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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

チャイコフスキー:交響曲第5番

2007年04月03日 | チャイコフスキー
○パレー指揮ORTF(DA:CD-R)1971/1/27LIVE

いきなり即物主義的なスピードとドライさにオケがつんのめりついていけなくなりそうになるところ、足を踏みならし掛け声をかけて縦を揃え直した結果スピードは落ちたが異常にリズムの強い(附点音符の引っ掛け方などまるでラフマニノフだ)ドイツ風の構造的なチャイ5が出来上がった、2楽章以降もそのテンポが維持されるためカンタービレの余裕ができたせいか弦歌う歌う、パレー的な強靱なフォルムが危うくなるまでうねるような旋律が歌われる。ワルツの歌い回しの巧さもやはりリズム感のよさに裏付けされている。弾けるリズムや強引なスピードに対して音響的配慮があまりなくなる傾向をパレーには感じることがあるが、このライヴでは1楽章前半までで解消されていて聴き易い。4楽章ではわりとよくある解釈に落ち着いていく感も否めないが、しっかりリズムを踏みしめて進むマエストーソまで盛り上がりはしっかり作られていて、パレーらしくないチャイコらしいチャイコになっている。内面的燃焼度の高さは終演後次第に高まるブラヴォの中に窺い知ることができる。祝祭的な雰囲気もある佳演。但しモノラル。
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チャイコフスキー:序曲1812年

2007年03月29日 | チャイコフスキー
○マルケヴィッチ指揮モンテカルロ劇場管弦楽団(ConcertHall/SCRIBENDUM)1968・CD

颯爽としたスリムな指揮にフランス的な軽さのある楽団なのだが、最後には大砲も鐘も号発乱打で「指示に忠実に」ランチキ騒ぎを繰り広げ、さながらサーカスのような鄙びたキッチュさを前面に出して、しかし爽やかに終わる。まったくロシア的ではないが、子供向けの冒険談を聞いているような感触のある演奏。○。
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チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番

2007年03月14日 | チャイコフスキー
○ベートーヴェン四重奏団(COLOSSEUM/MELODIYA)1952初出

微に入り細に入る解釈をきわめて速く力強く流麗に流れるテンポの上に隙無く詰め込んでおり、デュナーミク変化やテンポルバートの付け方にかんしてはこれほどまでに解釈を尽くしてやりきった演奏を他には知らない。録音の切り方などの乱暴さと音の遠さ、LPのB面のピッチの高さが気になって○より上はつけられないが、唯一無二の「前世紀の演奏様式」をこの曲で展開した例として価値は高い。ハマれば他がつまんなくて聞けなくなる。ファーストの高い音の音程感のアバウトさはいつものことだがそもそもそういう音程がロシアの伝統的にあるのかなとも思った。主題二度目の繰り返しを常にしっかりエコーとして音量を落とす、デロデロの解釈は緊密なアンサンブルとしっかり芯の通ったテンポで引き締めフォルムを崩さないなどパターンは読めるが最初はびっくりするかも。チャイコのパターンではあるが独自の構造的書法を余分なく駆使したこの曲は旋律にとらわれていては魅力の半分しか受け取れないが、構造への配慮はカルテットでは必須、その点万全で、いわゆるリズム旋律から始まる(単音の羅列にすぎないものを、民族舞曲にもとづく変則リズムで切ることで旋律として聞かせている)1楽章などこのスピードでこのテンションでの噛み合い方はいかにすぐれたアンサンブル団体であっても今もって至難であろう。ここまで情緒てんめんなアンダンテ・カンタービレもあるまい。しかも甘くない。4楽章の駆け抜け方も鮮烈だ。いい音で聞きたい。
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チャイコフスキー:交響曲第6番

2007年02月26日 | チャイコフスキー
クーベリック指揮NYP(DA:CD-R)1975/2/13live

雑なアンサンブルから始まり、この人にしては遅いインテンポで素っ気無く感じられる。恐らく膝録であるが、3楽章最後で拍手が起こってしまってもアタッカで4楽章に入ってしまうため、結果として4楽章冒頭の2音も聞き取れない。どうしたんだろう、という演奏。無印。
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2007年02月20日 | チャイコフスキー
○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(DREAMLIFE他)1965/2/21live・CD

