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聖都のひずみ・エルサレム:/上(その1) 再び奪われた我が家

2010年03月06日 | スクラップ




聖都のひずみ・エルサレム:/上(その1) 再び奪われた我が家

  


■パレスチナ難民、半世紀住んだ土地も ユダヤ人が入植

 1本のレモンの木が民家の塀越しに頭をのぞかせている。この時期、いつもなら緑の新芽が春の訪れを告げるのだが、今年は立ち枯れしてしまった。「家主を失い、悲しんでいるのさ」。この家で生まれ育ったパレスチナ人のマヘル・ハヌーンさん(51)が、通りから寂しそうに見つめた。屋上では、新しい「家主」が掲げたイスラエル国旗が、風に小さく揺れていた。

 東エルサレムの一角、シェイクジャラ地区。昨年8月、ハヌーンさんの一家17人は半世紀にわたって暮らしたその家から、イスラエル当局に強制退去させられた。「ユダヤ人の所有地に不当に住み続けた」との理由だった。家財道具もろとも放り出され、家はすぐ、若いユダヤ人入植者に「占拠」された。

 もとは北部ハイファの出身。イスラエル建国に伴う48年の第1次中東戦争で故郷を追われて難民となり、56年、東エルサレムを支配していたヨルダンと、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の許可を得て、シェイクジャラ地区に移り住んだ。3年後にヨルダン政府から土地の所有権を譲り受ける約束だったが、履行されないまま、67年の第3次戦争で東エルサレムはイスラエルに占領・併合されてしまった。

 シェイクジャラ地区には古いユダヤ教聖職者の墓がある。エルサレムの地歩を固めたいユダヤ人には重要な「聖地」だ。70年代に入り、ユダヤ人団体がハヌーンさん方の所有権を主張した。ヨルダンとの合意書を盾に反論すると、19世紀のオスマン・トルコ時代の借地権を突きつけられた。結局、イスラエルの裁判所は団体側の「証拠」を認めた。

 イスラエルの人権団体によると、この一帯には新たなユダヤ人向け住宅地の建設構想があるという。

 取材中、警官が急行する現場に出くわした。ユダヤ人入植者が鉄片を投げ付けられ、腕をけがしていた。「暴力に訴えるのはいつもパレスチナ人だ」。負傷した入植者がいきり立った。そばにいたハヌーンさんは「『故郷』を奪う入植者と共存できるはずがない」とはき捨てるように言った。

 昨年11月以降、シェイクジャラ地区では毎週金曜日に、左派系のユダヤ人グループが強制退去に抗議する集会を繰り返し開いている。「私は再び『難民』になったが、イスラエルにも理解者はいる。我が家を取り戻す希望は捨てていない」。ハヌーンさんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。【シェイクジャラ(東エルサレム)前田英司】

    ◇

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレム。政治・宗教のシンボル故に問題は複雑に絡み合う。「聖都」の今を追った。

 

 


聖都のひずみ・エルサレム:/上(その2止) 帰属めぐり続く争い
 

■中東和平の最難問

 【エルサレム前田英司】ユダヤ、キリスト、イスラム教の聖都エルサレムは、その支配をかけた争いの歴史に翻弄(ほんろう)されてきた。パレスチナ国家樹立によるイスラエルとの「2国家共存」を目指す中東和平交渉でも、最難問の一つはエルサレムの帰属を巡る対立だ。

 エルサレムには東西二つの「顔」がある。ユダヤ人主体の西エルサレムと旧アラブ人地域の東エルサレムだ。東西エルサレムを治めるイスラエルは、ここを「永久不可分の首都」と定めるが、国際社会は認めていない。

 「(エルサレムを)二度と分断しない」と繰り返すネタニヤフ首相に対し、アッバス・パレスチナ自治政府議長は東エルサレムを将来の「首都」と譲らない。

 


■混迷招いた英国

 エルサレムの歴史は複雑だ。16世紀以降、オスマン・トルコの支配下にあったが、その衰退に伴い、西欧列強が次々に進出した。

 第一次大戦時、英国はこの地域を巡り、アラブ人に独立を約束して対トルコ蜂起をあおる一方、ユダヤ人の「祖国建設」も支持。さらに両者を裏切る形でフランスとは分割統治を密約した。この「三枚舌外交」が現在に続く混迷を招いたといえる。

 結局、第一次大戦後、エルサレムは英委任統治下に。国連は第二次大戦後、この地域をユダヤ人とアラブ人の2国に分ける案を採択したが、エルサレムについては「国際管理」として妥協を図った。だが、直後の第1次中東戦争(48年)で、西エルサレムは誕生したばかりのイスラエル、東エルサレムは隣国ヨルダンの支配下に入った。さらに、第3次中東戦争(67年)でイスラエルは東エルサレムを占領、併合し、現在に至っている。

 

■差縮まる人口比

 約1キロ四方の城壁に囲まれた旧市街(東エルサレム)。この一角に、かつての神殿の外壁とされるユダヤ教の「嘆きの壁」▽イエスが処刑された場所に建つというキリスト教の「聖墳墓教会」▽預言者ムハンマドが昇天したと伝わるイスラム教の「岩のドーム」--といった3宗教の聖地が集まっている。

