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女医の増加をジェンダーで見る

2008年02月23日 | スクラップ
2008年2月22日 金曜日 遙 洋子
   (視点  医療・バイオ  女性  働き方  医師不足) 



 医療の世界では、女性医師の比率が近年増加している。女性進出けっこうなことじゃないかと思われる諸氏は早計だ。

 女医の増加は決してバリバリ働く女性の増加を意味しない。いつ戦線離脱するか戦々恐々とする現場と、仕事と家庭の両立にあえぐ女医の現実と、家庭を持つ女医への優遇措置に対し、他の医師からの反発も予測されよう。

 性別を問わない純然たる競争下での女性の台頭とその後の現実は、今の社会の目指す男女共同参画の未来を占う意味で興味深い。

 女性医師の労働環境を改善するための、あるシンポジウムに参加した。客席は圧倒的に女性の医療関係者。そして、舞台には医学会や病院の上層部の男性たちが居並ぶ。女医代表の発言者の要求項目に私は耳を澄ました。

 「深夜、患者の急変で、寝ている子供を連れて病院に駆けつける女医がいる現実がある。主治医を複数にする制度を作ってほしい。あくまで正規雇用で労働時間を短縮してほしい。カンファレンス(会議)を夕方ではなく早い時間にしてほしい」というものだった。

 上層部の男性医師が「カンファレンスを早くするのは無理」とこともなげに答えた。

 女性側の要求と、病院側の姿勢に、私は固い壁を感じた。もちろん、それまで病院側も女性医師たちに対してまったく手を差し伸べていないわけではない。保育所を増やしたり、育児期間は比較的緊急度が少ない部署へ配置したりの配慮はある。だが女医の実感ではそれだけではまだまだ不完全なのだということがその要求から伺えた。

 私は当然、女性の労働者を応援する側の立場だ。だがその私が女医の要求を聞いて、「はて?」と思った。

 まず、子供を連れて病院に行かねばならない、ということが私には腑に落ちない。夫はどうしているのか。寝てるのか。育児は妻だけがしているのか。

 複数主治医制は患者側にとってはいかがなものか。仮に主治医が3人いたとして、それはもはや“主治医”とはいわないのではないか。最も優先すべき患者が、働く女性の都合優先で後回しにされることにならないか。

 もし、短時間労働、深夜勤務なし、そして賃金は他の正規雇用と一緒、となると、他の医師は黙っているだろうか。最も恐ろしいのは、結婚した女性を優遇することにより、その埋め合わせで独身女性医師はますます過重労働になり、ますます結婚が遠のき、女々格差が固定されないかということだ。 つまり、女を踏み台にする女という構図だ。

 カンファレンスを夕方からではなく午後くらいに終えたいという要求はどういった事情から来るのだろうか。夕方には仕事から解放されたい背景に漠然と想像できるのは、カルチャーセンターへ行きたいというようなものではないだろう。“晩御飯の仕度”だろうか。“子供の迎え”だろうか。“家族との団欒”だろうか。

 仮に、結婚した女医への優遇措置を病院が拒絶した場合どうなるだろう。おそらく女医たちは早々に仕事か家庭かの二者選択を迫られることになるだろう。辞められて困るのは医療の現場だ。優遇すると対立を呼ぶ。優遇しないと辞めていく。男性上層部の苦渋に満ちた表情が印象的だった。

 私はこれらの問題を解くには、“ジェンダー”という概念なしでは不可能のように思う。

 女医は、子供の手を引いて仕事場に駆けつけなければならない現実から解放してほしいと病院に要求するが、それらの背景には「育児は女の仕事」という思い込みがある。夫婦そろってそう思い込んでいると、問題解決は労働環境の改善だと疑うことなく直結する。だが、その思い込みがジェンダーなのだ。改善要求は職場に対してではなく、目前の夫に対してであるかもしれないというのに。

 「夕方には家に帰らねばならない事情」だってそうだ。もし病院のシステムを変えてまで晩御飯の仕度を優先してしまうなら、その考えをジェンダーというのだ。改善すべきは病院側ではなく、家事を女医に期待する家族側ではないのか。

 意見を求められた私は「妻が医師であることへの夫や家族の覚悟が足らない」と発言した。女性たちから拍手がきた。

 だが、私がそこで言わなかったことがある。「自分が選んだ職業への覚悟が足らない」ということだ。警察・消防と並んで24時間勤務である職業を選んだのだ。晩御飯を作らねば崩壊してしまうような結婚相手を選んでどうするのだ。夫や家族の意識を変えていくことも重要だがそれは容易ではない。それくらいジェンダーは人の心の奥深くに刷り込まれ自覚しにくい。

 まず自分のジェンダーに気づき、自分がやりたい仕事があるのなら、俺について来いという頼りがいのある男性を選ぶのではなく、君をサポートしますという謙虚な男性を夫に選ぶべきなのだ。どの男に魅力を感じるかもジェンダーの作用が働く。そもそもが、男選びのスタート地点から間違っている可能性がある。

 そうやって自ら呼び込んだ両立の困難を、その責任を職場に訴えること自体が筋違いかもしれない。つまりは、「結婚しなおせ」ということで、だから、そんな非現実的なことを私は発言できなかったのだ。

 ただ、改めて、ジェンダーの恐ろしさと罪をヒシヒシと痛感するシンポジウムだった。

 私がもう25年以上いる芸能界という職場もまた、ワークライフバランスとは程遠い。医療と違い、人の命を扱う緊迫感はないが、ロケは深夜にも及ぶし数日にわたる。深夜から早朝の生放送など普通で、労働時間は一定ではない。なんの保障も優遇もない。

 だがここは「どうしても芸能界に入りたい」人の結集する職場だから、育児ごときで、家庭ごときで、遅れをとってなるものかと、結婚した女性たちはその両立に知恵を絞る。
ジェンダーなんか知らなくても、“働きたさ”が募った結果、それに相応しい夫を選んでいる。

 24時間ベビーシッターを常駐させている主婦タレントもいる。24時間勤務でも結婚生活が可能であることを芸能界は実証している。ただ、やがて浮気しだす夫や、覚せい剤に手を出す息子など、一定数の崩壊はつきものだ。重要なことは、それでも働きたければ働くということだ。「自分が選んだ職業への覚悟」とはそういうことだと思う。

 シンポジウムの締めで、大学病院の男性教授が言った。「女性医師たちのあらゆる要求を聞こうと思う。だが、それでこの問題が解決するとは思えない。それは何かとは明確にはわからないが・・・」。

 この教授の直感は正しい。その「・・・」の先にジェンダーがある。

 そのわかりにくさゆえに、“ジェンダー”は混乱や反発を呼びやすい。私もできるだけこの言葉は使わないようにしてきた。だが、これでなくては説明できないこともある。
ジェンダーという概念を封印しようとする社会で、医療の未来はない。

 どれほどキャリアを積もうが、ジェンダーの自覚なしに、女性の社会進出は成り立たない。そこにあるのは、働く女性の悲鳴と、上司の困惑と、家でご飯を待つ夫、というところか。

 私だって職場に男性医師とヒモみたいな男がいたら迷わず男性医師を選びたい。だがその瞬間、自らのキャリアと妻役割がぶつかる。女性がキャリアアップしたければ必然的に後者の男のタイプしかないのだ。だがヒモみたいな男は芸能界のほうにいて、医学界には将来有望な男しかいない。その垂涎の事実が苦悩を招くのだ。

 ジェンダー、恐るべし。


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