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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

コープランド:リンカーンの肖像

2018年03月01日 | Weblog
グレヴィッチ(語り)コステラネッツ指揮イスラエル・フィル(IPO)1976/6・CD

コープランドの人気作である。国威発揚のため第二次大戦にさいし作曲された中の代表格だ。コステラネッツは委属者でニューヨーク・フィルとも録音を行っている。拍手はないが環境ノイズより実況かもしれない。ややノイズが入るものの、概ね良好な録音。壮大さを演出する管楽群の高音域の響きがまさにアメリカ・アカデミズムそのものの印象を提示する。フォスターの草競馬の変奏を織り交ぜた複雑なリズムによる快活な音楽はティンパニなどパーカッション群のこけおどしで祝祭ムードをたかめる。弦楽器は控えめな用法。管楽器は垢抜けたズバリの響きをしているのに剥き身になると今ひとつ雑味があり気になる箇所がある。風呂敷を拡げたところで語りが始まる。リンカーンのいくつかの演説のいいとこ取りで、人民の人民による〜が最後に持ってこられる「民主主義賛歌」なのだが、何とユダヤ語なのでサッパリわからない(IPO設立80周年記念ボックス所収)。ここでは背景で冒頭の眩い荒野の風景が吹かれつづけ、断続的に弦楽器などの強奏が入る。きほん親しみやすいのは作品の性向、作曲の動機からもきているのだろう。まあ、なんというか、ユダヤ語でやる意味は何なのか、アメリカとの関係深さからきているのか。音楽とあってない。。ブロッホなら上手くやっただろうが、コープランドほどの世俗性、アメリカ的なる作風を持ち合わせていなかったのだろう。バーンスタインの作風にも似てなくもなくて、バーンスタインは映像を残している。コステラネッツは日本とも関係深いが、軽音楽指揮者のイメージが付き、じっさい世俗的なわかりやすい、メリハリのはっきりした指揮をする。さて、語りは素人にやらせろ、ともコープランドは言ったらしいが、まずもって素人のものは聞いたことが無いし、ここでは無難なナレーションとなっている。芝居がかってないから意図に忠実とも言える。まんま、ドガシャーンで終わる。15分前後の作品とは思えない風呂敷の拡げ方である。
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ラヴェル:クープランの墓

2018年03月01日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA他)1953/7/26タングルウッド音楽祭live

長大なナレーション入りの放送エアチェックもの(andanteかどこかが配信したものはどうだかわからない)。ガチャガチャした非常にノイジーなモノラルで、ステレオ再生機で起こしたらしく高音域が拡散し破裂気味、それゆえ分離が上から悪いという状態でまず鑑賞向きではないが、最盛期ミュンシュのラヴェルらしい溌剌としリリカルな音楽で、微細なまでに配慮の行き届いた表現の彩が美しい。リズムの明確さはここではまさに舞曲的に前進するタイプのもの、とても曲にあっている。曲によりロマンティックな重さがなくはないが、意思的な解釈はミュンシュの魅力そのもので取るに足らない要素だ。終曲の勢い、カラフルさは特筆すべきだろう。全般的に非常に演奏精度が高く、録音の悪さが惜しまれる。
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アイアランド:ロンドン小品集〜Ⅱ.ラガマフィン、Ⅲ.ソーホーの午前中

2018年03月01日 | Weblog
作曲家(P)(dutton)1949/2/25・CD

前者は、猫ではない。アイアランドが教鞭をとるためロンドンに居を構えたとき身近な路地や居住区にインスパイアされて書かれた小品集のひとつで、これも至極平易でこのCD収録の自作自演四曲では最もキッチュで無邪気な二分あまり。着想からも本気で書いたような呪術的でわかりにくい作品とは真逆となっている。ドビュッシーの気配すらする。演奏は細かい箇所がすこし縒れているか。後者は、forenoonsと複数形になっている。同じようにキッチュなリズムでやや諧謔的な音楽となっている。ここに収録された四曲の中では都会的な気配が強い。タッチの様子は録音が悪くあまりはっきりしないが、打鍵は強いようだ。
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アイアランド:4つの前奏曲〜Ⅰ.小声

