湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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交響曲とは?形式とは?

2006年07月19日 | Weblog
まー「俳句」なんでしょう。形式感が崩れていったのも、国外ではもはや短文による詩文といった意味に解体されている、理由としてはローカルな言語体系と折り合いをつけるためである、と。音楽の輸出入の関係性の中からドイツあたりが仕入れた形式を(これもお国柄だが)論理的かつ合理的な抽象音楽の形式として確立させたのがソナタ形式の最たる交響曲であり、しかし形式にとらわれないロマン派の幕をあけたベートーヴェンがその可能性を一気に拡げると世界的な権威を持つようになり、あとはマイナーチェンジな多様化の流れの中、非ドイツ圏の国でナショナリズム旋風が吹き荒れたときに権威としての交響曲形式に自国の音楽語法を当て嵌めて世界的な影響力を発揮させようとしたのが、ロシアを中心とし20世紀全般にわたっていたる国で勃興した「周辺弱小国」の国民楽派及びその系譜であり(俳句同様この時点で交響曲形式はかなり解体されてしまう)、更に交響曲とはいいながらも自由な形式を持ち半ばオペラティックですらあるベルリオーズを代表とする表題交響曲(オペラの交響曲化と言えるかも知れない)の発展やリストからリヒャルト・シュトラウスが交響曲の形式を嫌い利用した交響詩というジャンルの人気、これは当時の受容層が一般市民になっていたことと無関係ではないが(お国柄の反映された交響曲はその国の市民にはわかりやすい。表題交響曲や交響詩の物語性・描写性が完全に抽象の産物である純器楽交響曲よりわかりやすいのは言うまでもない)そのあたりから交響曲は形式というより概念になっていく。厳格な形式による作曲法の限界もあり、マーラーの描いたみたいな名前だけ交響曲というもの、ウェーベルンのように形式の極致として交響曲の名を冠するものにいたって発展論的交響曲はいちおうピリオドを打つ。後は20世紀に入りブラームスより更に古典回帰の、ロマン派を否定する流れの中で「美しい抽象音楽形式」として採用されたという時期があり、フランス六人組の作品に交響曲がみられるのは明らかにその流れである(ルーセルあたりはドイツの交響曲の直接的影響と国民楽派、新古典主義の混淆がある)。ロシア・ソヴィエトにもプロコフィエフやショスタコーヴィチには(かなり変容しているものもあるが)新古典主義の流れを認めることができる。概念としてのみの交響曲(大規模な抽象音楽というくらいのものか)というところではしばしば単独であらわれるものもあり、ベリオのシンフォニアのようにポストモダーンなコラージュ作品が挙げられる。周辺国で旧態依然としたロマン派交響曲が量産され続けたのは前記のとおりだが、それも今はついえている。表題交響曲は残ってはいるが。


そんなとこですよ。個々の状況、イデオロギー的に交響曲の名を使わなかったり、他のジャンルが人気で交響曲など作っても金にならない状況、といったこともありますが。長時間拘束されずプログラムを組みやすい交響曲が近現代の演目として定着したこと、録音技術が劇場から各家庭にクラシックを引きこもらせたときに、視覚的効果を必要としない純音楽としての交響曲がもてはやされるようになったのが現代という言い方もあるかな。
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