私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『バガヴァッド・ギーター』

2014-02-25 21:02:20 | NF・エッセイ・詩歌等

インド古典中もっとも有名な本書はヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、古来宗派を超えて愛誦されてきた。表題は「神の歌」の意。ひとは社会人たることを放棄することなく現世の義務を果たしつつも窮極の境地に達することが可能である、と説く。サンスクリット原典による読みやすい新訳に懇切な注と解説をくわえた。
上村勝彦 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




ヒンドゥー教に関する知識はほとんどない。
そのため理解の追いつかない部分がいくつか見られた。

特にまえがきの叙事詩の梗概は、途中からまったくわからなくなる。
人物相関が複雑すぎだ。

そのほか、クリシュナはアルジュナのいとこなのに、当たり前のように絶対神として対している点など、微妙に引っかかる点もある。教義的に知らないことが多く、やや混乱した。
訳注が煩雑だった点も少しつらい。

だがその分、新しく知る部分も多かった。


個人的に目を引いたのは、ヒンドゥー教と仏教との親和性である。
物質の接触などは無常である、ってところや、あらゆるところに執着してはいけない、っていうところなどは、仏教と同じで、目を引く。

だが当然ながら、大きく違う部分も見られる。
素人なので直感でしか言えないが、いわゆる梵我一如に対する姿勢は、ヒンドゥーと仏教ではまったく違うと感じた。

ヒンドゥー教では、我(アートマン)がブラフマンを希求することで一体化することを目指している。
だが仏教は、我を消失させることで梵の境地に至るっていう風に見えた。

ともあれ考え方の違いがよく見えて興味深い。


内容を自分なりの言葉で要約するならば、以下のようになろう。

行為を成すときは結果を求めず、結果に対する期待などを放擲し、無償の気持ちで自分の階級の義務のため行動しなさい。
そして欲望に支配されることなく、あらゆるものに執着することなく、自分を律し、絶対者であるクリシュナに専心していきなさい、といったところか。

そこにあるのは自己(アートマン)によって自己を考察し、自己を支配して行動していくことの薦めと言える。

そのための修養の一つ、プラーナ気とアパーナ気の制御などは文字通りヨーガの呼吸法めいているし、瞑想を推奨する文章などはインドっぽいなと感じた。
またバラモン、クシャトリヤなど階級によって生じる要素が配分されている、と説くところはカースト制の残るインドの考え方と思う。

そういった諸々の知らない内容は知的好奇心を煽られた。


中身は初心者向けとは言えず、読むのはちょっと難儀だったことは否定しない。
しかしそれだけに、非常に意味のある読書体験ができたと感じた次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プラトン『ソクラテスの弁明... | トップ | 「セッションズ」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

NF・エッセイ・詩歌等」カテゴリの最新記事