ミュンシュ指揮ORTF(ina配信)1965/11/16(1966/1/1放送)live
プレートルも録音しなかった番号で、表題を持たず(楽章には付けられているが抽象的)全般に1番とくらべオネゲルに回帰したような地味な響きと律動、ミュンシュだからその求心力(細かな動きのオケの統制含む)で聴いていられるが、とりとめなくフィナーレが(冒頭こそランドスキらしい新しい響きも入るものの)どこで終わったかわからない感じもあり戸惑い気味の拍手が入るのも、けして当時前衛ではなくかといって古い見地からも新しくなかったことは窺い知れる。しかしランドウスキは「わかりやすい」。きちんとした楽想を持ち、それなりの創意ある音楽は戦後の「娯楽的空気」も伝えており、一部で揶揄されたのもわかる。テレビドラマの劇伴のような今や古臭いあからさまさも含まれるのだ。逆に、今こそ再評価されるべき「忘れられ方」をしているとも思う。ここでのORTFは細部までよくやっている。ミュンシュはボストンでの新曲演奏のように少し引いてやってはいるが悪くない。ノイズの少し気になるステレオ。
プレートルも録音しなかった番号で、表題を持たず(楽章には付けられているが抽象的)全般に1番とくらべオネゲルに回帰したような地味な響きと律動、ミュンシュだからその求心力(細かな動きのオケの統制含む)で聴いていられるが、とりとめなくフィナーレが(冒頭こそランドスキらしい新しい響きも入るものの)どこで終わったかわからない感じもあり戸惑い気味の拍手が入るのも、けして当時前衛ではなくかといって古い見地からも新しくなかったことは窺い知れる。しかしランドウスキは「わかりやすい」。きちんとした楽想を持ち、それなりの創意ある音楽は戦後の「娯楽的空気」も伝えており、一部で揶揄されたのもわかる。テレビドラマの劇伴のような今や古臭いあからさまさも含まれるのだ。逆に、今こそ再評価されるべき「忘れられ方」をしているとも思う。ここでのORTFは細部までよくやっている。ミュンシュはボストンでの新曲演奏のように少し引いてやってはいるが悪くない。ノイズの少し気になるステレオ。