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長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

大極殿公園

2015年03月10日 | 史跡
向日市鶏冠井町に大極殿公園があります。











かつて長岡京は文献上だけの幻の都だったが

故中山修一先生によって本格的な都だったことが証明されました。

約1230年前、桓武天皇は平城京から長岡京へ遷都して、

ここ、向日市鶏冠井町の大極殿で政治を司った所です。

長岡宮の中で重要な場所であり、大極殿は天皇の即位や天皇が

元旦に官僚から拝賀を受ける「朝賀の儀」などが用いられた古代の

儀礼空間として最も重要な建物です。

大極殿の北側に建てられた建物が少安殿です。



「大極殿公園」は向日市鶏冠井町大極殿で地名に長岡京の名残があります。

2010年には天皇,皇后両陛下が大極殿跡をご訪問されました。







また、大極殿跡では遷都された日の11月11日には毎年大極殿祭が営まれます。

大極殿と少安殿は日本の歴史公園100選に選ばれています。


開田城跡と開田城土塁公園

2015年02月21日 | 史跡
今回は阪急長岡天神駅から徒歩2分にある開田城跡のご紹介です。

長岡京市には阪急長岡天神駅を挟んで、

東西にはしる2本の通りがあります。

駅の北側にあるのが<アゼリア通り>で、

南側にあるのが西の突き当たりに長岡天満宮がある<天神通り>です。

今回の史跡はアゼリア通りに面しています。



開田城は15世紀後半から16世紀前半に活躍した

戦国時代の国衆<くにしゅう>(土豪)であった、

中小路氏の居館(居城)でした。

発掘調査は昭和53年から3回にわたって行われ、

開田城は一辺約70mの方形の居館で、

周囲に幅約6.5m、高さ2mの土塁(どるい)と、

幅約8m、深さ約1mの堀があったことが明らかになりました。


土塁の断面図をタイルで表しています


残された西辺の土塁


現在は土塁公園として保存されています


現在は大きなマンションが建っていますが、

その南東隅にも土塁の一部が保存されています。(一部復元)


南東隅の土塁


そのマンションの一階ロビーに、

開田城の200分の1の縮尺復元模型と

説明パネルが展示されています。





発掘調査では掘立柱建物や石組みの井戸の跡、

かまどと思われる遺構、当時の食器類などが発見されました。




当時は城と言っても天守閣はなく、いわゆる<館(やかた)>で、

主屋や雑舎、厩(うまや)などがありました。


開田城の200分の1の縮尺復元模型

(なお、模型を見学される場合は、くれぐれもマンションの住民の方々の

ご迷惑にならないように十分のご配慮をお願い致します。)


場所は阪急長岡天神駅から徒歩2分の

阪急長岡天神のバス停の前にあります。

バスの乗車時間の待ち時間に

ぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか










継体天皇のゆかりの地を訪ねて その5 <高槻市ハニワ工場公園>

2014年10月23日 | 史跡
今日は大阪府にある<高槻市はにわ(ハニワ)工場公園>のご紹介です。


新池遺跡(しんいけいせき)を保存、公園として平成7年3月に公開したものです。

史跡新池埴輪製作遺跡は、3棟の大形埴輪工房と18基の埴輪窯、

工人集落などが丘陵上約27,000平方メートルの発掘調査で確認され

大王陵級の古墳の埴輪生産システムを具体的に知ることができる貴重な遺跡です。

このハニワ工場は5世紀中頃から6世紀中頃までの

約100年間操業していた日本最大級のハニワ工場です。

先日ご紹介した継体天皇陵の埴輪を作ったハニワ工場らしいです。

ハニワ工場は日本全国で約90ヶ所発見されているようですが、

大王級(天皇)のハニワ工場で全体像がわかっているのはこの遺跡だけのようです。


埴輪を焼く窯(かま)18基と作業場3棟(とう)、

職人達の住む竪穴式(たてあなしき)住居14棟が確認されました。

6世紀中ごろからは大きな古墳が作られることはなくなり工場も閉鎖されたようです。


発掘された原寸大の埴輪のレプリカが公園のあちこちに展示されています。

こちらのレプリカは滋賀県の信楽や佐賀県の有田の会社が手がけていて、

屋外展示の耐久性を考えセラミック製の磁器でできています。

ちなみに当長岡京市の国史跡恵解山古墳の埴輪は、

佐賀県有田の会社の窯元で作られていますが、

こちらは器(せっき)という陶器と磁器の中間的な性質を持つ焼き物です。


作業場も復元されています。


こちらが埴輪を焼く窯で、この中に埴輪を入れて、下から火を焚き、

上のほうには煙突があってそこから煙が出るようになっていました。



発掘された窯がそのまま展示されているハニワ工場館


発掘されたハニワを焼く窯の内部です。

ハニワの破片などの残骸(ざんがい)を見ることができます。

発掘された状態のままの窯が保存展示されています。


中ではビデオでの説明も中で見ることができます。


継体天皇のゆかりの地を訪ねて その4(今城塚古代歴史館)

2014年10月20日 | 史跡
古墳公園に隣接するのが今城塚古代歴史館です。

館内には、三嶋古墳群の概要をはじめ今城塚古墳の発掘調査で判明した、

古墳づくりのさまざまな工夫をジオラマ模型や映像を用いながら解説しています。





今城塚古墳から出土した本物の埴輪や土器なども展示。

本物を身近に見ることができます。

3つの大きな復元石棺なども展示されています。

この地域の古墳を作っていたはにわ工場跡も近くにあります。

こちらはまた後日ご紹介します!





今城塚古代歴史館はこちらです↓↓↓


継体天皇のゆかりの地を訪ねて その3 (今城塚古墳)

2014年10月19日 | 史跡

平成23年から実施されていた保存整備工事が完了し、

10月26日に長岡京市にある国史跡恵解山古墳が

史跡公園としてオープンします!

恵解山古墳は古墳時代中期の前方後円墳で、

全長約130m、後円部の直径約80mの乙訓地域最大の古墳です。

5世紀前半ころに乙訓地域を支配した首長の墓と考えられています。





今日は恵解山古墳史跡公園オープンを前に、

大阪府高槻市にある今城塚古墳をご紹介します。

現在は今城塚古墳を整備・復元し、2011年に今城塚史跡公園となっています。

今城塚古墳は6世紀前半に築かれた、総長350m、総幅340m、

二重の濠をそなえる淀川流域最大の前方後円墳です。

ちなみに継体天皇三嶋藍野陵が太田茶臼山古墳(茨木市)ですが、

近年の考古学の研究と調査により、

今城塚古墳が継体天皇(当時は大王と呼ばれていた)の

真の陵墓ではないかと言われています。



「埴輪祭祀場」には、家・水鳥・馬・牛などをかたどった

埴輪が200点近く、1500年前と同じ大きさ・形・配置で

再現されていて、そのスケールの大きさにびっくりします。

まるで当時にタイムスリップしたかのようです。



埴輪祭祀場は亡くなった大王の魂を鎮めるための儀式を再現しています。



内濠の周囲にも円筒埴輪がズラリ並ぶ様子は圧巻です!

こちらのレプリカはセラミック製で、滋賀県信楽や佐賀県有田の窯元の会社が手がけています。