プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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井上信子著 神田橋條治対話「対話の技 資質により添う心理援助」(新曜社)

2019-09-19 10:51:34 | 読んだ本
「33個めの石」は1日で読める。
けれども、たくさんの「引っかかり」や
「見ないことにしていたこと」などを
心の中に振りまく。

おととい掘り当てた宝箱の中には
神田橋先生の本もあった。
ハワイのブックオフで見つけて、思わず買ったもので、
パラパラと拾い読みをしただけで忘れてた。
どういう経緯でこの本が絶海の孤島にたどり着いたのか、
そちらも興味深いのだけど、
赤や青のラインがいっぱい引いてある。

カウンセリングのスタイルを
どうやって作ってきたのかを振り返ることになる。
この研修を受けているときに、
UHウェストオアフの先生にも聞かれた。
「どのようなカウンセリングをしているのか?」と。

基本的にはロジャース的なアプローチ。
聴く。そして感情の言語化、整理をサポートする。
テーマによっては認知療法的な考え方も有効だ。
家族心理学やブリーフサイコセラピーの知見も使う。
ミンデルのアプローチはハワイに来てから意識するように
なったけれど、プロセス指向的に見たら、どう見えるだろう?
と状況を見るようにもなった。

さらに、基本の基本である、自分の内側に目を向けること。
このことを抜きにしてカウンセリングはありえない。
森岡氏の投げかけは、内面をよりエグく、
掘り進む助けにもなる。

そして、
何と言っても「言葉」だ。

ハワイに来て、言葉が荒いと感じた。
けれども、最近、移民にとって日常のやりとりの言葉が荒削りになるのは、
仕方がないような気がしている。
喉が渇いて仕方ない時に
「恐れ入りますが、もし、お手数でなかったらお水を一杯、いただけますか?」
なんて言う余裕はない。
「水くれ! 水!」となる。

慣れない外国語でそれをせざるを得ないのだ。
恐れ入りますが、とか言ってる余裕はない。
とにかく、欲しいものを手に入れるための言葉になる。
相手を「おもんぱかる」なんて余裕はないし、
おもんぱかっても、見当違いになることも多いのかもしれない。
そうしたら、欲しいものを欲しいと言い、
裏の意味をあれこれ忖度することはせず、
要らないものや嫌いなものにはしっかりnoを言う。
このスタイルが優勢になってもおかしくない。

さらに、日本語を忘れる。
細かい言い回しが曖昧になる。
そう考えると、息子や娘の言葉が
「ぞんざいな」日本語になっていっていることも
仕方ないような気持ちになる。
まあ、相手が母親だからってことがあるにしても、だ。
同じことを英語で言われても、
無礼な! とは思わない言葉がいっぱいある。


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