○ロジンスキ指揮NYP(DA:CD-R)1946/2/21live
この音源をエントリしてないことに気づいたのでアップ。4番を5番のように演奏するという、新しい演奏になじんでいる向きには違和感のあろう録音である。しかしこの時代には珍しいことではなかったようである。ドビュッシーの影響どうのこうの、というハーモニーについての配慮は(録音のせいもあるが)殆ど聞き取れず、旋律とそれにつけた和音、というシンプルな方法論のもとにトスカニーニというか、もっとメカニカルなアンサンブルのスリルを愉しませるために、オケをギリギリ引き締めて、そこにロケットエンジンをつけたような・・・「4番」なのである。憂いもなく、序奏的な部分はすっとばされ、弱音部ははしょられ、結果、終楽章は盛大に(「大」ではないけど)盛り上がった挙句、チャイコの「悲愴」のような蛇足的な重い響きで終わらせる・・・「静寂」ではなく「歩み」。RVWが9番の最後に「無」と書いたような表現がこの曲にはあっていると思うけれど。ディーリアスと並べて語られることの多いシベリウスだが、これは「自然」ではなく「都会」だ。でも、この演奏それなりに楽しめたりもする。録音も悪くない。○。
この音源をエントリしてないことに気づいたのでアップ。4番を5番のように演奏するという、新しい演奏になじんでいる向きには違和感のあろう録音である。しかしこの時代には珍しいことではなかったようである。ドビュッシーの影響どうのこうの、というハーモニーについての配慮は(録音のせいもあるが)殆ど聞き取れず、旋律とそれにつけた和音、というシンプルな方法論のもとにトスカニーニというか、もっとメカニカルなアンサンブルのスリルを愉しませるために、オケをギリギリ引き締めて、そこにロケットエンジンをつけたような・・・「4番」なのである。憂いもなく、序奏的な部分はすっとばされ、弱音部ははしょられ、結果、終楽章は盛大に(「大」ではないけど)盛り上がった挙句、チャイコの「悲愴」のような蛇足的な重い響きで終わらせる・・・「静寂」ではなく「歩み」。RVWが9番の最後に「無」と書いたような表現がこの曲にはあっていると思うけれど。ディーリアスと並べて語られることの多いシベリウスだが、これは「自然」ではなく「都会」だ。でも、この演奏それなりに楽しめたりもする。録音も悪くない。○。