湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」

2017年08月08日 | 北欧・東欧


◎ルービンシュタイン(p)ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(LYS他)live・CD

いくら録音が悪くてもここまで両者の方向性が合致して結果異常な集中力で弾ききられると◎にせざるを得ない。スタジオ録音よりも激しく野獣のような演奏で突き進むルビンシュタイン、NYPというこの曲に使われるのは珍しいほど素晴らしい楽器を持ってやはり野獣のような勢いで音楽をドライヴしていくロジンスキ、スピードと力感の余り3楽章にいたってはミスタッチや弾きそこないが散見されるがそれとて大した問題には感じない。既に「音楽」が出来上がっているからだ。

この曲に生硬な演奏が多いのはひとえに書法上の問題があって、剥き出しになった声部が数珠繋ぎにされ進行する場面が多いため、萎縮したような演奏になることが多く、ソリストもミスを嫌ってマニアックな細かい音符まで表現しようとするから、全体の音楽としては中途半端な近視眼的なものに仕上がってしまい、総合で見て技術的にもイマイチな結果ととられかねないものになる。

協奏曲ではあるが交響曲という前提があり、オケもソリストも拮抗しながら、同じ方向性に向かってまとまっていく必要がある曲だ。たまたまというか、ルビンシュタインの細部に拘泥しない即物的かつ激情的な性格に超絶技巧が伴っていて、ロジンスキの暴君的な力感がオケをしっかり従わせるだけの説得力(と技術)を持ち、両者とも表現の機微が無いとは言わないがあくまでメリットは「勢い」に置いているという点で相性が(少なくともこの曲では)ばっちりなのである。NYPがもともと一流の技術を持っていたという点も看過できない。この曲はローカルなけして巧く無いオケによりやられることが殆どで、練習が万全の演奏すらできていないことが多いからだ。

スクリアビンの影響を再度露骨にし、けして技巧的に高いものを投入したとは言えない和声的で単純な書法による曲なだけに、ソリストは時折奇妙にも思える進行をきっちり繋がったまとまった音楽として聞かせるように仕上げなければならないし(2から3楽章へのアタッカの前の下降音形の持って行き方など)、オケ奏者には音量バランス的に無理な負担がかかる部分もある。

一つの解決法に、シマノフスキ第三期の作風の要となる民族舞踊の特殊性を浮き彫りにして細かい起伏を盛り込み刹那的な魅力を引き出し続けるという方法があるが、これは作曲家自身が自演にて失敗した要因でもある。まとまりがなさすぎてしまう以前に、とことん演奏しづらくなるのだ。となるともう一つの解決法は「勢いで押し通す」、それに如何に説得力を持たせるか・・・つまりは勢いを裏付けるトレーニングとポテンシャルがどこまでいけているか、それしかない。

山っ気なんていらない。ルビンシュタインは押しも押されぬヴィルトーゾで、即物主義的な表現だけを売りとし音色にも解釈にもそれほど幅のある表現を好まない。だからソロ曲では魅力が無いものも多い。ロジンスキはクリーヴランドを叩きなおすとともに短期間ではあるがNYPに君臨した指揮者であり、オケトレーニングに長けているのは言うまでもなく、その異常な集中力と力任せの表現で同時代流行のスタイルの最先端にいたことは言を待たない。つまりはその両者のこの曲における一期一会的なライヴである、それだけで期待し、満足していい。大音量でノイズを厭わず聞いてほしい。これは余り評価されないシマノフスキ晩年の作品で感傷性や民族性が魅力だが、そういうものを最低限はもちろん表現したうえで、まるでロックフェスのような熱気中心に聞かせていく、それだけでいいのだ。◎。3楽章の暴力的な演奏は凄い。

※2008/9/5の記事です

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