録音はぼんやりしてハスキーなところはハスキーで余りよくない。1楽章ははっきり言って凡演である。素っ気無くただ音楽が流れるだけ。2楽章第二主題前のチェロの強奏からいきなりアゴーギグがきつくなってムラヴィン・レニフィルらしさがようやく顔を見せる。ブラスのロシア吹きが余り、けっこうミスが目立ったりとか、ワルツの異常な表情付けとか、4楽章のいつもの物凄いスピードとか、このへんはムラヴィンにしか出しえなかったレニフィルの分厚い響きと乱れぬアンサンブル(他の指揮者のときとはメンバーも違うのだろう)が楽しめる。とにかく1楽章がトスカニーニに聴かせるにも恥ずかしいほどに素っ気無いので気に入らないが、まあ○か。最後はかなり盛り上がる。
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チャイコフスキー:交響曲第4番

2007年02月19日 | チャイコフスキー
○クーベリック指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1968/9/8ルツェルンlive

録音は遠めで中央に寄ったモノラル。篭った細部の聞き取りづらい悪い音で、安定感があるためインホール録音にも思えるが、電気的断裂やテープ撚れがあるので放送エアチェックだろう。かなり力感のあるクーベリックらしい表現から始まる闘争的な音楽である。

長いながーい一楽章。大仰な悲劇を演じるうえで前のめりのテンポをしっかり維持しながら突進していくような感じはいかにもドイツ流儀。諧謔的でオリエンタルな舞曲が木管から提示されると流麗な旋律が流れ出し、インテンポに近い速さでありながらもなかなかノれるなあ、と思ったらいきなり物凄いティンパニの響きと共に音楽は破裂しながら昇天し、やっぱりドイツ的なタテノリで解決へと向かい調性を下げた警句がファンファーレされ半音階的にサゲていく。ここの流れはやや分裂的で、個人的には楽想表現の断裂具合がちょっと気持ち悪かった。しかしこれもドイツ流儀と言われればそうだろう。フィルハーモニアの音が更に音楽を暗いドロドロから救っている。チャイ4嫌いの私もなんだかんだいってこういうもののほうが聴き易く感じたりする。

ドイツ式の転調表現はどうも個人的にぱっとしないというか、フランス派聞きすぎなのかもしれないが、昨日のN響アワーの40番聴いていても思ったのだけど、作曲家の設定しためまぐるしい転調を明確に鮮やかに示していくことで楽想の貧困さ(モーツァルトは意図的だろうが)を補う色彩性が著しく出てくるわけで、クーベリックにイメージとして時折つきまとう渋さというものがこのへんに由来している気もする。チャイコの曲としてはそもそもこの曲は楽想がやや貧困もしくは単調なのだ。クーベリックらしい流れよさは確かにそのとおりに聴けるし、チャイコ初心者向きとも言えそうな演奏様式ではあるのだが、この楽章のとにかく連環する旋律の「くどさ」が、「流れよさ」だけで解消できるたぐいのものとも思えず、結局力づくで抑え込む、重い音ながらも物凄いアッチェルを無理栗押し込むことで、一回性のライヴとして成立させている感じもする。ていうか、これって演奏というより楽曲批判に近い気がしてきたので1楽章への文句はこれくらいにしておく。1楽章の最後で一発だけ拍手入れた人は誰だ。

延長戦というかんじの2楽章は相変わらずロシア臭い楽想がロシア臭い管弦楽法によって提示され変奏されつづける陰鬱とした楽章だが、構造の面白さが加わり、西欧折衷派らしい、ドヴォルザーク晩期交響曲を彷彿とするわざを見せてくる。ただ、旋律だけを聴いている人はたんに副主題の盛り上がる局面だけに左右されると思うので、酷使される木管の苦労も水の泡だ(あ、また楽曲批判)。とにかく4番は使われる主題が異なっていても似通っており、使われる音が限られる「チャイコらしい問題」かとも思うが、クーベリックはやはりバス領域を巧く使って起伏なき連環に地鳴りする盛り上がりを作っている。オケの(いささか単調ではあるが)アンサンブル能力の見せ所ともいえる楽章、フィルハーモニアの確かな力量は発揮されている。やはりイギリスの繊細で巧みな木管は素晴らしい。

3楽章全編弦楽器がピチカートというまさに飛び道具的な「見せ場」では呆れるほど速いテンポで前のめりにフィルハーモニアの表現力が発揮されていく。きほん的に明るいオケなので、こういうバレエ音楽的な愉悦性の表現には長けている。しかしクーベリックの音響は重く叩き付けるような芯の強さがあり、スケルツォの表現としてちょっと押しが強すぎる気もする。