 東西エルサレムの人口は約76万人。うち65%がユダヤ人、35%がパレスチナ人(アラブ系)だ。20年前は7対3の比率だったが、出生数の違いなどでその差は縮まった。

 国連人道問題調整事務所によると、イスラエルは00年以降、東エルサレムで750戸以上のパレスチナ人住宅を取り壊した。無許可の「違法建築」との理由だが、ユダヤ人入植者が住む同様のビルの解体には、当局は「抵抗」している。エルサレムのバラカト市長はパレスチナ人の人口増大を「脅威」とみており、パレスチナ人住宅の取り壊しやユダヤ人入植地の拡大からは、ユダヤ人の社会的優位を維持する意図が透けて見える。

 

 

毎日新聞 2010年2月26日 東京朝刊

 

 

 

聖都のひずみ・エルサレム:/中 医師試験にも厚い壁


 「驚いて言葉が出なかった」。ヨルダン川西岸ラマラに住むパレスチナ人女医、ハドラ・サラミさん(30)が途方に暮れた。1月からイスラエルの病院で2年間研修を受ける予定だった。病院は協力的で、研修費を援助してくれる団体も見つかったのに、「イスラエル保健省の許可が下りない」と告げられた。パレスチナの「アルクッズ大学医学部出身」だからという。

 エルサレム郊外のパレスチナ人の村アブディス。イスラエルが「テロリストの侵入阻止」を名目に建設した分離壁のすぐ外側に、アルクッズ大学のメーンキャンパスはある。大学名はアラビア語でエルサレムの意。「エルサレムのアラブ系大学」を掲げる学生数約8000人の名門だ。

 サラミさん同様、アルクッズ大卒のためイスラエルの医師試験を受けられなかったパレスチナ人医師が、理由を明確にするよう求めてイスラエル保健省を提訴した。原告側のイスラエル人弁護士シュロモ・レッカー氏は「これは大学の教育水準でなく、政治対立の問題だ」と指摘する。

 イスラエルの大学以外の医学部出身者が医師試験を受けるには、出身大学がイスラエル当局に「外国」の高等教育機関と認められていなければならない。

 レッカー弁護士によると、当局はパレスチナが「国」ではないことを理由にアルクッズ大の承認を拒んだ。しかし、他のパレスチナの大学は15年以上も前に認められている。「エルサレム」の名を冠するアルクッズ大だけは、右派の反発で承認作業が頓挫していた。

 イスラエル保健省は昨年夏、アルクッズ大から申請があれば正式に「大学」として認めると譲歩した。だが、ムーサ・バジャリ同大学長補佐は「要求には応じられない」と言う。申請は、大学があるエルサレムの外側を「外国」と認め、エルサレムがイスラエルのものだと認めることにもつながるからだ。

 パレスチナは、イスラエルが67年の第3次中東戦争で併合した東エルサレムを将来の独立国家の首都に想定する。バジャリ氏の態度には「エルサレムの永久不可分」を主張するイスラエルに「首都」への足場を奪われかねない、との危機感がある。【アブディス(ヨルダン川西岸)前田英司】

 


毎日新聞 2010年2月27日 東京朝刊

 

 

 

聖都のひずみ・エルサレム:/下 「世俗派」流出で財政難


 イスラエル建国の礎となったシオニズム運動を提唱したテオドール・ヘルツェルが眠るエルサレム西部の「ヘルツェルの丘」。歩道に「エルサレムは自由だ」と落書きされていた。黒装束の超正統派ユダヤ教徒、ダビド・リンデルさん(45)がスプレーで塗りつぶしながら、不満そうに言った。「一体、何が『不自由』なのか」。落書きは超正統派の厳しい戒律へのけん制だった。

 近くの住宅街。低家賃で若者や移民が多い世俗的な地区に最近、超正統派が次々と移り住んでいる。隣接地でも同様の現象が起き、元々いた住民が流出した。「自由」のあらがいは、ユダヤ人とパレスチナ人の「聖都」を巡る対立でなく、ユダヤ人同士の「世俗対宗教」の摩擦なのだ。

 超正統派は金曜の日没から土曜の日没までの「安息日」を重視する。この間、労働は一切禁止。車の運転や料理も労働とみなされる。安息日を単なる「休日」ととらえる世俗派にとって、超正統派との「同居」は窮屈以外の何ものでもない。

 デザイナーのイダン・アミールさん(32)は6年前、故郷エルサレムを離れて地中海岸の商業都市テルアビブに移った。「政治的、宗教的に緊張するエルサレムでの生活は重苦しい。帰郷するつもりはない」と言う。

 エルサレムの人口は現在約76万人(東エルサレムを含む)。ここ数年、転出数が転入数を上回っているが、人口は年数%ずつ増加している。人口の約3割を占める超正統派の「自然増」のためだ。イスラエル人女性の合計特殊出生率(一生に産む子供の数)は2・9だが、エルサレムの超正統派女性のそれは7・7に上る。

 だが、人口増は都市の活性化につながっていない。統計によると、エルサレムの社会経済指標は10段階の「4」と低い。ガザ地区からロケット弾攻撃を受けてきた南部の町スデロトと同値だ。ユダヤ教の律法を学ぶ超正統派は職に就かず、政府の援助などで生計を立てているため、「働き手」である世俗派の流出は、エルサレムの財源を先細りさせている。

 エルサレム当局は将来の人口を最大100万人と見積もる。「エルサレムでは今、100万人までの『余白』を巡り、世俗派と超正統派、そしてアラブ系(パレスチナ人)の勢力争いが起きている」。世俗派のヨセフ・アラロ市議が解説した。【エルサレム前田英司】

 


毎日新聞 2010年2月28日 東京朝刊

 


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