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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

2006年09月19日 | ショスタコーヴィチ
○ザンデルリンク指揮ニュー・フィル(VIBRATO:CD-R)1973/3/15LIVE

なかなか渋く立派な、マジメな演奏だがいかんせん、録音が悪い。テープよれが割と頻繁に聞こえる。勢いのある演奏ぶりはこのオケらしからぬドイツっぽい重厚な音響に支えられ壮年のザンデルリンクらしさを示している。よく理解した演奏だとは思う。娯楽的要素は薄いが、10番らしい10番である。とにかくオケがいいですね。終楽章のアレグロ部で声部が薄くなる場面ではやや甘さが出ますが。最後は期待どおり盛り上がり、ブラヴォの渦。これでいいのか?○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第4番

2006年08月07日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮ドレスデン・シュタッツカペッレ(PROFIL)1963放送LIVE・CD

話題盤である。抽象度の高いコンドラシンならではの演奏で、娯楽的要素はなく暗鬱とした細い音線が、ひたすら1時間近くつむがれてゆくさまは「タコヲタ」でないとなかなか入り込めないと思う。だいたいショスタコは各楽器を剥き出しにして数珠繋ぎで使用していくことが多く、ロシアの伝統もあろうが(恩人グラズノフがアバンギャルド以前の唯一の例外か)余り構造への意図的な配慮などはないので、スコアを見ながら精緻な響きを追っていかないと全容を掴みづらく、「本当の内容」を見かねてしまう。まあ、「本当の内容」なるものが本当に存在したのかどうか、今や一面的に決め付けることもできないが。この外様を使っての放送ライヴはモノラルではないと思うがほぼ残響をつけたモノラルに近い。ライヴではよくある類の舞台の遠い録音状態である。しかしそのためまとまって聴きやすく、細部は明瞭に聞こえるため(一部電子的雑音のようなものが入るが)難はなかろう。オケはロシア臭がしないぶんその録音状態とあいまって客観的評価が下せるような安定した音を出す。集中力もコンドラシンが時々はまるような即物的なものにはならず、マーラーのアダージオすら髣髴とさせる場面も少なからずある(もちろん元々そう書かれているのである)。ショスタコがフランス派の繊細な響きに接近しているということも改めて認識させる。そういった意味で見通しはよく、個人的にはロジェストのように表現のメリハリ、物語的な起承転結のはっきりしたもののほうが聴きやすいのだが、演奏的にこちらの純音楽的演奏をとる人もいようことは想像がつく。引き締まった演奏振りで、ロシアオケの雑然とした表現力に霍乱させられるという向きにはロシア盤よりこちらをお勧めする。○。正直個人的には余り強い印象はなかった。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2006年07月25日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮ミュンヘン・フィル(VIBRATO:CD-R)LIVE

モノラルでエアチェック状態は悪くないが録音は悪いというか遠く篭っている。ノイズもある。演奏は紛れも無く超即物的コンドラシンスタイルで冒頭からつんのめり気味の異様な速さである。軽快に聞こえかねないほどだが妙に粘り深刻なよりは聞きやすく個人的には好きだ。スケルツォはそれに比べれば普通のテンポ。水際立った音のキレとリズム感はコンドラシンらしい厳しくりっせられたものだ。ミュンヘンの一糸乱れぬ好演が光る。ソロに瑕疵はみられるがこの曲でこの厳しさでソロのこけない実演のほうが珍しいのである。アダージオはドライなコンドラシンにとって鬼門のように個人的には思う。わりと常識的な演奏に落ちる。美しく淋しく深刻なさまは描けるのだが例えばバンスタのような歌謡性や迫力がなく、ソヴィエトスタイルの典型的なやり方を踏襲しているがゆえに個性の印象が薄い。全体設計の中ではそれで充分なのかもしれないが。雄大に烈しい発音で始まるフィナーレはわりと落ち着いたテンポから徐々にアッチェルしてゆきヴァイオリンがばらけだして激烈な最初の頂点にいたる。強制された歓喜それ自体より直後の太鼓の破滅の乱打が深刻で印象的だ。念を押すような珍しいテンポルバートがコンドラシンの言いたいことを音楽で示している。わりと普通の緩徐部から再現部は徐々に徐々に注意深く表現を荒げていく。少し注意深すぎるような気もするがじつに大きな造形だ。コーダは二度テンポを上げることなく雄大に壮麗な勝利の凱歌をあげる。設計がすばらしく上手い。ブラヴォもむべなるかな。初心者向きではないが古典好きにもアピールするであろうロマンに流されないしっかりした構造の演奏。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2006年07月13日 | ショスタコーヴィチ
○バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団(KAPPELLMEISTER:CD-R)1976LIVE

