長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

九佐衛門供養塔と今井用水

2013年01月31日 | 史跡
長岡京市の北東部に今井用水が流れています。

今井用水は水源を京都市西京区の石見上里にもち、

長岡京市西の京の住宅地を南に流れ、今里の農地に至り、

再び住宅地を流れ、東側を流れる小畑川に注ぎ込む農業用水です。


現在の今井用水

今井用水の歴史は今から約500年前(平安時代)に遡ります。

当時、今里村は水の便が悪く、大変困っていました。

九左衛門(くざえもん)という村人が、湧き水が豊富な上里村に井戸を掘り、

今里村まで用水路を完成させました。

この用水を「今里が掘った井戸から流れる川」として、

「今井用水(今井川)」と名付けられました。

当時、他の村から水を引くことは「ご法度」として

固く禁止されていた為、上里村と井ノ村の農民による

血と血を洗う争いが繰り返されたました。

争いが収まらないため、幕府に訴状が出され、

責任者である九左衛門と妻子が7月7日に処刑されていまいました。

村人たちは九左衛門の居宅をそのまま寺(現:大正寺)にし、

一家の墓を建てて供養したと伝えられています。


南北の今里大通り側から西へ入るとご本堂にむかう階段があります。


大正寺のご本堂


九左衛門の墓


現在でも毎年7月7日には水路の清掃をして水の流れを良くする、

「井手浚い(いでざらい)」が行われているそうです。

平成23年には九左衛門の500回忌を迎え、

あらためて功績を称えようと、地元住民の方々により

大正寺に記念碑が建立されました。


九左衛門の記念碑


説明板


乙訓寺の東門から出ると、道を挟んでこちらの門がすぐにあります。


現在は水道の蛇口を開けば水が出てくる便利な時代ですが、

今でも水の大切さに変わりはありません。

昔の人達が苦労された水との戦いに敬意を表し、

水の大切さを改めて考えさせられました。