プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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怒りは期待に気づくきっかけ

2018-11-26 08:59:11 | 考えたこと
怒ること、ゆるすこと
というイベントに、藤沢での講演会の後に行ってきました。
お寺が真っ暗で入り口がわからず、うろうろしたのですが、無事、到着。
怒りとゆるしは興味深いテーマ。

怒りはアラームだと感じています。
お話の中で出てきていた
人混みの中でぶつかられたときに
「ちっ!」と感じる。

このときの怒りは自分が世界に
何を期待しているかに気づくきっかけになります。
こんなに混んだところを歩きたくないなぁとか、
(街はゆったりしていてほしい)
混んでいたとしても、ぶつから無いで欲しいなぁとか、
(ぶつからないように歩いてほしい)
ぶつかったらあやまって謝ってほしいなぁとか。
(人は人にジェントルであってほしい)
みたいに、いろんな希望や期待がある。

そして、怒りをきっかけにして、
それらの期待について再検討できるのだと思うのです。
いちいち、「ちっ」って思わなくなりたいなぁ
と方策を考えることもできるし、
まあ「ちっ」ぐらい感じちゃうのは仕方ないよねぇ、
嫌だったよねぇ、とヨシヨシすることもできる。

うつ的な状態と怒りも大きな関係があります。
カウンセリングでお話を聞いているときに
「あれ、そこってムッとするところじゃないかな?」
と感じるところで、自分を責めていることがよくあります。
「相手に腹をたてる自分が未熟である、自分が悪い」のように。
たとえば、虐待を受けているというようなとき、
大好きな相手を嫌いにならないためには、相手を悪者にはできない。
とすると、いけないのは自分だとするしかなくなってしまう。
いじめを受けているときにも同じようなことが起こる。
こんなことぐらいで、傷つく自分が弱くてダメなんだ、みたいに。

怒りの裏側には悲しみと傷つきがあると言われています。
だから、相手に自分の怒りを伝えるときには、
むしろ、悲しみや傷つきといった感情を伝えてみてはどうか、
のようにアサーション・トレーニングなどではお話します。

「ゆるし」についてはほとんど話題にならなかったけれど、
もし、怒りとゆるしをセットで語るとしたら、
怒る自分をゆるす、みたいなことなのかなぁって思いながら
帰り道、アルデンテのパスタが食べたくて、
10時過ぎても開いていた地元のイタリアンのお店で
ナスとシソのパスタとグラスワインを飲んで
家に戻りました。




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