かなり質の悪いエアチェックもので最初隠し録りかと思った。「膝の温もりが伝わってきそうな録音」と書きそうになった。一楽章では酷い混信もあり聞きづらい。しかし、やっぱりバンスタはわかりやすい。。この曲にこの年で今更面白みを感じるとは思わなかった。音のキレよく骨ばった音楽をかなでるのではなく、生暖かい肉のまだついている音楽、まさにマーラー側に思い切り引き寄せたような厚ぼったくも魅力的な響きに旋律の抒情性を最大限引き出したロマンティックな革命、オケもフランスがどうこういうものはなくバンスタのハミングにしっかり肉を付けている。勿論ドイツやロシアでは得られないすっきりした響きが(コンマスソロなど技術的綻びはあるにしても)バンスタの脂を上手くあぶり落としている点も聞き所ではあり、イギリスオケのようなニュートラルな無難さがない所もまた人間臭さを感じるのだ。いや、飽きないですねこの人の革命は、三楽章がなかったとしても。ムラヴィンだいすき派やチェリは偉大派には受けないやり方だろうが、この分厚い響きにえんえんと続く歌心には、マニアではなく一般人を引き付けるわかりやすい感情の滑らかな起伏がある。豊かな感受性は淋しくも希望のかけらと憧れをもって轟く三楽章で遺憾無く発揮され、マーラー好きのパリジャンの心を鷲掴みにする。ショスタコの大規模曲には速筆ゆえに構造の簡素さや各声部剥き出しの薄さがつきまとう。弱いオケがそのまま取り組んでしまうとちっともピンと来ない浅い曲に聞こえてしまいがちである。私などはそういうところで入り込めない部分があるのだが、演奏陣によってここまで分厚く塗り上げられると否応なく引き込まれざるを得ないのである。浅薄なまでに速いスピードで煽られる四楽章にしても旋律はつねに明らかであり響きの重心は低く厚味を保っている。コードを小節単位でただ各楽器に割り振っただけの余りに単純なスコアも粘着質の強いフレージングを施し構造的な弱みをカバーしている。それにしても弦楽器そうとうプルト多いな。旋律の抑揚も完全に歌謡的だが、元々カッコイイので演歌にはならない。打楽器要素が強調されているのもダレを抑えゴージャスぶりを発揮するのに役立っている。バンスタのカラオケ声がときどきうるさい。アグレッシブなのはいいのだが、マイクバランスが悪く指揮台直下で聞いているような感じなので、足踏み共々気を散らされてしまう。でもまあこの異常な突撃怒涛のクライマックスが聞けただけでも聴いた甲斐があった。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2006年06月24日 | ショスタコーヴィチ
チェリビダッケ指揮スウェーデン国立放送交響楽団(WME:CD-R)1960'LIVE

録音がかなり悪い。復号化がうまくできていない圧縮音源のうえつぎはぎのようである。三楽章のあとに聴衆のざわめきが何故かクリアなステレオで挿入されるものの四楽章が始まるとモノラルの悪音に戻る。がっしりしたフォルムの厳しく客観的にりっせられた演奏というものは聞き取れるが、正直鑑賞するには厳しい状態であり、無理して聞き込むと今度はオケ側の演奏不備も目立つようになり、とくに四楽章は厳しい。演奏的に悪くはないのだが、これに特にこだわる必要はない。無印。チェリの革命には4枚ほど音盤があるが、イタリアの古いライヴは未知。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2006年05月30日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮NYP(vibrato:CD-R)1968/4/11live

