湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ラヴェル:弦楽四重奏曲

2018年03月07日 | ラヴェル
○ボロディン弦楽四重奏団(melodiya/CHANDOS)CD

オリジナルメンバー(*バルシャイのいた初期ではない)による有名なメロディア録音。ステレオ初期で音はよくはない。更にCD化に伴うデジタルリマスタリングによって元々の録音瑕疵が明らかになってしまうと共に音が硬く痩せてしまいふくよかな音響が失われている(ぽい)ところは非常に痛い。硬質な透明感が持ち味になったのは後年のことであって、オリジナル時代においては必ずしもそういう操作・・・特に擬似的なサラウンド効果の付加による不恰好にレンジの広い音響・・・はいい方向に働かない。ロマンティックと解説に書いてありながらも酷く人工的に感じるのはそのせいだろう。最近復活したメロディヤが出しなおした盤ではどうなっているか知らない。

この楽団はロシアの楽団とはいえ旧来の艶めいた「音色のロマン性」を煽る方向にいかなかったのが特徴的である。その点独特の位置にあり(続け)、それはこのオリジナルメンバー時代において既にはっきりとあらわれている。オリジナルメンバーならではの「ロマンティック」というより「特異に」恣意的な解釈はともかく、金属質で透明な音響を心がけ、特に「ノンヴィブラート奏法」の多用、スル・タストといった特殊な音を出す奏法の導入によって諸所の静謐な音響に独特の境地を編み出しているのは特筆に価することだ(このノンヴィブによる吹奏楽のようなハーモニーこそボロディンQをボロディンQたらしめているものであり、ドビュッシー・ラヴェルの一家言ある解釈団体とみなされるようになったゆえんである)。ドビュッシーにおいては余りうまくいっていないように思われるこの独特のスタイルだがラヴェルにおいては大成功であり、ラヴェルにこのような独自解釈の恣意性を持ち込んでここまで成功できたのはボロディンQだけではないか。しっくりくるのである。金属質の音はラヴェルにお似合いだし、ハーモニックな音楽作りもハーモニーに拘ったラヴェルに向いている。特に3楽章の解釈は絶妙と言ってよく、いつ果てるともない単音の伸ばしや(こんなのおかしいと思うほど長い)RVWかとききまごうような教会音楽的なノンヴィブの響きに「これはラヴェルじゃない、けど、こういう曲だと言われたら、これしかないように思ってしまう」ほどの説得力である。ノンヴィブにモノを言わせる近現代の室内楽演奏様式というのはソヴィエト発のものと言ってよく、それが古楽演奏の流れにいったかどうかは知らないし興味もないが、ボロディンQのスタイルがおおいに影響したことは想像に難くない。1楽章も言われるほど遅くはなく、2楽章がややリズム感が薄いが、3から4楽章への流れはすばらしい。

これがスタンダードではない。久しぶりに聞いて、ボロディンQがスタンダードだと思っていた学生時分を恥ずかしく思うくらい、これはラヴェルの典型とは言えないものだけれども、聞いて決して損はしない。ドビュッシーは珍演と言えるかもしれないが、ラヴェルは珍演と呼ぶには余りに板についている。アナログで聞いていないので◎にはできないが、○でも上位という位置づけに誰も異論はないのではないか。のちのボロディンQは完全に響きと現代的客観演奏の方向にいってしまった感があるが、これはその初期における、まだ完成されてはいないけれど、そうであるがゆえに魅力的な一枚である。

※2006-03-08 20:57:18の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:ピアノ三重奏曲

2018年02月04日 | ラヴェル
○ペルルミュテール(P)ゴーティエ(Vn)レヴィ(Vc)(TAHRA)1954/5/7・CD

録音の悪さが如何ともしがたい。しかしこの類稀なる面子による演奏はいずれの奏者もきらめくようなそれでいて力強いタッチで曲を描ききっており、オールドスタイル(といってもペルルミュテールの非情緒的な美しい音に象徴されるようにあくまで「ラヴェルの時代の」である)の演奏としては破格の出来である。技術的にも三者じつにすばらしい。三楽章の冒頭からのチェロの音程がやや低い感じがする。これがなければ◎にしたところだが、録音撚れだろうか。一聴の価値あり、ペルルミュテール全盛の覇気と雅味の感じられる演奏。

