なんだこりゃ。
「と」本体が音楽本に手を出していた。クラシックコーナーに置いてあったので気が付いた。ムック本クラ系ライターがさんざん「無断使用」していた「と」ブランドを学会の重鎮?が自ら取り戻すかっこうをとっているようなのだが・・・
フランケンシュタインだった。クラシックだけではない、脈絡の無いネタのつぎはぎ本である。キメラとしては「トンデモ」という実に定義の曖昧な言葉でしかつながっていない。やはり得意分野は「特撮」であるようだ。やっぱりか、というか、そんなマニアしかいないのか音楽をヒョーロンする連中には。
彼らにとってはサブカル市場を相手に量産している本のひとつにすぎないです。啓蒙本としての役割は果たしませんしそれが趣意とも言える。でも啓蒙本として読んでしまう人もいるかもしれないなあこの書き方では。既視感もしきりである。近々では序のネタが全部某ラジオの「オバ歌謡」のネタだったりもするがこれは別に70年代のラジオとか昔からサブカル界で常識ネタだったのだろうということで置いておいて、クラシックの章にかんしていうと、
10年以上前ムック本系ライターがさんざ書いたネタを薄くすくっただけみたいだ。
クラシック記事なんて入れなきゃよかったのに。イフクベマニアの章とか痛すぎる。現象は単発のものとして捉えるべきものではない。連語として作られたものを単語として捉える行為は間違っている。ベートーヴェンの作品名ネタとかトリビアの使いまわしを自らやっているようだが、時代背景、其の時代の前衛作曲家の位置づけ、社会生活、もろもろ考え合わせればけして特異な名付けでもないように思う。現代の前衛作家の作る珍妙な作品や作品名を思えば、芸術家が何を題名にしてもいいのだ。思うのだが題名がエキセントリックだ、ということに音楽の本質と深い関係は感じない。文藝評論感覚で音楽をやっつけようとしてないか?プロフェッショナルな技術の世界である。文字だけ拾うのなら素人でもできる。
とくに音楽は抽象のものである。作曲家がそれを喚起するために何が使われようが、そして即物的にそれをそのまま題名にしようが、作品とは関係が無い。無論そのようなことにも触れているが、それでもこんな本にして笑っているところに「と」の所詮サブカルな位置づけを考えさせられざるを得ないのである。文章が巧みなことにだまされてはいけない、これはコンビニ文庫本の「豆知識本」同様恐らく二次資料にしかあたっていない、下手すると辞書から拾ってきたネタを並べているだけの可能性がある。書籍であれば原書にまであたる人たちが音楽についてはどうも馬鹿にしたものである。楽曲分析まで踏み込めば「と」として面白いものが書けたと思うが、しょせんネタのひとつにすぎないのか。
この不恰好な寄せ集めコラム本、クラシック記事だけなら立ち読みで十分。CDをつけているところが狡猾だ。ところでラヴェルの「おーい」という題名の曲、私も知らないのだが、作曲背景を含めて教えていただきたい。
よもや抜粋で演奏されることすらない或る曲のただひとつの楽章の題名とか言うまいな。ラヴェルはそのようなことを想定して書くことはない。トンデモ作曲家だ、などというミスリードを狙っているとしたら、この本自体をトンデモ認定せざるを得ない。
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<レビューを参考に。買わなくてもいいと思いますよ。やっぱり「と」系の本でもワーストの呼び声があるみたいですね。そりゃそうだ、まとまりのなさはダントツだし何より、卓見の章や興味深い文章が含まれている、更にオリジナルCDもついてるとはいえ、これは「と」の名を冠した本なのである。啓蒙本でも教養本でもない。知られざる音楽の見方を提示するといっくら中に書いていても、「トンデモ」を嗤ういつものやり方で音楽を「裁いた」本だと誤解させるに十分ではないか。題名にこだわるならば、これはミスリード狙いの売り上げ目当てもいいところである。
書けないものは書くなよ。文章量が確保できないならブログにでも書け。どうせ覆面ライターにやらせてるんだろうけどさ。学会員でもない人間の名前と記事で水増ししているさまは「内容に偽りあり」だ。しかもそっちのほうが読み応えがあるというのは。
「と」本体が音楽本に手を出していた。クラシックコーナーに置いてあったので気が付いた。ムック本クラ系ライターがさんざん「無断使用」していた「と」ブランドを学会の重鎮?が自ら取り戻すかっこうをとっているようなのだが・・・
フランケンシュタインだった。クラシックだけではない、脈絡の無いネタのつぎはぎ本である。キメラとしては「トンデモ」という実に定義の曖昧な言葉でしかつながっていない。やはり得意分野は「特撮」であるようだ。やっぱりか、というか、そんなマニアしかいないのか音楽をヒョーロンする連中には。
彼らにとってはサブカル市場を相手に量産している本のひとつにすぎないです。啓蒙本としての役割は果たしませんしそれが趣意とも言える。でも啓蒙本として読んでしまう人もいるかもしれないなあこの書き方では。既視感もしきりである。近々では序のネタが全部某ラジオの「オバ歌謡」のネタだったりもするがこれは別に70年代のラジオとか昔からサブカル界で常識ネタだったのだろうということで置いておいて、クラシックの章にかんしていうと、
10年以上前ムック本系ライターがさんざ書いたネタを薄くすくっただけみたいだ。