2018年03月01日 | Weblog
作曲家(P)(dutton)1946/11/7・CD

内省的な音楽だが音は綺麗で旋律は甘く、とつとつとした味わいのあるもの。ピアノの名手でもあった作曲家としてはその技量を発揮する箇所は無く、二分半しかないが、中間部ではアイアランドらしい華美な書法もみられる。
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アイアランド:アンバーレイ・ワイルド・ブルックス

2018年03月01日 | Weblog
作曲家(P)(dutton)1948/5/28・CD

アンバーレイ・ワイルドブルックスはイングランド南辺の地。アイアランドはサルニアのような大曲でも自然を描いているがこれは三分半の小品で、感傷的な揺れを伴う演奏が、若干の複雑で呪術的な色をのこしつつも心象的な音詩として響いてくる。どちらかといえばサルニア寄りの華美な表現も含む曲であり、そちらを好む人にはオススメ。データが詳しくは記載されていないが当然モノラルの古い音でSP起しだろう。
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☆ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ

2018年02月28日 | Weblog

○コルベンソン(Vn)ウルマー(P)(CONCERT HALL)LP

◎にしたいくらいだ。録音が古いので○にとどめるが、ヴァイオリンとピアノが渾然一体となって一つの旋律線を紡いでゆくというこの曲の本質を見事に捉えた演奏である。フランクのソナタと同類項と考えている人はぜひこの演奏を聞いてみて欲しい。こういう演奏でないとこの曲の魅力は伝わらない。私は曲を聞く前に譜面を手に入れてしまって、ヴァイオリンだけ弾いているとわけわからないというか、とてもヘタクソな曲だなという印象しか残らなかった。病に倒れたドビュッシーの晦渋な気持ちが反映されているのかな、と思っていた。ぜんぜん晦渋じゃない。ピアノとヴァイオリンの非常に緊密なアンサンブルの上に成り立つものだから、どちらかだけを聴いていたところで本質はつかめるはずも無い。ヴァイオリンは巧い。非常に的確な表現をするというか、フレージングが巧くとてもわかりやすい。あまりに音楽の流れを重視するがゆえに細かい音符が音になってないところもしばしば聞かれるが、たぶんライヴでこれを聴いたら間違いなく感涙拍手喝采である。今まで聴いてきたこの曲の盤はいったい何だったのだろう、と思わせるほどスバラシイ演奏でした。

※2004年以前の記事です
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2018年02月28日 | Weblog
プレートル指揮パリ管弦楽団(SLS)1970/4/16live

両端楽章が良い。一楽章終盤の瞬間湯沸器的な激情、四楽章の意外と言っては何だがフランス的でないまっとうさ(ライヴなので感情で前に流れるようなスピードはあり、終盤アッチェルして瞬間ルバートを交える部分は面白い)、プレートルのエキセントリックな面はここのみであるが、LP期にマニアが親しんだプレートル流国民楽派の演奏であり、解釈に変化はないものの、記録としての価値はあるか。音はステレオでSLSにしては良いが、ほかのRレーベルと比べると普通というか、撚れてる方。オケがバラバラ感強めなので録音感自体はそこに吸収されてしまう。フランスを代表するオケとして設立されたにしては…である。
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☆ヴィラ・ロボス:ショーロス第6番

2018年02月27日 | Weblog
◎作曲家指揮RIAS交響楽団(VOX,TURNABOUT)