※2007-10-12 12:12:31の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

2018年02月04日 | ラヴェル
◎クロード・カサドシュ(P)デルヴォー指揮パリ音楽院管弦楽団(CND)LP

こんなに旋律的でわかりやすい演奏は聞いたことがない。ほんと相性のいいソリストに指揮者、隙のまったくない丁々発止だけで充分満足でしょう。浅さ云々含め両手とまったく同じ印象なのでそちら参照。こちらはある意味個性的な左手、ラヴェルとしては異論がある人がいるのを承知で◎。オケがいいよねーまた。デルヴォらしさがしっかり反映されてるし。詰まんない場面は流しちゃえ、でいいんだ。

※2005-12-14 09:01:10の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:ラ・ヴァルス

2018年01月19日 | ラヴェル
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(GUILD)1940/5/14LIVE・CD

骨董品の放送ライヴ音源を品質問わず無編集で出し続ける、DAみたいな悪海賊の不始末をつけてる生き残り弱小レーベル。この日のまとまりないプログラムも取りあえずまとめて、既出も含みながら復刻。このラ・ヴァルスは初物だと思うが、いかにもトスカニーニライヴらしい一期一会的な表現で度肝をぬかれる。たぶん1番「ひどい」・・・止まらないアッチェルの果てに大ブラボー、録音も非常に悪いから、なんだこりゃである。ただトスカニーニ全盛といわれる30年代に近く、極めて演奏精度が高いので「ウィンナワルツのカケラもない」にもかかわらず、迫力と音圧で聴き切れてしまえる。律動だ。トスカニーニは間違いなく暗譜しきっており、自分のリズムに自分の揺らしまで徹底させ、本番の空気を支配した、そのドキュメント。発作を起こしたような舞台にはラヴェルはいないが、トスカニーニが獅子様に吠えまくっている。○。

※2009-12-03 21:16:25の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:マ・メール・ロア組曲

2018年01月14日 | ラヴェル
○W.ダムロッシュ指揮NYP(COLUMBIA)SP

未だNYシンフォニーというクレジットになっている。NYオケ統合(=NYPso)、20世紀前半NYの音楽シーンにおける立役者でもあったウォルター・ダムロッシュの棒のもとに録音された記録は、目下店頭ではビダルフが復刻したブラームスのシンフォニー以外見かけないが面白い指揮者である。ここでは必ずしも際立って技術に優れた棒であるとはいえないもののゆったりしたテンポで繊細な響きをとつとつと表現し爽やかにまとめてみせるダムロッシュの解釈の特長がはっきりと聞き取れる。当時のNYP(S)の各ソロ楽器の演奏技術の確かさもきくことができ、この時点では後年目立つ濁ったロマンティックで重厚な表現は余り目立たず、水際立ったかなり透明感のある音楽を創り上げることも可能であったことがわかる。この感傷的なテンポに慣れるとかなりハマるかもしれない。ただ、ちょっと無骨というか、綻びがないわけでもなく、前記したが棒振りとしての技術が今ひとつだったがゆえのテンポだったのかもしれない。1,2曲めが連続し「親指小僧(一寸法師)」途中で面替えとなるのが聞きづらい。○。