文句なしに巧い。聞かせるすべを心得ている。この人がショスタコーヴィチに示す適性は何なんだろう?NYPがここまで統率されたのは何故だろう?交響曲第5番で描ききれなかったショスタコーヴィチのマーラー的なドロドロを(ロマン性とでも言おうか?)明快に描き切り、満場のブラヴォを勝ち得た。このフィナーレのカタルシスこそSYM6の本質なのだ。解放のイメージに交響曲第5番の屈折は無い。ハッとする演奏。録音状態をかんがみて○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2006年05月24日 | ショスタコーヴィチ
○ハワード・ミッチェル指揮ナショナル交響楽団(RCA)

ステレオ。軽量級の演奏で割合とさっさと進むが、早めのテンポは好み。オケはうまい。味が有るという意味ではなく、技術的に。この人もテクニシャンだが、奇をてらわないので余りファンの付くタイプではないな。ただ、3楽章までは非常にスムーズに聞けた。朝からこの曲を聴きとおせるってのはそうそうないことで、まずは○ですなあ。ただ、終楽章が遅すぎる。それがなければもっといいのにね。でもどっちみち、個性派ではないので、そつなく聞きこなせる、という意味でしか評価をつけようがないかな。
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ショスターコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番

2006年05月15日 | ショスタコーヴィチ
○コミタス弦楽四重奏団(MELODIYA)LP

かなり穏やかな演奏なのだが、ねっとり軟らかい左手の指遣いがロシア式を感じさせて懐かしい。強く個性を押し出すところはないが安心してこの短い叙情詩に身を委ねることができる。テンポ設定も一定しており極端なコントラストをつけることもなく、曲の純粋で他愛のない美観をうまく保っている。技巧的安定がそれを支えているのだろうがこの曲では技巧について論じるのは無理がある。正直印象に残りづらい内容であったが、ロシアらしからぬ精度から○をつけておく。アルメニアの団体。録音は遠く悪いが4楽章は聞きやすい。
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ショスタコーヴィチ:ブロックの7つの詩

2005年06月02日 | ショスタコーヴィチ
○ヴィシネフスカヤ(sp)ワインベルグ(p)D.オイストラフ(Vn)ロストロポーヴィチ(Vc)(MSC)1967/10/20初演live・CD

20世紀の同時代の作曲家達が今考える以上に互いに国境やイデオロギーを越えて交流しあっていたことというのはいいかげん一般的知識になってほしいものだが、この曲にもブリテンやバーバーと同じ香りを嗅ぐ人は多いだろう。確かに弦楽四重奏曲に聴かれるようなショスタコらしいささくれだった静謐さというものが支配しているが、ソプラノを使うことによってそこはかとなく美しい抒情性が生じ、寧ろヴォーン・ウィリアムズ初期の「ウェンロックの断崖にて」の「クルン」の世界を思わせずにはおれない。くすんだ色調の、でもこの上なく深情の篭った作品である。演奏は比較するものを知らないので何とも言えないが、曲と作曲家の魅力を知り尽くした演奏家達による佳演とでも言っておこうか。○。
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ショスタコーヴィチ(原曲ヨーマンス):二人でお茶を(タヒチ・トロット)

2005年06月02日 | ショスタコーヴィチ
○ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団(imp,BBC)1981/8/14プロムスlive・CD

祝祭的雰囲気で音だけではわかりかねるが舞台上ではいろいろやっているらしく客席から笑いも飛び出す楽しい演奏になっている。ショスタコはこういう曲でも秀才を発揮する。ロジェストの指揮はやはりわかりやすくおもしろく、という王道を突っ走っているふう、もっともこの長さでは全容を把握することはできないのは言うまでも無いが。○。お定まりの凄いブラヴォ。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

