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記者の目:解放65周年 見直されるアウシュビッツ=中尾卓司(ウィーン支局)

2010年03月06日 | スクラップ

 

■「なぜ」を問い続ける場に 「悲惨」伝え、平和築こう

 第二次世界大戦中、100万人以上がナチス・ドイツの犠牲になったとされるポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所は先月、解放65周年を迎えた。ユダヤ人大虐殺「ホロコースト」の現場を訪れると、80歳を超えた生存者は「残された時間は少ない」と訴えた。ポーランドでは89年の冷戦終結までアウシュビッツの歴史は封印されていた。しかし、それ以降は来場者が増え続け、昨年は過去最多を記録した。アウシュビッツを直視する動きは今、本格化している。



 解放65周年式典は1月27日、氷点下16度の厳寒の中であった。世界各地から集まった生存者の顔にはしわが目立つ。収容所の生き残りの一人、ユダヤ系ポーランド人のトゥルスキ氏(83)は式典で「私たちは番号で呼ばれた。人として扱われず、屈辱に耐えられなかった」と振り返った。ポーランド人の政治犯として収容されたポーランド元外相、バルトシェフスキ氏(88)も「悲惨な経験を次世代にどれだけ伝えられただろうか。まだ十分でない」と訴えた。

 そのバルトシェフスキ氏にかつてインタビューしたことがある。収容当時は18歳。ポーランド赤十字の勤労生徒だった。40年9月、目の前で、ナチス親衛隊員が男性を殴り殺した。同12月、連日30~40人が暴行や衰弱で死亡し、ナチスは遺体数十体をクリスマスツリーの周囲に並べた。「あの残酷さを忘れない」。70年前の地獄のような光景を、昨日のように、ほとばしるように語気を強めて語った。

 私は国立博物館として公開されている強制収容所跡を歩いた。布を織るために集めた何万人分もの毛髪。犠牲者が残した数千足もの靴や眼鏡。殺人ガス「チクロンB」の缶。ナチスが逃走間際に爆破し、半壊したままの毒ガス室跡。遺跡や遺品の数々が非人道的な犯罪を物語る。博物館の担当者は「心の痛みを感じずには直視できない場所だ」と説明に添えた。

 「犠牲者の叫びがここにある。『本物』が史実を伝える」と、博物館は昨年、現状のまま永久保存する大規模補修を立案し、1億2000万ユーロ(約150億円)の基金設立を呼び掛けた。今年末までに基金を設置し、来年には長期保存計画を始動させる。

 大戦中、ポーランドはナチス・ドイツとソ連に分割占領された。戦後、ソ連と同じ共産陣営にあったポーランドは「過去の戦争」を問うことはなかった。ナチスを語ることはソ連の古傷に触れることにもなったからだ。旧ソ連を引き継ぐロシアとの間には、今もポーランド人将校らが虐殺された「カチンの森事件」など未解決問題が横たわる。

 アウシュビッツを自由に語れるようになったのは東西冷戦の終結以降だ。生存者たちが証言を始めるまでにはさらに時間を要した。

 ポーランドでは99年から、「ホロコースト」が歴史や国語の授業で教えられるようになった。ポーランドが04年に欧州連合(EU)に加盟し、ホロコーストをどう伝えるか、欧州各国の協力も進んだ。旧敵国で加害国だったドイツとも、共通歴史教科書づくりを進めるなど連携も深まった。05年にバルトシェフスキ氏らの提唱で、博物館内にアウシュビッツとホロコーストを伝える国際教育センターが設置された。

 「悲劇を繰り返さないで」と願う関係者の熱意が教育も動かしたといえる。09年にアウシュビッツを訪れた来場者は130万人となり、うち63%は学生や生徒だった。博物館のツィビンスキ館長は「世界の将来は若者の手にある」と歓迎する。

 しかし依然、変わらない現実もある。昨年12月、博物館入り口表示板「アルバイト・マハト・フライ(働けば自由になる)」が盗まれた事件で、首謀者として逮捕されたスウェーデン人の男(34)は「ネオ・ナチ」との関係が指摘される。

 65周年式典に出席したイスラエルのネタニヤフ首相は「民族の生命を奪う悪の手を許さない。記憶をゆがめるホロコースト否定論者を認めない」と強い口調であいさつした。「ホロコーストは神話だった」と主張するイランのアフマディネジャド大統領を念頭に置いた発言とみられる。

 ポーランド国家教育省のスタノフスキ次官は取材に「なぜ、そんなにむごい仕打ちができたのか。なぜ、大勢のユダヤ人が犠牲になったのか。アウシュビッツは過酷な現実に向き合う場だ」と言った。私は、アウシュビッツを訪れ、「なぜ」を問い続けることに意味があると受け止めた。

 「アウシュビッツは日本にとってのヒロシマ、ナガサキと同じ。象徴的な場所だ」。バルトシェフスキ氏が私に向けた言葉が忘れられない。アウシュビッツを知らずに欧州の今を語れないように、日本が大戦中にアジア諸国などで何をしたかを知ることも欠かせない。私たちも平和のあり方を見つめ直す時だと思う。

 


毎日新聞 2010年2月19日 東京朝刊


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