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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2018年02月09日 | Weblog

ブーレーズ指揮

ウィーン・フィル(DG)1994/○BBC交響楽団(ARTISTS)1973LIVE・CD

それにしてもウィーン・フィルの音は随分変わった。同じDG盤のバーンスタイン/ウィーン・フィルと立て続けに聞いたが、音は隅々まで無個性なほど全く同じ。機能性は格段にアップしているからそれはそれでいいのだが、冷たい印象を与えてしまうのはいかにも残念だ。ブーレーズのDG盤はかつてのライヴとは全く異なり、非常にまろやかだ。言ってしまえば常識的な演奏に落ち着いてしまった。でも聞き心地は悪くない。1楽章のアルマの主題の展開がバーンスタインのテンポ設定と似ており、面白いと思った。緩徐部での響きの感覚はさすが鋭敏な耳を持つブーレーズならではの繊細さで、印象派的。3楽章の美しさも特筆すべきだろう(旧盤とは全く解釈が異なっているが)。終楽章、思わぬところでハープが響いたりして、そういうところは(少ないのだが)個性的な部分を遺している。個性的、と書いた。旧盤、イタリア盤のライヴは素晴らしく個性的で、一期一会の迫力を持っている。事故も多いが、震幅が大きく、しかもその付け方が特徴的で(以前書いたようにバルビローリをちょっと思わせる)、冷徹な印象のあったブーレーズの「熱気」が、ふんぷんと伝わってきた。録音は悪いものの、ここでは円熟したがゆえ「薄く」なった新録より、お勧めとしておく。終演後のブラヴォーも凄い。昔ブーレーズのマラ6ライヴが聞きたくてたまらなかった折、「ブーレーズ・フェスティバル」で同曲が取り上げられると聞いて飛び上がって喜んだものだが、じっさいはティルソン・トーマスが振ったのだった。まあそれはそれで興味深かったのだが(面白かったとはいわない)。ちなみにHMVでブーレーズの「大地の歌」(DG)が990円で投げ売りされていた。果たして今現在のブーレーズ・マーラーの評価はいかがなものなのだろうか。関係ないが秋葉原石丸電気でALTUSのコンドラシン・ライヴシリーズが1枚950円で同じく投げ売りされていてショックだった(私は全て原価で買っていたし、悲愴にいたっては間違って2枚買ってしまっていた)。たまにレコード屋めぐりをするとこんな発見もあったりして。(2003/1記)

(BBC交響楽団盤 追記)

ブーレーズ、ドイツグラモフォン盤でないライヴ録音です。私は偏見もあって、最近のブーレーズは指揮者として巧くなった替わりに閃きや鋭さがなくなったと思い込んでいるのでご容赦を。CDが出た7年くらい前に書き留めておいた文章をそのまま載せます。

ブーレーズの悲劇的を聞いた。ブルーノ・マデルナ張りの珍妙な表現も多かったが、何より驚いたのが対照的とも思われるバルビローリのライブ盤との近似性。3楽章(バルビローリは2楽章)終盤の急激なアッチェランドなどはこの二人をおいて他に見られないものだ。通常ブーレーズとバルビローリにとって、ライヴとは別の意味を持つものであったろう。おおむねスタジオ録音に近い精度の演奏を求めるブーレーズに対して、バルビローリはスタジオの入念で神経質なものとは異質の、一期一会の激しい演奏を行う。スタジオはバルビローリにとって余り重要な存在ではなかったのかもしれないとさえ思う。ニューヨークフィル時代のチャイコフスキー5番の録音はその最たるものだが、悲劇的のベルリン・フィル定期の記録もそれに迫るものがある。チェロ奏者から始めやがて徹底したプロ指揮者として生涯を尽くした演奏家バルビローリと、アグレッシヴな活動家として音楽界を席捲したあとに指揮に手を染めた作曲家ブーレーズが、ここでこんな近似性を見せるのは面白い。尤も4楽章でブーレーズはおおむね一般的表現に落ち着くのに対し、バルビローリは益々度を越してきている。このへん乖離してきてはいる。

○グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ(EN LARMES:CD-R)2003/4/13LIVE