4楽章第一主題の「ルスラン」的楽天性はしかし録音状態の悪さに邪魔される。ホワイトノイズが邪魔で、確かにこのフィルターの向こう側では阿鼻叫喚の激しい音楽が展開されているというのに・・・という歯がゆさがある。第二主題は比較論としてゆったりと旋律を聞かせるが、きほん的に弦は休めないので辛い。あ、そういうこと書く場所じゃなかった。バス領域がやはり強く表現される傾向にあるが静かな場面でちょっとブラスの反応が悪い気もする。展開部の表現が意外と重いと感じられたのはそのせいか。そこらじゅうの防弾窓ガラスを割って回るような再現部からこの尾崎豊は肩をいからせ続ける・・・もっと肩の力抜いたらつきまとう重さというか暗さというか渋さが抜けていいのに・・・スピード的なバランスも、ここまできたら突っ走れと言いたくなる半端さがある。冒頭の運命のファンファーレが回帰するところまでの雰囲気作りとして暗く重くやってるのだとしたら計算上あっていても・・・チャイ4としては飽きてしまう人もきっといるはず。マーラーかこれは?という暗さからホルンが立ち直ってじつに美麗な高音木管楽器に先導され、終盤へ向けて再再度の再現部というかコーダがあらわれるところで、またしても非常に音が悪くなる。とにかくこのへんはクーベリックのいい意味でも悪い意味でも独壇場だろう。激しくアビキョウカン。重い響きがズシズシ会場を揺らし、物凄い大団円へいたって大ブラヴォー。ああ、録音のせいで暗く感じたのか。なら評は二行で済んだかも・・・冗談です。クーベリックのチャイコ、クーベリックのライヴそのものの予想通りの演奏です。○。
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チャイコフスキー:交響曲第6番

2007年02月19日 | チャイコフスキー
○伝フルトヴェングラー指揮VPO(PALETTE/morgan's:CD-R)1951/10/13ミュンスターlive

フルヴェン先生かどうかなんてどうでもいいからこの時代の「記録」として、ヒンデミットの「調和」チェトラ盤live復刻してくれー。わいいとして悲愴である。かなり音が悪いのは承知のうえで。音色の美しさは残念ながら録音のせいで伝わらない。一種解釈(音?)の腰の軽さがあるというか、「安定した焦燥感とスピード」など、ライヴの一回性に賭けたフルヴェンのやり方ではないと思うが、強い統率力のもとに極端につけられたアゴーギグのうえであらわされるひたすら高い集中力(往年のVPOがここまで集中するというのは限られたシェフ相手にしかありえないと思うが)には独特のものがあらわれており、コントラスト付けの「非常さ」にはちょっとロシア解釈っぽい感じすらおぼえるが、縦の揃ったテンポ取りは独墺圏のものである。

なるほど「影響を受けている」のは確かなようである。ワルツでは噎せ返るような雰囲気とか情緒的な揺れというものはそれほど感じられず、これは録音のせいだろうが、男らしい。ライヴとは思えない弦の詠嘆的表現の統一感、ブラスとの対位的構造の浮き彫りの明確なところなどロマンティックな中にも一本筋の通った表現で、「チャイコはオーケストレーションが巧い」とストラヴィンスキーの言を借りたくもなる。

アッチェルの凄さは1楽章でも感じられるが3楽章はまさに見せ所である。というか、最初から異常に速い。しかしトスカニーニ的な軽快な速さではなく、重く堅牢な構造が楽曲の怒涛の突進を引き締めるようなかんじである。なるほど、評論家先生が一時期最高の悲愴と称えただけのことはある。音さえよければ確かに、これは名演の名録音として文句無いだろう。しかもライヴなのだから!

