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「集団自決」直後を記録 米軍の公文書発見

2007年09月23日 | スクラップ
2007年9月23日(日) 朝刊 1面





関東学院大林教授 外科病院資料は初

 慶良間(けらま)諸島の「集団自決(強制集団死)」直後の状況を記録した文書を、林博史・関東学院大学教授が二十二日までに、米国立公文書館で発見した。米軍の部隊日誌には「年をとった男がやりの上に倒れ」て「集団自決」したことなどが、生々しく記録されている。移動外科病院の資料が初めて確認され、「集団自決」によると見られるけが人の数も記録されていた。林教授は「自決直後の生々しい状況が記録されており、直後の記録としては貴重」としている。(編集委員・謝花直美)


 文書は慶良間諸島に上陸した米軍の作戦報告や部隊日誌など九ページ。今年夏、林教授が見つけた。

 慶留間島を攻撃した米軍の野砲第三〇四大隊部隊の日誌では、一九四五年三月二十六日午後十二時半に上陸完了、午後四時から民間人を収容し始めた。午後五時に「幾人かの民間人は自決した」と「集団自決」を記録。「彼らは、アメリカ軍が彼らの妻や娘たちをもてあそび、男たちに拷問を加えることを恐れていた」と、恐怖が刷り込まれていたことを記している。

 翌二十七日午後三時には、十二人が「集団自決」したガマで救助された二歳ぐらいの女児の記述がある。「女性や子どもたちはひもで首を絞められ、一人の年とった男はできそこないのやりの上に倒れることによってハラキリを行った(中略)子どもは首を絞められていたが、まだ生きていた。大隊の軍医が、その子の首のひもで作られたひどい火傷を治療した」

 座間味島へ上陸した第六八移動外科病院の作戦報告では、二十七日午前十一時半、スタッフは上陸すると、すぐに救急治療を開始。「海岸には多数の負傷した民間人がいた。初日だけで二百人の民間人の負傷者を治療した」。翌二十八日午後七時、さらに渡嘉敷島から六十五人の負傷者が運ばれてきた。「(日本軍の)狙撃手から銃撃を受ける中、海岸で緊急治療を施した」。日本軍が民間人の生命に配慮しなかったことを示す。

 病院は六月十九日までに、
米軍将兵二百十二人、
捕虜五十四人、
民間人二百九十一人を治療。
 民間人の症状内訳は、
病気十九人、
負傷百八十九人、
戦闘による負傷八十三人だった。

 林教授は病院記録について「本来米軍将兵の治療が任務だが、将兵の治療より、沖縄の民間人の治療にあたったことが示されている。負傷者の多くが『集団自決』関係ではないか」と指摘している。




沖縄タイムス
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