クラシック記事なんて入れなきゃよかったのに。イフクベマニアの章とか痛すぎる。現象は単発のものとして捉えるべきものではない。連語として作られたものを単語として捉える行為は間違っている。ベートーヴェンの作品名ネタとかトリビアの使いまわしを自らやっているようだが、時代背景、其の時代の前衛作曲家の位置づけ、社会生活、もろもろ考え合わせればけして特異な名付けでもないように思う。現代の前衛作家の作る珍妙な作品や作品名を思えば、芸術家が何を題名にしてもいいのだ。思うのだが題名がエキセントリックだ、ということに音楽の本質と深い関係は感じない。文藝評論感覚で音楽をやっつけようとしてないか?プロフェッショナルな技術の世界である。文字だけ拾うのなら素人でもできる。
とくに音楽は抽象のものである。作曲家がそれを喚起するために何が使われようが、そして即物的にそれをそのまま題名にしようが、作品とは関係が無い。無論そのようなことにも触れているが、それでもこんな本にして笑っているところに「と」の所詮サブカルな位置づけを考えさせられざるを得ないのである。文章が巧みなことにだまされてはいけない、これはコンビニ文庫本の「豆知識本」同様恐らく二次資料にしかあたっていない、下手すると辞書から拾ってきたネタを並べているだけの可能性がある。書籍であれば原書にまであたる人たちが音楽についてはどうも馬鹿にしたものである。楽曲分析まで踏み込めば「と」として面白いものが書けたと思うが、しょせんネタのひとつにすぎないのか。
この不恰好な寄せ集めコラム本、クラシック記事だけなら立ち読みで十分。CDをつけているところが狡猾だ。ところでラヴェルの「おーい」という題名の曲、私も知らないのだが、作曲背景を含めて教えていただきたい。
よもや抜粋で演奏されることすらない或る曲のただひとつの楽章の題名とか言うまいな。ラヴェルはそのようなことを想定して書くことはない。トンデモ作曲家だ、などというミスリードを狙っているとしたら、この本自体をトンデモ認定せざるを得ない。
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<レビューを参考に。買わなくてもいいと思いますよ。やっぱり「と」系の本でもワーストの呼び声があるみたいですね。そりゃそうだ、まとまりのなさはダントツだし何より、卓見の章や興味深い文章が含まれている、更にオリジナルCDもついてるとはいえ、これは「と」の名を冠した本なのである。啓蒙本でも教養本でもない。知られざる音楽の見方を提示するといっくら中に書いていても、「トンデモ」を嗤ういつものやり方で音楽を「裁いた」本だと誤解させるに十分ではないか。題名にこだわるならば、これはミスリード狙いの売り上げ目当てもいいところである。
書けないものは書くなよ。文章量が確保できないならブログにでも書け。どうせ覆面ライターにやらせてるんだろうけどさ。学会員でもない人間の名前と記事で水増ししているさまは「内容に偽りあり」だ。しかもそっちのほうが読み応えがあるというのは。
>不恰好な寄せ集めコラム本
何だか岡林様のご感想だけで、もう充分ウンザリという
心持ちです。
いやらしい、踏み込みの浅い、商業的な面白がり方、
これは「自由な楽しみ方」の範疇外だと思います。
さて、ラヴェルの「おーい」という曲、
一体どのようなセンテンスで紹介されていたのか
察しかねてしまうところですが、
恐らく「マダガスカル島民の歌」Chansons madecasses
第2曲"Aoua"ではないでしょうか?
よく日本語で「おーい」という訳が当てられているのを
目にします。
「気をつけろ!」と白人達への警戒感をあらわにした
この曲のことを、ただ面白がるためだけに抽出してきたのだとすれば、まったくもって呆れた話です。
文の流れは単に変な題名の曲を挙げる、というような中で(定石どおりベト、モツからサティ、ケージ)ストラヴィンスキーの小品と並べていました。ストラヴィンスキーはオーダメイドも多いですしサティ的なダダの流儀も使えた人ですから適切かもしれませんが、後期ラヴェルを併置してはいけない。受け売り感の強い内容に見識なき添加は余計です。メインカルチュアに喧嘩を売るならもっとましなやり方はなかったものか。
クラ本には十分と本があるからわざわざ自分で書く必要もなかろうに。
アサヒったかw
俺はあんまり作曲家のプライバシーとかどうでもいいもんで。
音符があればそれでええよっていつも思っている。
シューベルトなんて実に美化された話となっているけど、結局ぐ~たらのニートで金遣いも荒い。
借金しまくってその挙句に若死にって事で死因もなんとなく予想できたりするんだよなぁ。
だけどそう言った事と作品は全く別物だと思うのだよね。
しかも譜面を世に出した瞬間、作品は一人歩きをする。
作曲家の名前なんてその曲を分類する記号に過ぎないと思うよ。
おっしゃるとおり歌曲はともかく純音楽はまったく音とそれに類する振動でしか構成されていないはずなので、どうやっても文字で綴られる文学的な要素や性格、人生と直接結びつけるのは無理があります。書法上のクセが生き様や性格と結びつく、なんてところに展開させれば、名作曲家が実は俗物だった、なんて手垢のついた文章に深みを持たせることができたでしょう。それができないでトンデモ呼ばわりとは片腹痛い。
こんな章を入れるなら流行の「ポップス系音楽のパクリ事情」の件ででっちあげたらよかったのに。そっち方面のアグレッシブな専門家に突っ込まれるのを恐れたとしたらチキンですね。クラシックなら羊だらけだと思ったのだろうか。
avexやジャニ事務所を批判するのなら、おお!とも思うけどなぁ。
絶対やらないだろうけど。
考えてみれば、と学会の人って相手の弱い立場に付け込んで面白おかしく書いているよなぁ。
ひでぇなぁ。
強いものに立ち向かったら、サブじゃなくてメインになっちゃいますからねえ。。