2005年04月09日 | ショスタコーヴィチ
○伝イワーノフ指揮モスクワ・フィル(regis)1980・CD

人生の最後にこういう大交響曲を残したショスタコの心情を察するに複雑なものを感じるが(1970年代にコレですよ!)、4楽章制の古典的構成に立ち返りながらも1楽章と4楽章はウィリアムテルを初めとする古典的楽想によって、まるで1番のようなシニシズムを秘めたカリカチュアライズされた交響曲の両端楽章を演出し、2、3楽章は逆に死者の歌までで至った哲学的な世界の延長上にいるようないささか静かで難しい音楽になっているのはコントラストが激しすぎてかなり分裂症的、私などははっきりいって余りのちぐはぐさについていけない感じすらした。2楽章の長大なチェロ・ソロは極めて晩年的で深刻な諦念(マーラーのような夢すらない空疎な諦念)を出してくるのに、4楽章ではワルキューレの運命の主題がそれほど悪くない運命であるかのように変な盛り上がりをもたらしている。決して傑作とは言わないが、天才作曲家にしか書けない交響曲ではある。最後の巨匠世代と言わせてもらいたいコンスタンチン・イワーノフのこの演奏はとてもしっかりしており他のショスタコ指揮者がことさらに曲を掘り下げて演奏しているのに対して素直に曲想に従ってしっかり仕上げている。聞き易さではかなりいい線をいっていると思った。1000円以下の廉価盤で手に入るのが信じられない。○。

(後補)当盤はポリャンスキのCHANDOS録音のコピー(偽盤)の模様。
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ショスタコーヴィチ: 交響曲第6 番

2005年03月28日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮ACO(RCO)1968/12/20LIVE

こんないい曲だったけか!カッコイイきっぱりした棒にオケの冴えも素晴らしい。3楽章がなんといってもききもの。肯定的作風に輪をかけててらいのない演奏で安心して聞ける。○。

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ショスタコーヴィチ:交響曲5 番

2005年03月19日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(IMG,BBC)1964/9/17ロイヤル・アルバート・ホールLIVE・CD

録音極めて明瞭。オケの威力に脱帽。ソリストもおしなべて上手い。きっぱりした発音の多用がストコらしからぬ緊張感をもたらしているが、解釈的にわりとオーソドックスで特に4楽章はどっちつかずの半端さを感じる。前半2楽章が好演しているだけに惜しい。突飛さを求めたら期待を裏切られるかも。間延びしたようなところも聞かれる。3楽章のコラールふうの響きも美しいし、4楽章中間部までの弦のカンタービレも素晴らしいのだが(テンポはなぜかさっさと先へいってしまうが)。オケはとにかくうまい。最後は大見得を切ってブラヴォーの嵐。実演は凄かったのかも。それを加味して○。

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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2005年03月13日 | ショスタコーヴィチ
○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(ALTUS)1970年7月1日LIVE、大阪フェスティバルホール・CD

明るく流麗でそつのない速いインテンポが持ち味の指揮者。でもドラマの起伏は大きなスパンでここぞというところにつけられている。レニフィルの迫力と威力に圧倒されつつ、特にペットを始めとするウィンド陣の野太いロシア声に心煽り立てられることしきりである。こんなオケを生で聞いたらそれは感動するはずだ。ムラヴィンスキーのような凝縮と抑制がなく、かといってグダグダなロシア指揮者の系譜とは隔絶した、しっかりした密度の高い演奏ぶりは1楽章クライマックスあたりで既に胸のすく思いというか、猛々しい気分とともにどこか清清しさすら感じる。終盤の静謐な美しさも筆舌に尽くしがたい。幻想味とともに生身の演奏の肌触りがするのがいい(もちろん録音のせいもあろう)。テンポ的にはちょっとあっさりしすぎの感もあり、編集上の都合かアタッカのノリでそのまま2楽章に突入してしまうこととあいまって1,2楽章が同じテンポで同じ気分で繋がれているような、楽想の切替の面白さがやや減衰している感もある。ただ単品として2楽章の演奏を聞くならば最高にイカしている。やはり速めのテンポで強力な弦(ソロの美しさ!!)のガシガシ迫ってくる力強さや一糸乱れぬアンサンブル、そこに絡む管打のまるで軍隊のような規律と激しさを兼ね備えた演奏、そして全体に実に自然に組み合わさりこなれて流麗な音楽の流れに、マーラーのエコーと呼ばれたこの奇怪な楽章にもっと前向きというか、急くように突進してケレン味がない、いい意味で聞き易い音楽に仕立てていることは確かだ。

