
樟葉宮跡の杜は交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)の境内にあります。
交野天神社は長岡京を造った桓武天皇ともゆかりのある神社です。
桓武天皇は延暦6年(787)に長岡京の南郊の地を選び、
郊祀壇(こうしだん)を設けて、父の光仁天皇を天神(あまつかみ)として祀りました。
これが交野天神社の起源とされています。
*郊祀(こうし)とは、中国において天子が王都の郊外において天地を祀った祭。
円丘を築いて併せて皇祖を祀ったことから、円丘祭(えんきゅうさい)とも称する。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より

両側を原生林の木々に囲まれた道を進みます。

杜の奥には貴船神社が鎮座する小丘があります。

石段を上がると貴船神社の社があります。
この小丘周辺は継体天皇が即位した樟葉宮跡の伝承地として
大阪府の史跡に指定されています。
鎌倉時代の関白左大臣・一条実経(いちじょうさねつね、1223~84)は、
「くもらじな 真澄(ますみ)の鏡 影そふる
くずはの宮の 春の夜の月」(続古今和歌集)
と詠んでいます。この歌には「日本紀を見侍りて継体天皇を」という
詞書(ことばがき)が付いていることから、
単に池に映る月を詠んだだけのものではなく、
継体天皇を称えたものと解釈されているようです。

(末社の貴船神社:雨乞いの神とされています。)
継体天皇は、ここで5年間にわたり宮を営んだとされています。

その後、筒城宮(つつきのみや)(現在=京都府京田辺市周辺)、
弟国宮(おとくにのみや)(現在=京都府長岡京市)、
磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)(現在=奈良県桜井市付近)に
遷宮したとされています。
長岡京市にある角宮神社(すみのみやじんじゃ)の社伝には、
「継体天皇6年勅して乙訓社を建営し給ひ、火雷神を鎮め給ふ」とあり、
継体天皇の弟国宮と長岡京市の深いゆかりを感じます。

(長岡京市の角宮神社)