これは名曲です。わかりやすいです。ひたすら明るく楽しい旋律・リズムと煌くように美しいひびきの音詩です。スコアがないのでどこ、という指摘ができないのですが、真ん中あたりで・・・この盤で16分後から・・・高弦のリズミカルなピチカートにのってサックス+コーラングレあたりから奏でられ出す静かな旋律があるが、これなどまったくムード音楽、いや今のポップスに持ってきても十分通用する清新で感傷的な音楽だ。弦がリフレインするところなど、RIASのメンバーはポルタメントかけて思い切り歌っていて、ちょっと雑味があるが感動的。この旋律だけ聴くためにこの盤を買ってもいい、とさえ思った。前よく聴いていたスウィング・アウト・シスターの曲を思い出した。通俗的だなあ。でもそれがいい。また映画音楽ふうでもあるが、もちろんそのほうが後で確立した音楽ジャンルなわけで、当然今のポップス音楽など存在しない時代に作曲されたわけだから、手法的に革新的とか前衛的とか言うものはないにしても、十分に独創的で素晴らしい作品だ。ちなみに昭和2年の作曲です。逆に言えばポップス音楽なんて3/4世紀にわたってぜんぜん進化してないのだな、クラシック音楽のことを古臭いと言って批判できないだろう、とも思った。ここではRIASメンバーの音色がじつにいい。ぽっかり明るくノリノリだ。作曲家の指揮はシャープで明確。達者である。この作曲家はけっこう複雑な思考の持ち主のようで、甘く感傷的な音楽にもぴりりと辛い音響を添えたりするところがあり面白い。ミヨーのように学究肌・芸術肌ではなく、ファリャのように民俗臭ふんぷんというわけでもない。もっとも多分にこの二者に近い作風ではあるけれども、寧ろガーシュインのカリブ海音楽やレスピーギの大規模作品に近い心象をあたえる。色彩的で、娯楽的だ。とにかくひたすらたくさんの旋律が繋がり延々と流れ続ける音楽で、中にはあまり魅力的でない旋律もある。だがある種の雰囲気に統一された音楽であり、たとえばBGMふうに部屋に流して海のビデオなんか見ていると心地よーくなります。そういえば年末ジャマイカに行かないかと誘われたなあ。ポカポカ鳴り響く木魚?のリズムにのってラテンの踊りを踊り出す私。ああ、ブラジルだなあ・・・とりとめもないのでおわり。

※2004年以前の記事です
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☆ボロディン:歌劇「イーゴリ公」~だったん人の踊り

2018年02月27日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF、合唱団(STEF/ina配信)1964/3/19(29?)放送live・CD

はじめは管楽器の表現など生硬で若いオケの感じが強いがいきなりのロシア語合唱から徐々に盛り上がり、指揮の整えた感と演奏者の整えられて軋む感のライヴ的な齟齬をのこしながら迫力のフィナーレにいたる。まあまあ良いモノラル録音であるものの圧倒的であったろうアンゲルブレシュトの支配する大編成の音を拾いきれているとは思えない。ウラーが遠いところで響くのもちょっと勿体ない。私の手元の盤がそうだけなのかもしれないが終止音がいきなりブツッと切れるのはかなり興を削ぐ。ina配信は同じ音源の模様なので、廃盤のSTEF盤を求めるよりそちらがおすすめ。29日とするものもあるがina.frには19日と記載されている。

※2016-12-26 18:06:32の記事です
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☆グラズノフ:弦楽四重奏曲第2番

2018年02月27日 | Weblog
ユトレヒト四重奏団(Mdg)CD

全集+の一曲で雄弁で隙がなく構成的にも素晴らしい(音色がニュートラルで硬いのが玉に傷)壮麗なフィナーレが聞きものの演奏。ショスタコーヴィチ四重奏団の録音が唯一であった同曲を再評価するのに十分で、ローカルな魅力、情緒的表現を音色にまで徹底させた後者のそのまま裏返しの弱点が(音程狂いをそのまま録音したりしている)完全に払しょくされているが、情緒的要素には決して欠けていない。この曲はボロディンの2番と見事な相似形をなし、あれに民族色をさらに融合させ緻密に、それでも簡潔に構築している名曲だ。メロディも美しく、少し暗さのある、重みある響きは中欧ふうでもある(この盤はドイツ製だ)。後年より素直に才能が発揮されていて変な民族主義やアカデミズムが顔を出さない、ただちょっと長いと感じる人もいるかもしれないが、チャイコフスキーほどくどくはない。ボロディン2番を意識したようにソロ楽器にろうろうとメロディを演奏させほかの楽器が沈み、それがかけあったり数珠つなぎされていく点で「アンサンブルの魅力」でいうと躊躇する団体が多いのか演奏機会もほとんどなく(むかしyoutubeにあったが今は断片しかない)でもやってみてボロディンの2番より数十倍アンサンブル曲であるから単なるイメージだろう。ヴィオラソロを導入部に長々と挿入する後半楽章はとても聞きごたえがあり旋律にも連続性があっておすすめだが、前半楽章、1楽章は「スラヴ」を思わせる恥ずかしい演歌だけど、2楽章はボロディンとチャイコフスキーのスケルツォを掛け合わせたようなトリッキーかつ熱情ほとばしる曲でよい。この演奏はちょっと前半おとなしい。

いずれにせよweb配信販売もされているので、定額制とかやられているならぜひ!聞いてください。

※2017-10-27 10:30:29の記事です
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ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

2018年02月26日 | Weblog
モントゥ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団、メリザンド:ネイディーン・コナー(Sp)ペレアス:テオドール・アップマン(B)他(SLS)1954/1/2NYメトロポリタン歌劇場live

こんなものが存在することにびっくりしたのだが、やはり録音状態は悪く、環境雑音、混信めいたもの、撚れ、針飛びありのモノラルで、二枚組だが一枚目が歌の途中で切れる(二枚目で改めてその頭から収録されてはいる)ということで万人にはオススメしない。同曲は繊細な部分と意欲的に歌う部分に節度を持って均衡を保たせることで、全体のムードを作り上げる必要がある気がするが、これは音盤としては異例の「上演形式」の実況であり、それゆえに音だけのコンサート形式とはまずバランスが異なり、表現も意欲的な方に傾いた過剰さ、ある意味わかりやすさに傾くのは当然といえば当然である。ほぼアメリカ人メンバーだけによる上演というのもまた異例な感じもする(フランス人もいるにはいる)。掠れ気味の音なので残念だけれど、そのせいか歌もけっこうわかりやすくすんなり入ってくるというか、神秘的なところより肉感的なところに惹かれる。反面、憂いというか、弱音を綺麗に歌うという点、とくにバリトンは声が一本調子で繊細さが足りないか。オケは素晴らしい。モントゥーはのるかそるかの指揮をすることがあるが、ここでは力強いスタイルで、筋肉質の(アンゲルブレシュトとは真逆だ)同曲という不思議なものを提示し、躍動的な場面ではまるでバレエ音楽のような煽り方をしていて楽しい。明晰な棒さばきでこの悪録音でも色彩感を出してくる。年代的にもっと良い音で聴きたかったものだが、それほど飽きることなく聞き通せた。
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ラヴェル:スペイン狂詩曲

2018年02月25日 | Weblog
ベイヌム指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1955/12/22live

つまらない。ギチッとした演奏なのだが色がない。ベイヌムは何でもギッチリ振れる職人のイメージがあるが、それはこのあとの幻想交響曲くらいの大作なら生きてくる(この演奏も五楽章前まではしょうじきつまらないが五楽章が力強く盛り上がるので形式的には締まっている)ようなもので、またハデさも歌謡性も無いからラテン系の色を要求する曲には向かない。録音が篭もるモノラルで悪いせいもあって、これは買って失敗。
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マーラー:連作歌曲集「さすらう若人の歌」

2018年02月25日 | Weblog
フォレスター(Ca)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1958/12/27live

改訂は重ねられたものの既にして完成されたマーラーの歌曲世界、円熟した管弦楽技法を実感させる四曲である。これは歌曲ではあるがまず伴奏無くして曲たりえない絡み合い、まして管弦楽伴奏となると、二、四曲目で共通の主題を使用したタイタンに繋がるスケールの大きな楽曲になる。ミュンシュはマーラーをほとんどやっていない。歌曲集2つに交響曲第10番一楽章くらいである。だからこの曲はミュンシュがもし第1番一、三楽章をやったら、という「もし」を少し実現するものとなっていて、しかも(まずフォレスターは安定した歌唱力を提示していると置いておいて)とくに前者は浮き立つようなリズムが、調性こそ違えどタイタンの一楽章をこうやってくれたら素晴らしく愉悦的なものに仕上がっただろう、と思わせるくらいハマっている。後者も歌唱に沿ってではあろうが止揚するテンポがロマンティックな抑揚を、しかし明確にデジタルに付けていて、最後など退嬰的にしぼむ表現を上手にコントロールして秀逸である。冒頭の一曲目も同じような、まるでウィーン風を装うようなテンポの揺らし(コントロールされている)がミュンシュらしくないくらい積極的にマーラーをやろうとしているように聴こえる。まあ、しかし正規セッション盤があるのでこの音の悪いモノラルを聴く必要があるとすれば最後の拍手くらいか。演奏自体は既に完成された揺るぎないものに感じた。これはフォレスターも同じ。
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2018年02月25日 | Weblog
ロストロポーヴィチ(Vc)セル指揮NYP(WME)1965/11/20live