3楽章は無茶苦茶美しい。これは録音のよさもさることながら、個人技の勝利といおうかオケの勝利といおうか、アンサンブルを構じるのが非常に巧いこの指揮者の流麗で緻密な設計の上で、静謐で、それでいて歌心に溢れた感情表現を各セクションが競うように尽くしている。これは素晴らしい音世界。こういう感情的な暗さを表現するためにあのちょっと浅めの2楽章があったのか、と思わせるくらいだ。それにしてもレニフィルは減点のしようがない完璧さである。やはりムラヴィンスキーとはどこか違う、これは主観もあるかもしれないが、ムラヴィンスキーよりも現代的であり、なおかつテンポ以外の部分での「感情の幅」というものがより大きい気がする(ムラヴィンスキーのほうが起伏は大きいと感じるものの)。微妙なニュアンスのつけ方とかになってくるのだろう。その積み重ねが印象の大きな差となって出てきているわけである。とにかく美しい演奏だ。

4楽章は案外遅いテンポで始まり、ちょっとだけ弛緩を感じる、特にブラス。ノリはしかしすぐに定着してきて流れが構成され始めると分厚い弦楽陣の力強い表現がぐいぐいと音楽を押し上げていく。フルートの音色がいい。最初の「かりそめの勝利」にいたる道筋はすんなりとしているが、かなり気分は高揚っせられる。勝利の崩壊を示すティンパニ・イワノフの連打の生生しさを聞くに録音の勝利の気もしなくもないが、ムラヴィンスキーよりやっぱり新鮮に聞こえる。娯楽的な要素はないはずなのだが娯楽性を感じるのは、いいことと言っていいだろう。静寂があたりを覆ってくると、ヴァイオリンのpの過度に緊張感がなく、でも絶対乱れないという恐ろしい音で、気持ちのよい流れが形作られていく。音楽は偉大な盛り上がりを見せ始め、大きな本当のクライマックスまでの道のりはじつに自然で、扇情的だ、特に最後のコーダに至るまでのリタルダンドの凄さ(急激にかかるタイプではありません!!設計上大きくかけられていくリタルダンド)、真のクライマックスにふさわしい勝利の表現にはもはや何の言葉もいらない。この指揮者はフィナーレが本当に巧い指揮者だ!ブラヴォー嵐。半分はレニフィルに向けてのものだろうけど、ヤンソンスの技術にも拍手を贈りたい。○。それにしてもaltusの海外向けサイトがぜんぜん更新されないのはやはり状況が厳しいのだろうか。世界中でいちばんマニアックな日本のファン向けのタイトルでは・・・。日本では結局キングが扱っているので磐石なのだが。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2005年02月23日 | ショスタコーヴィチ
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP

ひそやかな演奏。ザッツもよく揃い、美しいが、地味さもつきまとう。勿論元々地味な曲ではあるのだが、この人らしくないちょっと引いた感じがある。だがそれも長所ととるならば問題無い。この曲には寧ろそういう陰花植物のような表現があっているようにも思う。ムラヴィンスキーを思わせる緊密さもあり、若い頃の演奏に近いかもしれない。録音はいいから、6番に親しむのにはいいと思う。木管の巧さに舌を巻く。○。
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