クライマックスの異常に割れる音にはこの洒脱なオケが如何に轟音をたてて異例な盛り上げをしていたかが伝わってくる。速いがテンポの揺れのない確信に満ちた3楽章である。ただ、録音の音量が不安定でクライマックスで少し音が小さくなるのが興をそぐ。しかしオケの各セクションがバラバラに主張するのではなく一縷の隙もなくガッチリ一体となって直球で迫ってくる迫力は繰り返すも凄まじい。しかし・・・ほんとうにライヴなのか?会場雑音のたぐいがいっさい無いのが気になる。

4楽章は全く気分を切り替え、最初の分裂症的なフレーズから揺れまくる。フルヴェンのテンポ設定によく似ているがやはり、ちょっと軽い。VPOのためとも思えるが、音色がはっきりベルリン指向なので、その甘さは弦のザッツの僅かなズレ以外に聞き取れず、その音のせいで軽く感じるというより、かなり意識的に揺らしているのが却ってわざとらしく感じられるのかもしれない。重みあるアッチェランドにはドイツ的なかっこよさもあり、他の楽章の表現とのバランス的にもここまでやらないと全体が締まらないというのもあるとおもうが、「わざとらしい」のには変わりない。統率力はいささかも失われず、並ではないことはわかるが、ちょっとやはり、ロシアっぽい感じもする。とにかく、弦のフレージング指示の恣意的な細かさなどちょっとやりすぎである。ピアニシシモとフォルテッシモの差の異常さは終幕近くでも感じられるが、これは録音操作のせいかもしれない。この時代の録音にしては弦の細かなアーティキュレーションが「合奏」としてはっきり聞こえすぎる。最後の心臓の停止もベートーヴェン的であり、ベースのアタックが激しすぎる。面白いが、ちょっと違う気もする。

うーん。これだけアクの強い演奏なら今一度きちんと検証すれば結論はすぐに出そうだが、みんな偽演と呼んでいるのに検証するのも今更なので、とりあえず○。
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チャイコフスキー:交響曲第2番

2007年02月17日 | チャイコフスキー
○ジュリーニ指揮NYP(DA/VON-Z:CD-R)1974/10/17クリップス追悼live

終楽章終盤の盛り上がりは出色である。これはジュリーニでも最晩年様式の前の勢いまかせの表現に力感が凄まじい。最後の音が終わらないうちに拍手に雪崩れ込むのはどうかと思うが(作為的にあとから挿入したかのようにさえ聞こえるフライングブラヴォーぶりだが)、ただそれ以外の楽章はというとぱっとしない。2楽章副主題でいかにもジュリーニのカンタービレが聴けるほかはジュリーニ自身の他の録音にくらべて決して褒められた出来ではない。オケがもっさいのである。ザッツという概念が希薄なのかというくらいはっきりしない音の最初と最後の切りかた、これは恐らく膝録なので録音が茫洋としてまったく弱いからという面も強いと思うが、それにしてもこれだけアグレッシブにやろうとしているのに「届いてこない」のはどうなんだろう、と思った。4楽章で一気に揃っていくからいいのか。4楽章全体とそのほか2箇所ほどのカンタービレの美しさだけを評価して○。他をもっていれば必要ない。ボストンかと思ったらNYPか、なるほどね。
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チャイコフスキー:幻想序曲ロメオとジュリエット(1869年初稿版)

2007年02月14日 | チャイコフスキー
サイモン指揮LSO(CHANDOS)1981/1オール・セインツ教会・CD

この人にしてはちょっと引いて演奏してる気がする。余りに冗長で(決定稿も冗長ですし)、イメージ的には散漫なリムスキーの手の入らない禿山の一夜原典版を彷彿とさせる。楽想が整理されず機械的な配置をなされ、それがアマチュア勉強家集団クーチカのやり方に凄く近い。音楽的にはグラズノフの一見雑然に近くかんじるかもしれない。勇壮な主題もぜんぜん効果的に使われず機械的に配置され、理知性が邪魔をしている。もちろん楽曲なんて理知的な人間にしかかけないのだけれども、理知性に重みを置くことは勘違いをまねく。即ち数学的に完璧であれば音楽としてもみんな満足するものができあがるという誤解である。チャイコフスキーの碧眼はそれを見逃さなかった。この雑然と楽想が並べられた「原典版(決定稿こそが原典であり、ほんらい原典版ということばはこのての「習作的初版」には不向きだと思うが)」からどんどん削ぎ落とし整理をし、独自の合理的な語法を編み出してそこにあてはめた。曲的にどうも余り好きではないし演奏的にも特徴的と言うほどでもないので○にはしない。参考資料。
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チャイコフスキー:歌劇「マゼッパ」より二曲