CD-R化された模様。

※2007-03-05 13:38:20の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

2018年01月09日 | ラヴェル
○カウフマン(Vn)バルサム(P)(conerthall)LP

動と静、どちらの表現が難しいかといったら圧倒的に後者である。もちろん音数の少ないものも難しいのだが、この曲のように実に巧緻な設計のもとに繊細な音符が数多く用いられている場合、まず技術的に完璧にこなせることを大前提に、音量を極度に抑えて尚その表現を少しも損なわずに聴く側に伝えなければならない。言葉で言うのは易しいが殆どのソリスト級のプロでもなかなかできないことである。カウフマンは言うまでもなくアメリカ屈指のテクニシャンで、軽音楽や映画音楽などの世俗音楽にも積極的に取り組んでいたヴァイオリニストである。この曲で一般的に特徴として挙げられるのは後期ラヴェルに特徴的な訪米後のジャズからの「影響」だが、当然のことながらラヴェルは異国の民族音楽と同等にあくまで「自己の表現の一部として」その技巧的部分のみを取り込み己が身とした。「影響」などではないのである。決してジャズなど書かなかった。カウフマンがお手の物の筈のジャズの語法を取り入れたこの二楽章を、どうやってさばいているかというと、やはりクラシカルな表現の中に溶け込ませているのである。ジャズを弾こうとしてはいない。冷静に、しかし音色には感情を籠めて素直に(素直にこの曲を弾けるということ自体至難のわざなのだが)アンサンブルを組んでいる。バルサムのリリカルで軽く繊細な音というのもこの曲にはあっている。細かい仕掛けを悉く完璧に「ヴァイオリンとの絡みにおいて」描き出している。慎重で繊細かつ完璧なアンサンブルをここに聴くことができる。ラヴェルのソナタを誤解しないためにはうってつけの演奏だがいかんせん、録音が悪い。しょうがないのだが、カウフマンの再評価が進まないのもそのあたりの時代性にあるのかと思う・・・更に同時代に大ヴァイオリニストがいすぎたのだ・・・ラヴェルはこの曲の中にヴァイオリンとチェロのソナタに先鋭的にあらわれているような線的な絡みや衝突する硬質の響きを用いており、若干わかりにくいが、テクニックだけを聴く曲ではないことを押さえておかないとラヴェルを聴く醍醐味はないとだけ付け加えておく。ピアノ協奏曲と類似したパセージが見られるのも興味深い。○。

※2006-07-06 10:00:17の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

2018年01月06日 | ラヴェル
○バシュキーロフ(P)ドゥブロフスキー指揮モスクワ・フィル(RCD)1965・CD

深みは一切無い。ピアノの音色は単調で乱暴だ。でもここまで圧倒的な暴力で迫ってくる「左手」があっただろうか?これはぜひ音をソリッドに設定してガッツンガッツン聞いてもらいたい。ロマンティックすぎるだろ、という重い冒頭、既に大仰な表現でロシアの野暮を感じさせるが、しかし退屈でもあるこのワンフレーズの序奏の表現力からして凄まじく(小さい音で聞いたら何も聞こえてこないたぐいの悪い録音(モノ)なので気をつけて!)、そこから何の憂いもなく鍵盤に指を叩きつける若きバシュキーロフ先生、まるで重い鋼鉄のような、指が何で壊れないのかわからないくらいの力強くも冷たい響きが何故か異様な説得力をもって迫ってくるのだ。終始同じ音色で同じトーンではあるが、解釈表現が凡庸というわけでもなく、実は何も考えてないだけなのかもしれないが、その奇怪さが面白い。これはクロード・カサドシュとも違うし、現代のバリ弾き小僧とも違うし、何なんだろう?ロシアン・ラヴェルだ。勿論ヴィトゲンシュタイン風の前近代のロマンティックな味付けをしたものでもない。主部の少しの惑いもない(フランスの演奏家はここで指がもつれるような惑いを示す者が多い)非常にリズミカルな突進は特筆ものだ。なんなんだろう、この物凄さは。音がよければもっと楽しめたのに、どうも録音が心もとなく、ちょっと腰折れではあるが折角のモスクワ・フィルの伴奏(やはり管が巧い)スヴェトラとも違う独特の無骨な解釈ともども、聞いて損はないだろう。ただ、ラヴェルのファンにはお勧めしないが。○。

※2006-01-08 12:27:26の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:序奏とアレグロ

2018年01月04日 | ラヴェル
○グランジャニー(hrp)ハリウッド弦楽四重奏団、アーサー・グレッグホーン(fl)ヒューゴ・ライモンディ(cl)(capital)LP

