湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆キャプレ:幻想曲「赤死病の仮面」

2016年08月31日 | フランス
◎ラスキーヌ(HRP)ヴィア・ノヴァ弦楽四重奏団(ERATO)CD

アカデミックでロマンティックな場所からドビュッシーの薫陶をへて、更にルーセルにも似た神秘主義的作風にいたった頃の名作である。生徒でも友人でもあった評論家カルヴォコレシがその化け具合、ドビュッシイズムからも離れた孤高の境地に強く惹かれた、一連のハープと弦楽器のための作品群の頂点ともいえる。ドビュッシーとメシアンのミッシングリンクというライナーのくだりは日本盤CDで訳されているだろうか。指揮者としても国内外で評価を勝ち得ていたキャプレは、シェーンベルクの管弦楽のための五つの小品をフランス初演したことからも伺えるように(フランスは早くからシェーンベルク受容の進んだ国であったが)常に前衛的な新しい音に興味をいだいていたことは間違いない。ドビュッシーの影響は残るが、活動的には早いうちに離れたことからも、先進的なキャプレの移り身の速さ目先の鋭さを伺うことができる。最終仕上げを手伝った聖セバスティアンにも神秘の要素はあるが、シェーンベルクからの影響を受け更に「月に憑かれたピエロ」に先んじた技法に至る(別項の七重奏はドビュッシーの無歌詞歌唱の器楽的用法からシェーンベルクの確立した朗誦法までの間に生まれた作品として注目される。キャプレが長生きしていたら室内作品でも大成したことだろう、その手法は一見単純素朴だがそのじつ精緻で無駄のないかつ個性的なものだ)、当時としての極北を進もうとしたこの作曲家が、志半ばで頓死したことは返す返すも残念である。

これはポオの本にもとづく。亜麻色の髪に蒼い顔のキャプレらしい不健康さがある(指揮をよくしたことからも人間的には快活だったようだが)。ゴシック・ホラーな場面から始まり(独特、だが美しさの範疇からは決して出ない)、カルヴォの言葉を借りればまさに「きびきびしなやかに」自然な場面転換から、非常にドビュッシー的なハープのリリシズムに、生来のロマンティックな弦楽器の音線(旋律の形にはならない)を絡め、時折ゴシックホラーなハーモニーやモダンなパセージが絡まるものの、おおむね精密に選ばれた音の動きや単純なアンサンブルにより、徒に難しくすることなく、バレエ音楽的なイマジネーションを掻き立てる耳馴染みのよい作品になっている。カルヴォはディーアギレフのためにバレエ改作を勧め断られているが成る程バレエになりそうだ、しかもそれまでにない怪奇な。楽器を叩く音や、末尾の神秘も極まるハープの繊細かつ不可思議な動き(ローマ賞で打ち負かしたラヴェルの操る器械的な響きに寧ろ接近している)など、劇伴的ではあるが、この超名盤の取り合わせ、とくにラスキーヌの有無を言わせぬ美質を備えた完璧な表現力をもってすれば他に何もいらないと思えてくる。私はこのLPではじめてヴィア・ノヴァを知ったのだがこれこそ「フランス的」なるものかと膝を打った記憶がある。他にも長いキャリアでいろいろやっていて来日もしているが正直、この盤の印象を凌駕するほどの完成度を感じたことが一度として無い。これはハープがとどのつまり主役なのであり弦楽器は賑やかしなのだ。

何が言いたいかというと、◎以外に思い付かないということである。下手な演奏聞くならこれだけ先に聞いておいたほうがいい。曲のイメージがここまでクリアに描き出された演奏はないから。録音も透明感があって柔らかなステレオで素晴らしい。

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