2007年02月14日 | チャイコフスキー
○サイモン指揮LSO(CHANDOS)1981/1オール・セインツ教会・CD

教会録音はズルいところがあって、もともと響きが巧く調和するようにできていて、ブラスを如何にぶっぱなしてもちゃんとハマって聞こえる。第3幕間奏曲「ポルターヴァの戦」にしても律せられた弦楽器に木管が絡みブラスが盛大にのっかってくるが、とても強力な推進力を感じる半面、録音場所がスタジオだったらこのバランスだとブラスが出すぎて聴きづらかったろうなと思う(もちろんロシアマニアはそのほうが好きだと思う)。「コサックの踊り」は短いフレーズの刻みで構成され対位法的に組み上げられた小品。弦楽器がまとまりよく勢いもあって巧い。場面転換も自然で楽想変化がなめらかだ。コーダ的な位置でバレエ曲的フレーズが耳をひく。やや冗長な後者より前者のほうが楽しめるだろう。○。
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チャイコフスキー:ニコライ・ルービンシュタインの命名日のためのセレナード

2007年02月14日 | チャイコフスキー
サイモン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)1981/1・CD

小夜曲の名にふさわしいこじんまりとした挽歌。演奏も地味。珍曲も場合による。
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チャイコフスキー:交響曲第2番(1872年版)

2007年02月14日 | チャイコフスキー
○サイモン指揮LSO(CHANDOS)1982/8聖ジュード・オン・ザ・ヒル教会・CD

原典版大好きシャンドスの好企画。このスッキリ締った曲が、最初如何にペトログラード音楽院寄りになっていたかが伺える「ロシア国民楽派」ぶりで、1楽章からいきなりの第二主題の出現に諸所の「延長」ぶり、冗長と見る人もいるだろうが、展開部からしていきなりボロディンになったり、バラキレフやリムスキーの生硬な習作に似た「展開のための展開」が却って拡がりのある世界を作り出し、また録音もよくロシア音楽向きのアグレッシブな勢いを維持しているので、ロシア慣れしている人はふとすると決定稿より好きかもしれない。楽想も民謡主題が追加されていて、更にブラス総出でしょっちゅうブワーブワーとやったり、そりゃこの時期は確かにチャイコはロシア国民楽派に尊敬されていたわけだなあ、という次第である。これ、演奏も流石現代のレベル、そうとうにまとまりがあるうえにロシア式発音・態度で録音も素晴らしいのでロシア好きは堪らないでしょう。私もちょっとかなり惹かれました(原曲が好きすぎて短すぎると思ってたくらいですしね)。長いです、1楽章は16分弱、構造がわかりにくくなるくらい。ジェフリー・サイモンは速めのテンポでまとまりよく進めていくから2楽章なんかも心地よくリズムにのれる。過度にリズミカルにも冷静にもしない。こちらは多分ほとんど変わってないが3楽章いきなりシンコペがテヌートでびっくりする。楽器の組み合わせも違いヴァイオリンが前面主体になって単調に進むところがまた生硬な書法のロシア国民楽派を想像させる。というより日本語解説にあるとおりボロディンの「剥き出しの書法」に影響されているのだろう。中間部は楽器の組み合わせはそれほど目立たないがピッコロ主題が違っていたりと耳を話さない。録音のせいもあるがサイモンとロンドンオケはじつにドイツ的な重厚さも兼ね備えた壮大な好演ぶりが光る。格調をそなえながら野趣を音色作りに昇華している。さて12分43秒かかる終楽章なわけだが、しょうじきこの曲好きの私にはちっとも長く感じない。あっさりしすぎていたのだ。ストラヴィンスキーが自分の意思とも言えなかったものの唯一指揮したのがこの2番改訂版だったことを考えると、ストラヴィンスキーが後年自作に施した簡素化が改訂版の「余りにすっきり短くまとまっているさま」に親和的な部分があったのは確かだろう。楽器が足りなかったり細かくは違いはいろいろありそうだが、展開部が物凄く長い。全曲のバランスとしては後半部を物凄く削ったというのはよくわかる。ようはスタンスの問題で、改訂までの7年のうちにチャイコがどのように変化したのか、クーチカの国民楽派と離別し対立構造まで生まれたのはその「プロフェッショナル性」と「形式性」にあるんだなあと。まあ、さすがに長いです終楽章。何度も第一主題が繰り返されるのに辟易とする向きも、変容の仕方にチャイコが得意とした(個人的には惹かれないが)楽器の組み合わせなどによる変奏手法の面白さは否定できまい。繰り返しは確かに少しずつ音高を高めていって、しっかり盛り上がっていく道程にはなっているのである。しかしこれでも40分ないのである。これだけ大交響曲になってくれたほうが寧ろ小ロシア普及委員会としては好都合だなあ・・・だれがやねん。第二主題、いわゆる鶴の主題の引用が第一主題のひつこさに比べて余り目立たないのはちょっともったいないか。いずれボロディンの1番の構造を彷彿とするところもあり、そのよさ、悪さを共に受け継いで、更に明らかに凌駕する才気がこれだけ響く輝かしい楽曲を仕上げたのだなあと思った。終盤の演奏はやや安定しすぎか。余りに優等生。ルビンシュタインの命名日というチン曲とまぜっぱ抜粋、ロメジュリ初稿(69年という時代の作品だから2番と同じ経緯をたどったのである)とのカップリング。にしてもやる気のある指揮者は音楽が違う、かつてのロジェヴェンやスヴェトラ、ヤルヴィ父よりも「オケのやる気を引き出させ一定の水準を引き出す」力にはすぐれているように感じる。時代の差だろう。オケは変幻自在のロンドンオケだから。○。
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チャイコフスキー:メロディ

