goo blog サービス終了のお知らせ 

湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆アイヴズ:答えのない質問

2018年01月21日 | アイヴズ
バーンスタイン指揮(解説)ボストン交響楽団のメンバー(DREAMLIFE)1973ハーバード大学レクチャー放送・DVD

テレビシリーズとして放送された有名なハーバード講演「答えのない質問」より。かつて書籍やビデオで出ていた(価格的にも言語的にも)壮大な講演集がこじんまりとまとまって字幕入りで出ている事実に慄然とする。しかしそれでいいのだろう、稀少であることに意味は無く、内容にこそ意味がある。DVDでは三組目、ラヴェルで無邪気に幕をあけえんえんとシェーンベルクが語られる。混迷の20世紀前半音楽を非常にわかりやすくピアノや譜面で解説しており(歌は理解を妨げている)、なんでこれに奇妙な日本語感想文を付けられているのか、と慄然とするが、それはともかく、シェーンベルクのストイックさの余り陥った音楽の素晴らしさと危うさが結局のところ極めて狭く石ころのごろごろした耕地を耕すようなもの、結局どこかしら調性的なルールを維持することになり捨てきることはできない、折衷点をどこにもってくるかが新時代の個性、例えばベルクは・・・といった感じである(ああ文章で書くような内容じゃないな)。多様化する表現手段の1ルールとして組み込まれていくシェーンベルク主義、多様式主義といえばストラヴィンスキー、そして・・・あるアメリカの作曲家の音楽的予言。それがアイヴズの無邪気な小品「答えのない質問」、この講義の理念上の主題となる言葉を表題に付けた曲である。ああ長い。

アイヴズのシンプルだがプロフェッショナルな音楽的理知性は上記のようなバーンスタインの主義を見事に裏付ける作品を様々に生み出したが、バーンスタインのメガネにかなった作品は実はシェーンベルクとほぼ同時期に書いていた過渡期的な作品であり、交響曲の2から3番あたりとなる。2番はアイヴズの名声をあげ初演に招いたバーンスタインに最早不要と断りながらもジグを踊って喜んでいたといわれる半世紀眠り続けた調性的作品で、無数の既存主題をパッチワークする方法を極める前段となったものである。3番はシェーンベルクの初期作品を思わせるものでマーラーを魅了した作品として有名な、でもやっぱり調性的作品。それではいつ調性を失ったのか?アイヴズは失う失わないという観点で作曲はしておらず、本人は独自研究による調性の拡大や新たなルール化に挑戦したとはいえ、至極粗雑であり、寧ろそういったものを「パーツ」としていくつもいくつも用意して、、、4番交響曲のようなまさに多様式主義もたいがいな前衛作品に行き着いた。

ポストモダンという煤けた言葉を思わず使ってしまうのだが、そういう思想は「多層的な空間音楽」という個人的な肌感覚、「野外音楽の体験」に基づいており、けして前衛を狙っていたわけでもない。答えのない質問は3群のアンサンブルより成り立つ。コラールをひたすらかなでる「空間」役の弦楽、超越的な存在として、しかし無力な存在として描かれる「ドルイド僧」役の木管四重奏、そして素朴に実存について質問を投げかけ続けるトランペットソロ、その答えは太古のドルイドにも出すことが出来ない、しょせんは誰にも応えられない質問。この「情景」をそのまま音楽にしているわけだが、バーンスタインは象徴的に捉えてシェーンベルクに対する「予告」としてただ演奏をなしている。

だが、多重録音をしているように聴こえる。画面も狭くて辛い。音楽的には失敗である。解説用の演奏といっていいだろう。まったく空間的要素が感じられない。無印。それだけかい。

※2010-02-24 21:05:52の記事です

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ☆サン・サーンス:アフリカ | TOP | サン・サーンス:交響曲第3番... »
最新の画像もっと見る

post a comment

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | アイヴズ