ラヴェルの前で演奏し賞賛を受けたことでも知られるグランジャニーの得意曲である。男性ハ-ピストということだけでも珍しかったろうに、20世紀前半の現代フランス曲を積極的に演奏しアメリカに渡ってのちも自作を含む新作を演奏して名声を博した。これは代表的な盤といえよう。モノラルではあるが非常に繊細な抒情を醸しながらも発音は常に明瞭で(これはハリウッド四重奏団他のメンバーにも言える)パラパラ胡麻を撒くように煌く音楽は同曲本来の価値以上のものを与えてくれる。グランジャニーは結構強めの発音をするように思うが(そんなに聞いてないけど)ソロ部分の儚くもいい香りのする繊細な響きに感銘を受ける。ピアノ協奏曲1楽章の緩徐部を思わせる明るくもどこか哀しい音楽だ。F.スラットキンの音が色っぽすぎるのはご愛嬌。リズムがよく、この曲が苦手な私でも楽しく身を揺らすことが出来た。品がよすぎる感もあるが。○。ハリウッド四重奏団はM.ストックトンとも録音している。

※2005-04-22 13:06:07の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:クープランの墓

2017年12月14日 | ラヴェル
◎ルフェビュール(P)(coupd'archet、DRS2)1955/1/8・CD

デッドな響きの中、物凄い勢いで指が回り凄まじくリズミカルに演奏が繰り出されていく。付点音符付フレーズの舞踏的な表現が特に素晴らしく、ヴィニェスもかくやと思わせる熱気とテクニックだ。歌いながら力みながら鍵盤をかなでていくルフューブルの表現はただメイエルのように押せ押せでいくのではなく、緩徐主題では自然に、しかし明確に表現を変え、ほのかな情感を漂わせ気品が放たれる。異様な迫力であり、この曲にそれがあっているのかどうかわからないが、純粋に音の律動として魅力的であり、なおかつそこにはぬくもりもある。◎。

※2008-02-18 19:05:09の記事です
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:ピアノ三重奏曲

2017年12月13日 | ラヴェル
○C.ボナルディ(Vn)シフォルー(Vc)ノエル・リー(P)(ACCORD)1987・CD

残響がかなりうるさいがスケールの大きな、かつセンスあるダイナミックな演奏。安定感のある演奏ぶりではあるものの、弦楽器二本の音は感傷的で主情的であり、今回二回目?の録音のノエル・リーが何よりラヴェル適性をはなって素晴らしい。この人のピアニズムは言葉で表現のしようのない清潔で軽く、明確で、しかしどこか感傷的である。ラヴェル向き奏者というのはほんと言葉で説明できない、それこそセンスの問題でもある。ミケランジェリあたりは私は余りセンスがあるとは思わない。完璧であればいいというわけではないのである・・・作曲家が認める認めないにかかわらず。ただ、どちらかというとこのトリオでは引き気味かもしれない。ボナルディの音は線が細く、細いがゆえにナイーブな表現が可能でヴィブラートも細かく感情的にかかるのだが、強い音が出にくいようだ。終楽章の強奏部で音程が「フランス的に」乱れる。惜しい。

※2007/12/20の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

2017年12月04日 | ラヴェル
○サンカン(P)デルヴォー指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送管弦楽団(club francais/ACCORD)1964/10/3-6・CD

ステレオで聞きやすい音質。サンカン先生の演奏はラヴェルをよく理解したもの、いい意味でも悪い意味でも正統的なラヴェルだ。感傷は無いが遅いテンポによる静謐な音楽の表現には一種諦念のようなものが漂い、速いパセージでも音を全部表現しようという気持ちが感じられ決して手を抜くことはない。全体のスタイルとしてはペルルミュテールを彷彿とする。「音を全部出すこと」が足を引きずられるようなテンポ感に繋がっていなくも無いが(これはオケのほうが問題なのかもしれない・・・ホーレンシュタインの指揮同様)、少なくともソリストのレベルにおいては非常に高い知見を感じさせるものとなっている。僅かに感じられる足のもつれるようなテンポは寧ろこの知見に引きずられているのであり、技術的な問題や衰えといったものでないことは、全体が少しも損なわれないところからわかる。いい演奏であり、なぜ「両手」だけがCD化されたのかわからないが、デルヴォーの意思的なバックともどももっと聞かれて良い演奏だ。○。

※2005/12/12の記事です
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

2017年11月28日 | ラヴェル
○アルベール・ヴォルフ指揮ベルリン・フィル(POLYDOOR)SP

これは繊細で美しい演奏だ。抑制がきき静謐で、また同時代のベルリン・フィル録音にありがちな音の痩せが無い。爽やかな歌をさりげなくうたうのにたけた指揮者で、間断なきテンポよさは特質といってもいいだろう。ソロがいい。個性を強く押し出すのでもなく総体として曲の雰囲気を作っている。ベルリン・フィルだからといって別に何か特徴的なものがあるでもないが、綺麗に揃っている。○。

