏と思う。○。弱音部の音の交錯がひときわ美しいがゆえに録音の弱さが惜しい。

○モントゥ指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS)1964/2LONDON・CD

何気ない始まりには意表を突かれた。不思議とリアルで幻想がやや足りない。相変わらず色彩豊かな美しい演奏なのに、これは録音がクリア過ぎるせいか。でも一旦流れに乗ると小気味よいテンポに肩が揺れてくる。速いテンポを殆ど崩さず音色変化や巧みなフレージングで起伏を付けていく。耳を惹かれたのは高音打楽器やハープ、弦楽器のピチカートのかなでる金属的な音の交錯。随所で強調され、テンポを乱す寸前のところでとても美しく、そしてクラシックらしくない美声をはなっている。総じて一本調子であっさりしてはいるが極めて抒情的な、イマジネーション豊かな演奏。オケの何ともいえない艶めかした音とそれを余す事なく伝える録音に拍手。程よい雑味が一種魅力になっている。

~2.親指小僧

モントゥ指揮パリ交響楽団(LYS/GRAMOPHONE)1930/1・CD

鄙びた音がいかにもこの時代の録音といった感じだが、弦楽器のポルタメントも織り交ざる表現にはちょっと感傷的な雰囲気も篭り、やや生々しいが流れは非常にいい。純粋に音楽としては聴き易いが、解釈にもっと色をつけて欲しい気もする。無印。

組曲(7曲)

◎アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送管弦楽団(TESTAMENT/DUCRET-THOMSON/LONDON/WING)1955/2/24・CD

かつてオケをシャンゼリゼ劇場管としているものがあったが、テスタメントで正式復刻リリースされるにあたってフランス国立放送管と表記されるようになった。契約関係の模様。あえて避けてきたのだがこの曲には少々複雑な事情がある。まず、ラヴェルの多くの管弦楽作品がそうであるように、原曲はピアノ連弾曲で、1910年にかかれている。「眠りの森の美女のパヴァーヌ」「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」「美女と野獣の対話」「妖精の園」の5曲である。管弦楽版のマ・メール・ロアはその翌年に編まれたものだが、曲数・曲順は同じである。一般的にはこれがマ・メール・ロア組曲と呼ばれるものである。しかしさらにこれを本人がバレエ組曲として再編したものが存在する。曲数は7曲に増え各楽章間に5つの間奏曲が加えられ、さらに順番も変えられている。「前奏曲」~「紡ぎ車のダンス」、間奏曲、「眠りの森の美女のパヴァーヌ」、間奏曲、「美女と野獣の対話」、「親指小僧」、間奏曲、「パゴダの女王レドロネット」、間奏曲、「妖精の園」というもの。バレエとしては12年に初演されている。マ・メール・ロア全曲というとこれをさすと言っていいだろう。個人的には「パヴァーヌ」からいきなり始まる原曲版は馴染めない。全曲で慣れ親しんできたからであり、むしろ邪道なのだが、それでも序奏なしで本編に突入するような感じは否めない。さらに間奏曲を全てカットした版も存在する。これはアンセルメが編んだもので、アンゲルブレシュトなどはそれに倣っている(但しアンセルメは5曲版の録音しか遺していない)。私はあまり違和感なく聴ける。さて、この盤(ダフニス全曲とのカップリング)はかねてよりマニアの間で超名演として語り継がれてきたもので、モノラルではあるがしゃきしゃきした歯ごたえで結構構築性のある半面夢見ごこちな雰囲気にも欠けず、非常に充実している。ただ、テスタメントで復刻されたものを聴くと、ロンドン盤のような少々篭もった重心の低い音に聞こえる。いかにもドイツ・ロマン派ふうの復刻音なのだ。デュクレテ・トムソン盤のシャンシャンいうような硝子のような何ともいえないまばゆい明るさと幻想的な雰囲気がそうとう抜けている。ま、舞台上の雑音まで拾う良好な録音ではあるのだが、もっと抜けのいい明るい音にしてほしかった。デュクレテの印象を含め、◎としておくが、テスタメントでは○程度。もっと浸らせてくれい。ウィングのCDは板起こしのままの音で、比較的デュクレテの音に近い解像度であるものの雑音がかなり耳障りである。もっともLPに比べればマシか。

○フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(STRAUSS)1957/12/28放送LIVE・CD

間奏曲抜きの7曲版。けっこう伸縮し情緒たっぷりの演奏だ。噎せ返るような弦楽器の響きが懐かしい。色彩の鮮やかさ、リズムの強調、そういったブランコならではの要素が魅力的にひびく。但しこのライヴ集全般に言える事だがオケが怪しく、この演奏でも縦が揃わず伴奏と旋律が乖離して進んでいくという前衛的な場面がある。ライヴならではの事故もあるし、録音も状態が悪くかすれている。ブランコの貴重な記録としては価値の有る演奏だし、ラヴェルが意図的にロマンティックな情緒を込めて書いたこの作品の本質的なところに忠実な様式として特記できるものではあると思う。ブランコ好きなら絶対聴くべき。マニアでないなら特に聴く必要なし。(ブランコ好きってなんだか幼児みたいだ・・)

組曲(5曲:通常は原曲どおりのこの版を組曲と呼ぶ)

○コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(PEARL/LYS,DANTE)1934/6(1933/3/15?)CD

パール盤とイタリア盤で録音日表記が違い曲順も違うが、元盤(SP)番号は同じなので同一と扱う。なかなかリリカルで瑞々しい。録音状態はサイアクだが音の綺麗さは時代を飛び越えて聞こえてくる。5曲の組曲版であっというまに終わる曲だから、録音上の問題もあってちょっとスケールが小さく感じるが、いつもの即物性が影をひそめ、情緒たっぷりに、でもくどくならない清々しい演奏ぶりに浸ることができる。

○プレヴィターリ指揮ロンドン交響楽団(RCA)LP

録音は悪いが(当然モノラル)夢幻的な雰囲気が魅力的な演奏。色彩変化が鮮やかで打楽器要素の強調されたいかにもイタリア人っぽい派手さもあるが、それよりまして穏やかで和む雰囲気の場面が多く、それが素晴らしく良い。明るすぎもせず、暗くも無く、この曲はそういう平和な表現があっている。もっと個性が強くてもいいのかもしれないが、私はこれぐらいが好きだ。○。個人的には◎にしたいが録音が悪い。。。

○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1957/3STEREO・CD

優しさに溢れた演奏で、お伽話の柔らかな叙情を十分に描写している。速い場面や下でリズムが走る場面では胸のすくような快速パレー発車オーライでコントラストがはっきりしていてその変化を楽しめる。○。オケ奮闘。弦にもっと味が欲しいか。ただ強引でフォルテが強いだけじゃだめでしょ。

○アンセルメ指揮ACO(RCO)1940/2/19LIVE

事故ぽいところもあるしとにかく録音が悪いが、アンセルメの透明で繊細なリリシズムが心揺るがす佳演。ライブ特有のダイナミズムや情緒的な音がこの人晩年のスタジオ録音とは一線をかくした主情的な演奏を可能としている。勿論大局的なフォルムは崩れないから安定感があり聴き易い。また雰囲気がいい。ちょっと濃厚な、この香気はスイス・ロマンドには出せない。録音マイナスで○。

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1958/1/2live

力づくの部分もなきにしもあらずだが、緩急の付け方が激しいにもかかわらず自然な流れの中に巧く配置されていて、さすがに慣れたところを聴かせている。繊細な曲だが時折粗暴なミュンシュでもラヴェル相手となると密やかな表現と暖かな響きを演出してくる。パリ時代はラヴェル指揮者として著名だったのである。録音が拠れたモノラルで粗く、そこがなければかなり上位なライヴ録音。 (2007)

各楽曲の特徴を明確に描き分け、非常にわかりやすい演奏になっている。キッチュな表現も板につき、カリカチュアをカリカチュアとわかるようにはっきり世俗的なリズムと響きで煽っていく、これはオケにも拍手である。とても感情移入できる演奏で、ライヴなりの精度ではあるし解釈も音もロマンティック過ぎると思うラヴェル好きもいるかもしれないが、恐らくラヴェルの時代の演奏というのはこのようになされていたのだろう。ミュンシュはラヴェル音楽祭の指揮者としてならした経歴もあり無根拠にやっているわけでもあるまい。四の五の言わずに感動でき、拍手が普通なのが寧ろ納得いかないくらい良い演奏だと思うが、録音状態をマイナスして○。久々にこの曲で感心ではなく感銘を受けた。(2009/1/13)

○クリュイタンス指揮VPO(altus)1955/5/15live・CD

荒い。統制が甘く即興的で奏者がばらける様子も感じられる。フルートなどソロ奏者の調子が悪いのが気になった。速度についていけない場面もある。このコンビは相性がよかったようだが、個人的にはそれほど惹かれる要素はなく、一流指揮者の名にすたるラヴェルをやってしまっている感が否めない。ただ、やたらと大見得を切るようなことはなく気取ったふりのかっこのよさ、人気はあったのだろうとは思える。録音もそれほど。○にはしておく。

E.クライバー指揮NBC交響楽団(urania)1946

擬似ステレオっぽくけっこう聞きづらいが、音はクリアで、クライバーが意外と巧いことに今更ながら気付かされる。ロザンタールによれば、ラヴェルはトスカニーニと並んで”何でも屋”クライバーを尊敬していたというし、たしかにこれはひとつの見識だ。短いが、楽しめる。

◎マデルナ指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団(ARKADIA)1966/11/9live・CD

正規と言っても通用するくらいの良い録音で、びっくりするくらい繊細で美しい音楽だ。情緒纏綿にゆったりと進むさまはしかしいつものマデルナのような踏み外し方を一切せず、スタジオ録音的な精度が保たれる。結果としてロザンタールを彷彿とさせるとてもフランス的な品のある演奏に仕上がった。これはいい。ただ、拍手がモノラルで継ぎ足してある。ひょっとすると正規録音の海賊もしくは、フランス指揮者・オケのものの偽演かも。といいつつ、いい。◎。

○スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(TRITON)1992/12/27LIVE

この曲にレスピーギ、ストラヴィンスキーの曲を加えて「鳥」と銘打った盤名こそ怪しいが、これはスヴェトラーノフ自らが1夜のプログラムとして組んだもののそのままだそうである。マ・メール・ロアが鳥?と一瞬思ってしまうが、確かに「親指小僧」の後半などで印象的な鳥のさえずりが聞かれるが、それ以外は夢幻的なお伽の世界の発露のまま。まあ、あまり深く考えずとも聞ける曲なので、置いておこう。この演奏はずいぶんと輪郭がハッキリしている。律義な演奏、という言葉が浮かんだ。あまりに堅苦しい・・・それはフランスの洒落た演奏と比べるからかもしれないが、テンポにぴっちりつけてくるソロ楽器、どちらかというとディジタルなダイナミクス変化(なめらかじゃないのだ)が気になった。でも、音色はとても澄んでいて綺麗だし、響きはとても色彩的だ。特筆すべきは録音の良さで、ライヴとは思えないほど。ここまでクリアなのに、スヴェトラーノフのいつもの雑味は殆ど感じられない。寧ろ晩年に顕著だった弱音美へのこだわりがとてもはっきり打ち出されていて、この繊細な曲を演奏するのにかっこうの武器となっている。5曲を選んだ組曲版というところが惜しいが(どうせなら全曲やらないと、どうも違和感がある)、この曲の録音を遺してくれた、ということに感謝しなければならない。○ひとつ。

スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1975LIVE

優しい音楽作りに面食らうが、これもスヴェトラーノフの一面であろう。全般に後年の録音によく似ており、それほど奇をてらった感じはしない。個性がないと言えばそうかもしれない。引っかかりの無い演奏だった。無印。

○チェリビダッケ指揮ケルン放送交響楽団(ORFEO)1957/10/21・CD

非常に繊細で隙のない、硝子細工のように出来上がった、静謐なマ・メール・ロアであり、チェリビダッケらしさが既にある。チェリの演奏は一つ様式が出来上がってしまうと、その後の録音記録は基本的に一緒なので、あとはオケ&精度、並びに録音状態しか差が無い。その点この録音はorfeoのヒストリカル程度の音質のもので、一位にお勧めするものではないが、ケルンRSOのまだまだ演奏技術の高い時期のものだけに、聴き応えはある。○。

チェリビダッケ指揮ミラノ放送交響楽団(HUNT・ARKADIA)1960/1/22LIVE

繊細な味わいをタノシムには録音が弱すぎる!鳥の声の音形がしゃっちょこばってぎごちないのは技量の問題かチェリの解釈の悪影響か。ラヴェルの曲でももっともわかりやすく優しく美しい曲、これは悪い録音で楽しむにはアンゲルブレシュト並みの派手さが必要。チェリのドイツ式解釈はちょっと野暮。無印。

チェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団(CONCERT CLUB)1980/4/13ロイヤル・フェスティヴァルホールLIVE・CD

このテンポ取りはラヴェルなら激怒モノだろう。余りに伸縮するパヴァーヌに唖然とさせられる。いちおう正規での発売ゆえ録音はマシとはいえ、チェリのテンポを犠牲にしても響きをキレイにしようという意図は捉え切れておらず、結果として珍妙な印象しか残らない(響きの重さは伝わってくる)。非常にゆっくりなのに極端なルバートがかかるというのがおかしな感じだ(前半2曲あたり)。それでいて終曲「妖精の園」の重厚でロマンティックな音楽・・・いかにもチェリ向きな曲・・・はそれほど揺れず、たんたんと進んでしまう。確かに個性的で独特の創意に溢れている。でもこれは解釈のバランスが悪い。無印。じつは結構期待したせいか落胆しました。こんなに演奏効果の高い曲なのにイマイチ盛り上がらないなあ・・・。この演奏の収められたボックスはチェリが身内に配ったライヴボックスの完全復刻とのこと。名高いロンドンでの公演の集大成で、ブラ1など二組もある(一つは海賊で既出)。

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PEARL/VICTOR)1930/10/27,29・CD

夢幻的で穏やかな雰囲気はよく出ている。ダフニスよりこちらのほうが感情的に深く染み入るものがある。割合とストレートではあるのだが、ラヴェルの響きの美しさがよく捉えられていて、これがモノラル末期頃の録音だったらきっと名盤の仲間入りをしていただろう。それだけに録音の悪さが悔やまれる。無印。

コーツ指揮LSO(HMV/PASC)1921/11/25、1922/4/25・CD

さらさら流れるような演奏はSPの録音時間の制約だけの理由ではなかろう。起伏はあるにはあるがテンポは乱れず、オケは鄙びてとくに木管がひどい。無印。

~5.妖精の園

ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(EMI)1929

ラヴェル・ボックスを自作自演目当てに買ったが、既所持のロール盤だったのでがっくり(裏面に明記しろよなー、ライナー追わないとわからないなんて)。その他はここでも既に書いているようなレーベルでバラバラに出ていたものがほとんどだった。これはその中でも私がまだ所持していなかった数少ないもののひとつ。雑音がかなり酷く、音色感ゼロだが、音楽的にはそつなくまとめているふうに聞こえる。ピエルネの指揮はあまり多くは残されていないためその芸風を安易に語るのは危険だが、ここでは手堅さと繊細な響きの調和した演奏がなされていると言うべきか。雑音マイナスで無印。

~2.親指小僧、3.パゴダの女王レドロネット、5.妖精の園

○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(PARLOPHONE)SP

EMIで終曲のみLP化しているのは別途書いた。この終曲はしっとりした演奏になっているがそこまでの2曲は割合と無骨というか余り棒慣れした音になっていないのが意外といえば意外である。往時のフランスオケのレベルが知れるといえばそれまでだが、いい面では同時代の他録と同様の微妙なリリシズムをたたえた音が美しい、悪い面では演奏の整え方が雑である。コッポラのような録音専門指揮者のものとは完全に異質なため演奏の完成度うんぬんを指摘すべきではないかもしれないが、ちょっとぎごちなかった。とはいえ「パゴダの女王」の表現にかんしていえば銅鑼等の響きを効果的に使い、如何にも「中国の音楽」といったものを描き出していて、ああ、こういうふうにやるのか、と納得させるものがあった。譜面に書いてあるように演奏するのではない、これは「中国の音楽」をどうやって表現するのか、単にラヴェルが中華素材をもとにオリエンタルな世界を創出したものではなく、これは「中国の音楽なのだ」という意識が強く感じられる。印象的だった。○。

~1.眠りの森の美女のパヴァーヌ

ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1950/11/19放送LIVE

~原曲

○ペルルミュテール、ファーマー(P)(nimbus)CD

四手による原曲版組曲。最初余りに素っ気無い演奏ぶりにサティかと思った。子供のための曲ということで書法が至極単純であることは言うまでもなく、それがいいとしした大人によって演奏されることの難しさを諸所で感じる。軽く弾き流す、もしくは淡々と弾き流す、ラヴェルのピアノ曲はえてしてそういったロベール・カサドシュのようなスタイルを要求するが、それにしても僅かに香気が香るくらいのざっくばらんなタッチにはちょっと違和感があった。小さくまとまりすぎというか。

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