湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2005年12月25日 | プロコフィエフ
D.オイストラフ(Vn)ブール指揮ストラスブール管弦楽団(GRANDI CONCERTI他)1961LIVE

これ、CD化していると思うのだが、とにかく私の盤はピッチが低すぎるのだ。この曲の妖しいきらびやかさはもっと高いピッチでないと映えない。それに、演奏がどうも、あたりまえすぎる。余裕がありすぎるのだ(びみょうなところだが余裕しゃくしゃくに技巧をひけらかしているのだといっているのではない、解釈表現は寧ろ地味なほどであるが、余裕が出てしまっているのが気になると言っているのだ)。余裕があることはいいことだが、「余裕の無さを演じる」のも演奏家の一つの技術である。そういう音楽も20世紀にはたくさんあるのだから。ギリギリの感覚というのが、時々は出て欲しい。音色はとにかく艶深く赤銅色のなめし皮のようで、じつに効果的ななまめかしいヴィブラート、だがそれらは余りに安定しているため、初めてこの曲に触れる人にはいいかもしれないが、シゲティを知ってしまっている者にとっては、いかにも余技でやっているように感じられてしまうのだ。いや、贅沢なことを言っているが。録音も悪く、最後のトリルが終わらないうちに拍手が入ってしまう、まあ、拍手に関しては私は寧ろ素晴らしいと思うが。ブラヴォが凄い。実演だとまた違うのだろう。録音として、無印としておく。
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