1楽章繰り返し有りで73分というのは速い部類に入るだろう。さっさと進む乾いた解釈はブーレーズらしいが、いかんせんオケが弱い。あちこちで事故が起きているしリズムに鋭さがなく雑然としている場所も少なくない。1楽章などテンポがたどたどしく感じる。また奏者の技術にもばらつきがあるようで、弦は薄く一部奏者が突出してきこえる。ソロをかなでるコンマスも固い。オーボエなど妙に巧い奏者もいるが管楽器もまとまりがいいとは言い難い。ただ、3楽章アンダンテから4楽章へむかって流れが良くなってきているのは確かで、4楽章などなかなか聞きごたえがある。余り揺れない解釈であるがゆえに揺れたときのインパクトは凄いし、また響きが完全にマーラー的になっているのはすばらしい。粘らないあっさりしたテンポにも関わらずとてもロマンティックに聞こえるのはそれゆえだ。豊穣なひびきが確かな聞きごたえを感じさせる。最後のハンマーの打音はかなりリアルに捉えられており、腹の底にズシンとくる。日本でもこれをやったブーレーズだが、かつての解釈と微妙に変わってきているようであり、一流オケでやったらどうなっていただろうか、と思わせるところがある。若いオケということで多少大目に見て○。

※2004年以前の記事です
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マーラー:連作歌曲集「亡き子をしのぶ歌」

2018年02月08日 | Weblog
フォレスター(ca)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1958/12/27live

環境ノイズがうるさい、あまりよくない録音。フォレスターは安定した技量をもって必要十分なマーラーの、最もマーラーらしい円熟した歌を聴かせているのだがオケが冷たい。最後のロマン派たる情念のうねりも歌唱につけるだけの「伴奏」にてっして冷たい。これまた技巧はすぐれるも、至極普通であり、ミュンシュとはいえそのマーラーに求めるべくもないことなのだが、一欠片のロマンティックな表現もない。起伏は楽譜の通り。うーむ。正直つまらなかった。この曲の頃にはソリストとオケは不可分のねっとりした絡みぶりを見せてほしい。
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☆クルシェネク:ブラス・オーケストラのための三つの楽しい行進曲

2018年02月07日 | Weblog
◎エーリッヒ・シュミット指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団(COL LEGNO)1977/6/13LIVE・CD

ドナウエッシンゲン音楽祭75周年ボックスより。
確かに楽しいです。といっても単純なマーチ集ではない。不安定な旋律線はよっぱらいのマーチのようでシニカルな雰囲気がある。転調も頻繁で、平易な曲想でありながら「歌えない」。でもそこがいいのだ。これに比べればずっと古風だけれどもクレンペラーのメリー・ワルツをなんとなく思い出した。録音もいいし、作風変遷著しかったクルシェネックのわかりやすい面を浮き彫りにした作品、機会があればぜひ聴いてみてください。

※2004年以前の記事です
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シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

2018年02月04日 | Weblog
フェラス(Vn)フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(SLS)1957/11/16リスボンlive

骨太の音でグイグイと引っ張ってゆく、ヴァイオリン弾きになりたかったシベリウスが独特の技巧的フレーズを縦横無尽に散りばめたなかから、いわゆる北欧的なひびきやロマンチシズムをしっかり引き出して、ドイツ的な力強さをもった音楽に仕立てている。録音は悪いがフェラスの素晴らしい腕前は、もちろん現代においては精緻に細かい音符の全てを音にしないと許さないひともいるかもしれないがロマン派音楽にそれはあまり意味のないこと、要所要所、音楽の流れをとにかく重視して、そこにあらわれる大きな起伏をカッコよく、ギリギリと破音のしそうな弓圧をかけながら、二楽章ですらダイナミックに感じさせる演奏ぶりで圧倒する。対してブランコは固く、慣れていないことがバレバレで、この人の雑味のみ残ってしまう感もあるがもうオケはこのくらい四角四面で十分なのかもしれない。ブラヴォ終演。
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プーランク:三つの無窮動

2018年02月02日 | Weblog
ルービンシュタイン(P)(RCA/youtube)CD

フランス曲集の中の一曲として、あくまで「曲集の一曲として」やっているもので、アルバム全体の雰囲気にあわせてやや堅苦しくやっているようにも感じる(通常は「常動曲」と書くようだが、ここでは個人的に無窮動としておく)。しかしテンポは恐らく作曲家のそれに一番近く速い。感情はあまり変化せず客観的に適切なように弾いており、それがこの曲の良さを殺している気もする。それでもスピードというのは大事だ。ルビンシュタインらしく指が滑っていても平気なところがあるが、プーランク自身の指の転びとは異質の「オシゴト感」は否めないが。
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プーランク:三つの無窮動

2018年02月02日 | Weblog
作曲家(P)(EMI/youtube他)1930

旧録は復刻回転数がおかしいのも多少あると思うが(ピッチが高い?)新録よりさらに速い。ルービンシュタインですらこんなに急くようなテンポはとっていないが、自分の曲であるからの自在さで細かく即興的な変化を付けドライさは感じない。指が転ぶようなところも散見されるがそれも引っくるめてこの曲の原初的な表現方法の手本として、このくらいスポーティに飛ばす中にニュアンスを散りばめてやれば、プーランクらしい洒脱さの真骨頂が引き出せるというものだろう。まあ、若いなあ、乱暴だというところは正直あるが、躁鬱的な3つの曲の変化を繊細な心情にまで踏み込んでやっている点はルービンシュタインとは違う。
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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜Ⅱ.祭

2018年02月01日 | Weblog
クレンペラー指揮BBC交響楽団(ica)1955/12/11・CD

これもセッション録音か。録音は悪いが目の覚めるようなドビュッシーらしいドビュッシーでびっくりする。音響バランスもよく解釈も愉悦的な弛緩のないリズム取りに速いスピードで、戦前のベルリンでクレンペラーが当時の現代音楽に積極的に取り組んでいたことを思い出させる。杓子定規の解釈をする人ではないのである。アンゲルブレシュトを彷彿とさせる、と言ったらいい過ぎか。オケの有能さもあるのだろう。演奏精度だけは少し落ちるかもしれない。
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ブルックナー:交響曲第7番

2018年02月01日 | Weblog
クレンペラー指揮BBC交響楽団(ica)1955/12/3スタジオ録音・CD

スタジオ録音ではあるが発掘音源で、録音状態はボロボロのモノラル。演奏は50年代クレンペラーのそれで勢いがあり、同時代トスカニーニからワルターからミュンシュといった大指揮者がやっていた演奏にちかくテンポが横に流れるほどでクレンペラーらしさは薄いが、そういった武骨で響きの濁るところがないのはオケのせいもあるのだろう、聴きやすい。それなりに迫真性はあり、録音の悪さを除けば十分すすめられる。四楽章の最後がそのまんま切れて終わる感じがしてややあっけなかった。
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ドヴォルザーク:交響曲第7番

2018年01月31日 | Weblog
ペンデレツキ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(warner)2017/1/9-10・CD

1楽章は棒が固くて、オケもどうしようかというような非力さを示していたが、作曲家指揮者らしい瞬間的なテンポルバートの挿入といった愉しさの萌芽は見えており、3楽章以降はオケがこなれ熱量があがり、人工的な表情付けと雄大なスケールが印象的なフィナーレはそれなりに盛り上がる。木管はよいが弦は薄く、このブラームス的な曲でははっきり言って重さが足りずマイナス要素が多いが、「独特さ」を価値基準に置くなら聴いてもいい、程度か。
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☆ケクラン:フルート・ソナタ(1913)

2018年01月30日 | Weblog
F.スミス(FL)M.アムリン(P)(hyperion)CD

象牙の塔に独り篭って自分の為に作曲する事を望んだフランスの静かな作曲家。 あくまで優しく、決して派手ではないが、緻密で清々とした響きに溢れた曲を 200以上も書いている。1867年生まれの白髭のセンセイであったし(和声法の教科書でお馴染み)、 平均値的作風といえばそうかもしれない。しかし、ケクランの作品に 垣間見える個性というのは、紛れも無く20世紀の作曲家としての耳を持ち、新しい音響への挑戦を行った、しかし時代遅れの作曲家のものである。 映画スターのための曲(「7人のスター交響曲」等)や、無邪気な”交響詩” (「バンダー・ログ」等)のイメージがあるが、只耳優しい曲を描く類の作曲家ではない。もう少し深いところに棲むようだ。結局フォーレやドビュッ シーを想起させる場合が多いにせよ、オンド・マルトゥノなどの音素材、複雑で 止めども無い旋律線、空間音楽的発想、無調的フレーズが、さりげなく、しかし注意深く配置されていることに、はっとさせられる(「燃ゆる茂み」等)。 同時代の巨人たちと比べてしまうと、発想にやや貧困さを感じる向きもあろうが、 完成度は高く、若い世代~メシアンやその門下のブーレーズ等~への受けが良かったというのも、さもありなん、である。(1995記),
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ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2018年01月28日 | Weblog
マデルナ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(SLS)1964/1/22live

最初は雑然としたマデルナ流整え方で「ああ…」と思うが、このオケでこの透明感、かなり色彩的な響きを引き出すところにマデルナのフランス物適性が明確に表れてくる。肉感的な音楽にはならずどちらかといえば冷たいのに、綺麗で自在な旋律表現、法悦的な響きのもたらす陶酔感はなかなかのものである。モントゥとは対極の遊戯で、もちろん時代が違うからブーレーズなどと較べるべきではあるが、これはこれでロマンティックであり、その意味では現代的な演奏とも言えない…整え方はとても客観的に精緻に、とは言えない。ドラマを感じさせることはないが音楽として力があり、大曲を聴いたような気すらしてきた。客席は普通の反応。
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ベートーヴェン:交響曲第1番

2018年01月28日 | Weblog
クーセヴィツキー指揮ORTF(PASC)1950/6/25放送live

PRISTINE発掘音源、クーセヴィツキーのベートーヴェンシリーズで田園との組み合わせだがこちらは少なくとも初出(田園もおそらく初出とのこと)。比較的珍しいオケとのライヴではあるが、1番の記録はほかになく、最晩年記録でもあり貴重だ。レストア過剰で残響付加やノイズ除去痕が好悪わかつ復刻具合だけれども聴きやすさをとるならレンジも広く分離もなんとか聴けるレベルまで明確にしており(といっても一般的に楽しめるレベルではけしてないが)満足いくと思う。オールドスタイルのベトであり小粒な1番を想定して聴くと裏切られる。編成をしぼりモーツァルト的な軽妙さを楽しむ、ことはまったくできない。むしろ後期交響曲、7番あたりを聴くような感じで迫力とスケールの大きさにびっくり。これはもう4番以降の世界で、田園もそうなのだが、とにかく後期ロマン派的な方法論で押し通しているというか、とくに弦楽編成がでかいのは確かだと思う。その音のマスの強さで、かっちりした曲に筋肉をまとわせ、ORTFらしからぬ集中力を引き出している。音色はBSOにくらべ良く感じる。BSOなら重すぎると感じたかもしれない。機会があればどうぞ。うまいといえばうまいです。
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☆リヴィエ:交響曲第3番(弦楽合奏のための)

2018年01月28日 | Weblog
デゾルミエール指揮ORTF(columbia)

牧歌的で非常に美しい曲。ヴァイオリン二パートのかなでる高音の旋律はミヨーの作品に近似し、職人的な構造にはそれより癖のないオネゲルの夏の牧歌に近いものがある。もっとも二楽章から現代的な響がまざり、終楽章はすっかりストラヴィンスキー風の律動的な新古典で焦燥感のある音が交錯するまま終わる、フランス音楽快楽派にとっては後味の少し悪い作品となっている。室内交響曲としては比較的著名で、パイヤールのERATO録音が知られるが、国内実演で触れる機会も少なくない。前プロにしやすいのだ。デゾは引き締まったアンサンブルを提示する。オケに癖がなく技術が安定しているのでやりやすい面もあったろう。前時代的なところがなく爽やかに楽しめる。

※2016-07-31 22:00:27の記事です
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☆マーラー:交響曲第1番<巨人>(1884-96)

2018年01月26日 | Weblog


○バルビローリ指揮

ニューヨーク・フィル(NYP)1959/1/10カーネギーホールLIVE・CD
ハレ管弦楽団(DUTTON,CEDAR/PYE他)1957/6/11,12・CD

バルビの演奏は優しさで出来ている。聞こえるべき音がつぶれていたり(前者)音場が不安定な珍妙ステレオ録音だったり(後者)しても、一貫して流れゆく柔らかな抒情味には独特の味わいがある。ハレ管など技術的にかなり危なっかしいが、長年の付き合いもあってバルビの特質がニューヨークのものより一層よくあらわれているといえる。たとえばゆっくりめの2楽章などいい意味でも悪い意味でもバルビ的。リズム感はあまりよくないが旋律としての表現は微に入り細に入る配慮の行き届いたもので、とくに中間部のデロデロ具合は並じゃない。ポルタメントも多用されちょっと気恥ずかしくなるほどだ。終楽章はとにかく壮麗。光り輝くコーダのニュアンスに富んだ表現は実に美しい。一方NYPの演奏はダイナミック。録音こそ悪いが、たとえばブラスと絡むと聞こえなくなるヴァイオリンの音を脳内補完して聞くなどするとそれなりに楽しめる。終楽章の後半はとくにダイナミズムと抒情の絶妙にバランスの取れたカッコイイ音楽になっている。この組み合わせの演奏をアメリカで聞いたアルマが絶賛したという話は有名だが、NYPなりの荒々しさを巧く情熱的な音楽に昇華してみせるバルビの腕は相当なものだ。しかしここでも聞きどころは何と言っても緩除部の旋律表現である。3、4楽章中間部の感傷性は印象的で、甘やかで自在な歌いまわしはバルビの真骨頂というべきものだろう。完成度でいえば前者、個性でいえば後者。あとは好みか。○。

チェコ・フィル(bs)1960/5/15live・CD

協会盤。これはバルビローリの得意中の得意曲で、ニューヨーク・フィル公演にてアルマの賞賛を受けたことは有名だ。その遺された記録の中ではやや下の録音か。まず状態が良くない。分離が悪くて、このオケならではの折角の弦楽器の各声部がきちっと別れて聴こえて来ず、もやっとヤキモキする。しかしそれでもヴァイオリンの音域は比較的はっきりしているので、三楽章の(冒頭コンバスはヘタクソバージョンだが聴こえづらい…)中間部、夢見る歌謡旋律は縮緬のようなヴィヴラートの襞までびっちり揃って美しくひびき、「弦のバルビローリ」を堪能できる。もっとも独特の効果的な歌い回しは控えめ。オケの(ヴァイオリンの)美質を(異様に)引き出すに留まっている。この演奏では四楽章の緩徐主題でも同様のものがきかれ耳を虜にする。一方でブラスは野放図にきこえる。あけっぴろげで雑味がある。これもオケの特質かも知れないが。もう一つ文句をつけるとすれば二楽章の遅さだがこれは解釈なので仕方ない。全般とおして拍手も普通で名演の範疇には入らない、あくまで客演記録のレベルとして認識できるものではあるが、バルビローリ好きでイギリスやアメリカ以外のオケを聴きたい向きにはいいか。フランクの正規録音とは比べるまでもない音質なのでご注意を

※2004年以前+2016-10-17の記事です
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ファリャ:恋は魔術師組曲

2018年01月25日 | Weblog
デルヴォ指揮ORTF(ina配信)1970/6/14live

この組曲だと終わり方が何か締まらないがまあいいか。25分ほどで通して聴くとなかなかのボリュームである。デルヴォーも歳を重ねて弛緩傾向が出てきたのか、そもそもファリャはこういうすこし薄くて莫大な感じの管弦楽を描いていたか、火祭の踊りのこけおどし感は後者のせいかもしれないが、これは管弦楽組曲を聴くというより、物語を背景とした劇音楽として通して聴くと起承転結のついた大きなスケールを感じ取れる。通常の同曲抜粋を聴く感じでは知らない曲続きで飽きてしまうかもしれない。個人的にはたしかに飽きるところもあるが、こう聴くのか、という新しい面白みを出してくる、雄大な演奏とかんじた。無料で聴ける。
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