2007年02月12日 | チャイコフスキー
○ポリヤキン(Vn)ヤンポルスキー(P)(MELODIYA)1936
ロマンティックで非常に感傷的だ。この曲にかぎらずチャイコには独特の「色」があり、個人的には難しいメロディ、展開を書く人の印象があるのだが、センスによるということであり、その意味でポリヤキンは非常にセンスがある。ただ譜面を音にうつすのではない、ピアノ伴奏だからなおさら揺らしたということもあるのだろうが、オクターブ上げたり下げたりしながらこの曲の完璧な解釈というものを示している。しかも清潔な感じもあり、デロデロなのに胃にもたれない。いい演奏だと思う。○。
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チャイコフスキー:白鳥の湖より花のワルツ

2007年02月10日 | チャイコフスキー
○ビーチャム指揮ロンドン・フィル(DA:CD-R)1939/4/39ビーチャム製薬放送

無茶美しいハープで始まる。ラスキーヌ的な「強い女性の音」。しかしホルンから提示されるテーマは勇壮!芯のしっかりした即物的なテンポに強い発音。演奏的にはまさに情にまったく流されない「客観的演奏」。トスカニーニを更に即物的にしたようなあけっぴろげな起伏のない明るく強い感情表現。まあ、名曲コンサートではこれは仕方ないだろう。とにかく、流れるように速い!完全にブラームスの舞曲の表現方法だ。しかし木管が巧みだしアンサンブルは一縷の隙もない丁々発止だから貶めることはできない。全般に勇壮で一直線な演奏で占められた名曲コンサートなので、そういうスタンスのものとしてロマン派の人は受け流してあげて。
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2007年02月08日 | チャイコフスキー
○オッテルロー指揮読売日響(DA:CD-R)1973/11/12LIVE

スタイリッシュで清々しい5番!読売日響の巧さに驚嘆。個性はないが技術は完璧に近い。弦の乱れなどライヴならあって当然、しかしほとんど気にならない。層の厚い響きがロシア的な雄大さすら感じさせる終楽章提示部のブラスからやはりロシアのがっつくような、まるでソビ響のような演奏ぶりというか響きというか、主部は胸がすく流麗さが野蛮な音色のかもすケレン味とあいまって凄まじい迫力をあたえている。前三楽章も十分に楽しめるがあくまでサワヤカ系であり、きわめて速いインテンポの上にアーティキュレーションだけでつけられるドラマの激しさの前には霞んでしまう。ライヴとはこういうもの、そしてかつての日本のオケにはこういう内面から沸き立つ想いがほとばしるさまが確かに聞かれたのである。マエストーソへの受け渡しもあっさりしてはいるが弦の音がキッパリとかっこいい。そしてペットの音はまるでソヴィエトのラッパの豪快さだ。これは外国にも通用しますね。最後までとにかく気持ちのいい演奏。日本のラジオのエアチェックだがきわめて状態がいい。98回定期の記録とのナレーションあり。DAの表記はNHKとなっているがあくまで放送局かホール名称か、最後に僅かに交ざる別のナレーションの誤読だろう。
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