事故もあるし、録音は分離悪めのモノラルだが(ロストロ先生の音が細く聴こえるという状態!)、三楽章のやや緩いテンポにおける陶酔的な歌い回し、細かな動きをしっかり表現しながらもきわめて弱音で歌い継ぐところにこの演奏の特色はある。望郷の念がこめられているという同曲の本質をここでしっかりなぞっている。コンマスソロに象徴されるオケのデリカシーのなさはいただけないが、セルのドヴォルザークは特別で、ソリストもまたこの曲の代表的演奏者であるからこそ、全体の調和、細部の安定においてはなかなか、まずまずである。ロストロ先生のドヴォコンなので無数に記録のある中では表現も音色も基本一緒、飽きる人は二楽章までで聴くのをやめるかもしれないが、事故も含めて、ラストの大ブラヴォふくめて、価値はあると思う。(セルとニューヨーク・フィルという個性はほとんどメリットに影響していない、それを求めるなら買う必要はない)
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☆スクリアビン:交響曲第5番「プロメテ」断片(実験的ステレオ)

2018年02月24日 | Weblog
◎ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(history他)CD

※この録音は信じられないほどクリアで、色彩的で素晴らしい。当時の最高の録音と演奏の幸福な出会い。色光ピアノの光が目に見えるようだ。ピアニストも立っていて、演奏がいいのか録音がいいのか、断片だけではわからないが、とにかく良い。

ストコフスキーによる最初のステレオ録音(ベル研究所との協同) →ここ

historyのSP復刻第一集(もとは全10枚CDだったものを2001年位に二組に分けた)到着、早速このサイトのパブドメ音源(正規ではLPで復刻が出ていたとのこと)と比較。ワグナーに関してはすべて別録ないし被らないSP音源と思われる。展覧会の絵抜粋の抜粋はまだ聴いてないが全四曲ということから同じと思われる(モノラル含む)。historyは音源(録音年も?)を明記していないので同じものかどうかデータだけでは判別できない(実験的ステレオ録音かどうかすら書いてない)。わたしの入手目的の一つであったスクリャービンの交響曲第5番プロメテ「火の詩」から計6分あまりの抜粋は、録音年表記が一部異なるが同じでしょう。(正解は1932年3月12日ライブ△のようですが、historyでは1931/1932年となっておりました。私の古いリストに3月15日というものが記載されていましたが(交響曲第4番「法悦の詩」と同日)ここによると恐らくこの組み合わせだと3月19日の録音だと思われます。というかそういうの持ってたのか。原盤はvictorですがいかがわしいCDになっていたんでしょう。それにしてもパブドメっていいね。著名演奏家の骨董録音はかんたんに入手できる可能性が高いので買うのが馬鹿らしくなる)

こういうサイトがもっと検索できるエンジンだったのに何で今はあんななんだろう某Google。


△これは実験的ステレオではなく正規セッション録音もしくはそのテスト録音という意見が強い。実験的ステレオというより偶発的ステレオであり、二枚刃でカッティングされた一枚の原盤から拾った音を左右から聴こえるステレオに整えたという。本来は左右が逆に聴こえるのが正解というが、この理屈はよくわからない(いずれ近年手を加えているのだ)。ライヴ説に関しては咳の混入が根拠とされるが、テスト録音だったらありうるとのこと(ゆえに全曲盤とはやはり違うものだろう)。確かに精度が高過ぎる。精緻なライヴ録音のできる環境のあった時代ではない。演奏価値は揺るぎないのだが。

※2016-04-26 14:52:45の記事です
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