※2006/6/1の記事です(CD-R化した模様)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:ボレロ

2017年11月27日 | ラヴェル
○ウォレンスタイン指揮ヴィルトーゾ・シンフォニー・オブ・ロンドン(AUDIO FIDELITY)CD

これがウォレンスタインの廉価盤にしては音がよく(ブラームスとか音の悪い盤もある)演奏は言わずもがなの引き締まった、激しさも併せ持つもので非常にいい。どこをどう、という批評はしづらい曲だが(ソリストの腕でどうこう言う声が多いのはそのせいでしょうね)この演奏はバランスがとれているというか、パリとか南欧とかアメリカとか、どっちに転ぶわけでもなく正しくこの曲のイメージを表現している、としか言いようが無い。初めての人にも薦められます。○。タワーがこのレーベルを長く売ってくれているおかげで、ウォレンスタインがルビンシュタインの伴奏指揮者というイメージから外れて評価されることを祈ります。このCDは長く品切れ状態だったが今は店頭に並んでいる。オケはLPOか。

※2006/8/6の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

2017年11月23日 | ラヴェル
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1958/11/29・CD

ロマンティック。いくら「感傷的」な曲とはいえ、そこまでやらなくてもいいだろう、というくらいだ。テンポのデフォルメが凄まじく、瞬間的なルバート・・・ここではああくるだろう、という予想通りのところで、音符を極限まで引き伸ばす。ヴァイオリン奏者だったこともあり弦楽・旋律偏重にしばしば陥る指揮者だが、この曲は編曲ものだとしてもラヴェルとして素直過ぎるくらいであり、旋律を解体配分するようなところが少ない。強引な言い方をすると、機械的なリズムのうえワルツのラインをただ綴っていけばいいようなもので、他の曲では時々感じる「もったいない表現」が気にならず、バランスよく聴こえる。太く力強いうねりに解れの一切無い表現はミュンシュBSOの相性のよさ、更にこの曲との相性のよさを感じさせる。ラヴェルにはたいてい南欧風な演奏と中欧的な演奏があるが、もともとウィンナーワルツ的なものを想定しているので前者的に色彩感やリズムを強調するのは邪道かもしれない、とはいえちょっと中欧的過ぎるような、旋律の裏に隠れた打楽器、低音部の特徴的な響きや動きが余り浮き立たず、単なる曇った下支えに聴こえるところもなきにしもあらず、リズム自体やや単調である(揺れることを前提に舞踏リズム的要素を減らしているかのようだ)。でも、大見得を切るような表現の扇情性は何にもかえ難い。魅力的だ。ハーモニーの美しさ・・・融合する音色の繊細さも印象的である。バラバラで開放的な色彩ではなく、融合した色彩の美しさ。動きにおいて不自然でも、瞬間においては完璧。○。

※2010/2/21の記事です
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

2017年07月23日 | ラヴェル
デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COMMAND,forgottenrecords)1961/5パリ

音が良いせいもあり、デルヴォーがそういう音作りをする指揮者ということもあり、リアルな肌触りの夜明けは、夜明け以外の何かの派手な幕開けに聴こえる。ただアクの強い表現も慣れてしまえば、デルヴォーのラヴェルってこうだったな、世俗的なダイナミズムをフランスの音で発する、そういったところで一曲目も中盤以降は、変な解釈も気にならなくなる(これは何もコマンド録音に限らないが)。緩急の緩に欠ける、という表現は大雑把過ぎるけど多用してしまうが、ここでは音色表現において緩急に欠ける、と書いておこうか。濃淡と言ったほうがいいのか、何かそれも違う。すでに迫力があり、だが求心的なミュンシュとは些かも似ず、拡散的であり、しかも豪速球というか、ロザンタールともまた違う。主情的なところがある。三楽章の盛り上がりには誰もケチを付けることはできないだろうが、他の人のラヴェルとは一風変わっている。個人的には構成的にカタルシスを得られなかった感じ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする