湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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2019/11/3日誌:目黒通り史跡散歩

2019年11月03日 | 雑記録
(二子玉川)
・2日連続で、今日はギプス外してウォーキングしたら見事に背中の痛みが激化。ギプス付けたらやっぱり少し楽になった。治ってないのだ。。

・ネット見なくなると、「騒動」が半減する。テレビの伝える「騒動」で、知ってるものが半分になる。ネットを中心とした一部の人が騒いでるだけなんだな。


・パラボラアンテナがあった。



・道端に宝珠が落ちてた。


・とまあ昨日とは打って変わって文化の日は曇天。ウォーキング。きのう歩きすぎてきつくなり途中休み。食事減らすつもりが食べてしまったよ。。ちょい減りすぎだったし



・中目黒まで歩いてしまい結構疲れた。寄り道は疲れる。
五本木。六本木よりは木が生えてそう。

十日森稲荷。真新しい狐がでかすぎる。稲荷森(とうかもり)が訛って結局、稲荷森稲荷ということらしい。道の辻にあるけど、この目黒通り辺は元は田畑の中の街道だったので、辻にあったものがそのままほぼ同じ位置にあったりする。道標や馬頭観音、石仏の祠がRPGばりに並んでる。







なんの説明もない観音の祠。よく見るとここも辻にあたり、出来のいい馬頭観音かな。
さわら庚申堂。江戸前期の庚申塔を3つ納め、新しく立派な祠には猿がたくさんあしらわれている。ここもあきらかに辻です。

目黒日の丸庚申会による皇太子(前天皇)御成婚記念碑。このへんの社にはしばしば皇太子記念碑が建てられてます。理由不明。











ここにある道標は幕末近いもののようですが、三面に7つもの地名が書かれてて珍しい。上に鉢状穴が多数穿たれ、また表面が一部摩耗してしまってます。私が鉢状穴の異様さを初めて認識したのがこれ。目黒通り沿いの庚申塔や道標は鉢状穴で破損しているものが多い気がします。明治になりぴたりと止まるので、幕末前なのは間違いないでしょう。











祐天上人の弟子が祐天上人を奉り建立した祐天寺。寺宝展示四時までだったので間に合いませんでした。累塚は祐天上人の解決した鬼怒川の累の怨霊にちなんでこちらにも設置された供養塚。芝居成功祈願という意味では田宮神社に似てます。

寛政年間の宝篋印塔で祐天上人も祀られており、その前にある穴は子供を潜らせると病気に強くなるなど。昔の本には載っていたんですが今はぽつんとしてますね。。




目黒馬頭観音。こちらの馬頭観音は新しいもので、畜産従事者が大正時代以降に盛り上げたらしい。中目黒駅そば。


以上。





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