○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(CO)1965・CD
この曲は厳しい曲で、毛一本入る隙の無い音作りが求められる。アマチュアレベルの精度では1楽章冒頭のハーモニックなやりとりすら表せないのが実情だろう。中期以降のシベリウスというとメカニカルで前衛的と言ってもいいくらい入り組んだアンサンブルに尽きるが、これはアンサンブル自体簡素化されている。そこが小手先ではいかない難しさである。長大な音符を微弱な音量でどう綾付けていくか、こそこそした動きにどう意味をつけていくか、全ての動きが正しく複雑な和声として認識できるように響かせられるか、このあたり並大抵の技師にはできないし、オケには無理である。もちろん古い録音では再現は難しい。力技で押す以外の方法は無いし、その方法は殆ど失敗する。その点セルはオケ的にも録音年代的にも恵まれている。迫力もあるしニュートラルなシベリウスではあるが、逆にニュートラルにしか表現しえない曲なんじゃないかと思うことしきりでもある。バルビの名演はオケゆえに軋みを生じているところがあるが、これにはそれがない(しかしレガート表現のしなやかさにバルビを思わせるところがある)。起伏無く終わるのは同曲の悪い点としてよくあげられ、バルビなどは作為的に起伏を作っているが、セルは起伏を作らずに、でもちゃんと聴かせている。曲の魅力をスコアからそのまま素直にうつしたものと言える。スコアから素直に、というと、1楽章の音線にドビュッシー「海」からの影響が現れているのを認識することもできるし、なかなか「勉強」にもなる。けして押しの強い演奏ではないが、いいものではある。録音はこんなものか。○。
この曲は厳しい曲で、毛一本入る隙の無い音作りが求められる。アマチュアレベルの精度では1楽章冒頭のハーモニックなやりとりすら表せないのが実情だろう。中期以降のシベリウスというとメカニカルで前衛的と言ってもいいくらい入り組んだアンサンブルに尽きるが、これはアンサンブル自体簡素化されている。そこが小手先ではいかない難しさである。長大な音符を微弱な音量でどう綾付けていくか、こそこそした動きにどう意味をつけていくか、全ての動きが正しく複雑な和声として認識できるように響かせられるか、このあたり並大抵の技師にはできないし、オケには無理である。もちろん古い録音では再現は難しい。力技で押す以外の方法は無いし、その方法は殆ど失敗する。その点セルはオケ的にも録音年代的にも恵まれている。迫力もあるしニュートラルなシベリウスではあるが、逆にニュートラルにしか表現しえない曲なんじゃないかと思うことしきりでもある。バルビの名演はオケゆえに軋みを生じているところがあるが、これにはそれがない(しかしレガート表現のしなやかさにバルビを思わせるところがある)。起伏無く終わるのは同曲の悪い点としてよくあげられ、バルビなどは作為的に起伏を作っているが、セルは起伏を作らずに、でもちゃんと聴かせている。曲の魅力をスコアからそのまま素直にうつしたものと言える。スコアから素直に、というと、1楽章の音線にドビュッシー「海」からの影響が現れているのを認識することもできるし、なかなか「勉強」にもなる。けして押しの強い演奏ではないが、いいものではある。録音はこんなものか。○。
音を主眼とするセルのようなタイプにはあった企画と思う。
録音が実演よりメリットとなるのはライブでは感知できない些細な部分までしっかり聴けるように仕立てられる、指揮者が(今は無いかもしれないですけど)オケなどの雑音に左右されず美学を押し通したものが聴ける、今しか存在し得ないオケの特質(ソリストなど)が残せる、等あると思います。セルはそのスタイルのわりに実演録音が多いですけど、スタジオ録音盤を高音質化するとどんどん魅力的になっていく人かもしれないですね。。