私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

正岡子規『歌よみに与ふる書』

2015-02-25 21:01:22 | NF・エッセイ・詩歌等

明治31年に発表された表題作は、『古今集』を和歌の聖典としてきた千年近い歴史がもつ価値観を転倒させた衝撃的な歌論であった。万葉の歌風を重んじ、現実写生の原理を究明した子規の歌論は、全篇に和歌改革への情熱が漲り、今なお我々を打つ。「あきまろに答ふ」「人々に答ふ」「曙覧の歌」「歌話」を併収。
出版社:岩波書店(岩波文庫)




『歌よみに与ふる書』は、ずいぶんと挑発的な歌論だ。

「近来和歌は一向に振ひ不申候」とか、
「貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」
など、ケンカを売っているとしか思えない、ボロくそのけちょんけちょんの文章が続き、読んでいるだけでもハラハラしてしまう。もちろんその分、おもしろくはあるのだけど。


だが内容自体は、子規なりの短歌観が開陳されており、結構筋が通っているのだ。

子規の自論は興味深い。
彼が嫌うのは、理屈っぽい和歌で、わかりきったことを、持って回ったような文章で語るのは唾棄するものと見なしている。
子規からすれば、自然に感じればいいのに、変に頭でこねくり回すなよ、といったところか。

百人一首でも有名な、
「月見れば千々に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど」
などはその典型例として挙げられている。僕は結構好きな歌なのだけどな。

加えて子規は伝統に則った表現も、自然の感情から離れていると糾弾する。
「梅の匂」でさえも、伝統に従った真似ごとでしかないと批判しており、おもしろい。


そんな子規が称揚しているのは、実朝などの自分の感情や観察したものを簡明に語った短歌である。

「武士の矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原」
などを、子規は絶賛している。
僕個人は、いい歌だが絶賛するほどとは思わなかった。しかし子規の理論はその歌を通じ充分に理解できる。
何よりその歌の良さを語るときの子規の文章は、熱がこもっており、胸に届くのである。


結局は子規自身が強調しているように、
「ただ自己が美と感じたる趣味をなるべく善く分るやうに現すが本来の主意に御座候」
という一語に尽きるだろう。

とは言え、「我身一つの秋にはあらねど」だって、個人の自然な述懐だと思うし、否定するほどとも思わない。
しかし子規の考えは納得のいく面も目立つ。
何より頭でこねくり回さず、自然の感情に沿って歌うという考え方は、現代でも通じよう。

僕も下手なりに短歌をつくっている。
それだけに感銘を受けること大なる一冊だった。



そのほかの併録作品も、子規の自論を補強するものとしておもしろく読んだ。
特に『歌話』の下記の添削はおもしろい。

「おほなむちすくなひこなのいましけむしづの岩屋は幾世経にけむ」
 ↓
「おほなむちすくなひこなのいましけむしづの岩屋は苔むしにけり」

添削後の方が明らかにセンスが良く、客観の美点が実感をもって伝わってきた。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

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