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古くからの呪術や慣習が根づく大地で、黙々と畑を耕し、獰猛に戦い、一代で名声と財産を築いた男オコンクウォ。しかし彼の誇りと、村の人々の生活を蝕み始めたのは、凶作でも戦争でもなく、新しい宗教の形で忍び寄る欧州の植民地支配だった。「アフリカ文学の父」の最高傑作。
粟飯原文子 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)
アフリカ人の目から、アフリカ社会と西洋の流入と侵略を描いた作品である。
その視線が新鮮で、なかなか楽しい作品であった。
実際この小説にはいくつかのアフリカの風俗が描かれていて興味深い。
ウムオフィアの祭の話や、信仰している神や何が罰当たりな行為なのか、そして何かを裁くときには、仮面の精霊エグウグウが執り行うっていうところなどは、知らないことだけに、関心を持って読むことができた。
アフリカにはいろいろな風俗があるらしい。
物語はウムオフィアというアフリカの一地方で英雄であった男、オコンクウォを主人公にしている。
オコンクウォは、力に対する志向性が強い人である。
そのため父権的な対応を取ることが多い。
彼がそんな態度を取るのは、失敗したり、弱さを見せたりすることに不安があるからだ。
そしてそこには軟弱だった父に対する反発の意味合いも見て取れる。
そういった人だから、妻に対して暴力をふるうし、長男のンウォイェを厳しく育てている。
ンウォイェなどは、父の暴力のせいで、悲しい表情を浮かべることも多いくらいだ。
しかし彼自身は子どもたちのことを嫌っているわけではなく、むしろかわいく思っているという点が興味深い。
だがそんな愛情を形では示さず、厳しく接するばかり。
彼はそれだけ、強さを誇示することにこだわってもいるのだろう。
傍からみると、オコンクウォの考えは大層窮屈に見える。
だがそれがオコンクウォという人の性格であるらしい。
そしてそんな彼の性格が、後々悲劇を生むこととなる。
彼は別の部族の子ども、イケメフナを預かり、自分の息子同然に育てていた。
だが、神託によりその子を殺すこととなってしまう。
そのとき彼は、実際に手を下して殺す必要はなかった。
だが臆病者と思われたくなかったために、自らの手でイケメフナを殺してしまう。
なぜ?って読んでいるこちらは思うほかない。
だが、それが結局オコンクウォという人であるらしい。
窮屈な性格から、自ら悲劇を引き入れる。そんなオコンクウォは本当に哀れな男だと心から思ってしまう。
そしてその結果、自分の長男ンウォイェは父に明確な反発を示すこととなるのだ。
元々、ンウォイェ自体、暴力的な話よりも女性的な話を好む傾向にある子供だった。
だが父が喜ぶからそれを表に出さなかっただけでしかない。
しかし友人でもあるイケメフナの死を契機に、それまで抱いていた父への反感を表に出すこととなる。
そしてそんな反発心をすくい上げるのが、西洋人の持ち込んだキリスト教という点がおもしろい。
キリスト教は日本でもそうだったが、侵略のための先鞭役の意味合いもあるように思う。
だがそんなキリスト教は、アフリカ社会で不当に差別されている人たちの受け皿になっていく。
たとえばアフリカでは双子は忌み嫌われており、生まれるとすぐに殺されてしまう。
習俗と言えばそれまでだが、実にひどい話だろう。
もちろん習俗である以上、現地の人は従わなければいけない。だがそれに傷ついた女性だっているのだ。
そんな女たちがキリスト教に信服するのは当然と思える。
またオスと呼ばれる被差別民もキリスト教へと入信する。
そこから見えるのは、キリスト教が、アフリカ社会の理不尽な側面に対するセーフティネットの役割を果たしているという事実だ。
部族の長老たちは、そんな宣教師を軽んじ、敵視し、教会を建てる土地として、悪霊の森という彼らの社会では忌避されている土地を与える。
しかし当然ながら、特にそこに教会を建てたからと言って、災厄が起こるでもない。
そういうのを見ると、アフリカ社会に平等と合理主義が訪れたという見方もできるだろう。
だがそれはアフリカ社会の多様性を否定することでもあるのだ。
彼らが信仰する神々を、石や木だと全否定するあたりはその傾向が見える。
教会関係だけでなく、植民地関係の廷吏たちも、土地に関するウムオフィアの慣習を理解せず、それが悪いと決め付けているだけだ。
そこにあるのは西洋社会の一方的な態度と無理解である。
そうした過程で、オコンクウォは白人の廷吏に捕まり、拷問を受ける。
部族もそういった流れを受けて、白人の支配を受け入れようという軟弱な姿勢が現われるようになる。
オコンクウォは強圧的な態度に出がちな男だ。
当然村のやり方に納得できず、彼は暴力的な手段で物事を解決しようとする。
そんなオコンクウォの行動は、結局白人社会、アフリカ社会両方で受け入れる余地のないものだという事実が悲しい。
そういう意味、この作品は文明の衝突を描いたものと共に、一人の人間の頑なさが産んだ悲劇ともいえるのだろう。
何にしろ非常に深みのある作品である。
一読の価値ある一品だ。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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