湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ヴォーン・ウィリアムズ:仮面劇音楽「ヨブ」

2010年06月14日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ボールト指揮ロンドン・フィル(intaglio)1972/10/12ロイヤル・フェスティバルホールlive

仮面舞踏劇という特殊なものでアグレッシブなRVWが現れた最初期の作品として記念碑的意味をもつが、長大な内容はむしろ天路歴程のようななだらかで美しい音楽に、野暮ったい田舎リズムが攻撃的な趣を持ち込むくらいのもので想定外の部分はそれほどない。職人的に巧い表現はホルストに近い管弦楽の多彩さを示し、それでもシベリウスの露骨な模倣やその他同時代もしくは前の時代のロマン派音楽からの影響を拭えず、決して新しさを聴くべき曲ではないだろう。

ここで素晴らしいのはボールトであり、そのブラームス的とも言うべき力強い表現はヴォーン・ウィリアムズムのともすると削ぎ落とし過ぎてやわになった音構造をしっかり立て直し、中欧的なオーケストレーションの重さとフランス・北欧的な響きの明るさを併せ持つその魅力を最大限に引き出す。こういう演奏だからRVWは生きてくるのである。透明で繊細な表現ばかりしていても印象には残らないし、児戯にすら思えるパセージに苦笑を禁じえない向きもあるだろうし。

もとよりRVWがキリスト教的主題によって作曲していた時期の作品でウィリアム・ブレイクの代表作である「ヨブ記」挿絵に着想を得たもので、しかしながら毒を孕むそういった原作品から完全にアクを抜き、素晴らしく聴きやすく仕立てる(そこが物議をかもす点でもあるが)ところが、好きな向きにはたまらない。長大なヴァイオリンソロがひたすらアルペジオを繰り返す場面はすっかり「あげひばり」であるが、少ないコードを際限なく繰り返しいささか長すぎて、効果はあげひばりのほうが上であろう。

但し、終曲の連綿と続く感傷的な「田園」風景とともに、ボールトにかかると非常に印象的なものに変わる。ヴァイオリンソロはまるで二胡のような非常に特殊な音を出していて、(東洋を意識しているのではなく英国民謡が元々そうなのだそうだが)五音音階に拘っている曲だからこそまるで中国や日本の静かな音楽を聴く思い。終幕のあと、永遠に続くかと思われる沈黙もボールトの作り上げた音楽の大きさを実感させる。演奏的にはとても素晴らしく、ボールトのいくつかある演奏の中でも聴くべきところは多いが、ライヴであることから○にはとどめておく。RVWは録音がよくないと繊細な魅力が聞き取れない作曲家だ。

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